偽りの仮面を剥ぎ取って 9
「どこに行ったのよ……っ!」
男たちがカシアンの元へ走って行ってからそう時間は経っていないというのに、大通りには既に誰の姿も見当たらなかった。
(だけど仮に見つけられたとしても、あの三人相手に私が勝てるの?)
せめてこの場にオリビアの愛馬がいたなら、逃げ切る勝算もあっただろう。しかし、腕っぷしだけの正面対決となれば、オリビアに勝ち目があるとは思えなかった。
(だからといって、このままカシアンがボコボコに痛めつけられるのを黙って受け入れるわけにはいかないわ!)
あんな屈強な男たちに囲まれたカシアンは、今頃恐怖で震えているはずだ。一刻も早く見つけてあげなければと、適当にアタリをつけて小道に曲がるも行き止まりだった。
(私にもっと力があれば……っ)
カシアンをすぐに見つけることも、守ることもできたはずだ。オリビアは自分の無力さを痛感しながら、ぎゅっと目を瞑る。
(……いいえ、落ち込んでいる時間なんてないわ。私に今できることを考えるのよ!)
ぶんぶんと首を振り、弱気な自分を追い払う。気持ちを切り替え瞼を開いたオリビアだったが、先程とは違う視界に驚愕した。
「にゃ、にゃにゃあ……ッ!?」
(な、なんでまた猫になってるのよ〜〜ッ!?)
もふもふした愛らしい小さな手を見下ろし、オリビアは愕然とした。
(確かに力があればとは思ったけど!猫になってどうするのよ!)
オリビアの望んだ『力』とは、治癒能力ではなく、もっと戦闘に特化した力があったら……というちょっとした希望だったのに。
(こんな姿でどうしろっていうの)
両手を地につけて項垂れていたオリビアの耳が、不意にぴくりと動いた。
「んにゃにゃ」
(今の声は……)
遠くから聞こえてきた知った声に、オリビアは身体を起こして辺りを見渡す。ジッと意識を集中させ、声の居場所を探した。
『――のせいで、ミーちゃんが――』
(見つけた!)
顔を上げたオリビアの瞳孔が開かれていく。たん、たんっと、軽やかに上へと飛び登ったオリビアは隣の屋根をすばやく移動する。
猫の聴力と素早さ、そして開けた視界のお陰でカシアンを簡単に見つけることができた。
(良かったわ、カシアンは無事ね)
幸いなことにまだ殴られる前だけど、一触即発の雰囲気だ。オリビアは屋根の上でおろおろとその場を行き来して、状況を見守った。
(カシアン、すぐにその場から逃げて!)
オリビアがそう願うも、きっと恐怖で足が竦んで動けないのだろう。カシアンは、まぁくんの言葉に返答もせずにぼんやりと突っ立っている。
「おい、聞いてんのか!」
そんなカシアンの態度が気に食わなかったらしいまぁくんが、怒りで顔を赤くしながら拳を振り上げた。
「にゃにゃ、うにゃにゃあ!!」
(やめて!カシアンを傷付けないで……!!)
気が付けばオリビアは無我夢中で屋根から飛び降りていた。しなやかに構えられた白い毛の間から、鋭い爪先がきらりと光る。
前足を振りかぶったオリビアはまぁくんの皮膚を裂き、軽い足取りでカシアンの前に着地した。
「痛ってぇな!何すんだこの野郎!」
「にゃうにゃ、うにゃうにゃ!」
(貴方がカシアンに手を出そうとするからでしょう!)
オリビアはシャーッと毛を逆立てて、怒鳴り付けてくる声の主を負けじと睨み返す。カシアンが逃げる隙を作るために、オリビアはもう一度飛びかかろうとジャンプした。
「ちょこまかとうぜぇんだよ!」
「にゃあ!」
(きゃあ!)
けれどパンチが届く前に腕を払われてしまい、オリビアの身体は地面に打ち付けられた。
(痛い……っ)
圧倒的な力の差を思い知り、オリビアの意志とは関係なく、痛みと恐怖で身体が萎縮している。それでもオリビアは震えて固まる足を叩きつけ、その場から立ち上がった。
「にゃうにゃにゃッ!」
(カシアンは私が守るわ……!)
