どんな姿だとしても 2
カンカンカンッ!
剣のぶつかり合う音が演武場に響き渡る。カシアンは目の前に迫る重い攻撃を軽くいなし、相手の体勢が整う前に剣を振るった。
「……参りました」
剣先を突きつければ、訓練相手だったデイビッドが静かに呟く。カシアンは無表情のまま剣を下げる。この程度のことは当然のことだったため、大して感情は湧いて来なかった。
「ははは!カシアン様がこれほど強いと、私たちの立つ瀬がありませんな」
「……ご謙遜を。さすがに騎士団長にはまだまだ敵いませんよ」
豪快に笑う騎士団長に、カシアンは苦虫を噛み潰したように否定した。彼はカシアンにとっては剣の師匠であり、全く太刀打ちできない強敵でもあった。
「最初は剣を握っただけで『重い』『腕が痛い』と泣いておられたカシアン様が、ここまで立派に成長されたのです。私が追い抜かれるのも時間の問題でしょう」
「な、泣いてはいない!」
実は滅茶苦茶泣いていたし騎士団長の言葉が正しかったのだが、黒歴史を持ち出されたカシアンは珍しく感情を露わにしながら否定した。
(クソッ、忘れろと何度も言っているのに)
出来ることなら忘れたくて、だけど最も忘れたくない記憶。
まだオリビアと出会う前のカシアンは、泣き虫で気弱で、更には引っ込み思案な少年だった。
運動が苦手で、パーティーが嫌いだった。
だけど何も、最初から嫌いだったわけではない。
『ランティアス公子さま、はじめまして』
初めて参加したパーティーで紹介された少女がいる。伯爵家の娘で、ランティアス公爵家とは事業で関わりのある相手だ。本来ならカシアンの婚約者になっていた可能性が一番高い相手だった。
『お母さま!わたし、ランティアス公子さまじゃなく、エイリーク皇子さまと結婚したいわ!』
『この子ったら!誰かに聞かれたらどうするの!』
『だって、ランティアス公子さまは太ってるし、かっこよくないんだもの!』
そんな会話をカシアンはタイミング悪く立ち聞きしてしまった。
彼女に対して好意は一切なかったが、自分の見た目を一方的に評価され否定されるのは子供心ながらに傷付いた。
きっとその時からだろう。他人の目を気にするようになったのは。
『ランティアス公子と遊んでもつまんないんだよな。父上に言われて仕方なく一緒にいるけど、いっつもオドオドしてるしさ』
そんな陰口が聞こえる度に、カシアンの身体は更に萎縮した。彼らが求めているのは『ランティアス公爵家』の名であり、カシアンではない。
表で近づいてくる人たちが、裏で話す本音を知る度に、カシアンは段々と人と関わること自体が嫌になっていった。
『カシアン、こちらがヴェセリー侯爵家長女のオリビア嬢よ。ご挨拶して』
嫌々参加させられた何度目かの席で、カシアンはオリビアと出会った。母親であるアンリエッタのドレスの裾から顔をひょこっと出したカシアンは、真っ直ぐと自分を見つめてくる少女と視線がぶつかる。
『あなた……まるで天使みたいね!』
オリビアはキラキラと瞳を輝かせて、カシアンを見ていた。
『こら!まずは挨拶からでしょう!失礼なことはしないようにってあれほどきつく言ったのに!すみません、この子ったら少々お転婆なところがあって……おほほ〜』
オリビアを叱ったカトリーナは、すぐにランティアス公爵母子が居ることを思い出して、口端を引き攣らせながらも笑みを作った。
『オリビア・ヴェセリーよ!あなたに会えて嬉しいわ!』
淑女らしいお辞儀ではなく、明るく手を差し出したオリビアに、再びカトリーナから『敬語を使いなさい!』とお叱りが落ちている。
そんなオリビアを眺めながら、カシアンは『この子は他の子と違うかもしれない』と少しだけ思った。
そして予想通り、実際にオリビアは他の子とは違っていた。いつも自分が楽しいと思ったことだけに向き合い、カシアンをよく振り回す。
『ほら、行きましょう!』
運動が苦手なカシアンにも嫌な顔一つせず、手を伸ばしてくれる。オリビアといるとカシアンは、自分でも知らないうちに笑顔になっていた。
『オリビアは僕と結婚するのが嫌じゃありませんか?』
『別に嫌じゃないわよ?それに『セイリャク結婚』っていうのは、好き嫌いでするものじゃないってお母様が言ってたわ』
オリビアは良くも悪くも素直だったから、時にはカシアンもショックを受けたりもしたが。
『あなたに恋愛感情はないけど、それでもカシアンを尊重して、誰よりも大事にすると約束するわ!』
余計な一言が多かったりもしたが、カシアンはその嘘偽りのない言葉が好きだった。
『カシアン、無理に変わろうとしなくてもいいの。私は今の貴方が好きよ』
