帰れない夜
この部屋に住み始めて三週間。毎日夜中に幽霊の姿を見続けて──
うん、慣れました。
何も言わずに私を見て佇む姿は確かに気味が悪いけど、かと言って何かされる訳じゃないし。
同性の幽霊で良かったとさえ思ってます。もしこれが男の幽霊だったら私生活をずっと見られ続ける抵抗感があったんじゃないかな。
……そういえば、あの幽霊、すごく胸大きかったな。
そんなことを考えながら過ごしていました。
ある日、帰宅して仕事の資料を作っていて、パソコンを起動したまま机に突っ伏して眠ってしまいました。少し休憩するつもりで目を瞑ったのに、気が付くと窓の外が明るくなっている。
……?
編集中だったパソコンのメモ画面に視線を移すと、変な文字がありました。画面に表示されていたのは四文字。
っうぇ:
眠ってる時にキーボード押しちゃった? こんな文字どうやって打ったんだか……
特に気にすることなくその文字を消して上書き保存、身支度を整えて仕事に出かけました。
▼
その翌日、またパソコンを起動したまま眠ってしまいました。今は繁忙期、通常業務だけなら何とかこなせるのに会議資料の作成が面倒くさい。業務時間だけじゃ終わらなくて最近は家でも仕事をしている。『働いて働いて働いて』って上級国民だけじゃないの?
ベランダで鳴く雀の声に起こされて寝ぼけ眼でパソコンを見ると、編集中のメモ画面が文字で埋め尽くされていました。
っうぇ:っうぇ:っうぇ:っうぇ:っうぇ:っうぇ:っうぇ:っうぇ:っうぇ:っうぇ:っうぇ:っうぇ:っうぇ:っうぇ:っうぇ:っうぇ:っうぇ:っうぇ:っうぇ:っうぇ:
またこの文字だ、どういう寝相でこれを打ったのか想像もつかない。疲れが溜まってるのかな……。今日資料が完成すればゆっくり休めるはずだし、頑張ろう。
私はその意味不明な文字を削除すると、パソコンの電源を落として出勤準備を始めました。
▼
仕事が落ち着くタイミングを見計らって資料作成を始める。もう少しで作り終わるし今日は仕事が順調に進んでる。この調子なら定時で帰れそうだ。
「ここにURLを打ち込んでっと……あっ」
タイプミスしてしまった。アルファベットを打ち込まなければいけないのに日本語のままローマ字入力で。さらにwwwを打つときに横のキーを押してしまって。画面に表示されていたのは──
っうぇ
……えっ? 何でこんな文字が出るの!?
初めて見る変換文字。ローマ字入力でこの打ち方をするとこんな文字が出るなんて知らなかったな。
でも、なんか見たことのある文字。この文字どこかで……あ、今朝見た文字だ!
キーを3つ打つだけで出てくるその文字がなんだか面白くて何度も打っていました。
えっと、もう一文字記号があったっけ。たしか……
思い出した記号を打とうとして手が止まる。そのキーに刻まれているカナ入力用の文字が目に入ったから。視線を横にずらしてさっきまで打っていたキーを見る。その打ち方で見えたのは──
てていけ
意味不明な言葉。日本語じゃないし、少なくとも私の知っている言葉じゃない。何か意味があるかもと思ったけど勘違いだった……と、安心してその言葉を口に出した瞬間、ある言葉を思い出した。
……たまたま、だよね。考えすぎだよね。こじつけだよね濁点ないし。
そう自分に言い聞かせながらも、私には、夜中に現れて何も喋らない女の幽霊が『出て行け』と訴え続けているように思えてきた。
あの幽霊が何を考えているのか分からない。私の気のせいなのか、それとも追い出そうとしているのかも分からない。
あの部屋の名義は私だ。家賃も私が払ってる。月々の金額は安いけど敷金礼金でかなりの金額を払ったんだから怖がらせないで欲しい。追い出さないで欲しい。でも……
──それが相手に通じるか分からない。
そう思った瞬間、寒気を感じた。
「私には、あそこしかないのに……」
帰るのが怖い。今まで実害はなかったけどそれが今後もずっとそうとは限らない。でも、身体を洗わないで翌日も職場の人と会うのも怖い。どうしよう……指先まで冷たくなってきた気がする。
どうするか悩んだ末に、上司に話しかけた。
「すみません、片付けたい仕事があるので残業させてください。カギは私が閉めて帰ります」
たまにお願いすることがあるので不審に思われず了承してもらえた。
定時を過ぎて徐々に従業員が帰り始め、暫くすると職場に残っているのは私一人だけになった。
何か考えるのが怖い。何も考えたくない。
感情を殺して職場の戸締まりを済ませる。事務室の自席に座って警備会社に『夜通しの作業が発生したので今夜の監視警備は不要』の連絡を入れる。
机の引き出しから小腹が空いたとき用のクッキーを取り出して食べたあと、電気を消して机に突っ伏し目を閉じた。




