75話 ヒューマニティ Part.3
ディオが、自らの髪に着けられているリングに触れる。
「今の人間が、その姿になる前。人間と呼ばれるものは、本当に様々な姿をしていた。
俺みたいに獣の混ざった奴や、“天使”みたいな翼の生えた人間なんて普通だった。どんな姿でも、みんな等しく『人間』と呼ばれていたんだ」
「へえ。多様性の極限みたいな世界だったんだ。生物学者が聞いたら卒倒するような話だなあ」
アサキの軽口に、ディオは頷いた。
「ああ。身体的な差によるいざこざは絶えなかったが、それなりに協力して皆生きていたんだ。
飛べるものは地上の者を助け、地上の者は水に住まう者を助け……そうして上手く噛み合わせて生きていた。
しかし、みんな死に絶え、何故か俺とアイツだけが残り……やがて俺達は、世界にとって異質になった」
彼は、自身の黒髪から丁寧に髪飾りを外すと、机に置いた。
小さな音が、やけに大きく響く。
「この“赤い実”の持ち主は、そんな世界になった後に出来た友人だった。二本腕の、普通の、人間の……」
赤いリングに触れた彼の指は、一瞬だけ動きを止めた。
ぎり、と、彼が歯を食いしばる音がする。
「だが、ある日……
天使に……“白い羽根”を食わされたんだ……!!」
俯いたディオの喉から、唸り声が大きく響いた。
同時に、何かがバキ、と壊れる音がした。
――押さえ込んできたものが、言葉より先に、溢れていく。
彼の腕から、壊れた白銀のガントレットが床に落ちる。
枷の外れた腕の中心に、亀裂が入り、隙間から白い炎が溢れていった。
腕は炎を纏ったまま上下に裂け、
それぞれが再び、逞しい腕を形作った。
薄い皮膚しかなかった耳は、黒い毛の茂る、三角の分厚い獣の耳へと変わる。
そして、腰の少し下から、耳と同じ色の長い尾が生えた。
全身を覆う黒い毛の端々に、白い炎が、ゆらゆらと灯る。
――気が付けば、彼は、本来の姿でそこに立っていた。
“白い炎を纏う、四本腕の黒狼男”。
前の世界では、『普通の人間』の一言で済んでいたその存在は、今ではきっとそう形容されるだろう。
恐ろしく、そしてどこか神々しくすら見えるその姿を、アサキは真剣な表情で見つめていた。
「俺はこの力で、彼女の体を、黒い木の根のようになっていく部分だけを燃やして、何とか助けようとしたんだ……!
けれども……結局、肉体は全て燃え尽きてしまって、手の中に残ったのは、この“赤い実”だけだった」
彼は机の上から赤いリングを取ると、四本の腕で包みこむように握った。
「助け、られなかったんだ」
その言葉の後、ディオはそれ以上、何も言わなかった。
「……なるほどねえ」
アサキの声には、いつもの飄々とした響きがなかった。
目の前に立つ狼男。
彼の表情は乏しいが、それでも、その内側には燃え盛る感情が渦巻いている。
彼が身にまとう白い炎は、いつもと同じように、静かに彼の輪郭をなぞっていた。
だがアサキには、その炎の揺らめきが、怒りや悲しみの名残を抱えているように見えてならなかった。
アサキは一度、静かに目を閉じる。
そして再び、金の瞳を開いた。
「ねえ、ディオくん」
少しだけ間を置いて、アサキは口を開いた。
「僕がこの町を救おうとしてるのは、確かに尻拭いでもある。
でもそれだけじゃない。僕はこの街が……ヤノト市が、本当に好きなんだ。
どんな人であろうと、この街に住む人を、これ以上失うのは耐えられない」
アサキは一度、視線を伏せる。
「だから、天使に真っ向から対抗できる君の力は、とても魅力的だった。
……正直に言うと、頼りすぎた。君の気持ちを、ちゃんと聞かないままね」
アサキは、鎖を持ち上げる。
細かい紋様の刻まれたそれは、金属にしては妙に軽い音を立てた。
「天使を封じた後は、鎖の一部を君に譲渡するつもりだよ。上手くいけば、君の力も封じられる。
やがては、僕達と同じように時を過ごせるはずだ」
「……!」
自らを見つめるディオの青い眼を、アサキの金の瞳が見つめ返す。
「ごめんね、ディオくん。君に頼りっぱなしになってしまって。でも、この街を救ったら、君の願いは絶対ぜーったい叶えてあげるよ」
アサキは、彼から目を逸らさずに手を差し出していた。
「だから……もう少しの間、力を貸して欲しいんだ」
「……分かった」
短く、しかし確かな声だった。
差し出された手を、ディオはしっかりと握り返した。
「俺も今度こそは、アイツの手から救ってみせる」
アサキは笑みを見せた。
◇
再び人の姿に擬態したディオの腕に、アサキは包帯を巻いていく。
「そう言えばさ、君は“赤い実”のことを命の塊だと説明してくれたよね。
天使にとって、人の命を“赤い実”にする理由は何なんだい?」
「……食料にする為だ。本来は、“白い羽根”の用途も違う。
天使は、自分以外の人間に羽根を与えることにより、好きな夢を見せて楽しませられるらしい。
そして、その対価としてほんの少しだけ実を貰っていた、と」
「ふうーん、夢ねえ」
「はい終わり」と言いながら、雑に巻き終えた包帯を軽く叩くと、アサキは考え込むように顎に手を当てた。
「夢は、人の願いとも言えるものだ。もしかして、『願いが叶う』って言う噂もそこから来てるのかな」
よれよれの包帯に対し、ディオは少し不満げな顔を見せるが、すぐにいつもの表情を取り繕った。
「兎にも角にも、彼を見つけなきゃ話は始まらないんだけどもー……ぜーんぜん目撃情報がないんだよねぇ」
「アイツは俺でも見つけられない。もしかしたら、姿を自在に隠せるのかもな。
――だが、それでも俺には追える術がある」
そういうとディオは、自分の鼻をとん、とつついた。
「そうか、匂いか……! 君は犬科並みに鼻が利くんだったね」
「ああ。だが、最後に会ったのは随分昔の事でな、もう匂いを覚えていないんだ」
アサキが“白い羽根”の検体を取り出して見せた。
「これは?」
「弱過ぎる。ほぼ無臭に近い。腕や足、そんな身体の一部でもあれば話は別だがな」
「君、たまに物騒なこと言うよね~」
「お互い様だろう」
アサキは小さく溜め息をつき、“白い羽根”の検体の入った瓶を手で弄ぶ。
「うーん、会う為には身体の一部が必要だけど、それを手に入れる為には会わなきゃならない……見事な堂々巡りだね」
アサキはソファーに背中を預け、大きく背伸びをした。
「さーてさて、どうしたもんかな~」




