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「どれ、じゃあ、有栖も予習してきたみたいだが、今日は職業訓練についての基本的なルールや運営のための知識を学んでくれ。妖怪は人間より気が短いやつが多いから、うちの会社はマニュアル読むより『やりながら覚える』って体質が染みついてはいるが、最低限の知識はあったほうがいいからな」


「うんっ。……あの、燎火。本当にありがとうね、私の就職助けてくれて。燎火に恥かかせないように、頑張るね」


 できるだけ自然に言ったつもりだったけど、少し頬が火照ってしまっているのを自覚する。


「なんだ、そんなこと。気にするなよ」


 真面目な表情をすると、目つきの鋭さもあって異様に迫力が出てしまう造作の燎火が、あどけなく笑う。

 その顔が好きだった。燎火にその顔をさせられる数少ない人間の一人が自分であることが、私にとっては、大事なことだった。


 ……妖怪、ではあるんだけども。

 私にとって燎火は、人間の誰より特別な男の人だ。

 同じ職場、しかも本人の紹介で入った会社というのは、うれしい反面緊張もする。


 でもひとまず、それはそれ。

 個人的な感情に浮かれることなく、仕事は頑張らないといけない。

 頭の中で、鉢巻をきつく締めた自分を思い浮かべ、私は息を大きく吸った。



 大学を出た私が就職したのは、食品メーカーの営業事務。

 受注、発注、それぞれのデータ処理とエラーの対応、その合間に営業社員のサポート業務と、とにかく目まぐるしく一日が過ぎていく仕事だった。

 その会社が業績不振になって、私が二年目の十二月に倒産した。計画倒産だったらしいけど、末端の社員には詳しいことは分からない。


 せっかく正社員で入れたのに、と惜しんではみたものの、落ち込んでいてもしょうがない。

 ハローワークや転職サイトを活用して、求職活動にいそしんでいたら、すぐにひと月が過ぎた。

 二月の終わり、新しくできた流山市のハローワークで、特に成果なく建物を出る時に、物陰から妙な気配がして、日の当たらない裏側を覗き込んだ。

 すると、ハローワークの壁に、新築の建物にまったく似つかわしくない、ぼろぼろの木のドアがついていた。


 私は子供のころから、霊感が強かった。でもそのせいで怖い目に遭うようなことはなく、むしろ霊感のおかげで燎火にも出会えて、楽しい思い出がいくつもできた。

 だから警戒心が薄かったのか、そのドアから明らかに異質な気配が漏れ出ていたのに、朽ちかけてもげそうなノブを回して引いた。

 中は、どう見てもハローワークの中には続いていなくて、岩でできた下りのトンネルになっていた。

 背筋がぞくりと震えた時、そのトンネルの奥から、燎火がちょうど出てきた。

 驚きすぎて、しばらく声が出なかった。


「あれ? 有栖か? なんでこんなとこに?」


「そ、それは私が言いたいよ!? これはなにで、燎火はなんでここにいるの!?」


「おれは仕事中で、現世に用があってな。この扉は裏界ってとこにつながってんだよ。前に教えたことなかったっけか? 平たく言えば妖怪の国で、ここは日本に無数にあるその入口の一つだ」


 こんな新しい建物に、妖怪の国の入り口が? と驚いたものの、後日燎火に聞いたところによると、もともとここに裏界の入り口があって、ハローワークのほうが後からできたので、その壁にドアが発生したらしい。


「で、なんの用があったんだ? 遊び半分で入るところじゃねえんだけど」


「遊びじゃないよ、仕事探しに来たの。ここ、ハローワークの裏でしょ?」


 燎火が首をかしげた。


「仕事?」


 私は会社が潰れたことを話して、それから、燎火が裏界にある人材派遣会社で働いていること、その会社が求職者――今現在離職中で就職を目指して活動している人たち――のための職業訓練を開講していることを聞いた。

 その職業訓練を行うための会社側の人材が不足していて、現在職員募集をしていることも。

 裏界に来る求職者には、妖怪だけでなく人間もいるらしい。カリキュラムが自分の習得したい技能と合致していれば、現世の訓練校に通うか、裏界のそれに通うかの違いだけだという。裏界で現世の介護事業について学ぶこともできるし、現世で裏界の仕事のノウハウを身に着けることもできる。

