さよならミミック
私は彼に指定された通り、単身でオリバー先生の家へとやってきた。
日暮れと夜が混ざる空は不気味で、肌が粟立つ。まるで屋敷はこの世とあの世の狭間のように見えた。
雰囲気に呑まれて段々と心細くなっていく。
イリスを助けられなかったらどうしよう? オリバー氏に捕まってみんなの元に帰れなかったら……
いやいや! ミミックが怖がってどうする? もともと暗闇の住民ぞ!? 気持ちまで闇に引きずり込まれるなっ!!
私は不安を振り払うように頭をぶんぶん振って、意を決して玄関の戸を叩いた。
暫くした後、オリバー先生が扉から顔をのぞかせた。優しく微笑んではいるが、その瞳は獲物を狩ろうと待ち伏せている狼の様に鋭い。
「いらっしゃい、よく来たね。さぁこちらへ。」
私は彼に導かれるまま客間へと進み勧められたソファに座った。彼はお茶を用意すると言い部屋を出て行った。
部屋の中はしんと静まり返り外の喧騒も聞こえない。その静けさが再び私を不安へと引きずり込む。
……大丈夫! いざという時はモーニングスターが有る、思いっ切り振り回そう! シトラス守って!
彼は茶器を持って来て茶を淹れてくれた。
それは赤茶色に揺らめき、芳しい香りが部屋に満ちた。
「さぁ、召し上がれ。」
私は彼の言葉に従いお茶を頂いた。
普通の紅茶とは違う。独特の味がする。
二人でお茶を飲みながら私は枕話もなしに話を始める。
「先生は何歳ですか?」
「よく聞かれるよ。でも、見た目の通りだよ?」
「……何十年前からその見た目で?」
「さぁ……忘れてしまったな。」
彼は動揺もせず、紅茶を嗜みながら、さも当たり前かのように会話を続ける。私はぽつりとつぶやく。
「イリス姉さんの薬……あれ治療の為の薬じゃないですよね? この紅茶に入っている物と同じ……私も食べたことがあるから覚えてる。」
初めて彼の態度に変化が現れた。
カップとソーサーをテーブルに置き、足を組んで組んで手を膝の上に置いた。冷たい瞳で睨むように私を見つめる。
紅茶に添加された液体を飲んだ為か私の体は熱を帯びている。脈拍数が上がり胸が苦しい。昔食べた物より濃度が薄いからか体が焼かれるような苦しみは無い。あの味と苦しみは忘れない。食いしん坊の記憶を舐めないでほしい。
「……なんだ、そこまで分かっているなら話は早い。お帰り、私の可愛い宝箱ちゃん。」
彼は満面の笑みでそのセリフを言い放った。
迷子の子猫でも迎え入れるような甘く優しい言葉と声だが……肌が粟立ち戦慄した。
背中に冷や汗が流れ落ちる……耳の奥で鼓動がうるさい……落ち着け、集中しよう。
集中しようとしても頭の奥で100年前の記憶が蠟燭の炎の様にチラつく。
そして、それは次第に激しさを増し、私の記憶が炙り出された。
忘れもしないそのセリフと甘い言い方。その声も顔も全て思い出した。……やっぱり彼は100年前、私に言葉を覚えさせた人物だ。
彼の正体が分かると同時に、私の中で彼に対する恐れと疑問が膨れ上がっていく。自分を守る為、助かる為にその疑問を解決したい。そして、一刻も早くこの場から逃げ出したい。
私は歯を食いしばり頭を振った。
―――それを優先している場合ではない。イリスの事を解決しないと。
同じ目に合わせないって誓ったじゃないか!!
私は彼を睨みながら、ニヤニヤと笑う彼に向かい、ゆっくりと話し出した。
「お願いです、イリスにこれ以上あの薬を飲ませないでください……あれの所為で弱っているんでしょ?」
「ご明察だよ。あの薬は賢者の石由来の特別製だ。それはイリスを完璧へと変化させていったが……彼女の体が毒と判断して拒絶してしまう。……でもいいよ。彼女にあれを飲ませるのはもう止めるよ。」
―――え?
