偽りの仮面を剥ぎ取って 8
「そろそろ時間だから行かないと。貴方のおかげで色々なことが分かって本当に感謝しているわ。何かお礼ができたらいいのだけど」
「私個人としても気になっていたことですし、お気になさらず」
オリビアが席から立ち上がり、ルカーシュもそれに続く。吟遊詩人の演奏はいつの間にか終わっていて、今はもう街を行き交う人の声だけが聞こえてきていた。
「どちらに向かわれるんですか?目的地までお送りします」
「すぐそこだから平気よ」
「レディの一人歩きは危険ですよ。護衛も連れて来なかったじゃないですか」
「時間がなくて仕方がなかったのよ……」
オリビアは決して危機感が薄いわけではない。しかしラウルを連れてこようにも、デイビッドが張り付いている状況では致し方ない選択だったのだ。
「貴方こそ、一人で歩き回って大丈夫なの?顔も結構知れ渡っているんじゃない?」
「それが案外気付かれないものなんですよ」
「――あのっ、もしかして聖下ですか……?」
悪戯が成功した子供のように、ルカーシュが得意げに笑った直後。カフェから外に出たタイミングで、二人は同時に足を止めた。
「……すぐバレたけど。気付かれないんじゃなかったの?」
「いつもはそうなんですけどねぇ」
声を掛けてきた女性の声は周囲にも届いていたらしい。「えっ聖下って?」「まさか……」と注目が集まり出している。
ルカーシュの口から出てくる、女性に対する言葉は想像に難くない。この後はまた、いつもの口説きタイムが始まるとオリビアは察した。
「私をご存知なのですか?」
ルカーシュを残してすぐさま離脱しようとしたオリビアだったが、彼の作られた笑みを見てピタりと身体が止まる。
それはまるで、仮面でも張り付いているような完璧な笑顔だった。
『――そうでないと、時々息が詰まってしまいそうですから』
脳裏にふと、ルカーシュの言葉が過ぎる。オリビアはその意味を遅れて察した。
きっとルカーシュは、人々が望む『聖下』の姿で居るために努力してきたのだろう。そして、今この瞬間もそう在りたいと努力している。
『オリビア嬢が決めた道を女神様は尊重してくださることでしょうから』
あの時オリビアに見せた姿にも腑に落ちた。確かにずっとあんな風に『理想の聖下』を演じるのは大変だろうと。
(私も社交シーズンは結構辛いもの……)
カトリーナの小言が増えるうえに、令嬢らしく振る舞うほど本来の自分とのギャップで疲れるからだ。
「やっぱり!祝福祭では遠目からしか見れなかったので自信がなかったんですが……ところで、今日はどんな用事でいらしたんですか?」
ルカーシュが聖下だと知った女性の顔が明るくなり、こちらの様子を伺っていた周囲の人たちも近づいてくる。
「それは――」
「喜んでいるところ悪いけど、この人は『聖下』じゃないわよ」
「はい?それはどういう……?」
ルカーシュの言葉を横から遮り、キッパリと否定したオリビアに女性が困惑する。ルカーシュ本人も予想外の展開に「オリビア嬢?」と目を瞬かせた。
「同じ銀髪だから時々間違われることがあるの。そもそも、多忙なはずの聖下が付き人もつけずに、一人でフラフラ歩いていると思う?きっと今頃は、女神様に祈りでも捧げているはずよ」
オリビアは勢いのまま、それらしい言葉を矢継ぎ早に並べた。ルカーシュと会えて嬉しそうにしていた女性の顔に、段々と「本当に別人かもしれない」という疑惑が混じる。
なんだか申し訳なく思ったもののその隙を逃がさず、オリビアはルカーシュの手を掴みその場から抜け出した。
「そういうわけだから、私たちはこの辺で!」
突拍子もない行動に驚いていたルカーシュだったが、オリビアに掴まれた手は振り払うことはせずにそのまま足を進める。
「……はぁ、ここまでくれば大丈夫よね」
カフェから遠く離れた頃、オリビアはようやく足を止めて乱れる息を整えた。状況に追い付けず、ぽかんと呆けているルカーシュが戸惑いながら口を開く。
「オリビア嬢、どうしてあのような嘘を……?」
「別に嘘はついていないでしょう。今日は『聖下』じゃなく『ルカーシュ様』としてここに居るのだから。貴方が自分でルカーシュと呼んでと言ったんじゃない」
「確かに言いましたが……」
「大体、街中であんな馬鹿正直に『はいそうです』って答えてどうするのよ!一人だけならまだしも、街中の人を全員相手にするつもり!?」
祝福祭の時も、遠くから一目見るのがやっとだったくらいだ。否定するのがもう少し遅かったら、オリビアはまた人の波に揉まれることになっていただろう。
「まぁでも、どんな時も聖下として誠実に向き合おうとする所は見直したけれどね。変なところで真面目なんだから……って、どうして笑ってるのよ?」
「いや、だって……ふふ……あははっ!」
オリビアが怪訝げに眉を寄せれば、何かを堪えるかのように震えていたルカーシュはとうとう耐えきれず声を上げて笑い始めた。
「怒ったり褒めたり、オリビア嬢は忙しい人ですね」
「それの何がおかしいのよ?――っは!まずいわ、隠れて!!」
「え?急にどうされたのですか」
「いいから早くこっちに来て!」
ルカーシュをじとりと見上げたオリビアだったが、斜め向かいの店から出てきた人物を見た瞬間、口から心臓が飛び出しそうになった。
「裏路地に連れ込むだなんて、オリビア嬢は大胆ですね」
「馬鹿なこと言わないで!すぐ近くにカシアンがいるのよ……!」
咄嗟に横の路地にルカーシュを引っ張って隠れたものの、悪手な選択だったとすぐに後悔する。かといって、今出ればカシアンとかち合う可能性が高かった。
(どうしよう!どうすればいいの!?)
