同居三年目
<夏>
近所のパン屋のおばちゃんに教えてもらいました。
今夜は花火大会があって、部屋の向きや高さによっては家からでも見えるらしい。
地図アプリを立ち上げておばちゃんに見せながら、打ち上げる場所を教えてもらう。
ウチはどうだろう。向きは合ってそうだけど打ち上げ場所との間に高い建物があったらアウトだ。
期待と不安を胸にしながら、私は家へと急いだ。
……多分見えそう。
実際に始まらないと分からないけど、視界を遮るものはないから大丈夫だと思う。
帰宅してすぐベランダに向かった私を不思議に思ったのか、幽子さんが出てきた。
「今日花火大会があるんだって。もしかしたらここから見えるかも」
打ち上げ場所が遠いから今まで考えなかったし、音も殆ど聞こえなかったんだろう。幽子さんも知らなかったみたいだ。
あ、花火を見るんだったら……
押し入れを開けて衣服の入った段ボールを探す。たしかこの中に……あった!
段ボールの中から浴衣を取り出した。ビニール袋を開けると防虫剤の匂いが漂う。外に行くなら気になるけど、家の中だからいいだろう。
浴衣と帯を出して眺める。下駄は痛んだから捨てたけど、今日は履かないから無くても構わない。
昔はよく友達と行ったなぁ。そういえばあの頃に出会った……あ、嫌なこと思い出しちゃった。
帯の結び方を忘れてしまったことに気付いてネットを調べ始める。
腰紐は要らないよね。気分だけ味わえばいいんだから。
帯を結び始めたところで、幽子さんが帯を解いてしまった。なんで?
幽子さんを見るとパソコンに文字が打たれた。
こしひもむすぶ
幽子さんがジト目で私を見る。
う……ガチ勢がいました。手抜きは許されないみたいです。腰紐も帯板も出すけど下駄は勘弁して。今から買いに行ってたら間に合わないから!
腰紐を結んで帯を持っていると、幽子さんが帯を締めてくれた。着付け出来るなんて凄いな。
背後にいるので顔は見えないけど、何だか背中に楽しそうな雰囲気を感じました。
▼
19時半。そろそろ上がるはず。
浴衣と死装束の二人でベランダに立ち、柵に手を置いてその時を待つ。
花火会場の近くはきっと見物客で賑わっているだろうな。
そんなことを思いながら、静かなベランダで何も言わずに待った。
何の前触れもなく遠くに親指の爪程の花が咲き、かなり遅れて小さな音が届く。
「見えたね」
隣に並ぶ人が頷く。
盛り上がってるだろう現地の会場と、静かに眺めるベランダ。
肩も布も触れる距離。でも、私からは触れられない。そんな存在と、同じものを見ている。
幽子さんはいま、何を思ってるんだろう。
──私と同じことを思ってくれてるといいのに。
遠くで咲いては散っていく小さな花を見ながら、そんなことを思った。
<秋>
夕方。オレンジ色の西日が街を染めていた。
秋だなと思って、焼き芋を買った。ついでに、欲しいと思っていた棚も。
帰宅してすぐ、まだ湯気の立つ焼き芋をお供えして、棚を組み立て始めた。
出来上がった棚を設置したその瞬間、バンッとキーボードを叩く音がした。
だめぜつたいだめ
「何で? ここだと使いやすいんだよ? 作業動線って大事だよ?」
私がどんなに利点を言っても『だめ』の一点張り。雀を見るのに邪魔になる訳じゃないのに。感情的になってる人を諭すのって難しいんだな。
そのうち文字を打つのも面倒くさくなったのか、幽子さんはまだ早い時間なのに姿を現してずっと首を横に振っている。
「ここ! ここに置くんだから!」
幽子さんを無視して棚を置き、中に荷物を入れ始める。幽子さんは……不貞腐れて姿を消した。
さっきまで湯気を上げていた焼き芋も、すっかり冷めていた。
その日の夜、トイレに行こうとして今日置いた棚に足の小指をぶつけた。
蹲って痛みに耐えていると真横に幽子さんが姿を現す。悲しそうな表情で何も喋らないけど、何を言っているか分かります。
『だから言ったのに』
こうなるって分かってたなら言ってよ! ……まさか本当にアカシックレコードを読んでる? そんな訳ないか。
痛みが少し治まってからトイレを済ませて、夜中だけど棚を移動しました。幽子さんが指を差して教えてくれた、ベッドと壁の隙間に。
こんな使い難い場所に棚を置くの? これは風水的な何かなの?
