三人の夜
上司と一緒に帰っているところを職場の人に見られたっぽい。
朝、上司が従業員数人に囲まれて問い詰められていた。こういうのって、本人がいないところでやるものじゃないの?
恥ずかしくて俯くことしか出来ない。近いから聞こえてないふりをするのも無理がある。今からイヤホンしても間に合わないか。
「騒ぐな騒ぐな。中学生じゃあるまいし。……それに、もし本当にそうだったとしても、皆の前で言われるのは困るだろ」
従業員全員、『あっ……』って顔をしてそそくさと散っていった。
変なことをしているつもりはないし、そもそもそういう関係ではない。仕事への姿勢は変わってないと思う……。でも、周りがどういう目で見るか分からない。
上司の優しさに甘えてしまったけど、いま思えば軽はずみだったかもしれない。
そんなことを思っていると同僚の一人が私に耳打ちして、持ち場に走っていった。
「みんな、応援してるから」
考えたことなかったのに、上司と顔を合わせにくくなってしまった。
その日の帰り道。二人で職場を出て歩いているとき、なんとはなしに聞いてみた。
「どうして独身なんですか?」
「……縁がなくてな、気付いたらこの歳だ」
笑うでもなく困った感じでもなく上司が答える。その表情からは何も掴めない。
人それぞれいろんな人生がある。私もあったから。
それ以上話を掘り下げることなく、二人とも黙って自宅に向かっていた。
ガードレールのない歩道を歩いていると向かい側から車が走ってきた。かなりスピードを出している。ぶつからないだろうけど少し横に──
上司が私の背中に手を当てて車道の逆側にずらす。
身体が強張り足が止まる。知らないうちに自分の両腕が身体を抱きしめていた。
「あ、すまない」
「い、いえ……ありがとう、ございます」
優しさが胸に染みる。
上司が私をちらりと見て、また前を向いて歩き出す。
私は数歩遅れて、固まった指先をゆっくりほどいた。
アパートが見えたとき、上司が独り言のように呟いた。
「……そういえば、まだきちんと礼を言っていなかったな」
「え?」
「キミを守ってくれた人にな。……今日、玄関まで行ってもいいだろうか?」
「あ……はい……」
玄関前に着いて、少し震える指で鍵を差す。
後に男性が立っている。知ってる人なのに、緊張してしまう。
ドアを開けて中に入り、上司も入ると思ってドアを押さえていると、上司が一歩だけ私に近づいた。
一瞬、心臓を掴まれる感覚に襲われる。
上司はドアが閉まらないように肩で押さえたまま、中に入ろうとはしない。私の横、部屋の奥に視線を移すと、深々と頭を下げた。
「挨拶が遅くなり申し訳ございません。私は彼女と同じ職場で働いている者です。彼女を守ってくれて、ありがとうございました」
玄関前でお辞儀をする上司。
どうしていいか分からず、私も部屋の奥に向かってお辞儀をする。頭を上げて顔を見合わせると、なぜか笑顔がこぼれていた。
上司は、私に奥に入るよう促した。
「じゃ、お疲れ様。ゆっくり休むんだよ」
靴を脱いで振り向いたとき、上司は軽く手を上げて、ドアを閉めた。
閉じられたドアに向かってお辞儀をする。
部屋に入ると、パソコンがスリープから復帰して文字が打たれた。
いいひとだね
うん。すごく優しい上司だよ。
ねえどうおもつてるの?
えっ? どうって……優しい上司だよ?
幽子さんが姿を現して、一行打っては私を見てくる。
ねえすき?ねえねえすきなの?
今日はやけにグイグイくるなぁ。
明日も仕事だし夜更かししないからね。
私が返事をしなくても、文字がどんどん打たれていく。
ここ最近は悪い夢をそれほど見なくなって、朝まで眠れる日も増えていた。
でもこの日の夜は、キーボードを叩く音がうるさくて寝付けなかった。
▼
休前日の帰り道、『休みの過ごし方』の話になった。
上司も私も趣味らしいものはなく、自宅でのんびり過ごすタイプだった。
「明日はスーパーに行ってお米買わなきゃ」
「なら今日買わないか? どうせ家まで行くんだから持てるぞ」
「……ありがとうございます。遠慮しようと思ったんですけど諦めました」
荷物持ちがいるならと、お米五キロとついでにトイレットペーパーも買った。そのうち気を遣わせないようなお返しを考えなきゃだ。
玄関を開けて荷物を下ろしたとき、部屋の奥から物音が聞こえた。一度ではなく、何度も。
何だろう、幽子さん呼んでる?
