「おれがいちばん」
彼と出会ったのは、いつの頃だっただろうか? おそらく、私が言葉を覚て少し経ってからだったと思う。
その頃の私は、好奇心からダンジョンを出てみようと思い立つ。ご機嫌にガタンガタンと木の棒を突きながら歩いている時だった。
ダンジョンの入口が見えた所で、見たことの無い大きな影が有る事に気が付いた。
当時の私はそれを岩だと思ったから――
「わぁ~♪ あわよくば、鉱石でも生えていないかなぁ~!」
と、近寄ってみたら……ドラゴンだった。
ドラゴンは見上げるほど大きい。お互いバチンと目が合った。ここで恋でも始まれば面白いのだろうけど……。
あ、ドラゴンの口から涎が垂れてる。
「「…………」」
まぁ、そのドラゴンとは意思の疎通ができない訳で。何なら彼は私を食べようとした訳で。
「にっ!!! にやぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
私は叫びながら必死に下層へと逃げた。
◇ ◇ ◇
「はぁ……。はぁ……。はぁ……。何! アレ!? 噂では聞いたことあるけど……。あれがドラゴンなの? あんなの……私一口で終わりだよぉ!!」
正確には私の中身が一口目で、二口目で宝箱。それで完食かな?
私は命からがら、ドラゴンが入ってこられない層に逃げ延びたが……ドラゴンが岩の隅間に頭を突っ込みこちらに向かって赤い舌を必死に伸ばしてくる。
ひぃぃぃ……!!
ダンジョンから出られないよう! ダンジョンの外にも美味しいものが有るか気になったのに!!
それにダンジョンの奥は奥で……そこそこお強いモンスターが居る。
最近の冒険者はサボリすぎだよ! もっと積極的に討伐に来てもらって、このダンジョンの難易度を安定させて欲しい。あのドラゴンが来て、難易度SSに上がったんじゃない??
「にぁぁぁ! くやじいぃっ!!」
私が苛立って蓋をバコンバコンと開け閉めしていると、下層からモンスターの断末魔が風に乗って響いてきた。それに遅れるように――
ドゴーン……。ドゴーン……。
何か響いてくる。異様な音に思わず冷や汗が流れる。一日のうちに最悪な事がそう簡単に起きてたまるものですか!!
「……何事? 落石でもあったのかな?」
私はよく見ようと蓋を少し開け、周りを観察する。
ダンジョンの奥から、砂煙と共に一人の人間が現れた。
褐色の肌に白い髪、爛々と輝く金色の瞳。その眼光はまるで野生動物のようだった。睨まれたら動く事をためらう……。いや、目を逸らしたら、終わる。
冒険者として脂がのった年頃だ。たくましい肉体に最低限の装備、手には……
モーニングスター。
うわぁ……。あのトゲトゲ鉄球……。当たりたくないわぁ~……。
そんな私の考えとは裏腹に、彼は一歩一歩着実にこちらへと近づいてくる。
あれ? 私、ロックオンされてる??
上層のドラゴン、下層のモーニングスター。
あ、これ……。私どっちにも逃げられないや……。はさまれちゃった。
彼は私の前に立ちはだかり一瞥すると、重低音ボイスでゆっくりと私に問うた。
「お前も、俺に刃向うのか?」
彼の声は体がビリビリと痺れるように響いた。もちろん、そんな声でそんなこと言われたら――
「にゃっ……。逆らいません!!」
宝箱に隠れて、震えて答えるしかない。
それでも彼は許してくれない。
「何を隠し持っている。その中から出てこい」
「な、何も持っていません……」
「俺に敵意が無いなら、ゆっくり箱から出て手を挙げろ」
「ひぃっ! ……手は無いので、触手で許してくださいっ!」
私は箱から体を出し、おずおずと両触手を挙げた。
彼はしゃがみ込み、腰につけていた魔法のランタンを掲げて、私を至近距離でまじまじと観察する。鼻息が掛かるんじゃないかってくらい近い。いや、掛かっていただろう。
彼は私をじっとりとゆっくりと観察した後、不思議そうに尋ねる。
「お前は何者だ? モンスターか?」
「私はミミックです。何でもしますから許してください!」
…………。
「へぇ……。何でもするのか?」
私はぶんぶんと頷き、彼を見つめる。
そして……。彼は立ち上がり、にやりと不敵に笑い私を見下ろす。
……うわぁ。これ、まずい答え方だったかな? 「何でもするなら、俺様に倒されろ」とかありえちゃう?
後悔しても言ってしまった事は取り消せない……。彼はゆっくりと動き出した。
彼は大きな手で――私の頭をくしゃくしゃと撫でた。
……え? 討伐されない?