幽子さんは何も言わない。満足そうな顔で姿を消した。
良いことがあるかは分からない。でもそこは、絶対に足をぶつけない場所だった。
<冬>
寒い日が続くようになって、冬用のコートをクリーニングに出した帰り道。呉服屋さんに寄りました。
去年の初雪の日のことを思い出したから。
少し甘いような防虫剤の匂いが漂う店内はお客さんが三人ほどいた。呉服屋さんが賑わうイメージってあんまりないけど……。今は11月中旬。もしかしたら年始や成人式の準備だろうか。
掛けられた着物を見ながら、手の空いている店員を探す。色のセンスに自信がないから、プロに話を聞くのが一番だろう。
お客さんの応対が終わった店員に近づいて声をかけた。
「すみません。白い着物に合う羽織を探しているんですが、どんな色が合うでしょうか」
店員が教えてくれたのは3色でした。藤色、灰色、それと、桜色。店員が言うには着物の形や着る場面も選ぶポイントらしい。勉強になるなぁ。
和やかな店内で言うのは気が引けたので、小声で店員に伝えてみた。
「あのぉ……死装束なんですけど」
「……は?」
店員の目が一瞬だけ止まったが、気を取り直したのか灰色を勧めてきた。
もしかしたら、向こうに旅立つ人が寒くないように買おうとしていると思われたかもしれない。でも、灰色は流石に幽霊過ぎる気がする。幽子さんはそんな印象よりもむしろ真逆……
「この色の羽織と白い着物を合わせた感じを見てみたいんですが」
近くにあった着物に羽織を重ねて、その雰囲気を頭の中で幽子さんと重ねてみた。
「………これをください」
物を持つことは出来るけど着れるかは分からない。家にあるストールで試してみるべきだった。でも、頭の中のイメージが凄かったので買ってしまった。
雪の白に溶けない色、私が思う、幽子さんっぽい色。
着れたらいいなぁ
受け取った羽織を大事に抱きしめながら、家へと急いだ。
▼
「幽子さん、ちょっと出てきて」
羽織の入った紙袋を後ろに隠しながら部屋に入って声をかけると、幽子さんが姿を現してくれた。
「もうちょっと前に来て。……ん、そこ。そのままでいてね」
幽子さんの背後に回り、紙袋から羽織を取り出す。ちゃんと袖を通してあげたいけど、肩に羽織らせよう。
両肩に掛かるように広げて、手を離した。
パサッ
……床に落ちた羽織と一緒に私の気持ちも落ちた。駄目かぁ。
幽子さんが床に落ちた羽織に気付いて、私を見た。
「着て欲しくて買ってみたんだけど、駄目そうだね」
驚いた表情で、また羽織に視線を落とす。羽織を拾い上げて暫く見たあと、自分で袖を通して着てくれた。
幽子さんが自分で着ようとすれば着れるのか。サプライズなんてするもんじゃないな。
柔らかい桜色を羽織って、腕を広げてクルクル回る。自分の姿を見るために姿見の前に行って、何も映らなくてがっかりしている。鏡に映る幽霊もいそうだけど、幽霊の世界にもレイヤーがあるのかな。
幽子さんが着てから、羽織も薄く透けるようになった。同化したのかな。
「すっごく似合ってる! 可愛いよ」
思ったことをそのまま伝えると幽子さんは頬も桜色に染めて、いそいそとパソコンの前にしゃがんで文字を打ち始めた。
ありがとうだいじにする
よほど気に入ってくれたのか、それからずっと羽織を着るようになった。喜んでもらえて私も嬉しかった。でも……
暑さ寒さを感じない幽子さん、夏の猛暑日に『見た目的に暑苦しいから羽織脱いで』とお願いしても絶対に脱がないことを、このときの私はまだ知りませんでした。
▼
………次の日、風邪をひきました。
寒そうに見えるけど寒くない他人の心配をしてる場合じゃありませんでした。
朝起きたときに不調を感じて体温を測ると38度超え。熱があることが目で分かると余計に悪くなった気がするのはなぜでしょう。今日は仕事を休ませてもらおう。上司に休ませてほしいとメールを送る。
食欲がないけど風邪薬を飲むためには食べないといけない。フラつきながら台所に行って食パンを一口齧る。風邪薬を飲んで、ついでにお供えのお水を替えてまたベッドに横になった。
真横に気配を感じて目を開けると、幽子さんが覗き込んでいた。起きる時間なのに動き出さないから不思議に思ったのかもしれない。
「……風邪、ひいたみたい。……お供えなくて……ごめんね」
横になっているのに身体が重い。頭に靄がかかる感覚に任せて、私は眠りについた。
目が覚めると夕方だった。少しは熱が下がったかもしれない。
身体を起こすと枕元に何かが落ちる。見るとそれは濡れたタオルだった。額が湿って前髪が貼り付いている。
……幽子さん?
ノートパソコンがスリープから復帰して、ゆっくりと文字が打たれていく。
だいじょうぶ
看病してくれたのかな、ありがとうね。……風邪が治ったら、今度はクエスチョンマークの打ち方を教えるから。
目を閉じると、額のあたりがまだひんやりしていた。でも、胸の奥は少しだけ温かかった。
<春>
幽子さんとの同居を始めてもうすぐ4年目。
普通のルームシェアと違うのはトイレ/お風呂/洗面所の争奪戦にならないこと。普通の人とだったら大変だろうな。
家事の分担は出来ないけど、ほぼ一人暮らしで私のための家事なんだから我儘は言えない。
洗濯機から服とバスタオルを取り出してベランダに干す。
今日はこれから歯医者の予約を入れてある。買い出しもして帰ってくる頃には乾いてるだろうな。
「行ってきまーす」
部屋の中に向かって声をかけて玄関を出た。
▼
ヤバいかもしれない。
春の訪れを感じさせる強風、春一番。歯医者も買い出しも終わった帰り道、強い向かい風に阻まれて遅くなってしまった。
空を見上げるとどこかの部屋に干してあっただろうタオルが風に乗って宙を舞っている。
ウチの洗濯物も飛ばされてるかもしれない。
自宅に着いて部屋に入ると、ベランダで幽子さんが洗濯物のハンガーを押さえてくれていました。
ありがとーーー!
『乾いてるなら取り込んでくれても良かったんだよ』なんて言いません。