それほど気にしていなかったが、上司は心配そうに玄関から部屋の中を窺っていた。
「ちょっとだけ待っててもらえますか?」
頷く上司を見てから部屋に入る。見るとパソコンが起動していた。
あのひととはなしたい
……えっ!? 幽子さんが上司と話したいの? まぁ、聞いてみるけど……って、部屋散らかってる!
玄関に入らずドアを押さえたままの上司に声を掛けた。
「あのぉ、幽子さんが話したいみたいなんですけど……どうしますか?」
驚いた表情をしたあと、微妙な顔つきで答えてくれた。
「何というか……悩むな。幽霊と話した経験はないし。それと女性の部屋に入るのも気が引ける」
「最初は怖かったですけど慣れちゃいました。幽子さんすごく優しいから多分大丈夫ですよ。ただ、部屋を少し片付けるので5分ほど待ってて欲しいです」
「……怖くないわけじゃないが、キミがそう言うなら。恩人が話したいと言ってるのに帰るのもな。分かった、ここで待つよ」
「あ、玄関の中で待っててください。すぐ片付けますから」
上司は頷くと中に入ってドアを閉めた。両手を前に組んで、少し俯き気味で目を閉じる。
男の人が部屋に入ることに不安を感じる。でも……上司のあれは会議前にたまに見る、緊張を抑えつけて落ち着こうとする姿。
上司も緊張してるんだ。
自分の不安が少し和らぐのを感じながら、部屋を片付け始めた。
片付け終わって上司を部屋に案内した。
パソコンの前に座布団を敷いて座ってもらい、私はその後ろでベッドに腰掛ける。幽子さんは姿を現さない。
「幽子さんとはおはじきとパソコンを使って会話してます」
振り向いた上司が頷いた。表情に少し固さが見える。よくよく考えると自分は変なことをしていると思えてきた。他の人から見たらどう思うんだろうか。
キーボードがひとりでに押され、画面に文字が打たれた。
こわくない?
「正直に言えば怖い。だが、今はAIも会話する時代だ。そう考えれば、少しは落ち着く。何より、貴女は彼女を助けてくれた。怖いと思うのは失礼なんだが、そこは勘弁して欲しい」
おはじきが動き、『はい』に止まる。
わたしがみえる?
「いや、見えない。霊感はないから今まで心霊体験もない」
じやあこれがはじめてだね
後ろから上司の横顔が少し見える。なんだか楽しそうに見えた。
「そうだな。幽霊は見えないから信じていないんだが……貴女の言葉は僕に届くし、僕の言葉も貴女に届いている。それなら──」
上司が少しだけ息を吐く。
「貴女は確実にここに居る。それだけだ」
僅かに沈黙の時間が流れる。
まじめなひとなんだね
「こういう性格なだけだ。だが、褒めてくれてありがとう」
笑っているように感じた。上司の声も、幽子さんの文字も。
「あ、コーヒーいれてきますね。幽子さんは緑茶でいい?」
上司の首肯とおはじきの返事を見てキッチンに向かった。
戻ってくると……二人でオセロをしていた。パソコンのログを見ると幽子さんが誘った流れだ。
お茶を置いて私も上司の隣に座り、ゲームの成り行きを見ていた。
幽子さんの勝利でゲームが終わる。ただ、かなりの僅差だ。
「幽子さんすごく強いんですよ」
「ああ、そうだな。実は少し自信があったんだが。幽子さん、もう一勝負いいだろうか」
おはじきが『はい』に動き、盤面は次のゲームの準備が整う。
「次は勝たせてもらう」
かえりうち
両者とも一手が長く、かなり集中しているように見えた。
結果は……上司の勝利だった。
もういつかいやる
「はっはっはっ。次は本気でやってくれていいぞ」
まだ続きそうだったので、キッチンに行って軽く摘めそうなものを作った。
気づけば、上司のほうが少しだけ負け越していた。
その後、私も上司と対戦することに。幽子さんと良い勝負をする上司には勝てないだろうと思っていたら、姿を消したままの幽子さんが私の手を持ってアシストしてくれた。
「ズルはよくないぞ」とあっさりバレたけど。
時刻は23時。三人の楽しい時間はあっという間に過ぎた。
もうおそいしとまれば?
幽子さんの申し出を固辞して、上司は帰ると告げた。「また遊びに来てもいいか」の問いに、おはじきが返事を返す。
「ここ、私の部屋なんですけど」
部屋に聞こえるのは二人分の笑い声。
その二人を、温かい空気が包んでいた。




