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過ぎ去る夏の風

 あの日以降、私とビイェのおしゃべりにシリウスが加わった。

 シリウスはビイェの姿は光の玉にしか見えていないけれど、どういうわけか声は聞こえるようだった。彼は常にビイェ ──彼からすると光の玉── の隣に立ち、いつも空に向かっておしゃべりをしている私のフォローをしてくれている。申し訳ない気持ちも大いにあるが、《奇行が目立つ女子生徒》から《ほんの少し変わった女子生徒》に昇格させてくれたことは本当に感謝している。


「それは昇格してンのかァ?」

「私の中ではしているの」

「ならいいけどよォ」


 シリウスとおしゃべりするようになっても、ビイェは何も変わらなかった。時折、さみしそうな顔をしているのは、たぶん私が外の世界に目を向けたせいだと思う。


(一生、二人だけで生きていくのだと思っていたのよね、私)


 それがシリウスに出会ったことで、少しずつ変わっていくのを感じた。

 訳あって、相変わらず私に友達はいない。それでも自分と家族(ただし両親は除く)、そしてビイェしかいなかった私の世界は、ようやく広がりを見せたのだ。


「でもいいのかァ?」

「何が?」

「シリウス、結構人気あるみてェだゼ」

「……そうね。だから……」


 私には友達がいないのだ。

 周囲に関心がなさ過ぎた自分に落ち度があるのは、百も承知のうえだ。まさかシリウスがこんなにもご令嬢方に人気がある人だなんて、夢にも思っていなかった。

 あの日、シリウスが私に声を掛けてくれた瞬間から、私はクラスメイト(主にご令嬢方)の注目の的になった。奇人だから声を掛けられたのだと、何度もご令嬢方に窘められた。シリウスが見ていないところで。


(たぶん全部バレていると思うよ)


 そう忠告してあげたかったけど、ビイェからもシリウスからも止められた。とはいえ、言ったところで誰も信じないと思うし、さらに私が嫌われるだけなので、二人の意志を尊重した。相手にされていないどころか、敵認定されているご令嬢方の行く末は少しだけ心配だが、命までは取られないだろう。


「シリウスって意外と性格悪りィよな」

「君ほどじゃあないと思うけど?」

「二人ともそんなに変わらないからー」

「ティケが一番ひでェな」


 ビイェが肩を竦めながらそう言うと、シリウスも困ったように笑った。その顔が妙に似ているので、思わず口元を緩めてしまった。飲みかけの紅茶を吹き出さなくて本当に良かった。


(やっぱり似ている気がする……)


 あの二人はどことなく似ていると気がついたのはいつだっただろうか。なんとなく触れてはいけないことのような気がして、私はそれを口にすることはできなかった。

 私とシリウスが出会ったのは偶然ではない、そんな気さえした。


「春ももう終わりね」


 生ぬるい風が頬を撫でた。街を華やかに彩っていた花は、青々と茂る若葉に姿を変え、もうじき夏がやってくる。

 今年は、何かが変わる予感がした。



   *



「ティナの夏の予定は?」


 夏のバカンスが始まる一週間前、私たちはいつものように、学校の中庭で昼食を取っていた。今日のランチメニューはエミリー渾身のクラブハウスサンドだ。それを食べようと大きく口を開けたときにシリウスに話かけられた。話しかけるタイミング、絶対に今じゃない。


「どうしたの、急に」

「急ってわけでもないんだけど。聞くタイミングを逃し続けていただけで」

「今も聞くタイミングじゃなかったと思うわ」

「それを言うなら貴族令嬢がそんな大口を開けているのは大問題だと思うよ」

「それは言わないお約束よ、シリィ」


 学校で初めて口をきいたから数ヵ月、私たちは愛称で呼ぶほど親しくなった。その弊害はもちろんある。でも以前よりはずっと減っていた。おそらくシリウスが何かしたのだろう。深く追求はしなかった。


「夏の予定なんてないわよ。あの両親だもの。娘の学校の休みなんて把握しているわけないじゃない」

「それもそうだね。じゃあ、うちの領地に遊びにこないか? ティナが好きそうな泉があるんだよ。ぜひ見てほしくて」

「泉?」

「前にしてただろ? 魔法の泉の話」


 『魔法の泉』というのは私が今夢中になっている小説に出てくるヒロインとヒーローが恋を深める場所だった。挿絵に出てきた泉はキラキラと輝いていて、本当に魔法がかけられているのかと思ったくらいだ。


「あの泉!」

「僕も知らなかったんだけど、兄が婚約者のご令嬢と領地を散策していたときに見つけたらしい。兄の婚約者もあの小説のファンだから、すごく興奮していたみたいだよ」

 小説のファンの方が言うなら間違いない。そんな泉ならぜひ見てみたいと、私はルノー伯爵家の領地へ遊びに行くことを了承した。

 ルノー伯爵家の領地は王都から比較的近いところにある。近いと言っても、馬車で十時間くらいだ。決して短い旅路ではない。ましてや異性の友人の本宅だ。本来なら親にきちんと許可を取るべき案件ではある。しかし我が家の親は基本的にタウンハウスにはいない。だからこういう許可は家令であるセバスにお願いしている。