私は、すんなりと認め従う彼に驚いた。更に彼は話し続ける。
「飲まなければ薬の成分は代謝分解されて次第に本来の彼女へと戻ってゆくだろう。性格も “彼女” に似せて調教したり苦労したんだけどね。しかし、君が戻って来てくれたから構わない。イリスからは手を引こう。」
性格を調教とか……怖い奴だな……しかし言質頂いた!
良かった……これでイリス姉さんの体は良くなるだろう。
しかし、彼の言い方には引っ掛かるものが有った。『私が戻って来てくれたから』って……まるでイリスと引き換えに私で何かする様な言い草だ。
彼は何をしようとしている?
「その言い方だと、私を使って人か何かを造ろうとしているみたいで気持ち悪いです。……何しようとしているの? 私に何を求めているんですか? それに所詮はモンスターですよ。モンスターが人になんて成れる訳……」
「君はダンジョンで彼等の欲望を知っただろう?」
彼は私の言葉を遮って静かに問いかけてきた。そして私を見透かすように見つめる。
『欲望』……?
『彼等』という所に引っかかってしまった。私がシトラスやメリッサ達に会ったのを知っている様な言い草だった。
私が言葉を失っていると彼は構わず話を続ける。
「君はダンジョン内で複数の人間と数日間向き合った。欲に振り回された彼等を見て学ばなかったかい?」
急にメリッサ達の事を話題に挙げられてしどろもどろになってしまう。でもここで弱い姿を見せたらダンジョンで出会った彼等との思い出を全部否定されてしまう様で怖かった。話せ……何か言葉を……。
「……誰の事? まさかメリッサ達の事じゃないよね? 偶然会った彼女達が……どうして? 彼女達からは沢山の思い出を……それに欲だなんて。」
「彼らと出会うのは必然だったんだよ? 君は知恵を得て欲望を呑み人間を知った。さぁ、君ならなれるよね? 人間に。」
「ローゼル……」
その名前、聞いたことが有る名前だった。
そう、その名前はシトラスが好きだった女性の名前だ。
「待って。意味が分からない!」
「僕はローゼルを取り戻すため、君の擬態能力を利用した。賢者の石を食べた君は素晴らしい。即座に適応して知恵まで得てしまった!」
「賢者の石?」
「ああ、不老不死をもたらす錬金術の英知の結晶だ。お互い良い結果を出す為にも時間を心配したく無いからね。」
彼は恍惚の表情で説明する。
不老不死……。その言葉で彼の行動に合点が行った。彼も私と同じ長い時間を彷徨ったのか。
「そして、君を精神的にも人間に近づける為に、人間の欲を食べさせようと思ってね。彼等をあのダンジョンに送り込んだ。……そして、君を回収しようとギルドに指示したが、見つからなかった時は流石に焦ったかな? まさか虚偽の報告書をあげられるとは思わなかったよ。」
彼は友達とふざけ合って冗談を言うかのように楽しげに笑いながら話した……。その様子は話の内容との温度差で恐怖すら覚える。
「すべては貴方の掌の上って事?じゃあみんなが死んだのも……」
呪をかけたの?事故を装ったの?人をけしかけたのも……
「いいや、僕はあくまでダンジョンへと送り込んだだけだよ。でも彼らは君の所為で死んだんだよ?」
理解できなかった。理解しようとするが頭がそれを拒む。
「わたしのせい……? 嘘だ! みんなダンジョンに来なければ死ななかった!」
「いや、ダンジョンに入っても皆生きて戻って来れた。君が彼等の運命を変えた。
―――怠惰のメリッサ、彼女を君が匿わなければ、彼女は地上に連れ戻されて保護・解呪され無実を証明するチャンスが有ったろう。
―――憤怒のシトラス、君が彼を許さなければ、彼は許しを求めてその後も戦い続けただろう。
―――嫉妬のサンダルウッド、君に出会い思いを寄せて作品を書かなければ、事故が起こるよりも早くダンジョンから出て、嫉妬に狂いながらも書き続けたろう。
―――傲慢のトドマツ、彼のプライドを君がへし折って彼に寄り添わなければ、彼は復讐の炎に灼かれながらプライドに従い生きただろう。
―――色欲のローザ、幾つもの愛欲に絡め囚われた彼女に一つの愛を求めるよう諭さなければ彼女は多くの愛に絡まれながらも生きただろう。
そう、全ては君の所為だ。」
信じるな……言いがかりだ。そんなこと有るはずない。
「そして、君が生まれながらにして持っていた暴食……。君が僕と初めて会った時に、暴食の欲に負けて賢者の石を食べたから君は君自身を失った」
あの時欲張らずに逃げていれば、普通のミミックとして生涯を全う出来た?
