女と女で子は成せない
知らない人に付いて行ってはいけません。
お母さんが口をすっぱくして言っていた。
ほんと、その通り。
お陰でえらい目に遭っています私。
* * *
嗚呼、お腹が減った。ひもじい。
何が花の都だ。色鮮やかな観賞用の花なんて腹の足しにならないもの育ててる暇あったら、トマトとかいちごとか実の付くもの量産しろってんだ。
この世界で唯一の国、エルドア王国。その中でも国の中枢に位置するここ王都ラムリエルは、花の都とも呼ばれている。と、胡散臭い形をした露天商のおじさんに教えてもらった。なんでも気候が国の中でも極めて温暖な地方らしく、花の品種改良や加工品で政経を立てているらしい。その証拠に広大な街の至るところには色とりどりの花々が咲き乱れており、空には常に祭の紙吹雪の如く花びらが舞い踊っている。
夢のような情景だ、と、通常時の私ならば思っていたかもしれない。いやね、そんな事を思った時期もありましたよ実際。まさに一昨日の事だけど。
私日下部日向(くさかべひなた)は一昨日この世界にやって来た。いや、迷い込んだと言う方が正しいかもしれない。
あれは部活が終わり、下宿先のアパートに帰っている途中だった。汗だくのTシャツに、履き古したハーフ丈のジャージ、ぱちもんのクロックスという女子力の欠片も無いスタイルで、挙句の果てにその格好のままスーパーに夕飯の材料を買いに行こうかなんて考えてたんだっけ。いやはや、今思えば女性たるもの、常にきちんとした格好をしておくに越したことは無い。いつ何が起こるかなんて分かったものじゃないから。
気が付いたらこの世界にいた。本当に突然のことだった。
見慣れたアスファルトの地面が消え失せ、沈んでいた太陽は再び姿を現し、空を見上げたらその太陽が三角形に三つも並んでいるものだから。文字通り目が点になった。
道行く人やお店の人に話を聞いた結果、私はここが日本とは別次元に存在する異世界であることを知った。言葉が通じたことが唯一の救いだったけど、まあそこはお約束だよね。
中世ヨーロッパのような街並みに、見たこともないような形や色の美しい花々に最初の方は自分が置かれている状況も忘れ、街の探索に勤しんだ。能天気なのだけが取り柄なもんで。街はとてつもなく広大で、賑やかな雰囲気と相まって歩き回っているだけでも楽しかった。今となってはあの時の自分を全力で殴ってやりたい。
危機感を覚えたのは三つの太陽が沈み、街灯が灯り始めた頃だった。まず腹が悲鳴を上げ始め、この世界の通貨を持ち合わせていないことに気付き、そしてその日寝る場所の当ても無いことに焦った。非常に焦った。
焦った私は皿洗いでもなんでもするから、今夜だけでも寝る場所と食べ物を恵んでくれないかと宿屋や料理屋と思しき店に掛け合ったが、何所も返事は同じ。うちにそんな余裕はない、お前みたいな奴は山ほど来る、毎度受け入れていたらキリが無い、そんなものばかりだった。
この街は国内で最も栄えている街だ。故に旅行者、出稼ぎに来た者、富を得た者のお零れを与りに来た者等、訪れる流浪人も多い。私のような素性の知れない、しかも見慣れない風体をした者等一見して門前払いだった。その日は結局、この国のことを教えてくれた露天商のおじさんにもらった、得体の知れないピーナッツのような豆を数粒平らげ、公園の芝生の上で眠りに就いた。
翌日は元の世界へ帰る方法を調べようと動き回ったが、図書館と思しき公共施設は身分証明書が無いと入館を許してはもらえず、有力な情報を得る事は出来なかった。職探しもしてみたが結果は前日と同じく。世知辛い世の中である。唯一娼館だけは良い反応を示してくれたけれど、まだそこまでの覚悟は持ち合わせていなかった。何を隠そう、彼氏いない歴20年処女の身である、部活馬鹿の私がいきなり水商売なんて、初期装備でラスボス戦に向かうようなもんだ。連載当初の悟○がフ○ーザ様に勝てるわけなかろう。そんなこんなで花街から再び公園へと逃げ帰ってきた私は、その日も大した収穫も無いまま芝生の上で一夜を明かした。
