カツ丼くん
毎日昼休みになると学校近くのコンビニへ向かう。
成長期の男子高校生にとって、昼ごはんにお弁当1つでは到底足りない。
本当なら弁当を二つ買いたいところだけれど、最近の物価高ではそうもいかない。
結局いつも、値段より量で選ぶことになる。
今日はカツ丼だな――。
そう決めて棚から手に取り、レジへ向かおうとした時だった。
背後の誰かとぶつかりそうになり、私は慌てて身を引いた。
「すいませんっ!」
反射的に謝ると、相手はやわらかく言った。
「大丈夫ですよ」
顔を上げると、そこにいたのは女子高生だった。
手にはサンドイッチ。
すれ違った瞬間、ふわりと甘い香りがした。
「……」
思わず固まってしまう。
彼女はそんな私を気にする様子もなく、少し微笑んだ。
私は慌てて手を差し出した。
「お先にどうぞ」
彼女が先にレジへ向かう。
私の前に立つその後ろ姿は、やけに眩しかった。
私は女子と接する機会なんてほとんどない。
それだけで、胸の鼓動がうるさいくらい早くなる。
会計を終えた彼女は、店を出る前にこちらを振り返り、小さくペコリと会釈した。
その仕草だけで、胸がまた跳ねた。
「次の方どうぞー」
店員の声が聞こえる。
「次の……方どうぞー」
……聞こえていなかった。
ぼんやり立ち尽くしている私の背後から、別の客の声が飛ぶ。
「お兄さん、レジだよ!」
「あ、す、すみません!」
慌ててレジへ向かう。
買った金額も、どうやって財布からお金を出したのかも、まったく覚えていない。
気づけば私は、コンビニの外で、手のひらいっぱいの小銭を握りしめていた。
「カツ丼、温めてもらうの忘れた……」
教室に戻ってふたを開けてから気づいた。
冷めたままのカツ丼を口に運びながら、
さっきの出来事を思い返す。
不思議と、妙にうまかった。
――明日も、あのコンビニで買おうかな。
◆
翌日も昨日のコンビニの前に自転車を停めた。
何台か並ぶ自転車を見ながら、
「あの娘のもあったりして」
そんな期待を胸に、店内へ入る。
普段なら真っすぐ弁当コーナーへ向かうのに、今日はなぜか足が飲料コーナーへ向いていた。
水筒を持ってきているから、飲み物なんて買わないのに。
選ぶふりをしながら、ちらちら弁当売り場を見る。
――なんだ、いないじゃん。
「何やってんだ、オレ」
苦笑しながら弁当コーナーへ向かった、その時だった。
レジ前を横切り、弁当売り場へ向かう彼女と目が合った。
彼女はふっと笑って、片手を軽く上げた。
――オレに?
胸が跳ねた。
慌てながらも、私も手を上げて挨拶を返した。
弁当コーナーを見ると、今日は種類が少なかった。
迷った末、結局手に取ったのは、またカツ丼だった。
レジに並ぼうとした時、後ろから声がした。
「今日もカツ丼なの?」
振り返ると、彼女が立っていた。
「うん」
「好きなの?」
彼女がくすっと笑う。
「……うん」
それしか言えなかった。
「そっか」
また、笑う。
ちょうどレジが自分の番になり、慌てて会計を済ませた。
店を出ようとすると、彼女が近づいてきて、
「じゃーね」
と笑顔で言った。
私は少し遅れて、
「……じゃーね」
なんとか返すことができた。
昨日もカツ丼を買ったこと、彼女は覚えていた。
そんなことが、妙に嬉しかった。
……でも、ふと思う。
彼女は、何を買っていたんだろう。
サンドイッチだったか、
おにぎりだったか、
まるで思い出せない。
そんなことを考えながら、私は自転車を漕いでいた。
◆
次の日、彼女はコンビニに現れなかった。
少し寂しかったけれど、
会える約束なんてしていない。
――何を期待してるんだ、オレ。
そんなふうに自分に言い聞かせながら、店を出た。
その次の日は、母が弁当を作ってくれた。
「なんてことしてくれてんだよ……」
心の中で文句を言いながらも、もちろん口には出せない。
そんな日が何日か続き、
久しぶりに彼女に会えたのは、夏休みに入る直前だった。
