甘い蜜には罠がつきもの 1
「オリビア、気に入ったものは見つかりましたか?」
「ええ。どれも素敵だからつい目移りして、決めるのに時間がかかっちゃったわ」
衣装店に戻って暫くした後。自身を迎えに来たカシアンに向かって、オリビアは引き攣る唇の端を持ち上げながらも笑顔を作った。
(間に合って本当に良かった……聖下の助言のおかげね)
――今から約三十分ほど前。全力疾走で約束の時間前に戻ってこれたのは良かったものの、自分の姿を思い出したオリビアは酷く焦った。猫から人に戻る方法なんて知るはずもなかったからだ。
「にゃうにゃにゃう!」
(人間に戻れ!)
両手を空に掲げるように叫んだりもしてみたが、残念ながら何も変化は起きなかった。
しかし、絶対絶命の状況でこそ絞り出る知恵もあるものだ。
『もし次に困った時は、神聖力を実際に使い試してみるのもいいかもしれません』
その言葉が脳裏に浮かんだオリビアは、悩むよりも先に試してみることにした。
焦る心を落ち着かせて、ルカーシュに教わったように神聖力をゆっくりと全身に行き渡るように巡らせる。
「お願いだから戻って――っは!やった!やったわ!!人間に戻れた!!」
神聖力のお陰か、ただの偶然かは定かではなかったけど、オリビアは成功したことを喜んだ。
その後は、自分の手のひらを見つめて叫ぶオリビアの声を聞いたレアが顔面蒼白で飛んできたりと、色々あったが。とにかく、当初の目的を達成し窮地を脱したオリビアは、普段と変わらぬ笑みでカシアンと再会したのだった。
(ラウルとデイビッド卿も気付いてなさそうで良かったわ)
オリビアが護衛を撒いて一人で抜け出しただけではなく、こっそり会いに行ったのが婚約者のカシアンではなくルカーシュだったとなれば当然大騒ぎになること間違いなしだから。
(カフェでも顔が見えにくい帽子を被っていたから、私だって気付いた人もいなかったでしょうし。これ以上は心配する必要はなさそうね)
オリビアは差し出されたカシアンの手を取りながら、手助けをしてくれたレアに向かってもう一度お礼を伝えた。
「貴方のお陰で欲しかった物が手に入ったわ、本当にありがとう。今回は私一人で全て決めてしまったから、次は貴方の意見も聞かせてくれるかしら?」
「……!勿論でございます!」
通常、上位貴族の接客は店主が相手をするのが一般的だ。けれどオリビアは、次もまたレアに接客を頼むと遠回しに言ったのだ。
オリビアが不在の一時間、確実に寿命を縮ませながら待った甲斐があり、ついにレアが大客をゲット出来た瞬間だった。
「またのご利用をお待ちしております」
丁重に頭を下げたレアに見送られて、オリビアはカシアンと共に衣装店を後にした。
(ふふふ……じゃあ聞かせて貰おうじゃないの!)
