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 数日後。


「……編入? 職業訓練にですか?」


 夕方、休憩室でコーヒー休憩をとっていた私と燎火に、黒芙蓉支店長が顔をしかめて声をかけてきた。

 なにかと思えば、あと一ヶ月もせずに終わるパソコンの訓練に、新しく編入したい求職者がいるらしい。


「燎火」と私はドリップバッグを紙コップから外している燎火のほうを向き、「編入なんてあるの? もうすぐ終わる訓練なのに?」と訊く。


「なくはない。現世の職業訓練では、いくつかの条件が揃ってないと不可だが、裏界はなにしろ妖怪も対象にしているから、その辺の規定は緩めでな」


「こんな終盤で合流して、先生も教えにくそうだけど」


「ああ」と支店長。「そこは気にしなくていい。編入者は、パソコンの基礎的知識が少しはあるやつだ。キーボードを訓練で初めて見たって妖怪でも受け入れるくらいだからな、そうした手合いよりはずっとやりやすいだろう。授業は、だけどね」


 含むもののある言い方が気になる。


「なにか、別の問題があるんですか?」


 私の質問に支店長が答える前に、燎火が言った。


「粕村なんだろ? そいつ」


「えっ!?」


 思わず燎火と支店長をきょろきょろと見比べる私。


「……よく知っているね。わたくしも今日聞いたところなのに」


「ハローワークの担当者から、今さっき連絡がきた。はっきり名前までは言わなかったが、御社で前に働いていた方でも受け入れ可能ですか、と遠慮がちにな。それで支店長がそうまで言いにくいやつというと、約一名だろ」


 私は、あっけにとられかけながら訊いた。


「い……いいんですか!? あんな辞め方した人を!?」


「どんな辞め方だろうが、職業訓練に編入させない理由にはならないのだよ。暴力事件でも起こしていれば別だが、基本的に、受講と就職の意思さえあれば、訓練を受ける資格はある。……わたくしたちの好き嫌いで受講の可否を決めることは、しないということだ」


 言葉とは裏腹に、苦虫を嚙み潰したような顔で支店長が言う。少し、歯ぎしりの音もした。

 燎火がコーヒーをあおって、息をつく。


「おれから見て問題があれば中退措置もとれるし、職員だった時ほど厄介じゃねえだろうよ。もともと、就職の意欲はあるのにそのための知識や実践能力が不足しているやつのためにあるのが、職業訓練だ。ある意味では、粕村にうってつけの社会制度だろう」


「その通りさ、燎火。わたくしたちは職業社会のセーフティネットだ。意欲ある者に閉ざす門は持たない。人間性を変えることはできないが、少なくとも知識と能力をつけさせることは可能なはずだ。頼んでいいかい」


 燎火が、苦笑しながらうなずいた。

 二人とも複雑な気持ちはあるんだろうに、こういう気概がこの制度を支えているんだな、と思う。

 ただ、私としては、どうしても気になるところがあった。


「あの、支店長、燎火。意欲といえば、粕村さんてどうしてここ(・・)に、基礎ができるのならなおさら、パソコンなんて習いに来るんでしょうか」


 二人が固まった。燎火はコーヒーを、口に持っていきかけたまま。

 そのまま、十秒。二十秒。


「……あの……?」


 先に答えてきたのは燎火だった。


「気がつけば……有栖も随分と、厳しいところを突くようになったな……」


 支店長も続いて、


「ああ……そこは、そっとしておいて欲しかったね……」


「え? え?」


 燎火が紙コップをテーブルに置いて、言った。


「有栖。おれも支店長も、人間にはない力がある。特に感覚面では、人間には及びもつかない鋭さがあると自負している。そのおれたちは、粕村があの最後の日、決して就職なんてしないという強い意志を感じ取ったんだ。ほんの数日でそれが翻るとは思えない」


「え、じゃあどうして職業訓練に来るの……?」


「思い当たるところが――思い当たりたくもないんだが――ある。有栖には、保険関係の業務はまだ教えていなかったな。訓練生は、訓練の受講中は失業保険の受給期間を延長できるんだ。保険金をもらいながら受講ができる」


「えっ、そうなの?」


 お金に関する業務はまだ私はタッチしていないので、知らなかった。


「ああ。これはもちろん、訓練期間中に収入がゼロになってしまう人のための救済措置だから、悪いことでもなければ不正でもない。たとえば訓練に来ながらフルタイムで仕事するなんて、ほぼ不可能だからな。本来、堂々と利用すべき制度ではあるんだが」


 そこで息をついた燎火に、支店長が続いた。


「訓練中は、通常なら受給者が毎月行う失業認定日の手続き――就職活動をしていることの証明だな――なども免除されるのだよ。訓練を受けていること自体が、就職活動とみなされるからさ」


「……ということは……」と私。あまり人を疑うようなことはしたくないけど、こと粕村さんの場合だと……。


「ああ。おれの見立てだと粕村の狙いは、裏界の職業訓練を受けることで、就職活動せずに失業保険をもらい続けることだろう。就妖社は裏界の企業だから、現世での制度とは違うところもあるんだが、やつの状況ならもう需給は可能なはずだ。当然、もうハローワークで手続きを済ませているだろうな」


「で、でもなんで、もうすぐ終わっちゃううちの訓練に来るの? もっと長く続くのを受ければいいのに。気まずい思いもしないだろうし」


「今の訓練は間もなく終わるが、その後にちょうどよく別の訓練が始まれば、今度はそれをハシゴして受講すればいい。今回うちに来るのは、今開講している中で都合よく編入できるのがうちだけだったんだろうな」


「そっ……そんなの、いいの?」


「現世ならそうそう都合のいい真似はできないように手を打っている部分もあるが、おれから見ても裏界の訓練はそのあたりも緩い。まったく就職する気がなくても、『就職意欲があります、そのために受けたい訓練があるんです』の一言で通うことができる」


「性善説、なんだね」


 悪いことではない。でも、不正予防には充分でもないんだろう。


「制度改善の余地がまだまだあるんだ。ルールを厳しくし過ぎて利用しづらくなるのもいけないし、かといって緩め過ぎれば不正が横行するんだよなあ」


 む、難しいものなんだ。

 でも確かに、いろいろな権利を受け取るまでのルールが厳しくなり過ぎれば、私だってこの先もし職業訓練を受けたいと思うことがあっても、利用できなくなってしまうかもしれない。


 燎火が、紙コップを再び手に取って言った。


「とはいえ、粕村のいいように使われるだけじゃない。訓練はちゃんと毎日通わなかったり、講師の言うことを聞かないやつには、中途退校措置に向けて勧告できる。こっちがお願いして来ていただいてるお客様ってわけじゃねえんだ、決まりごとが守れないなら、粕村に限らずいつ対校してもらっても構わん。……ただあくまで、一番の目標は就職だ」


「そうだよね。粕村さんがその気になってくれたら、全部解決するんだから……」


「そういうことだ。就職する気のない訓練生にその気を起こさせるのも、おれたちの大事な――もの凄く困難ではあるが――仕事だからな。残り期間は少ねえが、いけるところまできっちり指導してやるさ」


 就職する気のない人を、その気に……って……


「こんなこと訊いちゃいけないのかもだけど……そんなこと、できるの……?」


「できる、とは言い切れねえけど、できないと言い切ることもできねえよ。今言ったように、どんなに困難でもだ。なにしろおれたちは――」


 燎火と支店長が、同時に言った。


「――職業社会のセーフティネットだからな」



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