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71話 カタチとココロ Part.3



 イクスは鼻歌まじりで階段を上がり、自分たちの部屋の前に来ると、「キリー!」と呼び掛ける。


「おーいキリ! キーリー!! 開けてくれ~! 両手塞がってんだ!」

「なんだい、騒がしいねぇ」


 さらりとした黒いボブヘアの眼鏡の女性――キリがドアを開けると、イクスがお盆を掲げてニッと笑う。

 

「呑もうぜ~!」

「こんな昼からかい? 急に出動することになったらどうするんだい」

「ヘーキヘーキ! 今日はオレ達、休暇扱いだろ~?」

「まぁったく……」


 キリが文句をいいつつも、部屋の中央に小さな座卓を出すと、イクスはそこにお盆を置いた。

 

「昼から二人っきりなんて中々ないぜー? それに、ほら!」


 イクスが、お盆の上の小さめのグラスを指した。

 それを見た途端にキリが目を見開き、ぱっと手に取る。


「……これ……」


 それは、透明なぐい呑みだった。

 縁にはぐるりとパールホワイトの塗りが施され、底に向かって淡く溶けるように色が薄れていき、まるでミルク色の霧が静かにかかったような趣を見せていた。

 

「前に見かけた時、欲しがってただろ?」

「よく覚えていたねぇ」

「おうよ! んでさ、その中にコレいれたら、もーっとキレイだと思わないか~?」


 掲げられた青い瓶を見ると、キリは「……まったく」と笑いながら座卓の前に腰を下ろした。

 

 イクスが青い瓶の蓋を開け、ぐい呑みに透明な液体を注ぎ、「乾杯!」と声を弾ませながら自分のビール缶を軽く当てる。

 炭酸を含んだその水面からは細やかな泡が立ちのぼり、窓から差し込む陽光を受けて、器の中でより一層きらめいた。


「美しいねぇ」


 うっとりと眺めるキリを見て、イクスはほのかに笑った。

 

 二人はとりとめのない話を交わしながら、酒と料理を楽しんでいた。


 キリが鶏肉をつまみ、口に放り込むと、その表情が綻んでいく。

 おつまみをつまみつつ、時折嬉しそうにぐい飲みの輝きを眺めるキリを、イクスは赤い瞳を細めて見ていた。


「今頃みんな、始まり町の中かねぇ」

「だろうなぁ」

「無事に帰って来てくれれば良いねぇ……」


 ふと会話がとぎれ、少しの間、二人をまわりの音が包み込む。

 エアコンの稼働する音、外からかすかに聞こえる蝉の鳴き声。

 時折二人の箸がお皿に当たり、小さな音を立てた。


「――ねぇ、イクス。何かあったのかい」

「へっ!?」

「本部に呼ばれてから、君の様子が少しおかしいように見えてねぇ。一体どうしたんだい?」

「いや! オレは……あー……」

 

 口を開きかけては閉じ、しばし迷った末に、イクスは箸を置きキリを見た。


「……なあ、キリ」

「なんだい?」

「あー、あのな。もしもだぜ? もしも……オレが人間じゃないって言ったら……お前は、どうする?」


「人間じゃない? どこがだい?」

「へぁっ?」


 予想外の答えに、イクスが変な声を上げる。

 

「人間じゃないって、どこがだい?」

「いや、え、えーとなぁ、そもそも、もしもの話でな?」


 キリはむっと口を尖らせると、ぐい呑みをあおって空にする。

 そして、突如イクスの近くに寄ると、彼の頬を両手で挟んでぐにぐにとこねくり回し始めた。


「き、キ、キリひゃん!?」


 その後、イクスの頭を鷲掴みにして無理矢理後頭部を見たり、挙げ句の果てには彼の着ている服に手をかけてひん剥こうとまでする。


「うおおお、おいおいおい!! 待て!! キリ!! 待って!!!」


 慌ててTシャツを抑えると、お酒で顔を少し赤くしたキリが首を傾げた。

 

「なんだい?」

「なんだい?じゃねーよ!! 一体何してんだよ!?」

「人間じゃないなんて言うもんだから、着ぐるみなのかと思ってねぇ」

「んなわけねぇだろ!!!!」

「そうだろう? イクスは、ちゃんと人間じゃないか」


 なんともめちゃくちゃな持ち出し方に、イクスはぽかんと口を開ける。

 

「…………いや、もしもの話……あーくそ!」


 イクスは頭をかきむしった後、苦しげな表情を浮かべ、声を張り上げた。

 

「オレはっ……ガワだけなんだよ! 中身は違う! それに、いずれ、オレは……この手でお前を不幸にしてしまう……だから、」


 イクスの言葉は、口の中に突っ込まれた甘辛いごぼうによって遮られた。


「!!??」

「ごちゃごちゃうるさいねぇ」


 イクスはごぼうを咀嚼しながらも驚いたように目を見開く。

 

「こうして話せて、お酒を呑めて、一緒に過ごせて、他に何を気にするものがあるって言うんだい」

「ん、なっ……」

「ねえイクス」


 キリがイクスの肩を掴み、彼を真正面から真っ直ぐと見る。


「どんなものであっても、君がイクスであることに変わりはないだろう? 今、考え、動き、生きている――それは紛れもなく君自身だ。誰に否定されようと、うちは全力で君を保証してやるさ。それとも……君はこんな言葉だけじゃ満足できないような、ワガママな男だったかねぇ?」


 彼女の眼鏡の奥では黒曜のような瞳が輝き、唇には自信たっぷりの笑みが浮かんでいた。

 出会った頃のあの面影は全くない、光に溢れた表情。


「オレより、カッコいいとか……ほんっと反則だぜ……」


 キリは笑いながら、自分のぐい呑みに日本酒を注いだ。


「うちをカッコ良くしてくれたのは他でもないイクスだよ。あのまま家にいたら死んでいたさねぇ」

「……それも最初は、オレが生き残る為にエクスナーを探してただけなんだよ……でも」

 

 イクスは俯き、握った拳を膝に押しつけた。

 やがて顔を上げ、力強く言い放つ。


「今はお前を守り抜きたい! 絶ッッ対に呪化になんかくれてやらねぇ! 呪化が治まった後も、ずっとずっと守ってやる!!!」

 

 出会った時のような、まるで告白のような言葉に、キリは思わず吹き出す。

 

「いいよ、やってみな。それまでうちも戦い抜いてやるさね」

「……本当、(おとこ)らしくなったな……?」


 二人は笑いあうと、改めて、ぐい呑みと缶を打ち鳴らした。


 

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