二人の聖女 1
寝る前は神聖力を流す練習をすることが、最近のオリビアの日課だった。
ルカーシュが『良ければお役立てください』と送ってくれた水晶に手を翳せば、力をどんどん吸い取られる感覚がする、明らかに怪しげな物だ。
だけど水晶を使う以外でオリビアが一人で出来ることといえば、神聖力を全身に巡らせるくらいだったので結局、活用させてもらっていた。
「んーー……」
オリビアは今日も今日とて手を水晶に翳して、神聖力を垂れ流す。いつもと変わらない行動だったけど、今日は眉間に皺がより神聖力は乱れていた。
「はぁ……もうダメ、全く集中できない……」
学園から帰ってきてからも、オリビアの頭の中はフローラのことでいっぱいだった。
「……私はずるいわね」
本当にフローラのことを思うのなら、オリビアも素直に自分のことを打ち明けるべきだった。アルドリックは誰かに言いふらしたりしないだろうし、フローラの良き理解者にもなれたはずだ。
だけど、オリビアは最後まで何も伝えることはできなかった。
黒い靄がかった水晶へ、出来る限りの神聖力を注ぎ込む。身体の中を流れていたエネルギーが空っぽになったような感覚と共に、オリビアの目線が低くなった。
「にゃう」
オリビアは鏡に映る自分に手を伸ばす。そして仮定してみた。
もしもオリビアが猫にならず、カシアンのように何も知らない状態でフローラと出会っていたら。
もしもオリビアではない、大事な人たちの誰かが猫になっていたとしたら。
(それでも私は、迷いなく味方になってあげれていたかしら)
答えはいくら考えても分からなかった。
「にゃう、にゃにゃ!」
ぶんぶんぶんぶん!と取れそうな勢いで首を振る。悲観的な考えはオリビアの性に合わなかった。
(今日はもう寝ましょう)
オリビアは猫のままベッドへ横になる。瞼の裏に映るのは、フローラに剣を向けたカシアンの姿だ。
それはまるで、未来の自分に向けられているような気がして。オリビアは自分の身体を抱き締めるように丸まった。
***
「やっぱり怪しすぎると思うの」
カフェテラスで紅茶を一口飲んだオリビアは、到着したばかりの相手に開口一番に告げた。
「急に呼び出されたかと思えば、一体何のことでしょう?」
「貴方が送ってくれたあの水晶よ!黒い靄がずっと渦巻いてるなんて不吉すぎるわ!」
神聖力を流し込めば透き通った色に変わるものの、すぐに再び黒く戻るものだから気味が悪かった。
「ああ、そのことですか」
頷きながらオリビアの正面に座ったルカーシュが白いローブを外せば、後ろで一つ結びした長髪が揺れる。ルカーシュは「すみません、私もこれとこれを……」とメニュー表をいくつか店員に指差した後、オリビアの方に顔を戻した。
「あの水晶は怪しげなものではなく、立派な魔道具ですよ。神聖力の練習に役立ったでしょう?」
「まあ、役立ったけど……」
「それに、きちんと手紙にも書いたのですが、お読みになられませんでしたか?」
「読んだわよ。読んで使った上で、怪しいって言ってるの」
滅茶苦茶な発言だと、オリビアも分かっている。だけど、こうでもしていないと、不安や焦燥感に押し潰されてしまいそうだった。
(私ってば、何してるのかしら)
オリビアは自己嫌悪に陥るものの、ルカーシュは大して気にせずに運ばれてきた紅茶とスイーツを楽しんでいるから、次第に気持ちが落ち着いていくようだった。
「……ねえ、貴方ならどうする?もしも恋人が猫になってしまっても、それでも変わらず愛することができるかしら?」
「どうでしょうね。口先だけならどうとでも言えますから」
「……じゃあやっぱり、普通は受け入れられないって思う?」
食い下がるオリビアに、ルカーシュは「フフッ」と笑って質問に答えた。
「私がどんな回答をしたとしても、オリビア嬢が一番欲しい言葉は得られませんよ」
「……」
「オリビア嬢が求めている言葉も、それを言ってほしい相手も、きっと私ではないでしょうからね」
図星を突かれたオリビアは、言い返す代わりに深く息を吐いた。
「……貴方って意地悪ね」
「おや、素直に胸の内を打ち明けたというのに、冷たいですね。言ったではありませんか。『気に入った』と」
(てっきりカシアンを煽るために言ったとばかり思っていたのに、覚えていたのね)
驚くオリビアに向かって、ルカーシュは柔らかく微笑む。
「また吐き出したくなった時は、愚痴でも悩みでもお聞きしますよ。こういうのは始めてなので合っているのか分かりませんが……友人とは皆さんそうするものなのでしょう?」
女性に甘い言葉を囁いている時よりも、ずっと緊張している表情でルカーシュは言う。
「いいえ、友人ならお互いフェアじゃないと。だから今度は私が、貴方の悩みを聞いてあげるわ」
瞠目したルカーシュが顔を綻ばせる。オリビアも一緒に笑った。
カフェを出てもまだ日は高かった。太陽の眩しさで目を細めたオリビアの頭上に、日傘がかかる。
「大丈夫ですか?」
「ええ、ありがとう……」
反射的に伝えたお礼が途中で止まる。聞き覚えのある声にオリビアは顔を上げたまま固まった。
「どうしてここに、カシアンが……」
「最後にお会いした時、オリビアの様子が変だったので気になって。この後はどこに向かわれるのですか?」
「もう用事は終わったから帰るつもりだったわ」
「それならお送りします」
カシアンは何事もなかったかのようにオリビアの手を取り、足を進める。
「……どうして何も言わないの?私が他の男と会っていたところを見たんでしょう」
カシアンのことだから当然怒ると思っていたのに。オリビアの予想を裏切り、カシアンの様子は普段と一切変わらなかった。
「当然、嫌でしたよ。オリビアが他の男と二人きりで居るところなんて見たくありませんでした。いっそのこと、縛り付けてどこにも行けないようにしてしまいたいくらいです」
(そ、そんなに……?)
想像を遥かに超えた内容に震え上がるオリビアへ、振り向いたカシアンは眉を下げる。
「ですがそんなことをしても、きっとオリビアなら、足枷を脱ぎ捨ててでも行ってしまうのでしょうね」
「……」
「そんなオリビアが……自分で決めたことには真っ直ぐ走っていくオリビアが大好きですから。オリビアが本当にしたいことを、僕が止めれるはずがありません」
(買いかぶりすぎよ)
今のオリビアは迷ってばかりで、カシアンが思う人物像とはかけ離れすぎている。
だけど、カシアンがそう信じてくれるのなら、オリビアもそんな自分で在りたいと思った。
「……止めないというのなら、また婚約破棄しましょうって言えば、今度は認めてくれるの?」
「それについてはきちんと話し合うべきだと思います。もちろんオリビアの意見を尊重したい気持ちはありますが、いきなり終わりにするのはどうかと思います。まずは理由を明確にしてから――」
いきなり饒舌になり出したカシアンに、オリビアは声を上げて笑ってしまった。
「ふふ、ふふふっ!ごめんなさい、冗談よ。――もう言わないわ」
恋というのはもっと、稲妻のような衝撃的で鮮烈なものだと思っていた。だから知らなかったのだ。
ゆっくりと降りしきる雪のように、時間をかけて積もっていく恋もあるのだと。オリビアは初めて知った。




