偽りの仮面を剥ぎ取って 10
オリビアは都合のいい夢でも見ているのではないかと疑った。頬を抓るために右手を顔に伸ばしてみれば、もふもふした毛とピンクの肉球が当たる。全く痛くはなかった。
(信じられないわ……)
カシアンは間違いなくルカーシュにオリビアを引き渡すだろうと信じて疑わなかった。それなのに、実際はどうだろうか。
ルカーシュに引き渡すどころか、カシアンが自らオリビアに手を差し出したのだ。
(初めて会った時は自分の部屋に居ただけなのに殺されかけて……祝福祭の時はブレスレットのせいで殺されかけて……)
脳裏にカシアンとの記憶が走馬灯のように流れ出すが、命が危険だったことしか思い出せない。オリビアは記憶を素早く打ち消し、忘れることにした。
(大事なのは今だから!)
オリビアはルカーシュの懐から飛び降りて、恐る恐る一歩を踏み出そうとした。
「猫さん」
「?」
しかしオリビアは、自分を引き止める声に思わず足を止めてしまった。反射的に振り向けば、カシアンと同様に手を伸ばしているルカーシュがいる。
「彼よりも私の方が貴方を大事にしてあげれると思うのですが、私と一緒に来ませんか?」
「にゃう」
(それは遠慮しておくわ)
オリビアは即座に首を振って断った。一瞬も迷いのない返答だったというのに、ルカーシュはくすくすと笑って「それは残念です」と呟く。
(悪くはない提案だったけどね)
もしも人間に戻る術がなかったとしたら、ルカーシュの方を選んでいたかもしれない。
言葉通り、彼はオリビアを傷付けることはないだろうから。だけど、そうではない以上、オリビアがルカーシュを選ぶことはなかった。
(もう巻き込まれるのはごめんよ)
全く反省の色が見えないルカーシュのことだ。きっとまた今回のようなことが起こるだろうとオリビアは簡単に予想がついた。
カシアンの元に再び歩き出そうとしたオリビアは、最後にもう一度振り返りルカーシュにお礼を伝えた。
「うにゃにゃう、にゃんにゃ」
(カシアンがこうして手を差し出してくれたのは、貴方が女誑しで見境なく私に手を出そうとしたお陰よ。ありがとう)
「何故だか今、貶されたような……」
言葉は通じていないはずなのに、的を得ている呟きが耳に届く。オリビアは素知らぬ顔でその呟きをスルーして、カシアンの元へ歩いた。
「振られてしまい残念です。そういえば、婚約者さんはお強かったんですね」
「……何が言いたいんですか?」
「そんなに警戒しなくても。ただオリビア嬢も、お強い婚約者さんがお傍にいるなら心強いだろうと思っただけですよ。猫さんを守る姿は、まるで騎士のようでした」
ルカーシュが流暢に褒め言葉を並べるほど、カシアンの表情が冷たくなっていく。
(また余計なことを言うつもりじゃないでしょうね!?)
カシアンの雰囲気が殺伐としたものに変わったことにいち早く気が付いたオリビアは、足を止めてルカーシュに『変なことは言わないで』と念を送る。
「次またオリビア嬢に会えたら、お礼を伝えなければいけませんね。婚約者さんのお陰で命拾いしたと」
「貴方を助けた覚えはありませんので結構です。お礼をしたいというのなら、今日のことは他言しないでください」
「う〜ん、嫌だと言ったらどうしますか?」
(もうっ、どうしてカシアンを煽るようなことばっかり言うのよ!!)
眉を寄せて明らかに苛立ちを滲ませるカシアンが視界に映ったオリビアは、泣きたい気持ちでルカーシュに文句を叫ぶ。
「な〜んて!冗談ですよ、冗談。私にも良心くらいはありますからね。今日のことは誰にも言いません」
「……」
両手を広げおどけているルカーシュに、今日は散々引っ掻き回されている気がした。
(なんて心臓に悪い人なの……)
ルカーシュのせいで一瞬立ち止まってしまったものの、既にカシアンは目の前だった。
もうこれ以上は状況が悪化することはないだろうと、肩の力を抜いたオリビアの耳に予想外の言葉が飛び込んでくる。
「もちろん私は誰にも言いませんが……でも、猫さんはどうでしょうね?」
「!?」
(ちょ、ちょっと、今度は何を言い出す気!?)
いきなり自分に矛先を向けられるものだから、当然オリビアは飛び上がりそうなほど驚いた。幸い、カシアンは鼻で笑って受け流してくれる。
「聖下ともあろう方がおかしなことを仰るんですね。猫が喋るわけないでしょう」
(そうよ!私は何も見てないし聞いてない!)
カシアンに疑われないよう、オリビアはきょとんと純粋無垢な瞳で首を傾げた。
「見てください、この間抜けな顔を。オリビアに告げ口するどころか、きっとこの会話の内容も理解出来ていませんよ」
「ふ、ふふ……っ、そうですか?」
(我慢よオリビア!耐えるのよ……!)
肩を揺らして笑いを堪えきれずにいるルカーシュに今すぐ噛みつきたいのを我慢していると、カシアンが再び手を差し出してきた。
「……!」
(カシアン、分かってくれたのね!)
キラキラと瞳を輝かせたオリビアが、差し出された手へ頭を寄せようとしたその瞬間だった。
「それに万が一、この毛玉が話せたとしても何も問題はありません。オリビアにバレる前に貴方共々、消してしまえばいいだけですから」
「…………」
(やっぱり、仲良くなるのは今度にしておきましょう!)
オリビアは倒しかけた頭を持ち上げ、素早くカシアンから距離を取る。別々の方向で危険な男たちに挟まれているこの状況から、さっさと離れることにした。
「にゃううにゃにゃ」
(そうよ。私はもう行かなきゃいけないんだったわ。これ以上レアを待たせるわけには行かないから、仕方ないことなの!)
かなり余裕を持ってカフェを出たはずなのに、随分と道草を食ってしまった。
まだ約束の一時間は過ぎていないことを願いながら、二人の横をすり抜ける。そう、決して逃げたわけではない。
急ぎ衣装店へと戻るオリビアが、自分の姿を思い出して頭を悩ませるのは僅か数秒後のことだった。
いつもお読み頂きありがとうございます!
完結まであと10話ほどの予定です。予定より長くなってしまいましたが、もう暫くお付き合い頂けますと幸いです!