この状況を打開する方法を必死に模索していると、路地に人影が差す。
(まさかもうカシアンに見つかったの……!?)
身構えたオリビアの予想とは違い、現れたのは見知らぬ男たちだった。
「……やっと見つけたぞ。お前がルカだな?」
(もうっ、今度は何なのよ!)
スキンヘッドで体格の良い男の後ろには更に二人がいて、あっという間に道を塞がれてしまう。更なるトラブルが訪れたと、オリビアの勘が告げていた。
「テメェのせいでミーちゃんに振られたっていうのに、女とイチャイチャしてるだなんていいご身分だなァ」
「ええっと、全く身に覚えがないのですが……?」
ルカーシュが困惑したように首を傾げれば、男は青筋を浮かべて苛立ったように声を上げる。ガンッ!と力の限り叩かれた壁の一部が剥がれ落ちた。
「とぼけてんじゃねぇ!ミーちゃんが言ってたんだ!『ハンサムで一緒に居て楽しいルカとは違って、まぁくんは顔が怖いし話もつまんないし単細胞だから別れる』って……!」
自称まぁくんは目元を腕で覆い男泣きする。後ろに従っていた二人は、まぁくんを不憫そうに慰めていた。
「仰りたいことは分かりましたが、それは八つ当たりというのでは?」
「ちょっと、相手を煽ってどうするのよ!貴方のせいで別れたんでしょう!?」
「そう言われても……どちらの方のことなのか、心当たりがありすぎて見当がつきません」
「見直したって言ったのは前言撤回よ!貴方って最悪ね!」
オリビアは泣きたい気持ちで、ルカーシュを連れ出したことを心の底から後悔した。ラウルを置いてきてしまったことも同様に。
絶体絶命の状況に焦るオリビアとは反対に、ルカーシュは穏やかな声で呟いた。
「一つ、いい考えを思いつきました。彼に片付けてもらいましょう」
名案だとでもいうようにルカーシュはハンカチを取り出して、まぁくんに向かって嘘泣きをし始める。この騒動を引き起こした張本人なのだが、傍から見れば被害者に思われそうな儚い姿だった。
「確かに私は見ての通り美しいので、勘違いされるのも無理はありませんが」
(全然反省してないわね……)
ここまで来るといっそ清々しいくらいだった。あまりにも酷い会話の滑り出しにオリビアは呆れ、まぁくんも「馬鹿にしてんのか?」と怒りを加速させている。
この場にいる全員からの冷たい視線を一身に浴びているにも関わらず、ルカーシュは気にすることなく言葉を続けた。
「ミーちゃんさんの仰っていた人物は、きっと私ではなく『彼』のことでしょう。綺麗な金髪で、まるで絵本から飛び出してきた王子様のような方でしたよ」
悪びれもなくペラペラと嘘を並べるルカーシュが、斜め向かいの方角を指差した。
「ミーちゃんさんと並んでいる姿はお似合いでした。ああ、そういえば先程、あちらの方でお見かけしたような……」
そこまで聞いたまぁくんは、我慢できないといった様子で身体を反転させて走り出した。「絶対に許さねぇ!」と張り上げる声が聞こえてくる。
(あっちの方向は……それに金髪ってまさか……!)
「まぁくんさんが単純な方で助かりましたね。後はオリビア嬢の婚約者である彼にお任せしましょう」
丁度いいタイミングで居てくれて良かったです、と安心して胸を撫で下ろすルカーシュにオリビアは怒りのまま叫ぶ。
「何も良くないわよ!貴方なんてことしてくれたの……!?カシアンはね、弱いのよ!!」
(だから私が守ってあげなくちゃいけないのに……!)
「あっ、オリビア嬢!」
ルカーシュが引き止めるのもお構いなしに、オリビアは男たちの後を追うためその場から駆け出した。
「……誰が弱いですって?」
既に路地を離れたオリビアの耳には、ルカーシュの呟きは届かなかった。