「あれ? 今日もカツ丼? 好きだねー」
「違うんだよ、今日はたまたまで……久しぶりなんだ、カツ丼」
彼女は笑う。
「はいはい、わかったよ」
そしてふと、私の制服を見て言った。
「あれ? 同じ学校じゃん。何年?」
「……2年」
「2年か。私3年」
少しだけ驚いてから、彼女はいつもの調子で笑った。
「よろしくね。じゃーね」
その言葉を残して、夏休みが始まった。
◆
夏休みに入ってから、あのコンビニには行っていない。
もちろん、彼女と会うこともなかった。
同じ学校だと分かっても、
三年の誰なのかまでは知らない。
名前も、住んでいる場所も、何も知らない。
夏休みに入ったばかりの頃は、そんなことばかり考えていた。
けれど、夏も半ばを過ぎる頃には、
私はもう、彼女のことをすっかり思い出さなくなっていた。
◆
夏休みも終わりが近づいたある日、
友達のシュウマが言った。
「宿題、ショッピングモールのフードコートでやろうぜ」
「外暑いし、ヤダ」
断っても聞かない。
「たこ焼き奢るから!」
その一言に負けて、私はしぶしぶ付き合うことにした。
たこ焼きを買って、シュウマと食べていると、
ふいに、どこかで聞いたことのある声がした。
「あ、カツ丼くん!」
振り返る。
――彼女だった。
「カツ丼くん? なにそれ」
思わず笑うと、彼女もくすっと笑った。
彼女の隣には、同じくらいの年頃の女性が立っていた。
すると、その女性が突然、シュウマを見て目を丸くした。
「シュウマ! あんた、こんなところで遊んでていいわけ?」
「ねーちゃん! お母さんには秘密にしててよ!」
私は思わずシュウマを見る。
――ねーちゃん?
つまり、彼女の友達はシュウマの姉だった。
「ユキちゃん、久しぶりー」
シュウマが彼女に声をかける。
「シュウマくん、前よりカッコよくなってない?」
ユキが笑う。
私は黙ったまま、そのやりとりを見ていた。
「カツ丼くんって、シュウマくんの友達だったんだ。世の中狭いね」
「ねえユキ、トオルくん知ってるの? なんでカツ丼くんなの?」
トモミが不思議そうに聞く。
「まあ、これには色々あって……」
ユキが笑いながら説明すると、
「なんだ! ユキもトオルくん知ってたんだ」
トモミが面白そうに笑う。
急な展開についていけず、
私はただ下を向くしかなかった。
その様子を見たトモミが、ふっとシュウマを見た。
「シュウマ! お母さんに怒られるから帰るよ!」
「えーっ、ねーちゃん待ってよ!」
「ユキ、じゃーねー」
そう言って二人は去っていった。
気づけば――
そこに残されたのは、私とユキだけだった。
「トモミ、また後でねー」
そう言って手を振ったユキが、私を見た。
「座っていい?」
「うん」
ユキは向かいの席に腰かける。
「久しぶりだね。どっか行った?」
「ううん。どこも行ってない」
夏休みの間、会えなかった時間のことを少し話したけれど、私は何を話したのか、ほとんど覚えていない。
すると突然、ユキが声を上げた。
「そうだ!」
周りが少し振り向く。
「今日の夕方、ひま?」
「え? 特に用はないけど……」
「じゃあさ、お祭り行かない?」
「え、お祭り?」
「心配すんなって。トモミも来るし、シュウマくんも呼ぶから」
宿題をしに来ただけだったのに、なぜか夕方からユキと祭りへ行くことになった。
「じゃ、私いったん帰るね。じゃーね!」
そう言うとユキは、風みたいに去っていった。
フードコートに、一人残された。
まだ熱いたこ焼きを口に運びながら、
私はぼんやり考える。
――ヤバい。
「ユキさんと、お祭りに行ける。」
どうしよう。あははは。
不安もあるのに、
また会える約束ができたことの方が、ずっと胸を高鳴らせていた。
それに――
「今日見たユキさんの私服姿、可愛かったな。」
気づけば、フードコートで一人考え込んでいるうちに夕方になっていた。
――待ち合わせ、どこだ?
