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余命一年の王子様と、嘘つき令嬢

作者: S@Y@
掲載日:2026/06/30


 第一王子セリウス・ノクティスは、自分が十八歳の誕生日に死ぬことを知っていた。


 それを知らされたのは、十七歳の誕生日の夜だった。


 王城最奥。


 誰も立ち入ることを許されない「星見の間」。


 そこには、国王と神官長、そしてセリウスだけがいた。


「……そうですか」


 話を聞き終えたセリウスは、静かにそう言った。


 驚きはなかった。


 むしろ。


 納得した。


 生まれた頃から、自分は病人だった。


 誰よりも強い魔力を持ちながら、誰よりも弱い身体。


 突然動かなくなる手足。


 理由もなく襲ってくる激痛。


 年々失われていく感覚。


 医師たちは『魔力病』と呼んだ。


 だが。


 それは病ではなかった。


「殿下は、『世界の楔』なのです」


 神官長は泣いていた。


「千年前、世界を滅ぼしかけた呪いを封じるため、初代国王は自らの命を捧げました。そしてその日から、王家には代々、呪いをその身に宿す者が一人生まれるようになったのです」


 セリウスは黙って聞いていた。


「その者は……十八歳の誕生日を迎えた時、命を落とします」


 静かだった。


 部屋の中は、驚くほど静かだった。


「つまり」


 セリウスは笑った。


「私は、生まれた時から死ぬことが決まっていたのですね」


 国王が目を伏せた。


「……すまない」


「父上」


 セリウスは首を横に振った。


「謝らないでください」


 むしろ。


 安心した。


 これでようやく、自分が弱かった理由が分かった。


「私が死ねば、世界は救われるのですね」


 神官長が嗚咽した。


「……はい」


「ならば」


 セリウスは窓の外を見た。


 夜空には、星が輝いていた。


「悪くない人生だったのでしょう」


 そう。


 その時は思った。


 あと一年。


 静かに生きて。


 静かに死ぬ。


 それで終わり。


 そのはずだった。



「セリウス殿下!」


 翌週。


 王城の庭園に、元気な声が響いた。


 セリウスは読んでいた本から顔を上げた。


 そこには、一人の少女が立っていた。


 栗色の髪。


 大きな瞳。


 そして。


 今にも泣きそうな顔。


「……誰だ」


「ミリア・フォルテスです!」


 少女は勢いよく頭を下げた。


「本日より、殿下のお話し相手を務めさせていただきます!」


「お話し相手?」


「はい!」


 元気だった。


 だが。


 目が真っ赤だった。


「……君」


「は、はい!」


「泣いていたのか」


「な、泣いてません!」


「目が赤い」


「これは……その……」


 ミリアは焦った。


 とても焦った。


「花粉です!」


「冬だぞ」


「……」


 沈黙。


 そして。


「うぅ……」


 泣いた。


 セリウスは、一瞬目を丸くした。


 そして。


 気づけば。


 笑っていた。


「あ……」


 ミリアが固まった。


「殿下……笑いました……」


 セリウスも驚いていた。


 自分が。


 笑った。


 いつ以来だろう。


「……君が面白いからだ」


「面白い!?」


「少なくとも、退屈はしない」


 ミリアは涙を拭いた。


 そして。


 泣き顔のまま笑った。


「良かったです!」


 その笑顔を見た時。


 セリウスはまだ知らなかった。


 この嘘が下手な令嬢のために。


 自分が、生きたいと願うようになることを。


ミリアは、本当に毎日やってきた。


 雨の日も。


 雪の日も。


 強風で庭園への扉が閉ざされた日でさえ。


「今日は図書室でお話ししましょう!」


 と、なぜか先回りして待っていた。


「……なぜいる」


「偶然です!」


「嘘だな」


「はい!」


 即答だった。


 セリウスは笑った。


 最近、笑うことが増えた。


 ミリアといると、不思議と身体の痛みを忘れた。


 いや。


 痛みは消えない。


 ただ。


 痛み以外のことを考えられるようになった。


「殿下!」


「何だ」


「今日はお菓子を作ってきました!」


 ミリアは得意げに包みを差し出した。


 開ける。


 黒かった。


「……これは」


「クッキーです!」


「炭ではなく?」


「クッキーです!」


 セリウスは一枚摘まんだ。


 硬かった。


 石のようだった。


「……食べられるのか」


「たぶん!」


「たぶんか」