 そんなことを一通り聞いてから、私は燎火に尋ねた。


「燎火……その仕事って、まだそんなに長く会社勤めした経験がない人でも、勤まるかな」


「なんだ、興味あるのか」


「今まで私、仕事って営業か事務くらいしか意識してなかったけど……そういう、誰かを後押しするような仕事って、やってみたいかも。一種のサービス業だよね」


 燎火は、口元のこぶしを当ててうーんとうなった。


「……無理そうかな、私じゃ」


「いや、無理ってことはねえと思うけど。適性的に、どうだろうな……まあやってみないと分からないか、そんなのは。有栖がよかったら、うちの面接受けてみるか?」


「本当!? あ、でも妖怪相手の職業訓練てなにするの? 妖怪って仕事するの?」


「したいやつはする、かな。むろん、しないやつはてこでもしねえ。うちの派遣会社は裏界から現世に妖怪を派遣もするし、現世から裏界に人間を派遣することもある。妖怪だって仕事に興味があるやつはいるさ。そのために行政が民間に委託して、働くための知識を身に着ける訓練を用意してる」


「行政……?」


 今度は私が首をかしげる。人間の公的機関が妖怪の職業訓練を整備しているなんて、聞いたこともない。


「ああ。戦後しばらくして、『妖怪より妖怪らしい』なんて言われてた凄腕の政治家が仕組みを作ったんだ。妖怪と人間が少しでも安定的にいられれば、妖怪由来の事故や災害への対処がしやすくなるだろうって打算もあったらしいが。……というか、そちらが主眼だったろうな」


 よく分からないものを社会から分離して遠ざけるのではなくて、交流する場を設けることで理解し合い、リスクを減らす。そういう考え方ってことかな。


「で、でも、会社で働いてる妖怪なんて見たことないよ?」


「そうか? おれは有栖の会社は一二度しか見に行ったことねえけど、あのおかっぱ頭の男と、首に黒い布巻いてた女は妖怪だぞ」


 頭の中に、その特徴的なフォルムを思い浮かべて、ひえっと声が出た。


「おかっぱ頭の男って、六科(ろくしな)さん!? 布って、チョーカーのことだよね……てことは、比堂(ひどう)さん!?」


「男のほうは化けむじな、女のほうは飛頭蛮(ひとうばん)だ。あいつらもたぶん、裏界で職業訓練を受けたんだと思うぜ。じゃないとなかなか、あそこまで現世の会社に溶け込めんだろう」


