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偽りの仮面を剥ぎ取って 6




 待ち合わせしていた場所で、待ち合わせ相手が自分ではない女性を口説いていたとしたら。普段のオリビアだったなら、聖下が誰を口説いていようが気にしなかっただろう。しかし、今日は違った。


「……何してるのよ?」


 オリビアはわなわなと震えながら、聖下と女性の間に割り込んだ。突然現れたオリビアに驚いたように目を瞬かせた聖下だったが、すぐに柔らかな笑みを浮かべる。


「おや、オリビア嬢。いついらしたのですか?てっきり約束を無視されたものだと思っていました」

「うっ……遅れてきたのは悪いと思っているけど、だからって他の人に声を掛けなくてもいいじゃない!?私がどれだけ苦労して、ここまで来たと思って……!」

「ああ。もしかして私が他の女性と話していたから、嫉妬していらっしゃるんですか?」


(そんなわけないでしょう!)


 オリビアは心の中でした否定を、口に出すことなく何とか耐えた。これ以上聖下のペースに巻き込まれてしまったら、時間を無駄にしてしまうと気付いたからだ。


「貴方が誰を口説こうが私には関係ないけど、口説くのなら私との約束を終わらせてからにしてほしいわ」

「そんなに素っ気なくされるなんて、寂しいですね。この間、口付けを交わしかけた仲だというのに」

「あ、あれは気の迷いだったの!」


 もしも、もう一度同じような場面が訪れたならオリビアは今度こそキッパリと断るだろう。何故ならば、カシアンとの口付けをしても結局この問題を解決できなかったからだ。


(真実の愛で呪いが解けるだなんて、やっぱりおとぎ話でしかなかったのよ)


 少しオリビアの気持ちが沈みかけたものの、すぐに気を取り直す。今は落ち込んでいる余裕なんてなかった。


「とにかく、変なことを言ってないで早く本題に入ってちょうだい。こっそり出てきたからあまり時間がないの」

「レディの仰せのままに致しましょう。残念ですが、次の機会があれば美しい貴女の時間を私に――」

「もうっ、早く行くわよ!」


 オリビアは女性の手の甲に口付けをして甘い言葉を紡いでいる聖下を引っ張り、じとりと睨みつける。


「貴方そうやって人を弄ぶようなことばかり言っていたら、いつか刺されるわよ」

「弄ぶだなんて人聞きが悪いですね。私はいつだって本気なのに」

「前から思っていたけど、神に仕える聖職者がそんな感じでもいいの?」

「私たちは別に恋愛を禁止されている訳ではありませんよ。神官の中には所帯を持っている方もおりますし。普段は慎ましく過ごしているからこそ、こうして外に出たら羽目を外したくなるんだと思います。――そうでないと、時々息が詰まってしまいそうですから」

「ふーん?」


 多分それは、初めて垣間見えた聖下の本音だった。


(聖職者っていうのも結構大変なのね)


 オリビアは聖職者のことは詳しくは知らないから、下手に慰めの言葉などは口にせず奥にあるテラス席へと向かう。


「こちらの席にしましょう。吟遊詩人の歌と楽器の音が一番よく聞こえるので、会話を掻き消してくれるはずです」


 テラス席は他のテーブル席よりも距離があるとはいえ、完全防音ではない。オリビアは聖下の気遣いを素直に受け取った。


「それで、貴方の方で何か分かったことはあったの?」


 勧められた席に座ったと同時に、オリビアは待ちきれないといった様子で問いかけた。聖下は顎に手を当てて、形のいい唇で弧を描く。


「おや、随分と砕けた口調になりましたね」

「礼節をわきまえて欲しいのなら、それに見合った行動を取ってほしいわ」

「私はこのままでも構いませんよ。せっかくですし、ルカーシュと呼んでください」


 聖下からの手紙にも書かれていたルカーシュという名前は、彼の本名なのだろう。

 しかし特に呼ぶ理由もないので、オリビアはその要望は無視をして話を続けようとした。


「呼び方はこのままで結構よ。それよりも早く話を……」

「約束の時間が過ぎても一人寂しく待っていたというのに、オリビア嬢は冷たいですね」


(楽しそうに口説いていたじゃない)