 セリウスは口に入れた。


 苦かった。


 そして硬かった。


 だが。


 目の前の少女は、期待に満ちた目でこちらを見ていた。


「……どうでしょう!」


「……」


「……」


「……まずい」


 ミリアは崩れ落ちた。


「やっぱりぃ……!」


 その姿があまりにも面白くて。


 セリウスは、声を上げて笑った。


 ミリアはぽかんとした。


「殿下……?」


「……はは……」


 止まらなかった。


 笑うということが、こんなにも楽しいことだったとは。


 知らなかった。


「……ありがとう」


 思わずそう言うと。


 ミリアは、今度は泣きそうな顔になった。


「え?」


「ありがとう」


 セリウスは、もう一度言った。


「久しぶりに、楽しかった」


 ミリアは。


 今にも泣きそうな顔のまま。


 とても嬉しそうに笑った。


「……はい!」



 春になった。


 その日。


 セリウスは、朝から右手の感覚がなかった。


 何度握っても。


 何度動かしても。


 自分の手ではないようだった。


「……来たか」


 神官長の言葉が脳裏をよぎる。


 ――春には、右手の感覚が失われます。


 分かっていた。


 分かっていたのに。


 怖かった。


 人は。


 自分の身体が少しずつ死んでいくことを、簡単には受け入れられない。


 扉が開いた。


「殿下!」


 ミリアだった。


 今日も。


 笑っていた。


「今日は庭のお花が綺麗なんですよ!」


「……そうか」


「あれ?」


 ミリアが首を傾げた。


「元気がないです」


「そんなことはない」


「あります」


 セリウスは苦笑した。


「君は、人の顔を見るのが得意だな」


「はい!」


 得意げだった。


 だから。


 少しだけ。


 本当のことを話した。


「右手の感覚がなくなった」


 ミリアの笑顔が止まった。


「……え」


「痛くもない」


 セリウスは、自分の右手を見つめた。


「触っている感覚もない」


 ミリアは何も言わなかった。


 言えなかった。


「怖いな」


 その言葉は。


 思っていたよりも、小さな声だった。


「私は」


 初めてだった。


 誰かに。


 怖いと打ち明けたのは。


「……怖い」


 ミリアは。


 俯いた。


 肩が震えていた。


 泣いている。


 そう思った。


 だが。


 次に顔を上げた時。


 彼女は笑っていた。


 とても。


 下手な笑顔だった。


「大丈夫です!」


 声が震えている。


「絶対に治ります!」


 嘘だ。


 そんなことは。


 二人とも知っている。


 それでも。


 ミリアは笑った。


「だって!」


 涙を堪えながら。


 笑った。


「私、諦めませんから!」


 セリウスは。


 なぜだか。


 泣きそうになった。


「……そうか」


「はい!」


「君は」


 セリウスは笑った。


「本当に、嘘が下手だな」


 ミリアは。


 今度こそ泣いた。


 ぽろぽろと。


 子どものように。


 泣いた。


 それでも。


 最後まで。


 笑おうとしていた。



 夏。


 セリウスは、味覚を失った。


 最初は違和感だった。


 紅茶が薄い。


 菓子の甘みが分からない。


 料理の味付けが変わったのかと思った。


 だが。


 違った。


 ある日の昼食。


 セリウスは、何も感じなかった。


 甘いも。


 辛いも。


 苦いも。


 何も。


「……そうか」


 分かっていた。


 神官長から聞かされていた。


 ――夏には、味覚が失われます。


 だから。


 驚かなかった。


 驚かなかった、はずだった。



「殿下!」


 その日も、ミリアはやって来た。


 両手いっぱいの籠を抱えて。


「見てください!」


 テーブルの上に、次々と皿を並べる。


 クッキー。


 ケーキ。


 サンドイッチ。


 スープ。


 果物のタルト。


「……これは」


「全部、私が作りました!」


 得意げだった。


 そして。


 少しだけ。


 怯えているようにも見えた。


「今日は、何の日だ」


「何の日でもありません!」


「ではなぜ」


「食べてください!」


 有無を言わせない勢いだった。


 セリウスは、サンドイッチを口に運んだ。


 何も。


 感じない。


 ケーキも。


 スープも。


 タルトも。


 何も。


 ただ。


 飲み込んでいるだけだった。


「……どうですか」


 ミリアが聞いた。