 それぞれ、前の会社の営業と事務の職員だった。……全然気づかなかった。

 二人とも責任感があって、会社が傾いた時でも自分の請け負った仕事を一生懸命にやって、人間のみんなと一緒に苦しんだり喜んだりしていた。

 あんなふうに働ける場所を、機会を、作る仕事……


「職業訓練の仕事は決まりごとも気苦労も多くて大変だが、言われてみれば有栖に向いてるところもあるなとは思うよ。……どうだ? 本当に紹介してやろうか?」


 最初の会社に入った時は、仕事内容の手堅さと安定感で選んだ。

 今度は、興味があるからという理由でやってみたい。そんな気持ちが、すっかり胸の中で膨らんでいた。


「や……やってみたい。採用してもらえればだけど」


 そうして私は、履歴書と職務経歴書を書いて、裏界は就妖社の黒芙蓉支店長――その日はハリセンは持っていなかった――に面接をしてもらい、内定をいただいたのだった。



 あっという間に、翌日の朝。

 裏界の就妖社に出社した私は、自分の真新しいデスクで支度を終えると、職業訓練「人間でも妖怪でも基礎からわかる! パソコン実践科」の教室に、燎火と一緒に向かった。

 目的地であるA3(スリー)教室は三階にあるので、エレベーターに乗る。

 どこからどう電気が来てるのかは分からないけど、就妖社にはエレベーターも電灯も、パソコンもある。

 ただ、どれもこれもふた昔ほど前に作られたように見える。ありていに言うと、古めかしい。


「緊張してるか?」


「してるよ。してますとも。凄く変な失敗とかしちゃいそう」


「今うちの職業訓練は、パソコン系を二コースと、WEBデザインのコースを一つ開講してる。前者は、一般的な文書作成と表計算ソフトの基礎を身に着けるためのカリキュラムだ。生徒は人間妖怪織り交ぜて、三コースとも十人くらいずつだな。有栖にはしばらく、このパソコン一のコースでおれのアシスタントをしてもらうから、まあ気軽に慣れていってくれ」


 分かった、とうなずいて、ドアを開けた。


 教室は、学校というよりは会議室のような作りだった。

 飾り気のないシックな灰色の壁に四方を囲まれて、これまた飾り気のない木製の長机が縦参列になって並んでいる。

 教室も時代を感じさせる作りだったけど、掃除が行き届いていて、清潔に保たれているのは一目で分かった。

 そういえば、社内はどこも、古くはあるけど汚くはない。これって社風かもしれない、私も心がけよう。


 パソコンのコースなので、机の上には、一台ごとにノートパソコンが一つずつ置かれていた。

 あと一二分で、始業時間の九時になる。中にいた生徒は九人。立ち歩いている生徒はおらず、こちらに後頭部を向けて、すでに全員着席している。

時には人間の生徒も来るらしいけど、生徒名簿によると、今回は生徒全員が妖怪だ。

 ただ、一つだけ、教室の真ん中にぽつんと空いた席があった。


 燎火は教室の後ろに立って、目配せしてきた。

 私は緊張を隠しつつ教室の前につかつかと出て、くるりと訓練生のほうを振り返り、すうと息を吸い込む。

 あがってしまいそうだけど、大丈夫、練習通りやれば。


「みなさんおはようございます、古兎有栖と申します! 今日からみなさんの訓練のサポートをすることになりました。就職に向けて、一緒に頑張りましょう。よろしくお願いいたします!」


 そう言って顔を上げて、目にした光景はなかなかのインパクトがあった。

 見た目がほとんど人間と変わらない生徒に混じって、一見してそれと分かる妖怪もいる。

 一目見ただけで種類まで分かったのは、河童だった。肌が茶色交じりの緑色で、頭頂部には特徴的な白い円がある。

 ほかの生徒も、全身の皮膚が紫色だったり、耳が角のように上に長く伸びていたり、個性的な風貌が並んでいた。


 でも、ここで戸惑った姿を見せるべきじゃない。

 私はくっきりと笑顔を浮かべて、会釈してから教室の後ろへ戻った。燎火が、まあいいんじゃないの、という顔でうなずいている。


 就妖社の職員でありパソコンの講師である、白いひげを伸ばした年かさの男性が前に出てきて、挨拶と点呼を済ませてから、みんなさっそくテキストを開いて授業を始めた。

 いつも一時限目はタイピング練習から始めるそうで、テキストにある練習用の文字列をキーボードで打ち込む音が教室中に響き出す。

 授業が普通に進んでいる間は、しばらく私がすることはない。

 燎火と一緒に教室を出て、一息つく。


「よし、授業は(たき)じいに任せて事務所行くぞ。職業訓練はデスクワークが絶えない。まずは国内怪異等就職支援機構に、開講届を出すところからだ」


「支援機構……開講届……そんなのあるんだね」


 公的な提出書類については予習してきたものの、ついそうつぶやいてしまった。

 燎火が肩をすくめる。


「現世の、人間だけの職業訓練と同じで、ほぼ日本の税金で運営されてるからな。なんでも記録記録だよ。で、記録紙なら報告だ」


 事務所のデスクについて、燎火に教わりながら、開講届を作成してみた。

 これが、私の初仕事だ。

 確認事項は細かいものの、難しい書類ではなかったので、ほどなく終わって、パスワードのロックをかけたメールで支援機構に送信する。……いまさらながら、裏界ではインターネットも当たり前のように使える。