そうして今に至る。
子供達の笑い声、小鳥の囀り、遠くから聞こえる街の喧騒、なんてのどかな昼下がりだろう。こんな日はお弁当なんて持って、芝生の上でランチとでも洒落込みたいね。まあお弁当なんて買うお金も無く、空腹で芝生の上に力尽きている私には関係の無い事ですけどね! 心なしか周囲から距離を置かれている気がするけど、気のせいだろう。私のいる一角にだけ人がいないのも、私に興味を示す子供をお母さん達が見ないように諫めているのも、きっと気のせいに違いない。
人生そう上手くはいかないもんだな。
異世界トリップって、もっとこう手厚く扱われるものだと思ってたんだけど。逆ハーレムを築きたいとは露ほども思ってないけどさ。せめて温かい食事にあり付けるだけの生活は、保障してくれたっていいじゃない。人間だもの。
帰る方法も分からないし、お金も無い、食糧もない。まったく現実とは厳しきものなり。あ、この花きれいなオレンジ色してておいしそう、むしゃむしゃぶふぉッゲロマズッ!
「見つけた、やっと見つけたぞ……!」
「ふぇ?」
唐突に上がった声に、私はうつ伏せになっていた上体を起こし、振り返った。
いつの間にいたのだろう。そこには一昨日から街を徘徊していて、一度も目にした事の無い出で立ちをした二人が立っていた。
一人は品の良いジャケットとパンツを身に纏った、貴族のような格好をした男性だった。歳は40代前半くらいかな。後ろへ撫で付けられたココアブラウンの髪と、綺麗に整えられた顎髭がダンディな印象を放っている。さっき声を発したのはこの人らしい。両手をわななかせ、私を見つめる琥珀色の瞳は僅かに潤んでいる。
「ライナス様、本当にこの者でしょうか。どこからどう見てもまだ子供ですし、何か野草食べていますし」
そしてもう一人。まるで汚物を見るかのような視線で私を見下ろすのは、まるで西洋の騎士のような装いのやけに綺麗な顔をした男だった。純白の鎧に赤茶のさらさらヘアーがよく映えている。エメラルドグリーンの切れ長の瞳が一瞬かち合ったが、すぐに逸らされた。
「候補とは言え、こんな土臭い野生児のような者を擁立すれば、ライナス様の威厳にも差し支えます。少し冷静になってください。もっとよく探してみたらもしかしたら――」
「いいやユリウス、この子に違いないよ! ほらよく見てごらん。まるで夜をそのまま零したような漆黒の髪に揃いの黒水晶の瞳。エルドア国には存在し得ない容貌だ。それに今は確かに薄汚れているけれど、よく見ると素朴で味のある顔をしている」
そう言ってさらり、とダンディおじさまが二日間風呂に入っていない私の油ぎっしゅな髪を撫でる。さりげなくこの人達ひどいこと言ってくれてるな。というかこれはセクハラだぞダンディおじさま。初対面の女性の髪を気安く触るなんざ、フランクなお国柄が許しても、彼氏いない歴及び処女歴20年の私が許さん。もっと撫でてください。
「きみ、エルドア王国の者じゃないね? 別世界の人間だろう?」
「えっ」
いきなり核心を突かれて驚いた。
どういうことだろう。私の容姿がこの国の人とは違うことは分かっていたけれど、それで別世界の人間という発想が出るってことは、この国には結構頻繁に私のような人間が迷い込んでいるのだろうか。
私がこの世界へ来た経緯を説明すると、ダンディおじさまはふむ、と呟き、私の肩に手を置いた。
「実はね、きみをここへ呼んだのは私達なんだ」
「なんですと!?」
このオッサンとんでもない爆弾発言かましやがった。つまり私はこの世界に迷い込んだのではなく、呼び出された――召喚されたと? なんとまぁ王道的な。にしてはここ二日間、大層ひもじい思いをしたんですが一体どういうことだ。