懲りずに敵意を露わにするオリビアを見下ろしたまぁくんが、鬱陶しそうに足を振り払う。
せめて蹴られたタイミングで噛み付いてやろうと、オリビアは反撃の準備をしつつ痛みに備えた。
「チッ」
背後から舌打ちの音が聞こえ、首根っこを掴まれる。いつの間にか身体がふわりと宙を舞っていた。いくら待っても痛みはやって来ない。
代わりにオリビアは、ポスッと温かな手のひらに受け止められていた。
(……カシアン?)
「ハァ、黙って見ていれば随分と調子に乗っているようだな。ミーちゃんとやらに興味はないが、オリビアの物に手を出したんだ。当然、命を捧げる覚悟は出来ているんだろうな」
カシアンはオリビアを片手で支えたまま、脚で円を描く。回し蹴りは見事にまぁくんの顔へと直撃し「ぐぁっ!」と蛙が潰れたような声が捻り出された。カシアンはまぁくんが体制を変える隙も与えず、お腹や胸を連続で蹴り上げる。
(もう許してあげたらどうかしら……?)
オリビアが思わず同情してしまったほどに、カシアンは一切も容赦がなかった。当然まぁくん一人で終わるはずもなく。他の二人も同様にボコボコにし終えたカシアンは、地面で伸びている男たちを足蹴にし呟いた。
「この程度で伏せるだなんて情けないと思わないのか。これだと準備運動にすらならないだろう」
「……」
(あ、顎がバキッって鳴ったわ……)
外れたのか砕けたのかは分からないが、少なくとも致命的な一撃だったことは察する。オリビアは自身の顎を両手で擦りながら項垂れた。
(カシアンにまた騙された……)
あの身のこなしは一朝一夕で身につくものではないはず。つまり、相手を傷つけるのが怖いと言い、剣や体術を避けていたのは全部嘘だったわけだ。
不思議なことに、ずっと騙されていたと知ってもオリビアは怒る気にはならなかった。
(……私を守ってくれたわ)
カシアンは確かに猫のオリビアのことが嫌いなはずなのに。
今も尚、抱き締めてくれる――というよりは握られているの方が正しいが――手のひらに頭をすりすりと寄せる。そこでカシアンはようやく自身が握っている猫を思い出したらしい。
オリビアをパッと離したカシアンが、汚れでも払うかのように手を数回叩いた。
(……)
感動的な雰囲気は一瞬で消え去った。オリビアはムッと不満げに唇を尖らせる。カシアンへ責めるような視線を向けていると、新たな声が割って入ってきた。
「ああ、無事に片付いたようですね」
少しだけ息を弾ませながら現れたのはルカーシュだった。安堵を滲ませ、こちらへ歩いてくるルカーシュに、警戒心を溢れさせたカシアンが不快げに呟く。
「……貴方がどうしてここに居るんですか?」
「その子を探しに来たんです。急に走っていってしまったので驚きましたよ」
そう言ってルカーシュは、土で汚れたオリビアを抱き上げた。
「おや、随分と頑張ったんですね〜」
「うにゃう、にゃうにゃう!」
(誰のせいだと思ってるのよ!)
頭を撫でてくる手を叩き落として、オリビアは文句を伝える。残念ながら今は猫の状態だから、一切言葉は通じていなかった。
「そういえばオリビア嬢の婚約者さんは、猫さんがお嫌いだとお聞きしました。それなら、私が貰ってもいいですか?」
「……何?」
「気に入ったんです。この猫さん」
(またこの男は……!今度は何を言いだすのよ!)
オリビアは、ベシベシと尻尾でルカーシュの腕を叩き抗議する。カシアンの答えは想像に難くなかった。
(カシアンなら喜んで聖下に引き渡すでしょうね……)
耳を下げるオリビアに、カシアンは静かに口を開いて命令した。
「毛玉、こっちに来い」
「……!」
(今、なんて言ったの?)
空耳かと疑いつつも、期待を滲ませるオリビアをカシアンはもう一度呼んだ。
「そんな胡散臭い男から早く離れて、こっちへ来い」