「よし、いいだろ。有栖、昨日だけじゃ細かいところまで調べものする暇もなかっただろうから、手が空いてるうちに訓練で気になることを調べてみろよ。紙の資料はこっちの棚のファイル、データ関係はPCのこのフォルダの中だ。こっちから教えるべきことは、折に触れて説明していく」


 昨日のうちに基本的な仕事の流れは教えてもらっているので、今日は業務の具体的な情報を自分でインプットしていくことになる。

 私はノートと、会社支給のタブレットを取り出して、データで整理しておいたほうが有用そうなことと、ノートに手書きしておいたほうがよさそうなものを分けて、この仕事の知識をあさっていった。


 その時、燎火あてに電話がかかってきたので(裏界は電話も通じているのだ)、少し離れた自分の席に燎火が戻り、私はデスクで一人になった。

 その時、ぎりぎり私に聞こえるよう調整されたような音量で、ひそひそ声が聞こえてきた。


「人間だな」「ああ。たぶん使い物にならないぜ」「人間だもんなあ」「人間じゃなあ」


 ……なんだか、不穏なことを言われているけど。私は、まずは私のやるべきことをやるだけだ。

 それにしても妖怪の職員の中には、目玉がついたふすまとか、動く木組みにしか見えない人たちもいるけど、どこから声を出しているんだろう。


「人間でも、使える人間ならいいんだけどよ」「いやあ期待するだけ損だろ、人間なんて」「だよなあ。そもそも、まともに仕事ができる人間なんているのかね」「根本的に常識がおかしいからねえ……というかおれらとは違うモノだからな、人間は」


 ひそひそ声はなおも続いていた。

 どうも聞いている感じ、ずいぶん人間が低く評価されているように思える。

 これは裏界独特の偏見なのか、それとも別の理由があるのかな。


 聞き耳を立てるのをやめてPCの画面に集中しようとした時、燎火が戻ってきた。


「お待たせ、有栖。早速だが、生徒のことで少しいいか?」


「うん。なんでも」


 燎火はメモ用紙を差し出してきた。使い終わったコピー用紙の裏紙らしい。こういうところは、現世も裏界も変わらない。


「この番号に、出席要請の電話をかけてくれ。PCコースの生徒で、グレムリンのレイムルってやつだ」


「グレムリン……日本妖怪以外もいるんだ?」


「ああ。要件を満たしていれば、海外の怪異でも受講は可能だ。で、このレイムルなんだが、無断欠席が続いてる」


「あ、そういえばさっき、一つ空席があったけど」


 燎火が、おっ、と微笑する。


「気づいたか。そう、あの席のやつだ。人間はたいていスマホ持ってるからいいとして、それ以外の生徒には連絡用の端末をうちから貸し出して持たせてあるんだが、これはその番号だよ」


「端末? スマホなの? 連絡とって、出席するように伝えればいいんだね?」


「ああ。端末は細身のスマホみたいな見た目で、現世のスマホほどいろんなことはできねえけど、通話とメールは問題なくできる。少し前までは二つ折りの携帯電話型だったけど、一応時代を追ってるんだよな。でも最近は、自分で契約してスマホ持ってる妖怪増えたぜ」


 へえ、と相槌を打ちつつ、電話番号のメモを受け取る。

 頭の中で切り出し方のシミュレーションをしつつ、デスクに備えつけられた電話でかけてみたけれど、コール音は鳴るもののつながらない。


「出ないね……」


「そうか。その辺に端末を捨てて、ばっくれたかもな。弁償させようにも、はぐれのグレムリンにまともな支払い能力なんてねえだろうし」


 ばっくれ。

 私は、受話器を耳に当てたまま訊いた。


「そ、そんなことしていいの?」


「よくはねえよ。生徒はここへ通うのが義務。それが職業訓練っていう社会制度を利用したやつの決まりごとだ。入学する時に、『ちゃんと受講して就職します』って誓約して、税金使って受講するわけだからな。本人は個人の自由だと言うだろうが、そうはいかねえ」