無理に変わらなくていいと、ありのままでいいと、目が眩みそうなほどの笑顔でオリビアは言う。
カシアンは次第に、だけど着実に変わっていった。苦手な運動を初めて減量をし、身なりにも気を使うようになった。
(オリビアの瞳に映るもの全てが、綺麗なものであってほしい)
それは自分自身も例外ではなかった。『恋』の一言では収まらない、もっと特別で唯一の感情。
ぷにぷにだった贅肉がいつしか硬い筋肉に変わり、背もどんどん大きくなっていった。
『エイリーク皇子と結婚したい』と言っていた少女が、頬を染めてカシアンを見つめるようになった。
『仕方なく遊んでいる』と言っていた少年が、会話する度にカシアンの顔色を伺うようになった。
周囲から向けられる視線は随分と変わったけど、やっぱりオリビアだけは何も変わらなかった。
『オリビア好きです。大好きです』
『ええ、私も好きよ!』
同じ言葉なのに、オリビアとカシアンとでは感情も大きさも違うことを知っていた。
(相変わらず弟くらいにしか思われてないか)
それでも良かった。オリビアの一番近くに居れるのなら。オリビアの瞳に綺麗に映れるのなら、いくらでも猫を被ることができた。
オリビアに見せる天使のような見せかけは、カシアンの汚い欲をも隠してくれた。
心の奥底にしまっていた願望。オリビアの側にいれるだけで幸せだと。同じ思いを向けてもらえなくてもいいと、必死に自分を納得させていたはずなのに。
顔を赤く染めた愛らしい表情に。普段よりそわそわと落ち着かず、カシアンを意識している姿に。その唇の柔らかさに。一度出た欲は、どんどん膨らんでいった。
休憩室の中は誰も居なかった。確かにオリビアがこの部屋に入っていくのを見たはずなのに。
(どこに行ったんだ?)
カシアンは室内を見渡す。窓には鍵がかかっていて、他に人が出入り出来るような場所はない。
その中でふと、カーテンの一部が膨らんでいるのに気が付いた。人間の大きさではなかったが、一度目についたら気になってしまい、カシアンは何も考えずにカーテンを開ける。
「……毛玉?」
そこにいたのは、オリビアの愛猫でもある『リビ』だった。
猫に変わったフローラ。そして、オリビアが姿を消したのと入れ替わりで現れたリビ。
今はもう分かってしまった。
「………………オリビア」
その小さくて白い猫の正体が。
耳を垂らして必死に視線を逸らそうとする猫に、カシアンは近寄りながら手を伸ばす。
「オリ、ビア……」
びくりと、白い身体が大きく跳ねた。後退ろうとした背中が壁にぶつかっている。一瞬だけ交わった瞳に浮かんでいた感情は、恐怖だった。
そうだ、オリビアはカシアンに怯えていた。
「あ……」
カシアンは伸ばした腕を宙で止めたまま、リビに対してのこれまでの行動を思い出した。
剣で殺そうとしたこと、首を絞めたこと、酷い言葉を投げかけたこと。
好意的な行動といえば、せいぜい猫が好むねずみをプレゼントしたくらいだが――相手がオリビアだったとなれば、話しは違ってくる。
カシアンは身体中から全ての血が抜け落ちてしまったかのように、サァッと顔を真っ青に染めた。
「も、申し訳ありません……僕は、なんてことを……」
どさりとその場に膝をついたカシアンが頭を下げた。すぐにでも地面に額を擦り付けそうな勢いのまま、ぼろぼろと大粒の涙を零す。
いつものような嘘泣きではない。心の底から後悔している、情けない、ありのままの姿だった。
「……本当に、申し訳ありません……いくら謝っても足りませんが、どうか逃げないでください……オリビアに離れていかれたら、俺は……」
もう生きていけないだろうと、カシアンは心の底から思う。
「……好きです。オリビアがいてくれるのなら、僕の全てを捧げても惜しくないほど……誰よりも好きなんです……」
ぐしゃぐしゃの顔で、カシアンは謝罪を繰り返す。オリビアは戸惑っているようだったが、恐る恐る顔を上げて一歩を踏み出した。
「にゃう」
オリビアが一言発した。何を言っているかは全く分からない。だけど、カシアンを見つめる瞳がどこか潤んでいるように見えた。
「好きです。オリビアが好きです……」
馬鹿の一つ覚えのように、カシアンは何度も何度も同じ言葉を呟く。
「……私も。カシアンのことが好きよ」
不意に聞こえてきたオリビアの声に、カシアンは顔をパッと上げる。今にも泣きそうに眉を下げて笑っている顔は、いつもよりも不格好だ。
だけど誰よりも綺麗で、同じ思いを返してもらえたことが幸せで。カシアンはまた泣きながら、オリビアを強く抱き締めた。