「……ルノー伯爵家の本宅に、ですか?」

「そうよ」

「婚約者でもない異性のお宅にお邪魔するのはあまりよろしくないと思いますが、お嬢様は自分で婿を探さないといけませんしね。まあ今回は大目にみましょう」

「ありがとう。でも私、今初めて知ったわ。……自分で嫁ぎ先を探さないといけないのね……」


 そういう事情はもう少し早く教えてほしかった。私はもう十六歳だ。年の近い貴族の令息はおおむね婚約者が決まっている。奇跡的に両親が世間体のために婚約者を決めている可能性もあるが、期待薄だと思う。

 それから間もなくして、私はルノー伯爵家の領地に向かう馬車に揺られていた。


「シリィに婚約者がいないのが逆に不思議よねー」

「僕は十八になるまで婚約者は決めないと言われているんだよね、父に」

「どうして?」

「さあ。そういう家訓らしいよ」

「でもそんなに待ったら年齢の合うご令嬢たちは大体結婚しているか、婚約者持ちになるじゃない」


 うんと年上の未亡人とか、年端のいかない女児ならいるかもしれないけど。


「まあ……大丈夫だと思うけどね」


 シリウスは特別焦る様子もない。ある程度目星がついているんだろうか。


(伯爵家だしなー)


「ティケはシリウスの心配より、自分の心配をした方がいいと思うゼ。自分で嫁ぎ先を探すンだろォ?」

「そうだったわね」


 セバスの言葉を思い出し、私は頭を抱えた。



   *



 休憩を挟みながらの移動だったため、領地についたのは出発から十二時間後だった。朝に王都を出たのに、辺りはすっかり暗くなっていた。その日はシリウスのご両親やお兄様、お姉様たちに歓迎され、我が家では味わえないような食事をごちそうになった。その後私は、手厚い介助を受けながら風呂に入り、用意された豪華なベッド泥のように眠った。道中楽しく過ごしていたこともあり、長旅だった感覚はなかったが、やはり疲れていたらしい。翌日、ルノー伯爵家のメイドに起こされるまでただの一度も目を覚まさなかった。


「どうして起こしてくれなかったのよ!」

「気持ちヨさそうに眠ってたからサ」

「他所のお宅のメイドに起こされる失態……」

「今さらそんなことシリウスだって気にしないゼ」


 そういう問題ではない。単純に私が恥ずかしいのだ。人に起こしてもらう経験なんてほとんどなかった。両親はアレだし、セバスやメアリーは家の仕事で忙しいので、朝はなるべく一人で準備をするようにしていた。


「んもう……ここにきてから至れり尽くせりで怠けてしまうわね」

「いいんじゃねェか、たまには」

「そうかしら。慣れないわね、こういうの」


 これが普通の貴族の生活なんだろうか。そう考えると、やはり我が家は歪なのだと嫌でも思い知らされた。


「ゆっくり眠れたみたいだね」

「おかげさまで」

「朝食終わったらすぐ行く?」

「そうね。朝食終わったらお弁当準備してすぐ出発しましょう!」


 朝食を終えてやってきた湖は、本当にあの小説に出てくる湖そのものだった。

 森を抜けた先に広がる草原、その中央で輝く水面、遠くでさえずる小鳥。そのすべてが幻想的で美しかった。


「ああ、私の十六年の人生の中で間違いなく一番キレイな景色だわ」

「そうだナ。俺もこんなにキレイなの、初めてみたゼ」


 私たちは湖のほとりに座り、しばらくその景色を眺めていた。

 陽の光を浴びて湖がキラキラ光るその輝きに目が眩む。ふいに隣を見ると、シリウスがじっとこちらを見つめていた。その目は、とても蠱惑的だった。

 ああ、そうか。そういう事なんだ。不意にそう思った。ビイェが見ていることも、その時はすっかり忘れていた、気がする。たぶん、お互いに。

 トクンと、胸が大きく鼓動する。初めて味わう感情だ。

 ゆっくりと顔を近づけてくるシリウスの目は明らかに色を含んでいる。私はその目を凝視できなくて、思わず目をつむった。しばらくするとシリウスの手がそっと頬に触れて、私たちは初めてキスをした。


「……シリィ……あの、」

「ふふ、なんか、変な感じだね」

「そうね」


 急にこみあげてきた恥ずかしさで、二人で顔を赤らめながら笑った。

 その刹那、私はある異変に気がついた。


「……あれ、ビイェ……なんかいつもより薄くない? というより、消えかけて……」

「うん。そうだナ」

「え?」

「もう……お別れの時間、みたいだ」

「お別れ……? どういう……」

「さよなら、ティナ。俺はこれからもずっと、ティナを見守っているからナ」


 ビイェは笑顔でそう言うと、スーッと姿を消した。

 あまりの衝撃で言葉を失った私が事態を把握したのはそれから数分後。目から零れ落ちる大粒の涙と、嗚咽を止めることができなかった。

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