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善き幽霊

 彼の名前はビイェという。本名かどうかは知らない。彼がそう名乗ったので私はそう呼んでいた。彼は私が生まれたときからそばにいる。本人が幽霊だというので、きっとそうなのだろう。

 年のころは十代後半から二十代前半くらい。話し方が少し特殊で貴族らしさは感じられない。艶やかな黒髪はサラサラしていて、清潔感がある。背は高めで、声は低め。華奢ではないが、筋肉隆々ということもなく、バランスが取れた肢体をしている。でも全体的にうっすら透けているところが、人間でないことを物語っていた。


「ビイェはいつから幽霊なの?」

「さァな。気がついたら幽霊だったよ」

「さみしくない?」

「今はティケがいるからなァ」

「私と出会う前は?」

「よく覚えてねェよ。適当に生きてッからな」


 ビイェはいつもそうやって笑う。その笑顔はどこか影を帯びていると、子供ながらに思っていた。でも私を見る目はいつだって砂糖菓子のように甘かった。私はそれが心地よくて、子供のことをまったく顧みない両親がいなくても平気でいられた。


「さァ、もう寝な。俺がついていてやるから」

「うん」

「朝には嵐は去っているゼ、安心しな」

「おやすみ、ビイェ」


 私はゆっくりと目を閉じた。

 目を閉じる瞬間、ビイェが私の頭を撫でた気がした。彼は幽霊で私に触れられるはずなんてないのだけど、どこか懐かしいような、そしてずっと昔から知っているような、そんなぬくもりと香りを感じたのだ。



   *



 目が覚めると、嵐はすっかり過ぎ去っていた。

 私は眠い目をこすりながら体を起こし、のそのそと窓辺まで歩いた。レースのカーテンの隙間から外を見ると、出勤してくる使用人の姿が見えてホッとした。私は今日も生きていける。

 部屋の隅にいたビイェに「おはよう」と声をかけるのと同時に、ノックの音が聞こえた。メイドのエミリーが来たようだ。


「フォルトゥーナお嬢様、おはようございます。ずいぶん早起きですね」

「昨日は雷がすごくてよく眠れなかったの」

「ひどい嵐でしたものね」


 エミリーは水差しを抱えており、挨拶程度の雑談すると、すぐに簡易バスルームへ消えていった。おそらく顔を洗うための洗い桶の準備だろう。

 私の名前はフォルトゥーナ。家名はいずれ捨てる予定なのであえて名乗らないが、子爵家の一人娘だ。本来ならば婿を取って家名を継ぐという話になるところだけど、あいにく我が子爵家は私が嫁いだ後は、伯父の息子が継ぐ予定になっている。私が女だということよりも、両親にまるで信用がないため、その二人の子供なんて期待するだけ無駄ということらしい。少々短絡的だとは思ったけれど、こちらとしては変なプレッシャーを与えられないだけありがたい。あとは従兄弟が後を継ぐまでこの家が持てばいいなと思っている。

 我が子爵家が領地を持っていないのは、もちろんこの両親のせいだ。代替わりをして従兄弟が後を継いだあかつきには、伯父が預かっている子爵家の領地を返還するそうだ。


「キリルお兄様も大変よねえ」

「どうしました、急に」

「生まれたときからこの家を継ぐって決まっているのよ?」

「そうですね」

「きっとたくさんお勉強しているんでしょうね」

「お嬢様、たとえ家を継がなくてもお勉強はしなくてはいけません。今日は歴史のお勉強がありますからお忘れなく」

「うっ……ま、まだ五歳なのに……」

「この国の貴族は五歳くらいからお勉強はじめています」


 エミリーは今日も容赦がなかった。

 私はささっと身支度と朝食を済ませると、家庭教師がくるまでの間、予習をすることにした。決して勉強熱心なわけではない。他にやることがないだけだ。


「意外と真面目だよナ、ティケは」

「暇なだけよ。あと、反面教師というやつね。あんな大人にはなりたくないもの」

「言っちゃァなんだが、あいつらがクズ過ぎるだけだゼ」

「お父様は子供のころからあんな感じだったらしくて、伯父様が呆れていたわ」


 兄弟同じように育てたはずなのにと、祖父は頭を抱えていたそうだ。父の持って生まれた性格と能力なのだろう。その血を受け継いでいるのかと思うと残念な限りだ。

 私はため息まじりに教本を開いた。歴史の授業だと言っていたので、てっきりこの国の歴史なのかと思っていたけれど、昔の神様の話のようだ。建国に関係があるのだろうか。

 パラパラとページをめくっていると、葡萄と蛇を模した神様が目に飛び込んできた。


「……善き霊……?」


 その神様の名前を見たとき、ふと胸に温かいものを感じた。初めて見る名前のはずだ。それなのに「私、この名前……知っている気がする?」と、胸がわずかにざわついた。


「なんだって?」

「昔の神様にね、《善き霊》という名前の神様がいた、という話」

「へえ……」

「なんだろう……なんだか、ビイェみたいだね」


 教本に描かれている神様の姿は、目の前にいるビエとは似ても似つかない。それでもビイェと似ていると思った。妻の名前が、テュケだったせいかもしれない。ビイェが私を呼ぶときの名前に似ている。


「………、」


 いつもなら冗談まじりになにかしら言ってくるはずのビイェが、珍しおとなしい。ちょっぴり不思議な感じがして、思わずビケの方に視線を向けた。


「ビイェ?」

「え?」

「どうしたの? 少し様子が変よ?」


 じっと教本を見つめるビイェは、どこか戸惑っている風に感じた。


「いや、何でもねェよ。確かに似てンな、と思ってサ。きっと俺みたいにイイ幽霊なンだろうゼ」


 そう言うと、ビイェはいつものように笑った。

 それから間もなくして、家庭教師が到着し、私の憂鬱な時間が始まった。

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