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訓練終了からちょうど一ヶ月経っても、パソコンコースの卒業生は一人も就職が決まっていなかった。
私も燎火も、みんなの状況をつぶさに聞き取って、今やるべきことや、これからやるべきことについて助言や指導を繰り返してきた。
でも、私たちができるのはそこまで。
書類審査や面接までこぎつけた人はいても、あと一歩で不採用になってしまっている。
それならまだいいほうで、明らかに就職意欲を持っていない卒業生も何人かいた。
そのうち一人はもちろん粕村さんで、赤原さんもずっと連絡が取れていない。
「燎火、確か赤原さんて、二三回電話くれたんだよね?」
「ああ。営業時間外の真夜中とか早朝にな。話す気はねえけど連絡を取ろうとしてないわけじゃないポーズで着信だけは残す、『電話はしたんですけど職員さんがいらっしゃらなくて』作戦だ」
「なんだかもう、聞いてるだけでむなしい作戦名なんだけど……」
「一度、残業してた支店長が電話取ったら、慌てて切ったらしい。タイミングが合わないときってのはあるから好意的に見てたが、そろそろこっちも動き方を考えなきゃならんな」
燎火が、赤原さんたちのクラスの名前が入った名簿のデータを、パソコンで操作する。
「動き方?」
「どんなに優れたカリキュラムを組み、国がどれだけ制度を整えようが、訓練生に就職意欲がなければ就業はできねえ。訓練校は勉強するところであって、人格矯正施設じゃねえんだ。そうすると、これ以上手間をかけても無駄な生徒と、適切に指導すれば就職できそうな生徒はおのずと分かれていく」
冷たい言い方に、私の胸中に、珍しく燎火への反感が募った。
「……就職支援の対象から切り捨てるってこと? 粕村さんや赤原さんを?」
「そこまでは言わねえよ。ただ、支援の優先順位を下げざるを得ないってのはある。就職意欲がないやつのできもしない矯正に、無為に人員と労力を割いたせいで、もう一押しで就職できるやる気満々の生徒のフォローをおろそかにするわけにはいかねえ。おれたちの時間と労働力は、無限じゃねえんだ」
それは、そうだけど……。
「ただし、当然、打てる手を打ってからだ。さて、んじゃ今日あたり行ってみるか。有栖も、午後の予定は余裕あったよな?」
燎火が、パソコン内のスケジュールカレンダーを見ながら言った。
「大丈夫だと思うけど、……それじゃ、ついに」
燎火は黒いかばんに何枚かの紙資料を入れると、ノーネクタイの黒いシャツの襟を直した。
「そ。家庭訪問だ」
お昼の休憩を済ませると、燎火が社有車を出してくれた。
いつも私が使っているハローワークの出入り口は車では使えないけど、裏界にはそれとは別にもっと広い門があって、現世のいくつかのポイントを選んで出ていけるという。
社有車は緑色の直方体で、小さなバスのような造形をしている。現世では見たことのないエンブレムをつけていた。
「燎火、免許持ってるの?」
「持ってなきゃ現世の公道走れねえよ。ほら、早く乗りな」
私の荷物を後部座席に入れ、ドアを開けてくれた燎火に言われるがまま、助手席に乗り込む。
……妖怪の運転で現世の道を走るって、なかなかレアな体験ではないだろうか。
目指す門へは、十分もしないうちに着いた。
そこをくぐると、白いもやが現れ、それが晴れると、見慣れた流山市の国道に出る。
「わあ、こんなふうなんだ」
「まあな。……ところで有栖、どう思う?」
ハンドルを切りながら燎火が訊いてくる。
「どうって……訓練のこと? 就職する人数が少ないと、まずいんだよね?」
「そうだ。どうまずいのかは、覚えたか?」
これは訓練の運営上とても大事な規定なので、もちろん私だって覚えている。