 その声は。


 震えていた。


 セリウスは、答えられなかった。


「……殿下?」


 答えなければ。


 そう思った。


 だが。


 嘘はつけなかった。


「……分からない」


 ミリアの顔が、固まった。


「全部……?」


「ああ」


「甘いのも……?」


「ああ」


「しょっぱいのも……?」


「ああ」


「……全部?」


 セリウスは頷いた。


 長い。


 長い沈黙だった。


 そして。


「……っ」


 ミリアが、顔を覆った。


「ごめんなさい……!」


 泣き声だった。


「私……!」


 ぽろぽろと涙が落ちる。


「私、治るって言ったのに……!」


 セリウスは目を見開いた。


「ミリア」


「嘘つきなんです……!」


 彼女は泣いていた。


 自分のことのように。


 いや。


 自分のこと以上に。


「殿下が苦しいのに……!」


 その姿を見て。


 セリウスは初めて思った。


 ああ。


 この人は。


 本当に。


 私に生きてほしいのだ、と。


「……ミリア」


 彼女の名を呼ぶ。


 ミリアは泣いたまま顔を上げた。


「何も感じなかった」


 セリウスは言った。


「だが」


 少しだけ。


 笑った。


「嬉しかった」


「……え?」


「こんなにたくさん作ったんだろう」


 ミリアは固まった。


「……はい」


「何時間かかった」


「……朝の四時から」


 セリウスは、思わず笑った。


「馬鹿だな」


 ミリアの目から、また涙が溢れた。


「……はい」


「本当に」


「……はい」


「馬鹿だ」


 そして。


 セリウスは、初めて自分から手を伸ばした。


 左手で。


 ミリアの頭を撫でた。


「ありがとう」


 ミリアは。


 声を上げて泣いた。



 その日の帰り際。


 ミリアは、扉の前で立ち止まった。


「……殿下」


「何だ」


「約束しませんか」


「約束?」


「来年の春」


 ミリアは笑った。


 泣き腫らした目で。


 必死に笑った。


「一緒に花畑を見に行きましょう」


 セリウスは。


 答えられなかった。


 来年の春。


 自分はいない。


 知っている。


 分かっている。


 だが。


 ミリアは待っていた。


 その。


 下手な笑顔で。


「……そうだな」


 気づけば。


 そう答えていた。


「行こう」


 ミリアは。


 ぱっと顔を輝かせた。


「はい!」


 その笑顔を見た時。


 セリウスは。


 初めて。


 生きたいと思った。


 来年の春を。


 見てみたいと。


 心の底から。



 秋。


 セリウスは、歩けなくなった。


 最初は、ほんの少しの違和感だった。


 立ち上がる時に、力が入らない。


 階段が辛い。


 長い廊下を歩くだけで息が切れる。


 そして。


 ある朝。


 足が、動かなかった。


 ベッドから起き上がろうとして。


 そのまま床に崩れ落ちた。


 痛みはなかった。


 ただ。


 絶望だけがあった。


「……そうか」


 床に座り込んだまま。


 セリウスは笑った。


 分かっていた。


 分かっていたのに。


 涙が出そうだった。



「殿下!」


 その日も。


 ミリアはやって来た。


 だが。


 車椅子に座るセリウスを見た瞬間。


 彼女の顔から血の気が引いた。


「……あ」


 声が震えていた。


「足が……」


「ああ」


 セリウスは笑った。


「終わったらしい」


「終わったなんて言わないでください!」


 珍しく。


 ミリアが怒った。


 怒鳴った。


 目に涙を浮かべたまま。


「まだです!」


「……ミリア」


「まだ終わってません!」


 彼女は泣いていた。


 でも。


 怒っていた。


「絶対に!」


 言葉が詰まる。


 分かっているからだ。


 絶対に治らない。


 そんなこと。


 最初から。


 知っていたから。


 それでも。


「……絶対に」


 ミリアは。


 最後まで言い切った。


「絶対に、終わりじゃありません」


 セリウスは。


 その顔を見ていられなかった。



 その日の夜。


 王城の庭園で。


 セリウスは一人だった。


 車椅子の上で。


 月を見ていた。


「……来年の春」


 来ない。


 分かっている。


 花畑には行けない。


 約束は守れない。


 ミリアは。


 きっと泣くだろう。


 その時だった。


「殿下!」


 聞き慣れた声。


 振り返る。