「全ては君から始まった。全部君の所為。全部君の罪だ。」
全部私の所為? みんな死んだの私の所為?
私が関わらなければみんな生きてダンジョンから出られた?
カップを持つ手が急に震えだした。……何を言いくるめられているの?
だとしたら知恵を与えたコイツが原罪だ! 私にアレを与えなければ、私がアレを食べなければ……食べなければ……あれ? ……いや、揺らいではダメ……
彼は私を憐れむように見て悪魔のように笑った。
「それに、君は人間を食べていないと言ったね?そんなこと無い。僕が食べさせたから。僕が君に与えたのはローゼルだ。君達が摂取した賢者の石の材料も彼女だ。そして君の体内の小箱には彼女の記憶が入っている。」
私がローゼルを食べた? ローゼルで賢者の石を作った? 理解を拒みたくなる話だ。でもそんなはず無い!
「嘘だ! 私は人間を食べたいと思わない!」
人間を食べたと聞いただけで体が震えだした。そうだ私の体は人間を拒絶する。止めて! それ以上私を壊さないで!!
「彼女は同族を食べるのを生理的に嫌がったんだろうねぇ。君は食べたローゼルから得た情報で擬態している。100年の時を経て君は消化吸収して彼女を構築・再現した。だからローゼルへと変わりゆく君は次第に人間を食べ物と見なさなくなった。ダンジョン内で人間の欲も知ってより人間に近づいた! そしてもう完成に近いよね? 真紅の髪に青い瞳……もう生前の君そのままじゃないか? ローゼル」
もうやだ! 何も聞きたくない……
「さぁ、仕上げだ。君の小箱の鍵を開けるよ。……ローゼル僕を思い出すんだ! もう一度一緒に生きよう。」
彼は私が座るソファへと近づき私を押し倒した。
持っていたカップが床に落ち砕け散る。
そして彼は首から大切そうにかけていたネックレスを外す。そこには小さく古い鍵がついてた。彼は私の胸元に見える鍵穴へ鍵をあてがった。
私は抵抗しようとするが、心が折れてしまった体は予想以上に重く動かすことが出来ない。首を振り鍵を見る事だけしかできなかった。
そして……彼はその鍵を私の鍵穴へと入れた。
「……いやだ……やめて。私はローゼルじゃない……触らないで! 開けるな!! 私は、ミミックのミュウだぁぁぁぁぁぁ! …………」
自分に言い聞かせるように小さく叫ぶも、その声とは反対に静かに「カチッ」と錠が解けた。
「あ……」
中の小箱が開き中身がじわじわと私の中に広がり情報が溶け出す。取り出そうと思っても体がその情報を食べようとする力の方が強かった。
小箱の中にあったのはローゼルの思い出の品々。そして彼女の日記。自我が揺らいでいる私の中に彼女の要素がだんだんと増えてゆく。
「あ……あっ……」
私は虚空を見つめ、ぽろぽろと静かに涙をこぼす。
「みんな……ごめん……」
そして、目の前の人物を見つめ語りかけた。
「オリバナム……なんて酷いことを……」
「おかえりローゼル。会いたかったよ」
彼はそう言って私を優しく抱きしめた。