「生徒の就職率が極端に低いと、私たちにペナルティがあるんでしょう?」
「どんな?」
「職業訓練事業の停止。つまり訓練の開講を禁じられるから、訓練関係の職員は完全に仕事がなくなって、会社のお荷物になっちゃう。最悪解雇。これは現世でも裏会でも同じ決まり」
「その通りだ。一方、生徒にペナルティは?」
私は、エアコンを効かせながらも、少しだけ開けた窓から入れた風に、額を撫でられながら答える。
「なんにもなし、でしょ。三ヶ月のうちに就職できなかっただけで、罰金とか罪になるとかおかしいもの」
「そうだ。この辺は訓練生には優しく、訓練校には厳しい措置だが、承知の上で受託してるんだから文句はねえ。ついでに言うと、訓練生からの就業報告を一定以上の割合で回収できなければ、それもまたおれたちにはペナルティだ」
「就職したのかどうか分かりません、じゃ済まないってことだね。税金を使ってる以上は」
「そういうことだ。罰則がなけりゃ、おれたちがさぼろうと思えばいくらでもさぼれちまうからな。就職率についても、『誰も就職させられませんでした、就職率ゼロです。でも運営費を税金からください』なんて厚かましいことになったら笑えん。……だが、なかなか厳しいルールなのも確かだ」
車は国道を逸れて、少し狭い県道に入る。
あたりにはビルや店舗が減って、住宅が増えてきた。
「有栖は初めてだから分かりにくいと思うが。一ヶ月経っても誰も就職しない、内定すら出ていないなんてのは、うちの訓練としては異常だ。そりゃそういう時もないわけじゃないが、どうも今回はおかしい」
「うん……塗密さんの時も、ガタロさんの時も、なんだか変だよね」
塗密さんはあの後も飲食関係の仕事を探し続け、和食以外にも手を広げてみたものの、書類選考で落とされ続けているうちにあっという間に一ヶ月経ってしまった。
ガタロさんは自信をもって面接を受けてきたけれど、こちらも不採用。河童なので川から離れたところでの就職は難しく、元から勤められる範囲が限られているので、次の応募先を探すのに一苦労だ。
わくらばさんと邪光さんも、その後連絡はとれているものの、書類選考落ちが続いており、さすがにモチベーションが下がってきているのが、電話でも伝わってきた。
私たちが見るところ、履歴書の書き方や模擬面接での受け答えは問題がないので、採用になってもよさそうなものなのに。
甲野さんや柴方さんは未経験ながら事務職を志望しているので、どうしても経験者が採用されがちなのか、書類の時点で落とされることが多かった。
もともと二人とも、人間の事務職というのはただ椅子に座ってキーボードを叩いているだけの気楽な仕事ととらえている節があったのだけど、事務の仕事をそんなふうに考えている人を企業が採用するわけがない。
妖怪なので、人間の職種についての解像度が低いのかもしれない。
そのため一度二人とも就妖社に来てもらい、燎火とともに一からその誤解を解き、事務職がしっかりしていなければ会社は回らないことを理解してもらって、自己㏚や志望動機を改善していった。
なのにそれでも結果が出ないので、この二人も気力が削がれてきている。
小田さんは相変わらずマイペースを貫いていて、こちらがいくら行動を促しても、一日で終わる作業のために動き出すのが三日かかるような状態だったので、やはり進まない。
何度か電話をかけても出ないことが多く、折り返しもしてこない。
数日後にようやく連絡がつくと、「ずっとね、ばたばたしていて。子供が溶連菌にかかってしまい、電話ができなかったの。それでずっとばたばたしてたから」と言われた。
小田さんは人間の男性と結婚しており、人間の子供も二人いる。初めて聞いた時は驚いたけど、人間と妖怪の婚姻はずっと昔からよくあることだそうだ。