 ミリアだった。


 息を切らしている。


「何をしている」


「迎えに来ました!」


「迎え?」


「はい!」


 ミリアは笑った。


「約束を守りに」


 意味が分からなかった。


「来年の春だろう」


「待てません!」


「……は?」


「来年の春まで待てません!」


 ミリアは。


 なぜか得意げだった。


「ですから!」


 その時。


 庭園の向こう側で。


 ぱあっと。


 光が灯った。


 そして。


 また一つ。


 また一つ。


 無数の灯りが。


 夜の庭を照らした。


 セリウスは。


 目を見開いた。


「……これは」


 花だった。


 一面の。


 花。


 春の花。


 桜色の花。


 黄色い花。


 白い花。


 見たこともないほど。


 たくさんの花が。


 夜の庭を埋め尽くしていた。


「……どうして」


 ミリアは。


 少し恥ずかしそうに笑った。


「庭師さんたちにお願いしました」


「……全部?」


「はい」


「今日?」


「はい!」


 セリウスは。


 言葉を失った。


 馬鹿だ。


 本当に。


 この子は。


「……馬鹿だな」


 ミリアは笑った。


「はい!」


「大馬鹿だ」


「はい!」


「来年まで待てばよかっただろう」


 その時。


 ミリアの笑顔が。


 少しだけ崩れた。


「……待ちたくなかったんです」


 小さな声だった。


「もし……」


 震えていた。


「もし、来年見られなかったら……」


 そこで。


 言葉が止まった。


 初めてだった。


 ミリアが。


 "その先"を口にしようとしたのは。


「……だから」


 彼女は。


 泣きそうな顔で笑った。


「今年、見ましょう」


 セリウスは。


 花を見た。


 そして。


 ミリアを見た。


 この一年。


 彼女はずっと。


 嘘をついてきた。


 絶対に治る。


 大丈夫。


 まだ終わりじゃない。


 全部。


 嘘だ。


 でも。


 この花だけは。


 嘘じゃなかった。


 この人は。


 本当に。


 自分を生かそうとしている。


 気づけば。


 セリウスは泣いていた。


「……殿下?」


 ミリアが慌てた。


「どこか痛いんですか!?」


 セリウスは首を横に振った。


「違う」


 違った。


 ただ。


 嬉しかった。


 どうしようもなく。


 嬉しかった。


「……ありがとう」


 ミリアは。


 一瞬だけ。


 泣きそうな顔をした。


 そして。


 いつものように笑った。


「どういたしまして!」


 その笑顔を見て。


 セリウスは思った。


 ああ。


 私は。


 この人を愛しているのだ、と。



 冬。


 雪が降り始めた頃。


 セリウスは、自分の死が近いことを悟った。


 朝、目が覚める。


 だが。


 窓の外の景色が、ぼやけて見えた。


「……そうか」


 ついに来た。


 神官長から聞いていた。


 ――最後は、視力が失われます。


 覚悟していた。


 はずだった。


 だが。


 怖かった。


 もう。


 ミリアの顔が見えなくなる。


 そのことが。


 何よりも怖かった。



「殿下!」


 その日も。


 ミリアはやって来た。


 いつも通り。


 明るい声で。


「今日は雪が綺麗ですよ!」


「……そうか」


「はい!」


 セリウスは、ぼやける視界の中で、彼女を見た。


 輪郭が曖昧だった。


 髪の色も。


 表情も。


 分からない。


「……ミリア」


「はい」


「こっちへ来てくれ」


 珍しい言葉だった。


 ミリアは目を丸くした。


 だが。


 すぐに近づいてきた。


「どうしました?」


 セリウスは、震える手を伸ばした。


 指先が。


 彼女の頬に触れた。


 温かかった。


「……良かった」


「え?」


「まだ、分かる」


 ミリアは何も言わなかった。


「顔は見えない」


 セリウスは笑った。


「だが、お前だと分かる」


 ぽたり。


 何かが手の甲に落ちた。


 涙だった。


「……泣いているのか」


「泣いてません」


 即答だった。


 セリウスは。


 少しだけ笑った。


「嘘だな」


「……はい」


 今度は認めた。


 そして。


 声を殺して泣いた。



 その夜。


 セリウスは眠れなかった。


 死が怖かった。


 初めてだった。


 これまでは。


 受け入れていた。


 自分は死ぬ。