「正確に言うと、呼び出したのは王宮の召喚師達だけどね。二日前に召喚の儀を行ったんだけど何故かきみだけが現れなかったから、私達が探していたんだ。この街の何所かにいることは分かっていたのだけれど、随分遅くなってしまったよ」
「まさかこんな街外れの公園で力尽きているとは、誰も思いませんでしたしね」
なるほど、詰まる所私は迷子だったと。食べ物に在り付こうと、街をあっちこっちしていたから二日間も掛かってしまったんだなきっと。
「まぁ、詳しい話は王宮に向かいながら、馬車の中ででもしようじゃないか」
私に視線を合わすためにしゃがんでいたダンディおじさまが徐に立ち上がり、手を差し伸べてきた。よくよく見れば通りに面する公園の入り口付近に、豪奢な造りの馬車が停めてあった。さすが王宮関係者なだけある。
むむむこれは付いて行っても良いものなのかな。いくら私を呼び出した人達とは言え、初対面且つ素性が知れないわけだし、いきなりこの国のトップ機関である王宮からお迎えが来るなんて、いくらなんでも都合が良すぎる気が……
「大層お腹を空かしているでしょう。道中何か美味しいものを用意しますよ」
「よしきた行きましょう」
捨てる神あれば拾う神有り。え? 現金だって? 気にしない気にしない。私は史上最悪に腹が減っているのだ。腹が減っては戦は出来ぬだよ。食べ物をくれる人に悪い人はいないさ。
「ユリウス。お前、相変わらず黒いな……」
「え? 何か言いました? ライナス様」
二人が何やら後ろで喋っていたが、意気揚々と馬車に向かって行く私には聞こえない。
まぁ食事に在り付ければ何でも良いさ! 二日ぶりのごっはん~ごっはん~。
* * *
ほんと、知らない人にはホイホイ付いて行くもんじゃない。
「あの、すいません。もう一度言ってもらえます?」
「女王陛下に御子を授けてほしいんだ」
聞き間違いじゃなかったらしい。
馬車に乗った私達はこの国の最高機関、エルドア城に向かっていた。ここ王都ラムリエルはとても広い。それはこの二日間で身をもって知った。先程の公園が大分街の外れに位置してはいたが、それでも街の中心部にあるエルドア城へはかなりの距離があるらしい。故に馬車での移動となった私は道中露店とは違う、畏まった小奇麗な店に立ち寄って買ってもらったバケットサンドに似たものやら焼き菓子のようなものやらを夢中で租借しながら、この国の一般常識等を聞いていた。
そうした話の流れで、このエルドア王国を治めているのが女王陛下ということを、先程ダンディおじさまことライナスさんに教えてもらったのだが……
「それが、自分がこの世界に呼び出された理由なんですか?」
「ああ、そうだ」
体中の毛穴から嫌な汗が噴出すのを感じる。
いやいやいやいや無理無理無理無理。私日下部日向、性は女、生まれも女、付いてるもんも付いてない生物学上まごうことなき女。女である私が同じく女である女王様に子供を授けようなんて、物理的に無理だよ、ファンタジーそのものだよ。
「この国には代々、王位継承者は異界の者と子を成すという慣わしがあるんだ。これは国内で権力争いを避けるのが目的なんだけど、今回は初めての男性の召喚だったからね。少しごたついたけれど、何とかなって本当によかったよ」
いやいや少しどころか性別そのものが間違ってますけど。失敗だよねこれ。完全に失敗してますよね。
というか、これは二人とも私のことを男と勘違いしてるってことでいいのかな。
ううむ、状況が状況なだけあるけど、流石にこの歳にもなって男と思われるなんて……軽くショックだ。年甲斐も無く黒髪ショートヘアーなのがいけなかったのだろうか。いや、だって運動するのに髪が長いと鬱陶しいし、バイト先は染髪禁止だし。体型は……何も言えない。い、良いんだよ胸なんて! あったって走るのに邪魔になるだけなんだから!