燎火は「子供のことは心配だったろうが、電話が使えなくなる溶連菌てのはねえだろ。理由になってねえな」と手厳しかった。要は面倒だったんだろ、と言わんばかりだ。
そして生島さんはその後も頑張っているけれど、成果はまだ出ていなかった。
「今回の卒業生は、みんな家計が大して切羽詰まってるわけじゃねえやつらばっかりだから、就活の進みが遅くなるのは予想してたが。どうもそういう問題じゃない気がするんだよな。有栖、聞き取りしててなにか妙なこととかなかったか?」
「そういえば……先週くらいから、電話すると出てくれた人たちが、『三ヶ月以内の就職って強制ですか?』『就職できなかったら罰則とかあるんですか?』って聞いてくるようになったんだよね。」
訓練中に仲良くなった生徒たちが連絡先を交換して、メッセージアプリでグループを作るという話は珍しくない。そこで話題にでも出たのかと思ったのだけど。
「ふうむ……急に、いちどきにねえ……。おっと、着いたぞ」
燎火が車を止めたのは、二階建ての一戸建ての前だった。家の庭も大きくて、ちょっとした資産家の住まいに見える。
「わあ。ここが……」
車を降りた私がそう言っている間に、燎火は門についているチャイムを押した。
「お世話様です、就妖社の者ですが。最愛さんはご在宅でしょうか」
最愛。それは、粕村さんの下の名前だ。
家の中でばたばたと音がして、玄関のドアから、Tシャツにジャージ姿の粕村さんが出てきた。
「な、なんだよーいきなり!? いきなり家に来るなんて非常識じゃないか!?」
「非常識はこっちのセリフだ、一度電話に出た後はのらりくらりと逃げやがって。そういう場合は家に行くって言っただろうが」
「それでも、連絡くらいしてからきてよ!?」
け、と燎火が吐き捨てる。
「事前に連絡しようにもろくに電話に出ねえし、メールで連絡してもお前は適当に理由でっち上げて先延ばしにするだろうが。玄関先じゃなんだ、お邪魔するぜ」
「あっあーっ入るな! 入れないぞ!」
「なんだよ、水くせえな」
「そんなにお前とぼく仲良くないでしょー!?」
騒ぎを聞きつけて、家の奥から、細身の女性が顔を出した。
「最愛くん、お客様? やだ玄関の掃除お願いしたのに、まだやってないじゃないの。もう、前に住んでた新潟じゃ雪が降っても、家族の中で唯一最愛くんだけ雪かきしてくれないし。そういうのそろそろできるようにならないと」
「あっお母さん、なんでもないからあっち行っててよ!」
燎火の目がきらりと光る。
そして、にこやかに、落ち着いた声で告げた。
「粕村さんのお母さまですか、私は燎火と申しまして、粕村さんの元同僚にして職業訓練の担当者です。こちらは、同じく古兎と申します」
「初めまして、古兎です。突然の訪問でお騒がせしまして、申し訳ございません」
「あっなんだお前らやめろ、お母さんと名刺交換なんてするな!」
怪訝な顔をしたお母様は、粕村さんのほうを向いて首を傾げた。
「最愛くん、この人たちが、全然就職支援してくれない、冷たくて他責志向な訓練校の方々? こうして家にまで来てくれるなんて、熱心じゃないの」
「い、いやいやまーまーそうかなー!?」
燎火が小声で、こいつ家でおれたちのことどう話してるんだ、と漏らすのが聞こえた。
けれどすぐに気を取り直して、
「今日は我々、粕村さんの就活についてご相談に来たんですよ。資料もお持ちしていますので、ぶしつけながら、上がらせていただいても?」
「ええどうぞ、お茶お持ちしますね。最愛くん、リビングに皆様をお通しして」
「いやお母さん、こいつらはさ」
「だって、最愛くんが自分で作ったって言ってた、再就職完璧スケジュールっていうのについて、この方々お話に来たんでしょう?」
ぐっ、と粕村さんが言葉に詰まった。
反対に、燎火が洋々とした声で言う。
