会話
朝、閉じた瞼越しに差し込む朝日の明るさと雀の鳴き声で目が覚めた。
ここに引っ越してもうすぐ半年。晴れの日は必ず幽霊がカーテンを開ける。最初は目覚まし時計の代わりになると思っていたけど、春が過ぎた頃からその時間は早くなり、今朝は……4時半。早過ぎない? まだ眠いんだけど。
眠い目を擦りながら窓の方を見ると、いつものように幽霊が窓際に足を揃えて座っている。光を受けて淡く透けながら、穏やかな顔で静かにベランダの雀を見ている。
何故かこの部屋のベランダには晴れた日の朝に雀が来る。餌付けしていないのに必ず来る。逆に雨の日は雀が来なくて、その日は幽霊がカーテンを開けない。
雀が飛び立つと幽霊も姿を消して、そこから私の一日が始まる。
明日は休日。今日頑張ればゆっくり休めるし、今夜はやってみたいことがある。頑張って仕事を終わらせよう。
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仕事から帰宅、いよいよ意思疎通の最終段階に入る。その方法は──
パソコンを使って文字で会話すること。
お供え用のテーブルの手前に普段私が使っているテーブルを近づけて、ノートパソコンを置いて起動する。
以前は夜中にキーボードを打ち込んでいた。今はリアルタイムでおはじきを動かしてくれるし、あの頃よりは仲良くなってると思う。いきなり怖い言葉を言われることはないはず、多分……。
日本語入力をカナ入力に切り替えて一呼吸する。
この仕組みで最初にする質問。ずっと気になっていたことを聞いてみた。
「貴女の名前を教えて」
キーボードは押されず、おはじきも動かない。長い沈黙が続いて諦めかけた頃、キーボードがゆっくり押されて、パソコンのメモ画面に文字が表示された。
わからない
えっ……分からない? 生前の名前はあるだろうし、戒名もあるだろうけど……思い出せないってこと?
「……そっか。じゃあ……安直だけど、幽霊の幽子さんって、呼んでもいい?」
キーボードは押されなかったが、置いてあるおはじきが『はい』に動いた。
本当の名前じゃないだろうけど呼べるようになった。名前を呼ぶのはそれだけで関係を深められるはずだ。
「幽子さんって、朝よく雀見てるよね。雀見るの、好き?」
たいすき
ん……? 鯛好き? 雀じゃなくて? あ、大好きか。そう言えば前、濁点打ってなかったっけ。
「濁点って打てないの?」
とつちかわからない
これは……『どっちか分からない』か。濁点なんて一つしかないのになんで……あ、もしかしてダブルクォーテーションと迷ったの? これだよ、このキーだよ。
よんてくれてるからおほえない
「……それ、ズルくない? まぁ頑張って読むけど……。ほら、『まんしゆうほしい』って言われたら『満州を武力制圧したいの?』って思うかもしれないよ」
まんしゆうはおまんしゆうつていうからたいしようふ
うわ、長文になると難易度上がるな。えっと……うん、たしかにこじつけっぽい言い方しちゃったけど、覚えてくれたら私が読みやすいんだよ?
キーボードは押されなかった。代わりにおはじきが『いいえ』に動く。
「ダメ? 覚えない?」
言いながらおはじきを戻そうとしたら……おはじきが動かなかった。強く押さえつけられているみたいで1ミリも動かない。まるで固い意志を表しているみたい。そんなに面倒臭いの?
「しょうがないなぁ、いいよ」
言った瞬間、おはじきが動いて中央に戻ってくれた。
ずっとやってきたことだけど、おはじき一つでここまで意思表示のバリエーションがあることに笑ってしまった。
「幽子さん、疲れたら無理して答えなくてもいいからね」
おはじきが『はい』に動いた。
生い立ちとか深い話を聞くのは早すぎる。何度も名前を呼んで、今までおはじきで確認してきた好みの答え合わせをして。いつの間にか姿を現した幽子さんが私の隣に座っていた。肩が触れてるけど触れてない近さで。
私の話し声とたまに聞こえるキーボードの音の中、休前日の夜は静かに更けていった。