「よし、気に入った。俺はシトラス。ミミック、お前は俺の子分だ。ありがたく思え。俺はまだ暴れ足りない。もっと強い奴を倒す!! ついてこい」
「ひぃぃぃ!! はいぃぃぃ!!!」
そう言って、彼は元来た下層へとミミックを一匹連れて進んで行くのだった。
◇ ◇ ◇
私はとりあえず、彼のランタン持ち係と回復係に任命された。
木の棒の先端に彼の魔法のランタンを括り付けて、彼の前をガコンガコンと歩く。
私の前にモンスターが飛び出して来ようものなら、後ろからモーニングスターが飛んでくる。
――と、言っている間にサラマンダーがこちらめがけて飛び出して来た! サラマンダーは私を食べようと、赤い口を開けて飛びかかって来る!
サラマンダーの顔が、コマ送りのように近づいてくる。
あ……。私、今度こそ食べられる。
そう漠然と思っていると、頭の中には過去の記憶映像が流れる……。美味しそうな記憶ばっかり流れてくるなぁ。おい。
――ゴンッ!
鈍い音と共に、サラマンダーは吹っ飛んで行った。当たり所が良かったのか、悪かったのか。サラマンダーはピクリとも動かなかった。
…………。
控えめに言って、生きた心地がしない! 私の目の前で、これが幾度となく繰り返されるのだ。私は生餌か何かかい? それとも、明日は我が身と思った方がいい?
私がぎこちなく振り向くと、彼は「すごいだろ?」と言わんばかりに “にかっ” と笑う。彼のこの笑顔は、無邪気で可愛いのだ。
休憩の時は地底湖で汲んだ水を魔法で沸かし、私が持っている茶葉と薬草を煎じて彼に渡した。簡単な火の魔法はもともと使えたので、これ位容易い。
彼は炎を見つめながら、何かを考えている。ふとした瞬間に、彼の感情の底にある憂いが見える事があった。
「さすが俺の子分。薬草を持っているなんて、準備がいいな」
「あっ……ありがとうございます」
あ! いつもの彼に戻った。
あとで食べようと思って、摘んで体の中に入れておいたら、カラカラになっていた葉っぱが役に立つとは……。今後も定期的にストックしておこう。
茶を飲みながら上機嫌な彼に、私は気になっていたことを聞いてみた。
「シトラスは何でここのモンスターを討伐しているの? ギルドに派遣されたの?」
「……いや、逆だ。ギルドから破門された。『ダンジョンのモンスター程度ですら倒せない癖に』とまで言われた。だから、その腹いせにこのダンジョンで暴れてモンスターを討伐しまくって、ダンジョンを使い物にならなくしてやろうと思っていな。そうすれば、ギルドは困るからな」
彼は悪い笑顔で静かにそう答える。
ダンジョンを使い物にならなくするって……。確かに、モンスターがいなくなっちゃったら、素材集めや鍛錬できなくなって、冒険者やその元締めのギルドは困るだろう。腹いせにしては予想の斜め上行く発想だ。
……しかし、私には不安が有る。
「……最後に、私を退治したりしないよね?」
「当たり前だろう? お前は特別だ。ここで暴れ終わったら俺と一緒に旅をしよう」
そう言って、彼は笑顔で私の頬をくしゃくしゃと撫でた。くすぐったい。
一緒に旅をするのはいいけれど、気になる事が有った。
「外の世界には、美味しいもの沢山ありますか?」
「ああ。うまいものが山ほどあるぞ」
やまほど? ……山ほど!?
気になる、気になる! 美味しいもの食べたい!!
「シトラス! 私、あなたについて行きます! 美味しいもの沢山食べたいです!!」
「はは、可愛い奴だな。任せろ、沢山食おう」
「わーい!! シトラス最高!!」
「そうだ。お前に名前を付けてやろう。お前は俺の特別だからな。そうだな……『ミュウ』なんてどうだ?」
「ミュウ?」
「幼馴染が可愛がっていた猫の名前とお揃いだ。その猫、お前みたいに小さくて賢くてな」
賢い!! 褒められた? 褒められた!?
「ミュウ! 気に入りました! ありがとう!! 嬉しい!」
私は名前をもらった事も嬉しかったが、『特別』と言われたのも、心がくすぐったく感じて嬉しかった。
「よし。ミュウ行くぞ! まだまだ暴れる」
「うん! 暴れようっ! 暴れよう!!」
彼とはこんな感じで楽しくやっていた。彼に着いて行けば私の胃袋は安泰だ。
こうして私達は、モンスター討伐を進めて行くのであったが……。討伐を続けていくと、問題が起こる。
本当にモンスターが少なくなってしまった。それに、私達の気配を察して隠れてしまう。
こうなると彼のイライラが募って行く。
「クソっ!! また逃げられた。もっと居ないのか!? モンスターは!」
ここに一匹いるけど。やばいぞ……。私、狩られる?