「ほう、完璧スケジュール! ぜひお聞かせください、なにしろ訓練終了後三ヶ月以内の就職ということは、あと二か月しかないのですからね! ぜひそのスケジュール通りに進めないといけませんね! そうすれば間違いなく就職できるでしょう!」
ふと見ると、粕村さんがすさまじい目で燎火をにらみつけていた。……ただし、冷や汗も顔中に浮かべながら。
リビングに通され、ソファを進められている間も、粕村さんの三白眼が燎火をとらえ続けていた。
「燎火お前……イキりやがって、覚えてろよ……」
燎火はそれでもどこ吹く風で、家の中をきょろきょろと見まわしている。
そして、粕村さんのほうをろくに見ずに言った。
「どうでもいいけどお前、裏界で雪が降った時も、商談があるとか噓ついて、社員で一人だけ雪かきに参加しなかったよな。せめて家ではやってやれよ」
「家のことは関係ないだろー!」
粕村さんの大声にも、燎火は動じない。
というかこれはもう、燎火としては明らかに煽っているのでは……。
「そうだな、おれとお前に関係ある話をぜひしよう。心を入れ替えて誠実に就活するなら、身勝手で無気力な義務踏み倒し野郎に家族の前で恥はかかせねえでおいてやるよ。で、おれたちが今日持ってきた行動プランを、その完璧スケジュールとやらの代わりに履行しろ」
「……ぼくの完璧スケジュールのほうが、お前らのプランよりずっとよかったらどうするの。それで就職できなかったら、責任とれるのー?」
「存在しないスケジュールの責任なんぞとれるか」
「そ、そんなの分からないじゃん」
「じゃ、あるのか?」
「……今はない」
「今は? いつならあるんだ?」
私は燎火の袖をくいくいと引いた。あまり追い詰めるような言い方は、よくない。
それを察した燎火が、こほんと咳払いする。
「いいか、粕村。おれたちはなにも、三ヶ月以内に就職しないと許さねえって言ってるわけじゃねえんだ」
「ど、どこがだよー。言ってるじゃないかずっと、三ヶ月三ヶ月って。それでやりたくない仕事に就かされたらたまったもんじゃないよ」
「就かされる、というのがすでにおかしい。お前は本当に、人の話をちゃんと聞け。やりたくない仕事をする必要はないんだよ、お前には憲法で職業選択の自由が保証されてるんだからな。おれたちは最初から、三ヶ月以内での就職を目指せって言ってるんだ。ちゃんと誠実に行動すれば、それでいいんだよ」
すると、こわばっていた粕村さんの顔から、みるみるうちに緊張が抜けていく。
「そ……そうか。そうだよね。目指すだけでいいのか」
「誠実に、な。それは忘れるなよ」
「わ、分かってるよ。それに就職しなくたって、ぼくはなにも失うものはないわけだし……」
すう、と、燎火が粕村さんに近づいた。
瞳の金色が鮮やかになった気がする。口元から除く犬歯が、いつもより鋭い。犬の姿の時のように。
「そうだ。お前には、就職できなくてもなんの罰も課されない。最近、そういう話を誰かから聞かなかったか?」
その声を聞くと、みるみるうちに、粕村さんの目の焦点が合わなくなった。
ぼそぼそと、独り言のような声で答える。
「誰っていうか……夢の中で、一週間くらい前に、そんな話を聞いた気がするなあ……ぼくはそんなの当たり前じゃんって思ったから、気にしてなかったけど……」
燎火が、ささやくように言う。抑揚のない、低い声。
「夢の中で、お前にそう吹き込んだやつは誰だ? ……見知らぬ他人か? ……どんな格好をしていた?」
粕村さんも、燎火と同じ調子で答える。熱に浮かされたような表情で、さっきまでの威勢が嘘みたいに。
「じいさんだった、小汚い……茶色い着物を着てて……知らないじいさん……頭が大きい、黒目のないじいさん……」
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