 うんうん、と私はむなしく続くコール音を耳にしたままうなずく。


「別に訓練生はお客様でもなんでもねえし、来たくないなら放っておいてもよさそうなもんだが、訓練を国から受託してるおれたちが知らんぷりするわけにもいかん。公共の職業訓練は、生徒の受講料はただだが、その運用は税金でまかなわれてるんだからな。……だがいくら来させたくても、できることには限界があるのも事実だ」


「あんまり無茶な真似はできないよね。税金使ってる事業なら、なおさらだね……」


「そうだ。まあ家庭訪問くらいならできるが、やる気がなくなった生徒を無理矢理捕まえて受講を継続させるのは、不可能に近い。本人が『気が変わった、働くのは嫌だ』『誓約なんて知ったことじゃない、就職しない』と固く決意したら、他人がなにを言っても翻意させるのは困難だ」


 私は、一向に出る気配のない電話を、ようやく切った。


「じゃあ、電話で連絡が取れない受講生の人には、どうしたらいいの? メッセージアプリとか、メールとか?」


「確かに、イマドキはそうすべきじゃないのかって声もある。だがどちらも、相手がまともに連絡を取るつもりがなければ意味がないんだ。メールは無視されたり、気づかないふりをされればそれまでだ。『自分は妖怪なのでメールを見る習慣がない』と言い張って、知らんぷりするやつも多い」


「ああ……メッセージも、既読でも未読でも無視はできるもんね」


「そう。それにメッセージだと、おれたちの勤務時間外に送信してきて『もう連絡してくるな』と言い残してあとは無視を決め込めば、向こうにすればちゃんと意思表示したつもりになれる。一方的に、なんの罪悪感もなく逐電できるのさ。いくら情報技術が発達しても、使うほうの性根がその技術に追いついてなけりゃ無意味なんだよ。なにしろ、妖怪だからなあ」


 私はそこで、ぽんと軽く机を手のひらで叩いた。


「そうだ、郵便。……も上手くいかないかな、妖怪だと」


「いや。妖怪の中には定住地があるやつもいるから、そういうやつには郵便で出席を督促することはできる。ただこれも、本気でばっくれる覚悟を決めたやつには効果はない。そうなれば、くだんの機構に事情を説明して中退処理をして、生徒数が減った状態で訓練を続けるだけだ」


「そっか……人間と違って、妖怪って難しいね……」


 それは、人間社会と違ってインフラが確立されていないとすぐ手詰まりになってしまいそう、という意味で言ったのだけど。

 そんなにおかしいことではないはず。

 でも、事務所の中では、その私の言葉を聞いた職員たちから、一斉に笑い声が起きた。


「えっえっ!? な、なに!? 私、そんなにおかしなこと言った!?」


 すると、斜め前のデスクにいた、牛の顔をした大柄な男性――顔は牛でも服装は、紫色のストライプのスーツだ――が、笑いながら言ってきた。


「お嬢さん、言っとくけどなあ! 訓練生でばっくれるやつなんて、人間でもざらにいるぜ! 電話も手紙も一切通じず音信不通、どんなに国やおれたちが税金と手間をかけて面倒見てやっても知らんぷり! ようやく捕まえてもいかにも迷惑そうで、逆に怒り出すやつも珍しくねえよ!」


「お……怒り出す?」


 私は、つい燎火のほうを振り向いた。


「……ま、事実だ。妖怪でも人間でも、十数人も集めてやれば、非常識なやつは一人二人と現れてくる。人間なら人間の社会制度に対して誠実だろうなんて幻想は、早めに捨てたほうが有栖のためだ」


「そ、そんなに?」


「むろん、そういう手合いは当分おれのほうで対処する。一日の長がある分、多少は慣れてるさ。有栖がこの仕事に向いてるところがあると思ったのは本当だが、仕事である以上、ストレスがまったくないってことはない。それでも、有栖にはなるべく楽しく働いて欲しいからな」


「……ど……どうも……」


 そう返事をしつつ、あまり燎火に頼り過ぎないようにしないといけないな、と胸中で自分を戒めた。

 なんだか、著しく不安になってはしまったけれど。

 だからって、なにも起きないうちから、弱気になるのは気が早い。



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