他にモンスターいなかったかな~? 下層はもう倒したから上層……あ。
「シトラス! 上層にドラゴンが居る。シトラスと会った日に私、ドラゴンに食べられそうになったから……。まだいるかもしれない!!」
「なに? ドラゴンだと?」
彼は眉をしかめる。
まずった。ドラゴンは一人で倒せるようなモンスターではない。熟練パーティーですら命からがらだ。『そんなもの、提案するな』と、怒られてしまうだろうか……
「丁度いい。ミュウ、よく覚えていたな」
え?
彼は不敵に楽しそうに笑う。
「ギルドに破門された奴が、ドラゴン倒しちまったら……。ギルドは面目丸潰れだな?」
確かにそうだ。なんでそんな強い戦士を囲えなかったのか、ギルドの力不足に問われる。
「おもしろい。俺が一番強いって事を証明してやる……!」
シトラスの目が金色に爛々と輝いている。これは……。本気だ。
なぜ彼はここまで力の証明に執着しているんだろう? ギルドに対して、よっぽど許せなかったのかな? 破門だけが原因ではないのではないか?
私は不思議に思いつつも、ドラゴンを求めて上層へと向かう彼の背中を追いかけた。
◇ ◇ ◇
私達は、薬草茶で回復して戦いの準備を整えた後、上層のドラゴンと対峙する。
ドラゴンは私を見て喜び、赤い舌をちろちろと出し入れしていたがシトラスを見た瞬間態度が変わった。異様な気を感じ取ってか警戒している。
うわ~! やっぱりおおきいな。
「シトラス。私は何をすれば……」
「ミュウはこの戦いを見届けろ。『シトラスは一人でドラゴンを倒した。最強だ。伝説に残る男だ』そう後世に伝えてくれ」
「後世にって……。死ぬ気じゃないよね? いやだよ?」
美味しいもの、食べられないのは困る!
「なに、死ぬ気で掛からないと倒せない相手だ。保険だよ。じゃあ行ってくる。よく見ていてくれよ。ミュウ」
彼は私の頭をわしゃわしゃと撫でると、武器を構え歩き出した。
「わかった。いってらっしゃい! 必ず戻って来てね!!」
その言葉を聞くと彼は一瞬、驚きこちらを見た。幽霊でも見たかのように。
しかし、すぐにいつもの屈託のない笑顔を見せて、こちらに手を挙げて合図する。でも、次の瞬間には――悪魔の笑みを浮かべ、ドラゴンに単身で挑んだ。
◇ ◇ ◇
彼とドラゴンの死闘は、壮絶を極めた。シトラスはモーニングスターを容赦なくドラゴンにぶつけて行くが、ドラゴンも必死に抵抗する。力は両者互角、お互い次第に傷が増えて行く。ドラゴンに振り飛ばされ引っかかれても、シトラスは攻撃を止めなかった。
最後まで立っていたのは、シトラスだった。ドラゴンの巨体が地面へと沈む。
シトラスは奇跡に近い確率で、単身でのドラゴン討伐に成功した。これは本当に伝説級の出来事だ。
しかし、彼も同時に深手を受けていた。私は彼に近寄り手当てを始める。応急処置をして彼を地上へ届けよう。
「へへっ……。どうだ? 見たか」
「見たよ! シトラス。とても強かった。しゃべらないで……。傷が深いから……」
戦って興奮が冷めていない為か、彼はいつもより饒舌だった。
私は冒険者が落として行ったポーションや傷薬を使い応急処置をする。
「そんなの持ってたのかよ……。いや……。喋らせろ。聞け。……俺は、お前を見た時に驚いた。好きだったローゼルって幼馴染が生き返ったかと思った。そっくりだったんだ。……俺、そいつ……を助けられなかったんだ。俺が強ければ助かったのに……。弱い俺が許せなかった。……強いドラゴン……倒したけど……まだ許せない……!」
悔しがる彼の目に涙が浮かぶ。こんな珍しいもの見たら……助かる物も助からないのではないか? 私は焦って、必死に言葉をかけた。
「シトラスが許せなくても、私は許すよ! あなたは強い。それに、誰もシトラスを責めない。もし、責める奴が居たら、私が代わりにぶん殴るから。だから、しゃべらないで……。治療させて……」
彼は、一瞬泣きそうな顔をしたのち、力なく笑う。
「はは……心強えぇ。俺の相棒はミュウにやるよ……。それに、ギルドに会員証返してなかった……。かえしといてくれ……。みゅ…………ありがと……。ろーぜる……あいにいくぜ…………」
彼は、私の頭を撫でようと手を伸ばしたが……その手が届くことは無かった。彼は逝ってしまった。
「シトラス……。やだよ……。勝手に逝かないでよ……」
その後の記憶はおぼろげで……。人の気配がしたので、私はシトラスのモーニングスターと会員証を預かり、ダンジョンの奥へと潜った。……シトラスから渡されていた魔法のランタンを返しそびれてしまったと思いながらも。彼から託された言葉を忘れないように繰り返しながら。地下深くへと……。