 それで世界が救われる。


 それでいい。


 そう思っていた。


 なのに。


「……嫌だ」


 口から漏れた。


 死にたくない。


 もっと。


 もっとミリアと話したい。


 笑いたい。


 春を見たい。


 花を見たい。


 生きたい。


 その時だった。


「殿下?」


 扉の向こうから。


 声がした。


 ミリアだった。


「……どうした」


「眠れなくて」


「私もだ」


 扉が開いた。


 ミリアは、ゆっくりと部屋に入ってきた。


 そして。


 ベッドの横に座った。


「……殿下」


「何だ」


「手を」


 セリウスは。


 黙って手を差し出した。


 ミリアは。


 両手で。


 大切そうに包み込んだ。


 温かかった。


「……ミリア」


「はい」


 セリウスは。


 初めて。


 本音を口にした。


「死にたくない」


 沈黙。


 長い。


 長い沈黙。


 そして。


 ミリアは。


 泣いた。


 声を殺して。


 泣いた。


「……はい」


 それだけだった。


「……生きたい」


 セリウスは言った。


「もっと……」


 苦しかった。


「もっと、お前といたい」


 ミリアは。


 もう。


 笑えなかった。


 ずっと。


 嘘をついてきた。


 大丈夫。


 治る。


 絶対に。


 でも。


 今だけは。


 嘘がつけなかった。


「……私もです」


 震える声だった。


「私も……」


 涙が止まらない。


「もっと……」


 嗚咽。


「もっと、一緒にいたいです……」


 セリウスは。


 初めて。


 ミリアの前で泣いた。


 その夜。


 二人は。


 朝まで手を繋いでいた。



 そして。


 十八歳の誕生日が来た。


 外は雪だった。


 セリウスには。


 もう何も見えなかった。


 何も感じなかった。


 ただ。


 一つだけ。


 分かるものがあった。


「……ミリア」


「はい」


 手の温もり。


「いるか」


「います」


「……泣いているか」


「泣いてません」


 セリウスは。


 笑った。


「最後まで……」


 息が苦しい。


「嘘つきだな」


 ミリアは。


 ついに泣き崩れた。


「嫌です……!」


 震える声。


「嫌です……!」


「……ミリア」


「まだ死なないでください……!」


 嗚咽。


「絶対治るって……!」


 涙。


「私……!」


 震える。


「まだ……!」


 もう。


 笑えなかった。


「まだ諦めてません……!」


 セリウスは。


 静かに笑った。


 ああ。


 そうか。


 この人は。


 最後まで。


 自分のために。


 嘘をついてくれるのか。


「……ありがとう」


 ミリアが顔を上げた。


「君の嘘に」


 救われた。


 その言葉を。


 最後に。


 セリウス・ノクティスは。


 息を引き取った。



「……殿下?」


 返事はなかった。


 ミリアは、震える手でセリウスの頬に触れた。


 温かい。


 まだ。


 まだ温かい。


「……殿下」


 呼ぶ。


 返事はない。


「セリウス様」


 返事はない。


「……セリウス」


 その名を呼んだ瞬間。


 全てが終わったのだと、理解してしまった。


「嫌……」


 ぽろりと。


 涙が落ちた。


「嫌です……」


 神官長が。


 国王が。


 侍従たちが。


 部屋へ駆け込んできた。


 誰もが泣いていた。


 誰もが分かっていた。


 世界は救われた。


 そして。


 一人の王子が死んだのだと。


「……嫌です」


 ミリアは、セリウスの手を握った。


 冷たくなっていく。


 少しずつ。


 少しずつ。


 この人が。


 遠くへ行ってしまう。


「起きてください……」


 返事はない。


「だって……」


 涙が止まらない。


「だって……約束したじゃないですか……」


 春になったら。


 一緒に花を見ると。


 もっと話すと。


 もっと笑うと。


「私は……」


 声が震える。


「まだ……」


 息ができない。


「まだ、好きって言い足りません……」


 誰かが泣いた。


 誰かが顔を覆った。


 でも。


 ミリアは。


 セリウスから手を離せなかった。


「私……」


 嗚咽。


「まだ、諦めてません……」


 ぽたり。


 涙が。


 セリウスの手の甲に落ちた。


「絶対に治るって……」


 また。


 涙が落ちる。