 そう言い返したかったオリビアだけど、遅刻したのは事実なのでぐっと堪える。そんなオリビアのことを、ルカーシュはにこにこと人のいい笑みを浮かべたまま追い詰めてきた。


「ルカーシュが嫌でしたら、ルカでもいいですよ」

「…………ルカーシュ様」


 このままではただ時間を消費するだけで埒が明かないと、諦めたように口を開いた。オリビアは砕けた態度を取ったことを心の底から後悔する。

 渋々と捻り出された呼び名に、ルカーシュは満足そうな顔でようやく本題に入ってくれた。


「ふふふ、いいですね。コロコロと変わる表情をもっと眺めていたいところですが、これ以上は本当に怒らせてしまいそうなので残念ですがこの辺にしておきましょう」


 ルカーシュは一冊の本を取り出して、テーブルの上へと載せる。白い表紙に小さな猫が描かれている本には見覚えがあった。細かい内容まで覚えてしまうほど、オリビアが昔から愛読していた本とそっくりだったからだ。


「それは……」

「神殿の書庫で見つけました。何だか身に覚えのありそうな表情ですね?」

「ええ、似たような本が私の家にもあるのよ」


 しかし、よくよく見れば全く同じというわけではない。オリビアの家にあった本とは違い、ルカーシュが持ってきた本の女性は太陽を背に月桂樹の冠を被っていて、猫も数匹描かれていた。


「ご存知でしたか?はるか昔、とある地域では、猫は『神の使い』と呼ばれていたんですよ」


 ルカーシュは滑らかな口調で語り始めた。神と呼ばれた一人の女神と、使者である猫たちの話を。


「アストレア――人々から女神と呼ばれた彼女は、地に降り立つ代わりに自身の使者である『猫』に能力を分け与えたといいます」


 そして、役目を託された猫たちにはそれぞれの権能があった。

 穀物の実りや生命の繁栄を宿す豊穣の力、軍勢を導き人民を守る戦の力、人々の心を潤し美と調和をもたらす芸術の力など。

 ルカーシュが語る権能の中で、オリビアにも一つだけ該当する力があった。


「あらゆる病気を治療する癒しの力――それをオリビア嬢も持っているのでしょう。心当たりがあるのではないですか?」


 その問いを受けて真っ先に浮かんだのは、祝福祭のことだった。カシアンから逃げて意識を失う直前までは確かに痛んでいた身体が、起きた時にはもうすっかり痛みが消えていて傷一つ残っていなかった。


「……貴方知っていたわね」


 ルカーシュは以前、猫から人間に戻るところとバッタリ出くわしたと言っていた。だからきっと、その時から既に気付いていたのだ。オリビアに癒しの能力がある可能性を。


「だけどそれって、神聖力ってことよね?私に神聖力はないわよ?」

「幼い頃はなくとも、成長と共に発現する方はいらっしゃいます。オリビア嬢もそのタイプなのでしょう」


 いきなり神聖力があると言われても、どう反応をすればいいのか分からなかった。顔を固まらせて困惑するオリビアに、ルカーシュは優しく微笑む。


「なにも不安になる必要はありませんよ。神官になってもならなくても、オリビア嬢が決めた道を女神様は尊重してくださることでしょうから」


 それはまさに、聖下と呼ばれるに相応しい姿だった。今までの軽薄な姿が全て嘘だと思うほどに。

 先程までろくでなしを見るようだったオリビアの目付きが、敬意を含んだものに変わったことに気が付いたルカーシュは悪戯っぽく目を細めた。


「もしかして私に惚れてしまいましたか?」

「その一言がなければ完璧だったのに」

「それは惜しいことをしてしまったようです」


 ルカーシュは残念そうに肩を竦めたが、それが本心ではないとオリビアには分かった。


「それにしても、知っていたならもっと早く教えてくれても良かったじゃない」

「勿論、私を探しに来てくれたならお伝えするつもりでしたよ。言ったでしょう、待っていたと」

「それならどうしてこの前は言ってくれなかったのよ」


 祝福祭の時は仕方ないにしても、神殿で会った時に教えてくれる機会はあったはずだと、オリビアは不満気に呟く。風で揺れるオリビアの髪をひと房手に取ったルカーシュが甘く囁いた。




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