けれどそうと分かれば、彼らの要求を呑むわけにはいかない。私には到底果たし得ないことなのだから。しかも相手はこの国のトップである女王様だ。ばれたら牢屋行きどころか下手したら打ち首もんだ。
ここはきっぱりと、丁重に、お断りしよう。
「あの、わたし――」
「ヒナタ様」
それまでライナスさんの隣で静かに私達の会話を傍観していた騎士――ユリウスさんの声に、私の決死の申し出は掻き消された。なんなんだ突然。
「貴方、いくつ食べられました?」
「へ?」
いくつ……とは、さっきから食べている具たっぷりなバケットサンドやら焼き菓子やらのことだろうか。それならば何を隠そう、今まさに私が封を切ろうとしている焼き菓子が最後の一個だ! いやー久々の食事というのもあったけど、めちゃめちゃ美味しかった。バケットサンドのフランスパンのようなパンは香り豊かで外はカリッ中はフワフワ。具材もやたらジューシーなお肉とシャキシャキの新鮮な野菜が入っていて、香辛料が効いたスパイシーなソースと合わさってとても食べ応えがあった。お菓子もフィナンシェやマドレーヌに似たものだったが、口どけ滑らかで酸味と甘味が程よい、上品な味がした。高級料理店、菓子店顔負けの――
手に持っていた最後の焼き菓子が滑り落ちる。
「……ま、まさか……」
「そのまさかですよ。誰もご馳走するとは言っていないでしょう。そんなに食べてしまって……職も無く、こちらの通貨も持ち合わせていない貴方に、これだけの食事の支払が果たして出来るんでしょうか?」
は、はめられた……! どうりで美味しすぎると思ったんだよ畜生っ!
整った唇を僅かに持ち上げ、不敵に笑む様は大変絵になるが、そんなものには惑わされんぞ! この男、私が断りの申し出をする可能性を見越して私に親切しやがったんだな! 下衆野郎め!
貸しを作ってしまった以上、逃げるに逃げれなくなってしまったじゃないか。出来るものなら吐き出してそのまま目の前のこいつに突き返してやりたい……うぅ……。
「まぁまぁ、確かに突然呼び出されて子を設けろなんて理不尽な話だとは思うけど、王宮に来てくれさえすれば悪いようにはしないからさ。衣食住の生活保障は私が責任を持つし」
「ライナスさん……」
項垂れる私に優しく微笑みかけてくれるライナスさんが、何だか菩薩のようにみえてきた。ダンディな菩薩なんて聞いたことがないけど。
「それに、まだ“候補”だしね」
「候補?」
そう言えばユリウス(もうさんなんて付けてやらない)もそんなことを言っていた気がする。
「そう。毎回召喚には三人の異世界人を呼び出す決まりなんだ。なんでも嘗てこの世界を創造した神が異界から訪れたの三人の娘と結ばれたという逸話からそうなっているらしいんだけど、実際は王に選択肢を持たせることと、召喚師が呼び出せる限界が三人っていうのが、本当の理由だよね」
「! ということは、他にも二人、異世界から来た人がいるってことですか!?」
「うん。二日前に、召喚の儀でちゃんと同時に規定の魔方陣の中に現れたよ。ヒナタ君とは違う顔立ちと髪色だから、また別の世界から来たんだろうね」
もしかしたら日本以外の国の人かも、という可能性もあったが、それ以上に呼び出された女王様と合体する候補生が他にもいることに驚いた。それならばまた話が変わってくる。
平々凡々な容姿の私だ。あとの二人の陰に隠れて目立たないように男の振りをして生活すれば、女王様とあっはんな関係になることもなく、美味しいごはんとふかふかのお布団を楽して手に入れられるかもしれない。異世界トリップ恒例ぐーたら特別待遇生活を手に入れられるかもしれない……!
「ライナスさん!」
「!?」
気付いたら体が勝手に動いていた。座席から立ち上がり、ライナスさんの両手を力いっぱい握り締める。
「わた……じゃない、おれ、日下部日向。謹んでその要求お受けしましょう!」
野草を食べるなんて体験、もう御免だもんね。