今、京へ着きます
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女が紛れてるなんて噂が、まことしやかに流れた。
んな訳ない。宿の据え風呂なんか、順番に入るから、女がいたら分かるって……。
「なあ……。そうだろ」
「誰が言い出したんだか……」
総司が、俺の問い掛けに白けて言った。
「六番隊の中沢ナントカの妹が、隊列の後をつけてるって、もっぱらの噂だよ」
さすが、藤堂先生!情報が早いっ。
「でも、でかい女だぜ。面ぁ、十人並みかな。歳の頃は、二十七、八。結構な年増だぜ」
「名前は、お琴」
藤堂先生、なんだか嬉しそうだ。
「なんだ二人とも。いつの間にそんなこと確かめたんだよ」
「あったりめえだ」
なんと彼等の素早いチェック!
「でも俺は、女はいい」
そう言って総司は唇を尖らせた。
一方的に女に惚れられて追い回され、死ぬの生きるのと大変な目にあったらしい。
総司の口からはっきり聞いたわけじゃないが、藤堂先生から、そんな話を聞いた。
今ならさしずめストーキングされたってところなんだろうか。
ヒーローにも、わけありなスキャンダルのひとつくらいはあったんだ。俺は総司の横顔に、親しみを覚えた。
総司、俺は年増でも、チョイ興味あるかも……。
でも、恋愛なんて人生の中で、それほど大切じゃない。
なんて、どうした俺。こんな時代だって、彼女くらいは、欲しいだろうが!俺の人生から恋愛を取ったら何が残るんだっ!
「あーーっ!バイトォ!」
俺は、大変なことを思い出してしまった。
色白のカワイイ笑美ちゃん…。笑美ちゃんと一緒にコンビニのバイトをする予定だった。
告るイメトレだって、できてたんだ。アホくさがる弟を笑美ちゃんに仕立てたシュミレーションは無駄だったのか。
俺は肩を落としてションボリした。足元に力が入らない。
「なんだ、健司。国許にでも女を置いて来たか」
「そんなんじゃない」
俺は総司を睨み付けた。
総司はのほほんと、京へ着いたら女抱きに行こうぜとのたまう。
いいのか。君は幕末の悲劇のヒーローなんだぞ。孤高の天才剣士なんだぞ。
「東男に京女ってね」
「色町にいるのは、京女とは限りませんよ。あちこちから流れてきてるから。京女がいいんなら、素人と契るしかないでしょう」
「だから、素人はいいって。懲り懲りだぜ」
「玄人だって素人だって、女が恐い生きもんだってのは変わらないでしょ」
藤堂先生は、煎餅をポリポリ齧りながら、また良く喋る。
「健司〜。こんな奴ほっといて、俺と遊びに行こうぜ。金ならあるんだし」
バカ言え。俺、まだ童貞だって!風俗で無くすなんてありえねえ。カッと赤くなったら、それがばれてしまった。
「ふうん、そういうことかあ。こいつぁ、楽しみだぜ」
総司がにんまりした。
ソーローで、できなかっただけだ。その女には、速攻フラれた。望みは、笑美ちゃんだったのに。
それより、センセイに京の都へ着いたら、事の次第を説明せよと、課題を出されている。
水戸から参加している者は皆、俺が俺についてどう言い訳するか、わくわくしているらしい。
特に新見錦。よほど俺が気に入らないらしい。あいつは堅苦しくていかんと言いながらも、水戸の連中は皆あいつを気遣っているのが空気で分かる。
オッサンが、
「一生懸命な奴だからな。まあ、棘があるくらい勘弁してやれ。打ち解けるのに暇はかかるが、悪い奴じゃないんだ」
と、膨れっ面の俺を諭す。そうは言っても、ああ突っ掛かられたんじゃ、
「なんで」と凹んでしまうじゃないか。錦め。
中山道は草津から東海道とひとつになる。ここまで来れば、京は近い。
よく歩いたぜ、俺。御褒美をやりたいくらいだ。
「新徳寺、建白書、京都残留」
俺はつぶやく。
「なんのお題目だ。さっきからブツブツと」
総司が聞く。
頭をよぎるドラマのキーワードを口ずさんでいるだけだ。詳しい事を述べよと言われても、意味はうろ覚えで、よく分からない。
「新徳寺。京へ着いたら、先ずそこへ入る。だが建白書とはなんだ。俺達が朝廷に、何を建白するんだ」
錦が俺のつぶやきを耳聡く捕らえ、難癖を付けにきた。建白と言えば朝廷と決っているらしい。
「いや、確か清河八郎が……」
言いかけて、錦に着物の袖を掴まれた。
「それ以上は言うな。って、なんでお前がそこまで知ってるんだ」
かえって俺の方がビックリした。錦のリアクションが、普通じゃない。
「誰にも言うな」
って、何を……。
「建白なんて、血迷っても言うんじゃないぞ。それに京都残留ってどう考えても辻褄が合わない。俺達はそもそも京で……」
と言いかけて、錦がはっとしたように口を噤んだ。
俺にか、野口健司にか知らないが、秘密があるようだ。そんなそぶりに気付かないほど、俺はオバカじゃない。
今まで語られてきた、ドラマや小説のストーリーとは違う何かを 俺は感じた。
