二人の聖女 3
「じゃ、私はレナートさまのところに行ってくるから」
手を振り颯爽とレナートの方に歩いていくディアナの背中をオリビアが見送っていると、不意に隣から声がかかった。
「お話は終わりましたか?飲み物をお持ちしました」
「ありがとう!ずっと喉が渇いていたから嬉しいわ」
カシアンが差し出してくれるグラスを有難く受け取り、オリビアは喉を潤す。一気飲みしたい気持ちだったが、カトリーナからの鋭い視線を受けそうだったため、淑女らしく少しづつ飲んだ。
(ところで、皇女様はいつ来られるのかしら)
両陛下と皇子二人は続けて入場したものの、フローラはまだ来ていないようだった。
「カシアン、ヴェセリー令嬢」
給仕にグラスを渡しながら入口を見つめていれば、いつの間にか近くまで来ていたらしいエイリーク皇子が軽く手を上げる。
真紅の髪色が視界に入った瞬間から、心なしか眉を寄せていたカシアンが一人呟いた。
「名前呼びを許可した覚えはありませんが」
「気軽に呼んでくれていいと言ったじゃないか」
「それは皇子殿下が、ご自分で仰ったことです」
「ははは、そうだったか?まあ、細かいことはいいだろう。それより先日、フローラが世話になったそうだな」
話を強引に逸らしたエイリークが話題に出したのは、オリビアが今一番気になっている人物のことだった。
「フローラが二人の……というより、ほぼヴェセリー令嬢のことをだが、嬉しそうに何度も話していたぞ」
「兄妹仲が宜しいようで何よりです。それはそうと、肝心の皇女殿下のお姿がお見えになりませんが」
カシアンの質問にエイリークは、先程よりも声のトーンを落としながら「そろそろ来るはずだ」と答える。エイリークの視線は入口に固定されていた。
「ところでカシアン、フローラが入場するまでの間、一つ男の懺悔を聞いてはくれないか」
「お断りします」
「ならば独り言だとでも思ってくれていい。……俺は決していい兄ではなかった」
エイリークが顔を歪めたのと同時に「フローラ・オルテンシア皇女殿下のご入場です!」と高らかな声が響き渡る。開かれたドアの先から、ピンクのシフォンドレスを着ているフローラの姿が見えた。
「妹が生まれてくれて嬉しかった。誰よりも可愛くて、誰からも傷付けないように守ってやりたいと思った」
フローラが入場してからも、エイリークは話し続けた。まるで、ずっと押し止めていた胸の内を吐き出すかのように。
「だが、俺は恐れた。姿一つ変わっただけなのに、妹が得体の知れない生き物になったようで……そんな風に思っていたのが伝わったのだろう。フローラも自ら、俺や家族と距離を置くようになっていった」
エイリークの話は、オリビアの胸を締め付けた。ぎゅっと唇に力を込めながらフローラを目で追い、疑問を抱く。
(あれ、なんだか様子が……)
なんだかフローラの顔が赤くて、身体はフラついているように感じた。
「いつしか猫の姿から戻ろうとしなくなったフローラを変えたのは、アルドリックだった。乳母だけでは手が回らないだろうと、自らフローラの執事を志願した大した奴だ」
静かに瞳を閉じてアルドリックを賞賛するエイリークが、意を決したように顔を上げる。
「――今更遅いかもしれないが、今度こそ俺もきちんとフローラに向き合いたいと思う」
エイリークの瞳には、確かな決意が籠っていた。オリビアは物凄く嫌な予感がして、外れることを願いながら恐る恐る尋ねる。
「……エイリーク殿下、まさか皇女殿下はどこかお身体が悪いんじゃありませんよね?ただ緊張で顔が赤くなって、足が覚束ないだけですよね?」
「今朝方に測った時は微熱だった。当然、医者は止めたが、フローラが初めて『嫌だ』と我儘を言ったんだ。フローラが望むことを叶えてやりたい」
(えぇっ、嘘でしょう!?)
体調不良はまずいとオリビアは顔を青くさせる。このままでは、この大人数の前でフローラが猫に変わってしまう可能性が高かった。
「で、ですが、途中で倒れられたりしたらもっと大変なことになるのでは……?」
「ああ、だから十分程度だけだ。責任は全て俺が持つ」
「見直しましたよ、皇子殿下。仰る通り男なら、大事な女性の望みは全て叶えてあげるべきだと思います」
(カシアンまで同調してどうするのよ!)
止めるどころか同意するように頷くカシアンに、オリビアは更に頭を抱える。
(どうしよう、どうすればいいの!?)
フローラは既に人々の前に姿を現してしまった。ここで止めるのはあまりにも不自然すぎる。なにより、フローラがそれを求めてはいなかった。
(一体どうして……)
そこまで必死に立ち続けているのか。今日が無理でもお披露目する機会なら、これからいくらでもあるはずなのに。
ゆっくりと入口から歩いてきたフローラが、ホールの中央で足を止める。ちらりと一瞬向けた視線の先には、アルドリックが居た。
「……!エイリーク皇子は先程、皇女殿下が望むことをやらせてあげたいと仰いましたよね。だけどこのままではきっと倒れるか、最悪の場合は猫になってしまうでしょう」
突然、早口で詰め寄るオリビアに、エイリークがチラチラとカシアンの方を気にながら後退る。
「あ、ああ……だが、これしか方法が」
「あると言ったらどうしますか?私が、何とかしてみせます!」
「どういうことだ?ヴェセリー令嬢がどうやって……」
(どうしましょう、説明している時間はないわ)
かといって、エイリークを無視するわけにもいかなかった。二の足を踏むオリビアに、カシアンが告げる。
「行ってください、オリビア」
「カシアン……?」
「オリビアの望む心のままに。大丈夫です。責任は全て、エイリーク皇子が取りますから」
「カシアン!?」
エイリークが驚愕したのと同時に、オリビアは頷きながらその場から駆け出した。
カツンッとヒールの音が鳴り響き、周囲の視線が集中する。
「くっ、こうなったら仕方ない。――皆の者、聞いてくれ!今日はなんと、ランティアス公子が私を友人認定してくれるという、喜ばしい出来事があった!」
「はぁ、もっと他に何かなかったんですか……オリビアの頼みじゃなければ、こんなこと絶対にやらなかったのに……」
声を張り上げたエイリークに、今度は周囲の注目が移る。オリビアは自身に向けられていた視線が逸れた隙に、フローラの元へ駆けつけた。
(――貴女もきっと、私と同じだったのね)
感情の意味は違っていても、その視線はただ一人に向かっていた。
「お、おり、びあ?」
すぐ目の前まできたオリビアに気が付いたフローラが、戸惑うように名前を呼ぶ。「何故ヴェセリー令嬢が……」と、すぐ隣にいたアルドリックの呟きに答えている余裕は、今のオリビアにはなかった。
「大丈夫、きっと上手くいくわ。だって春はフローラの季節だもの!」
目の前の小さな少女に腕を伸ばす。オリビアは手を重ねながら、自身の神聖力を流し込んだ。