「絶対に、一緒に生きられるって……」


 また。


 涙が落ちる。


「私……」


 ミリアは、泣きながら笑った。


 いつものように。


 下手な笑顔で。


「まだ……嘘をやめてませんから……」


 その時だった。


 部屋が。


 光った。


「……え?」


 誰かが息を呑んだ。


 窓の外から。


 空から。


 大地から。


 無数の光が舞い上がってくる。


 暖かい。


 優しい。


 春の日差しのような光。


 それは。


 真っ直ぐに。


 セリウスの身体へと降り注いだ。


「これは……!」


 神官長が震えた。


「まさか……!」


 千年前から。


 世界の楔として生き。


 世界のために死んでいった。


 全ての王たちの。


 全ての命の輝き。


 その想いが。


 今。


 一人の王子へ返されていた。


 光が。


 セリウスを包む。


 冷たかった手が。


 少しずつ。


 温かくなっていく。


「……嘘」


 ミリアは。


 泣くことも忘れていた。


 そして。


 ゆっくりと。


 セリウスの指が動いた。


「……っ!」


 誰かが叫んだ。


 国王が立ち上がった。


 神官長が泣き崩れた。


 そして。


 ゆっくりと。


 ゆっくりと。


 セリウス・ノクティスは目を開けた。


「……ミリア」


 その声を聞いた瞬間。


 ミリアの世界は止まった。


「……え」


 涙が止まった。


 呼吸も止まった。


「……どうして」


 セリウスは、ぼんやりと天井を見上げた。


 そして。


 ゆっくりと。


 ミリアを見た。


 見えた。


 見えていた。


 栗色の髪も。


 泣き腫らした瞳も。


 全部。


「……見える」


 セリウスは呟いた。


「ミリアが……見える」


 ミリアは。


 泣いた。


 笑った。


 また泣いた。


「……嘘」


 震える声。


「そんな……」


 セリウスは、自分の手を見た。


 動く。


 足も。


 身体も。


 痛みはない。


 恐怖もない。


 ただ。


 生きている。


「……私は」


 声が震えた。


「生きているのか」


 その言葉を聞いた瞬間。


 ミリアは。


 堪えていた全てを失った。


「馬鹿……!」


 泣きながら。


 セリウスに抱きついた。


「大馬鹿です……!」


 ぽかぽかと。


 胸を叩く。


「心配したんですよ……!」


 泣く。


 笑う。


 また泣く。


「……はい」


 セリウスは。


 そっと。


 ミリアを抱きしめた。


 温かい。


 生きている。


 彼女も。


 自分も。


「……ミリア」


「……はい」


「ありがとう」


 ミリアは顔を上げた。


 涙でぐしゃぐしゃだった。


「何がですか……」


 セリウスは笑った。


 初めて。


 本当に。


 心の底から笑った。


「君が」


 優しく。


 愛おしそうに。


「世界で一番、下手な嘘つきだったから」


 ミリアは。


 一瞬だけ呆然とした。


 そして。


 声を上げて泣いた。


 笑いながら。


 泣いた。


 その一年後。


 二人は結婚した。


 後に人々は語る。


 世界を救った王の隣には。


 世界で一番、嘘が下手な王妃がいたのだと。


 そして。


 その王は、生涯。


 ただ一人の女性だけを愛し続けたのだと。

【あとがき】


ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。


『余命一年の王子様と、嘘つき令嬢』は、「絶対に叶わないと分かっていても、大切な人のために嘘をつき続けることはできるのか」というテーマから生まれた物語です。


セリウスは、自分の死を受け入れていました。

けれどミリアだけは、最後まで諦めませんでした。


「絶対に治ります」


その言葉は、誰よりもミリア自身が嘘だと知っていました。

それでも彼女は、その嘘をつき続けました。


そしてセリウスは、そんな彼女の嘘に救われ、生きたいと願うようになりました。


最後に奇跡が起きたのは、世界を救った王子へのご褒美でもありますが、何よりも「最後まで諦めなかった二人」へのご褒美だったのだと思っています。


少しでも、セリウスとミリアの一年が皆様の心に残っていたら嬉しいです。


最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

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