「清河は、江戸帰還命令に従う」
「江戸へ帰還? 清河先生が? まさか……」
いちいち声がひっくりかえる。真面目に驚く錦のリアクションが面白くて、俺は知ったかぶりをしてみた。
「それに従わないのが、俺達水戸派と試衛館の連中」
「ナンデ!」
ドラマの‘意義有り!’なんてシーンを思い描いて、いい気分に酔っていたのに。
そんな俺の頭ん中。クライマックスシーンを破って錦が叫んだ。錦の顔が心なしか赤い。
「なんで……、あいつらが……俺達と行動を供にするんだ」
よっぽど意表を突かれたらしい。錦が咳き込みながら喋る。
なんとか冷静になろうとして、なりきれない錦の目が、空中を泳いで、どっかへ行ってしまいそうだ。
「とにかく、まだ分からない先の事だろう」
「信じなくても、別に構わないよ。どうせ俺の言う事なんか」
いじけてやる。
「いや、先生がこの先お前は特別な存在になるとおっしゃるから。だが、俺は謝らんぞ。しばらくは休戦だ」
泳いで行った錦の視線が、イケメン土方の肩先に、モンシロ蝶のように震えて留まった。
男が惚れる男ってやつだ。堅物の錦でも例外じゃないらしい。
イケメン土方が肩先を右手で払う。わっ、嫌味だ。
「仲間内で何をコソコソ喋ってんだよ」
「いや、たいした事じゃない」
俺がごまかそうとすると、総司がクールに笑った。
「いいな、仲間が居て」
「総司にだって、いるじゃないか」
「さあ、どうだか」
切っても切れない絆で結ばれてんじゃないのか。近藤、土方、沖田なんてのは。
そうだ、歴史ヲタの小日向が誇らしげに言ってたな。あれは小説の中で美化されて行ったエピソードだと。
小日向。あいつが居てくれたら、怖いもん無しなんだけどな。
やがて、蹴上から京の町へ入る。
誰一人も落伍することなく、三条大橋にたどり着いた。
俺には試練が待っている。もう、知ったかぶりじゃすまない。未来を知る人間だということを 告白しなければならない。それも生半可な知識しかないんだ。
「分かってんだろうな」
総司が俺の横腹をつつく。
俺の喪失の危機だ。童貞どころか、命だって危ないんだ。
文久三年二月二十三日。
壬生村、新徳寺。二百四十名が、ひとまずここへ入る。
そして、それぞれが、近隣の郷士邸や農家に振り分けられ、旅装を解くことになった。
「俺達の宿、八木邸の当主は玄之丞。奥さんはマサ、男の子がふたり。新見さんの宿は南部邸」
超能力者よろしく、俺は眉間に皺を寄せ、思い出しながら言った。違ってたらどうしよう。一か八かだ。
そしてその通りになった。俺はホッとし、水戸の連中は顔を見合わせた。
「次は建白書だな」
センセイが低い声で俺に囁いた。
「そうです。今夜、新徳寺に皆が集められるでしょう」
「それは最初から決っていた事だ。誰からそれを仕入れた。お前は誰なんだ」
「信じられないでしょう。きっと」
「それは今決める事じゃない」
俺は、自分をどう伝えていいか、迷っていた。
未来から来た? やっぱ魂が入れ替わったとしか言い様がない。
「錦から聞いたんだが、清河が早々に江戸へ帰還を決めるとは、ほんとうか」
「それは、清河が朝廷に願い出ます」
「あの野郎、なんで江戸へ戻る。約束が違うだろう」
センセイがデカイ体を硬くして、拳を握り締めた。
「それで、俺達が京へ残留するという訳か」「幕府からお目付け役として数名、俺達水戸派、そして試衛館道場の人間が残ります」
「近藤さん達がか?」
「ええ、けど……」
言いかけて、俺は総司の顔を思い浮かべた。仲間が居ていいなと言った彼の瞳が、どこにも焦点を結んでいなかったのが、ひどく気になった。
「彼らには、気を付けて下さい」
それしか言えなかった。
この先起る悲しい出来事を ありのまま告げるなんて出来ない。
どうにか回避できないのか。無い頭で考えても無駄かな。
夕景が迫っていた。俺は八木邸の前に立ってそれを見上げた。
「何が起きるのかな、この先。分かってるんだろ、お前には……」
隣りの南部邸から、錦が現れた。
「暮れるな。京の町が」
「そうですね。錦さんは、水戸に残して来た物ってありますか」
「無いね。俺は全部捨てて来た。お前はどうだ」
「俺はたくさんの未練を残してきました」
「未練はいけないな。心が残る」
「最初から死ぬのが目的じゃないでしょ。生き残ってなんぼでしょ」
「面白い事を言うな、お前は。覚えておくよ。生き残ってなんぼっだって」
俺は初めてじっくりと錦の顔を見た。
小作りの顔いっぱいに見開いた目が、印象的だ。
憎たらしいばかりだった錦が、優しく笑ってくれて、俺は嬉しかった。
「これから、建白書騒動だな。主立った連中が新徳寺に呼ばれている。俺も今から行って来る。これは最初から仕組まれた事だ。俺達は驚きはしない。他の連中がどう出るかだ。まあ、お前はゆっくり休め」
そう言って、俺の肩を叩いて向かいの新徳寺へ消えて行った。