偽りの仮面を剥ぎ取って 7
「オリビア嬢にまた会う口実を作るため、と言ったらどうしますか?」
そのまま口付けでもしそうな勢いのルカーシュの手から髪を引き抜く。オリビアはじとりと目を細めながら文句を言おうとした途中で、ハッと我に返り勢いよく立ち上がる。
「ちょっと待って。私に神聖力があるかもしれないことは分かったけど、変わらなくなる方法は!?」
「あれ、無視ですか?残念ながら、今はまだ見つかってませんね」
「ええっ!?」
(結局、一番大事なことは解決できていないなんて……!)
実験体を回避できたわけじゃない事実にオリビアはショックを受けながらも、静かに着席した。少々声量が大きくなってしまったせいで、周囲からの視線が突き刺さっていたからだ。
「貴方が何とかできないの?」
「私も人間ですからね。能力以上のことは出来ませんよ」
肩を竦めるルカーシュが、この短期間で十分すぎるくらいの結果を持ってきてくれたことをオリビア自身も分かっていたから、流石に文句は言えなかった。
「そうよね……」
もしも今、オリビアが猫の姿だったとしたら、耳は下へと垂れていたことだろう。そんな想像をしたルカーシュは、くすりと小さく笑みを零してオリビアを励ました。
「呪いの類ではありませんでしたし、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」
しかし、オリビアの表情は依然として暗いままだ。「他にも気になることが?」と首を傾げるルカーシュに、オリビアは指先を擦り合わせて視線を泳がせる。
「理由が分かったのは良かったの……でもやっぱり、公に出来ることではないでしょう。人前で猫になったりでもしたら、きっと騒ぎになるはずよ」
「それは確かにそうですね。理解出来ないことを恐れ、排除しようとする人もいるでしょうから。ちなみにこの件を伝えた方は誰かいらっしゃいますか?」
「一応、家族は知っているわ」
(伝えたって言うよりも、バレたの方が正しいけど……)
まぁ『知っている』という事実は同じだからと、オリビアは心の中で一人頷く。
「先日一緒にいらっしゃった彼はどうですか?確か婚約者でしたよね」
「……カシアンには言ってないわ」
「おや、そうなのですね。ならお伝えするのはどうでしょう。外でも協力してくださる方が居れば、オリビア嬢も心強いかと思うのですが」
「ダメよ!……だって、カシアンは猫が嫌いだから……」
オリビアの声が段々と小さくなっていく。ふむ、と何かを考えるかのように一呼吸置いたルカーシュが真っ直ぐと右手を差し出した。
「一度手を貸してくださいますか?」
「嫌よ」
「そんなにすぐ拒否されると、少し傷つくのですが……」
先程の弱々しさはどこへ行ったのか。悩むことなく断固として首を振ったオリビアに、ルカーシュは苦笑しつつ言葉を補足した。
「何か疚しい気持ちがあるわけではありません。オリビア嬢は神聖力の使い方をまだ知らないようなので、教えようと思っただけです」
「神聖力の使い方?」
「ええ。知っておいて損することはないでしょう。力の源をコントロールできるようになれば、一時的にでも隠れる時間くらいは稼げるようになるかもしれませんから」
「……!」
まるで神が降りてきたかのように、ルカーシュの背後に眩い光が降り注ぐ。目の錯覚なので瞬きした次の瞬間には消えてしまっていたが、オリビアの中で確かにルカーシュの印象はガラリと変わった。
「是非お願いします……!」
オリビアは瞳をキラキラと輝かせながら、前のめりで伸ばされた手をぎゅっと両手で掴んだ。
普段のルカーシュならば、こういう時すらも口癖のように口説き文句が零れていただろう。だけど、オリビアがあまりにも真っ直ぐと期待を向けてくるものだから、静かに目を閉じてやるべき事に集中した。
「では流しますよ」
「ええ!」
両目を閉じたオリビアが頷いてから数秒が過ぎた頃、重なった手のひらからゆっくりと温かなものが流れ込んでくるような感覚がした。
(これは何かしら、凄く心地が良くて安心する感じ……)
抵抗感や不快さは一切なさそうに受け入れているオリビアに向かって、神聖力を流し続けながらルカーシュは話しかける。
「体調が悪かったりしませんか?」
「大丈夫よ。むしろ元気になったみたい。神聖力って凄いのね」
「ふふ、薬も過ぎれば毒となるといいます。健常者の方へ過剰に神聖力を注ぎ過ぎると、普通の方なら肉体が耐えきれず拒絶反応を起こすのですが」
「えっ、ならどうして私は大丈夫なの?」
リスクがあるなら事前に知りたかったと思う反面、聞かされていたところで結果は同じだったとオリビアはすぐに結論付けた。
「それは多分、神聖力を受け入れられる器の差でしょう。つまり簡単に説明するなら、オリビア嬢と神聖力の相性が良いということです」
「なるほど……?」
別にルカーシュを疑っているつもりはないが、やっぱりオリビアにはイマイチピンと来なかった。それでも神聖力の流れ方は大体把握した。使いこなせるかどうかはさて置き。
(聖下に感謝しないといけないわね)
ルカーシュが居なければきっと今も何も分からないまま、ずっと気を張り、怯えていただろうから。
「一先ず今の感覚を忘れずにいてください。もし次に困った時は、神聖力を実際に使い試してみるのもいいかもしれません」
「ええ、ありがとう……」
また猫になる前提の言葉にオリビアは複雑な気持ちでお礼を伝え、ルカーシュから手を離した。
(せめて、カシアン以外の人の前で……いいえ、やっぱり誰もいない自室でなりますように!)
オリビアが心の底から切実に願っていると、ルカーシュがふと思い出したかのように尋ねてきた。
「そういえば普段、何か変わるきっかけとかはあるのでしょうか?」
「そんなのあったかしら……」
一度目は寝て起きた時、二度目は人混みの中で。三度目、四度目の状況も思い返しつつ説明をする。ルカーシュはジッと紅茶の表面を見つめて思考を整理しているようだった。
「……あくまでも私の推測ですが、オリビア嬢の体調が関係しているのではないでしょうか?」
「でも私は風邪を引いたこともないわよ」
(そういえば、お母様も不思議がっていたわね。流行り風邪で家族が寝込んでいた時も私だけピンピンしていたから)
「大きな病などは避けれたとしても、人間である以上、疲労や消耗はするでしょう。……しますよね?」
「どうして疑問形なのよ!まぁでも、そうね」
(睡眠不足に人酔い、それに暑さでぐったりしていた時……どれも確かに体調が万全だとは言い難かった)
人間かどうか一瞬疑われたのは些か不満ではあったが、オリビアは飲み込んで同意した。おそらく、ルカーシュの推測が一番真実に近かったからだ。
「……これからは早く寝なきゃね」
夜更かしの味を知ってしまったオリビアにとっては、中々に厳しい制約だった。
本を読むのは日中でもできる。けれど、日が落ち静まった空間で、風と本を捲る音を聞きながら物語に没頭する時間がオリビアはお気に入りだったのだ。
勿論、そのせいで翌日は寝不足で苦しむことになるわけだが。
(お母様は喜びそうだわ……)
肩を落とすオリビアへ、ルカーシュは乾いた喉を紅茶で潤しながら助言する。
「とはいえ、あくまでも推測の域に過ぎませんからこれからも用心するに越したことはないでしょう」
「肝に銘じておくわ」
そうでなくても、カシアンが近くに居る以上は気が抜けるはずなかった。