慌ててシュウマにLINEを送る。
返ってきたのは、
「神社集合!」
「今から行きます!」
そう返すと、私は慌てて自転車に飛び乗った。
神社まで全力で漕げば、十分で着く。
いつもより、ペダルが軽かった。
「キィーッ!」
急ブレーキで自転車を止め、
そのまま階段を駆け上がる。
今日は、階段がいつもより長く感じた。
頂上が見えた時、三人の姿が見えた。
「遅いぞー!」
ユキの声。
「はぁ、はぁ……す、すいません、遅れました」
顔を上げて、トオルはユキを見る。
――その瞬間、息が止まりそうになった。
ユキは浴衣姿だった。
全身が痺れるくらい、可愛かった。
「トオルくん、ユキの浴衣見たら惚れちゃうだろー?」
トモミが笑う。
「はぁ……」
言葉が出ない。
「トオル、顔真っ赤だぞ!」
シュウマがからかう。
「うるせー!」
「まあまあ、みんなで縁日行こうよ」
ユキが笑って間に入る。
「トオルくん、ユキと歩きなよ」
トモミに背中を押され、
トオルはユキの隣に並んだ。
二人で並んで、祭りの灯りの中へ歩き出した。
何か話さなきゃ――。
そう思うのに、何を話せばいいのか分からない。
気まずさに耐えきれず、
私は後ろを振り返った。
……あれ?
さっきまで後ろにいたはずのトモミとシュウマがいない。
人混みの中を見回しても、
もうどこにも見つからなかった。
その様子に気づいたユキが、顔をのぞき込む。
「どうしたの? 縁日、嫌い?」
「いや……シュウマがいないから」
「いいじゃん。二人で行こうよ」
「は、はい」
胸が変なふうに跳ねた。
ユキが笑って言う。
「トオルくん、私、射的したい!」
そして、いたずらっぽく続けた。
「勝負しようよ」
「……はい!」
射的には、思ったより長い列ができていた。
順番を待ちながら、ユキが景品棚を指差す。
「狙うのは、あのキャラクターね」
「え? どれ?あの変なやつ」
「変なのって何よ!」
ユキが笑う。
「可愛いじゃん」
「あれ、可愛いの?」
ユキがじっと私を見る。
「トオルくん、あれ可愛くない?」
「……いや、可愛いです」
「よろしい!」
満足そうに笑うユキを見て、
私もつられて笑ってしまう。
列に並んでいる間、
なんだか会話が、いつもよりずっと自然だった。
二人の順番が回ってきた。
「よーし! 真剣勝負だからね!」
「オッケーです」
弾を込める。
「よーい、どん!」
ユキが狙いを定める。
――ポンッ!
「カチャーン!」
「当たりー!」
「やったー!」
ユキが大喜びする。
……けれど、落ちたのは狙っていたキャラクターの隣のお菓子だった。
「隣に当たってんじゃん!」
思わず笑ってしまう。
「うるさい!」
ユキが頬をふくらませる。
「次は当てるよ!」
その後も真剣な顔で狙うのに、
なぜか全部、隣ばかり。
その姿が可愛すぎて、
私はまともに狙えなかった。
結果――
トオル、ゼロ。
ユキ、一応一点。
「私の勝ちー!」
「いやいや、ドローですよ!」
「だって私は当てたし」
「違うのじゃん」
言い合いながら、
気づけば二人とも笑っていた。
そしてユキが、小さくつぶやく。
「でも……あのキャラクター、欲しかったな」
「え?」
「なんでもないよ。焼きそば食べない?」
そう言うと、ユキは小走りで先へ行ってしまう。
見失わないよう、私は慌てて追いかけた。
祭りの人出は、ますます増えていた。
「おじさん、焼きそば二つねー!」
「はいよっ!」
ユキが笑顔で頼む。
「サービスで大盛りだ!」
「ありがとー!」
ユキから焼きそばを受け取る。
「食べようか。いただきまーす」
「いただきます」
「トオルくん、紅生姜好き? 私キライ。あげるね」
「まだ答えてないんですけど」
二人で笑いながら食べた。
大盛りだったのに、夢中で食べきってしまう。
「ふぅー、お腹いっぱい」
満足そうに笑うユキを見て、
私はようやく、ちゃんと顔を見られるようになっていた。
ふと、目が合う。
慌てて目をそらす。
「トオルくん、私さ―」
ユキが何か言いかけた、その時だった。