今日の答え合わせの時間がやってきた。困難なことを乗り越えた後のご褒美タイムだ。
オリビアは心の中でほくそ笑みながら、カシアンに尋ねた。
「待たせてしまってごめんなさい。待っている間、変わったことはなかった?」
「はい、特には――あ、そういえば一つだけありました」
「何かしら!?」
さり気なく聞き出すつもりが、オリビアは自分でも知らないうちに前のめりになってしまう。碧眼を期待で輝かせて、カシアンの返答を待った。
『勇敢な猫が、危険な目に合いそうだった僕を守ろうとしてくれたんです』
そんな褒め言葉がカシアンの口から出てくるのではないかと想像したら、オリビアの胸は一層ドキドキした。実際は『ルカーシュ共々消してしまえばいい』と言われているのだけれども。都合の悪いことは完全に頭の隅へと追いやられていた。
オリビアが急かしそうになる気持ちを必死で押さえつけていると、カシアンがついに口を開く。
「オリビアに会えない時間は、まるで永遠のように感じました」
気恥ずかしそうに呟いたカシアンの言葉にオリビアは拍子抜けして、ガクッと肩から力が抜ける。嬉しくはあったけど、求めていた言葉ではなかった。
「そ、それは大変だったわね……?ところで、他には何かなかった?例えば誰かに会ったとか!」
「他にですか?うーん……」
数十分程度前の出来事だと言うのにまるで何年も遠い記憶を探るような仕草に、オリビアの不安がどんどん大きくなっていく。
「いえ、他には誰にも会いませんでした」
カシアンは天使のような笑みでふわりと顔を綻ばせて、オリビアの中に僅かに残った期待を容赦なく打ち砕いた。
(……別に見返りを求めていたわけではないでしょう)
そう自分に言い聞かせるも、落胆する心はどうしようもなかった。
人の姿のままならカシアンは優しくて、オリビアを誰よりも大事にしてくれる。
(でも、あの猫だって私なのに……)
自分自身を羨ましく思うだなんて、おかしな話だった。
「オリビア?どうかされましたか?」
いきなり黙り込んだオリビアの顔をカシアンが心配そうに覗き込む。オリビアはふいっと視線を逸らしながら、適当に言い繕った。
「何でもないわ。ただ、そこに猫が居るなと思って見てただけよ」
「ああ、本当だ。可愛いですね」
「……!?」
何気なくカシアンが呟いた言葉に、オリビアは雷にでも打たれたかのような大きな衝撃を受けた。
(可愛い!?可愛いですって!?私(猫)には言ってくれたことなんてないくせに、他の猫には言うだなんて……!)
自分が失言したとは知るはずもないカシアンは、オリビアから無言の文句が込められた鋭い眼差しを受けてただ戸惑った。
どうして自分が今、その視線を向けられているのか理由が全く分からない。だけどオリビア限定で発動する第六感が、このまま無視してはいけないと告げていた。
「オリビア……あの、もしかして僕が何かしてしまったのでしょうか……?」
「別にしてないわよ」
「ならどうして、ずっと顔を逸らすんですか?」
「ただ他にも猫が居るかもしれないと思って探してるだけ。貴方の為に可愛い猫を探してあげてるのよ」
熱心に道端を見つめて顔を背けるオリビアに、カシアンはますます困惑した。
半歩先を歩いていた彼女に歩幅を合わせると、ぎゅっと結ばれた唇がへの字に曲がっているのに気付く。
だけどやっぱりそんな顔をする理由は分からないから、カシアンは一先ずはオリビアに付き従うことにした。
「ほら、あそこにも居るわよ」
「そうですね」
「可愛いでしょう」
「そうですね……?」
無防備に寝ている猫や威嚇し合っている猫、地面に潜み、そこに居たことすら気付かなかった猫まで。オリビアは辺り一帯に居た猫を、目敏く探し当てた。
「あの子は随分と小さいわね。まだ産まれたばかりなのかしら」
「可愛いですね」
同意するよう頷きながらもオリビアだけをずっと見ていたカシアンは、一つの仮説を立てる。猫を『可愛い』と褒める度に、オリビアの唇が尖り不満げに頬が膨らんでいく理由。
それを察したカシアンは口端が緩むのを抑えきれずに、慌てて手で覆い隠した。
「また見つけたわ――……」
「?」
ヤケになったように猫探しに熱中していたオリビアの勢いが突然弱まった。
カシアンが不思議に思いつつ固まっているオリビアの視線の先を辿れば、そこにあったのは猫ではなく、猫のように見えるゴミだった。
「ふふ、ふ……っ、はは、はははっ!」
猫とゴミを見間違えて恥ずかしかったらしいオリビアが真っ赤になって震えているのに気が付いたカシアンは、ついに耐えきれなくなって声を上げて笑ってしまった。




