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運命の女神

 私には生まれた直後からの記憶がある。一般的には物心つく前の記憶なんて曖昧なものだ。でも私にはこの世に誕生して初めて目を開けたときからの記憶がはっきりとあった。

 目を開けて最初に見たのは、残念ならが母ではなくビイェの姿だった。ただその時の視界はややぼんやりしており、何かが浮いているなあという認識だった。

 私は母の姿を探したが、その時すでに私を産んだ女はその場にはいなかった。元気でなによりというべきか、薄情というべきか。

 そもそも彼らは政略結婚だった。家同士が決めた結婚で双方に拒否権がなかったと聞いている。妊娠出産は世間体と義務であり、決して望んだものではなかった。子供の性別はどちらでも構わない。どちらにせよ家から出すのは決定事項なのだ。五体満足に生まれてくれさえすればいいので気は楽だっただろう。

 そして生まれたのが私だった。

 母は私を産み落とした直後でさえ、私を見なかった。抱きかかえるなんてもってのほかだ。もちろん、一度だって母乳は飲んでいない。助産師と乳母が与えてくれたミルクで私はお腹を満たし、そして眠りにつく。おしめを交換してくれるのももちろん乳母だ。薄らぼんやりした世界の中でも、母と乳母の区別がついたのは、私に物心があったせいなのか、本能なのか。

 乳母が母だったらよかったのに、と私は何度も思っていた。私は今でも両親の顔はうろ覚えだ。街ですれ違ってもわからない気がする。

 生後四週間くらいから経った頃から、ようやく遠近感や立体感がわかるようになった。そこで初めてビイェの姿をじっくり確認できた。


(……だあれ、あなた……)

(俺の、名前はビイェ)

(なぜ、ういているの?)

(さァね。体が軽いのかもナ)

(ほかのひとに、みえてないみたい)

(見えないヨ。ティケが、特別だからネ)


 不思議と、会話ができた。もちろん発した声はまったく言葉になっていなかった。でも、目の前のふよふよ浮いている〝なにか〟とはきちんと会話ができていた。

 空に手を伸ばしてキャッキャと笑う赤子をほほえましく見ていたのが、私を取り上げてくれた助産師と、当時は乳母も兼ねていたメアリーだ。「まあ、よく笑うおしゃべりな女の子ね」と笑っていたのをよく覚えている。

 それが私とビイェの出会いだ。



   *



 ビイェと出会いから、十六年目の春がきた。

 彼は相変わらず私のそばにいて、いつも私を見守っていてくれる。

 両親からの愛には恵まれなかったが、ビイェをはじめ私の周りには私を愛してくれる人たちがたくさんいた。それだけで幸せだった。

 世間体を気にする両親は周りにあわせて私を貴族学校に通わせてくれた。娘の存在は九割方忘れている人たちだけど、あまりにも世間体を気にする人たちなので何不自由なくここまで成長できた。彼らは私を虐げるほど家にはおらず ── 育児放棄という意味では虐待と言えなくもないが ── また使用人たちにぞんざいに扱われることもなく、きわめて平和だった。友達はいないけれども。

 そう…── これが割と大きな問題だった。


「無意識にビイェに話しかけてしまうから、学校じゃ遠巻きに見られているのよねえ」

「そりゃネ、ナンもないところに話かけてればそうなるヨ」

「だってそこにビイェがいるんだもの」

「俺が悪いみたいじゃねェか」


 今日も今日とて私は中庭で一人でおしゃべりをしている。世間的には、だけど。もちろん私的にはビイェと楽しくおしゃべりをしていた。


「サイモン子爵令嬢はまた空に向かってお話しているわ」

「あの方、見えてはいけないものが見えているとのうわさよ」

「それって幽霊、というやつ?」

「やだ、怖い……」


 クラスメイトは私を見かけるたびに同じことを言っている。バリエーションがなさすぎて少しつまらない。それに私はすべての幽霊が見えるわけではない。今までビイェしか見たことない。

 だから、最近ではビイェは幽霊ではないのではないかと思い始めていた。


「なぜ、ビイェだけ見えるのかしら?」

「さァね」

「ビイェはいつもそうね」


 彼はたぶん自分が何者であるかを知っている。そのうえで私には何も語らないのだ。きっと私にとってあまりよくないことなのだろう。それでもよかった。spれでも、私の人生においてビイェが必要不可欠なことは変わらない。


「ねえ、君は……何が視えているの?」


 その声は突然、私とビイェの世界に割り込んできた。初めての経験だった。

 ゆっくりと声のする方へ視線を向けると、そこにはシリウス・ルノー伯爵令息がいた。彼はクラスメイトであり、私の隣の席に座る男の子だった。


「ルノー伯爵令息……様……」

「シリウスでいいよ。サイモン子爵令嬢」

「私のこともフォルトゥーナで大丈夫です」

「それではお言葉に甘えて、フォルトゥーナ嬢。君は何が視えているの?」

「……何のお話なのか、わかりかねます」


 どう答えるのが正解なのかわからない。だけど、彼は伯爵令息だ。失礼があってはいけないと、なんとか言葉を絞り出した。

 すると彼はふふっと声を漏らして笑った。


「そんなに警戒することないよ。君が視えているものは僕にも視えているからね」

「え……」

「僕は、〝視える〟人間だからね」

「みえる……人?」

「そう。この世ならざるもの、がね」


 シリウス様はそう言うと、いたずらっぽく片目をつむり、まるで秘密を共有するかのように笑った。


「それは幽霊とか、精霊とか、そういうものですか?」

「そうだね。そういうものだよ」

「だとしたら私は〝視える〟人ではないと思います。見えるのはこの人だけなのです」


 私はビイェを指さした。シリウス様にビイェがどのような姿で視えているのかどうかはわからない。だけど、彼は私に秘密を話してくれた。それなら、私もそれに応えなければならない。


「なるほどね。君にはこれが人に見えるのか……」

「シリウス様は違うのですか?」

「僕には光の玉のようにしか見えないかな」


 この世ならざるものが視えるシリウス様が見えないということは、やはりビイェは幽霊ではないのだろうか。ビイェとは長い付き合いなのに、知らないことだらけだ。


「意図的にそうしている可能性はあるかもね」


 シリウス様がつぶやいたその言葉は、私の耳には届いていなかった。

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