「あれ? トオルじゃん!」
クラスメイトの声が飛び込んできた。
「あれ?デート中?隣の娘、誰だよ?」
「えっ?まぁ、それは…」
ユキさんの方を見るとユキさんも女性達に話しかけられていた。
「ユキさんのクラスメイトかな?」と思うと、
「デートじゃないなら、久しぶりにみんなで遊ぼうぜ!」
「いや、ちょっと一緒にきてる人が居るから」
「どこにいるんだよ?」
周りを見渡すとユキさんが居ない。
周辺を探すもユキさんの姿が見えない。
色々と探すとトモミさんとシュウマに会う。
「ユキさん見ませんでした?」
「ユキ、友達と帰ったみたいよ。なんかあった?」
「帰ったんですか?もしかして、怒ってました?」
「おこられることしたの?」
「してないですよー!」
ユキは友達と帰ってしまったようだ。
なんで帰ったのか凄く気になった。
絶対にクラスメイトのせいだ!怒りが込み上げてきた。
クラスメイトが誘ってきたから、
「お前らのせいだぞー」って、
叫びながら神社を後にしてダッシュで家に帰った。
◆
気がつくと、私はベッドで眠っていた。
時計を見ると、もう昼過ぎだった。
スマホには、何件かLINEが入っている。
クラスメイトからは、
「昨日どうしたー?」
そんな軽いメッセージばかりだった。
シュウマからのLINEを開く。
――お姉ちゃんから聞いたんだけど、
ユキさん、9月からアメリカ行くんだって。
「え……マジか」
昨日までの楽しさが、
クラスメイトの乱入から全部崩れていった気がした。
私はそのまま、ぼんやり天井を見つめた。
その時、スマホが鳴る。
「もしもし」
シュウマかと思った。
でも、聞こえてきたのはトモミの声だった。
「トオルくん、ユキね、今日アメリカ行っちゃったよ」
胸が止まりそうになる。
「ユキから聞いてたでしょ? お見送り来るかと思ってた」
――もう、日本にはいない。
「トオルくん、今日もお祭り行くの?」
そう聞かれたけれど、
私は何て答えたのか、覚えていなかった。
正直言って動けなかった。
「トオル!ごはんは?」
母親が叫ぶ。
「いらないよー!」
食欲なんかなかった。もう日本にユキは居ない。絶望的だった。布団を被り泣こうとしたけど泣けなかった。
「なんで言ってくれなかったんだろう?」そう思うと、あの一言を思い出す。
「トオルくん、私さー」
あれだ!
あのときに言おうとしたんだ!
クラスメイトが邪魔したせいで。。
もう呆然だった。
時計を見ると夕方が過ぎていた。スマホが鳴る。
「もしもし、トオル?」
シュウマからだった。
「お祭りいこうぜ!」
「うん、わかったよ」
シュウマは気にして誘ってくれてました。
神社へ行くとトモミとシュウマが待っていてくれた。
2人は気を遣っているせいか、あまり話しかけてこなかった。
「シュウマ、射的で勝負しようぜ!」
シュウマと射的することにした。
それは昨日の楽しさを再確認したかったかもしれない。
「負けたら焼きそば奢りね」
的はあのキャラクター。
「よーいどん!」
2人は真剣にあのキャラクターを狙う」
「パンっ!」
トオルの会心の一撃が見事にヒット!
トオルの勝ちだった。
シュウマに焼きそばを奢ってもらい、2人で焼きそばをたべた。
昨日より薄く感じた。あの会話も思い出した。紅生姜が好物になった。
今日は思ったより人が少なかった。少し早いが帰ることにした。
ゆっくり自転車を漕いで、家に帰った。
風呂に入りながら、昨日のことを思い出す。
もう、全部洗い流すしかなかった。
部屋に戻り、ズボンのポケットに手を入れる。
指先に触れたのは、あのキャラクターだった。
「これ、キーホルダーになるんだ……」
小さくつぶやく。
いつも一緒にいたくて、
私はそれを学校のカバンにつけることにした。
夏休みが終わる。
また、いつもの毎日が始まる。
久しぶりに立ち寄ったコンビニ。
片手にはカツ丼。
もう片方の手には、
あのキャラクターのキーホルダーが揺れていた。
お読みいただきありがとうございました。




