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甘い蜜には罠がつきもの 3




「オリビアが体調不良ですか……!?」


 ランティアス公爵家のタウンハウスを訪れる約束の日。オリビアとリビを迎えに来たカシアンは、レナートからの知らせを受け驚愕に震えた。


(小公爵の顔が真っ青だが……これで本当に大丈夫なのか?)

(今更引っ込みはつかないわ。とにかく予定通り『体調不良』で突き通すのよ!)


 オリビアは協力者であるレナートと目配せし合った――リビの姿で。

 こんな事態になったのも、オリビアが一番大事なことを失念していたせいだった。


(人と猫、どちらかでしか居られないのをすっかり忘れていたのよね……)


 分身なんて出来るはずもないから当然のことではあった。しかしそんな当たり前の思い出したのは、既にカシアンとの約束を結び終えた後のことで。

 夢うつつでベッドに横になっていたオリビアは、その事実を思い出した瞬間、飛び起きるように目を覚ましレナートの部屋に駆け込んだ。

 その後、二人は話し合いを重ねた末に『体調不良』という言い訳を使うことに決めた。


「オリビアが体調を崩したことなんて今まで一度もなかったのに、一体いつから……!すぐに公爵家の主治医も呼んで――いや、それよりも先にオリビアに会って様子を確認させて下さい……!」


 しかし二人は、オリビアに対するカシアンの感情の大きさを見くびっていたらしい。

 顔から血の気が引き、真っ青なまま狼狽えるカシアンを前に、オリビアとレナートは罪悪感に押し潰されそうになった。


「なんだか酷く良心が痛むぞ……!」


「にゃうにゃにゃ!」

(耐えるのよ兄様!)


 ひそひそと二人は囁き合ってから、再びカシアンと向き合う。今にでも国内の医者を全て呼び出しそうな勢いのカシアンを落ち着かせるため、レナートがフォローを入れた。


「小公爵様、どうぞご安心ください。オリビアはただの食べ過ぎで寝込んでいるだけですので!」


「うにゃ!にゃうにゃにゃ!」

(ちょっと兄様!もうちょっとマシな言い訳はないわけ!?)


 台本にないアドリブはともかく『食べ過ぎ』だなんてレディに使う言葉ではない。オリビアはレナートの顔を肉球で何度も押して抗議した。


「食べ過ぎ、ですか?」


 不満を示しているオリビアとは反対に、カシアンは気が抜けた顔で復唱する。半信半疑の表情だったけど、先程よりも顔色は良くなっていた。


(いっそのこと、そんな馬鹿みたいなことオリビアがするはずないと一蹴してくれたらよかったのに……!)


 女心が分からないレナートと、オリビアのことは何でも信じすぎるカシアンの組み合わせは最悪だった。これ以上、不名誉を被ることになる前にと、オリビアは二人を引き剥がすことに決めた。


「んにゃうにゃ!」

(私は大丈夫だって言って!)


 自身を抱き上げているレナートの腕をべちべちと叩いてオリビアは急かす。猫語は分からないレナートも、何となく雰囲気を察して「任せろ!」と頷いた。


「はい。大したことはありませんが、念のため今日は家で療養させようと思います。ですので、代わりに数時間だけオリ」

「うにゃうにゃうにゃ!!」

「…………リビをお願いしてもよろしいでしょうか?今日を楽しみにしていたんです」


 うっかりオリビアの名を呼びかけたレナートは言葉を寸前で飲み込み、カシアンにリビを差し出した。

 今日のリビは毛が綺麗にとかされ、頭にリボンまで巻かれているおめかし仕様だ。未練がましく背後のヴェセリー侯爵家を眺めていたカシアンは、リビを一瞥して長い沈黙の後に頷いた。


「…………分かりました」


(凄いガッカリしてる!)


 あからさまに落胆したカシアンを見て、オリビアは喜べばいいのか悲しめばいいのか分からなかった。


「帰りは私が迎えに参りますので、よろしくお願いします」


 これも事前にレナートと決めたことだ。

 今日まで毎日検証した結果、猫で居られる一日の最長時間は五時間だった。神聖力も少しずつ慣らしているとはいえ、確実にコントロールできるわけではない。

 だから万が一を備えて、帰りはレナートが迎えに来るという対策だった。


「ヴェセリー卿が迎えに来られるのなら、安心して任せられます」


 レナートの提案にカシアンは躊躇うことなく同意する。一秒でも長くオリビアと一緒に居たがる、普段のカシアンとは雲泥の差だ。


(このくらい大したことないわ!)


 既に何度も命の危機を乗り越えたオリビアは屈することなくレナートの懐から飛び降りた。


「デイビッド」

「はい」

「……!?」


 そのままランティアス公爵家の馬車に乗り込もうとしたオリビアだったけど、ひょいっと身体を両手で持ち上げられた。


「小公爵様……?」


 予想外の行動にレナートが意図を尋ねるべくカシアンを呼ぶが、答えたのはデイビッドだった。


「馬車の中は大変揺れますので、リビ様は移動中も私がお守りします」


 デイビッドと一緒に行動するということはつまり、オリビアを御者席に乗せるということだった!


「うにゃうにゃ!にゃにゃにゃ!」

(この身体をよく見なさい!もし落ちたらどうするのよ!)


「リ、リビは馬車に乗るのが初めてなので、小公爵様と同乗させて頂くことは難しいでしょうか?」


 カシアンの決定にオリビアもレナートも異議を唱える。オリビアは乗馬もするし、御者席に乗ること自体が嫌なわけではない。但しそれは人の姿なら、の話だ。

 風が吹けば飛んでしまいそうな小さな身の安全を考えるなら、馬車の中一択だった。


「デイビッドと一緒に居れば傷一つ付くことはありません」


 けれどカシアンは、最後まで譲ることはなかった。


「んにゃんにゃ、にゃうにゃにゃ!」

(私が他の男に触れるのも耐えられない、なんていつも言ってるくせに!私をこんな雑に扱ったこと、後から後悔しても知らないんだから……)


 有無を言わさず自分を運ぶデイビッドに文句を連ねていた(通じてはいない)オリビアだったけど、ある瞬間ぴたりと口を閉じた。


(こ、この安定感は一体……!?)


 一切揺れの感じないデイビッドの腕の中は、レナートに運ばれる時より何倍も安定していて快適だ。

 案外悪くないかも、と思い直したオリビアは素直に受け入れることにした。


「にゃうにゃにゃ!」

(行ってくるわね、兄様)


 オリビアは黙って運ばれながら、レナートに右手を振る。


(馬車の中よりも座り心地が良いなんて……スカウトできないかしら?)


 移動中も素晴らしい安定感に包まれ、そんな冗談を考える余裕まであった。実際は『オリビア専用の歩く人間椅子になってちょうだい』だなんて言えるはずもないが。


(風が気持ちいい)


 目を閉じて、空気をめいいっぱい吸い込む。到着するまでの短い時間、最初で最後になるかもしれない貴重な経験をオリビアは楽しんだ。




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