8話 本部の案内鳥 スワン
清々しい朝だった。
雲1つ無いすっきりとした青空が広がっており、窓から入り込む冷たい風が、青年の茶色い髪を舞い上げる。
「ひー……目が覚めるなぁ……」
「セイヤさん、おはようございます~」
「おはよーナスカ!」
セイヤと呼ばれた青年は、羽織っているオリーブ色のカーディガンを手繰り寄せながら、リビングの壁に掲げられたホワイトボードへと向かう。
そこには5名の名前が書かれており、その隣には『見回り』『休暇』等々、各々の予定らしきものが書かれていた。
セイヤは自分の名前の横に、『待機』と書き込んだ。
「そういえばセイヤさん~。ルナガルが置きっぱなしでしたので、テーブル上に置いておきましたよ~」
「あっ、そうだった! ありがとう!」
セイヤはホワイトボードを確認した後、すぐにリビングへと向かう。そして、テーブルの上にある白いスマートフォンを手に取った。
「んー、あれ、緊急? 『新規部隊員配属通知』……? 新規……新規部隊員!?」
セイヤはメッセージを読み進めていく。
すると突然、
「ナ、ナスカぁ! 大変だ~~!!」
叫びながら、ばたばたと忙しなく駆けていった。
テーブルに放り出されたままのスマホの画面には、こんな文章が書かれていた。
『エクスナー・柴崎シウを、本日付けで対策部A班に配属とし、同日よりA班寮に入寮となる。A班各位は受け入れ用意されたし』
◇
街を騒がせるバケモノ達――“呪化”。
その呪化に、唯一対抗出来る力を持つ組織、アサキ・ファースト・カンパニー……通称・ファースト社。
その本部は、中心街の一角にあるごく普通のビルだった。
「……では、本日を持って新人研修は終了です。シウさん、お疲れ様でした」
シウと呼ばれた少女の顔が、達成感と嬉しさでほんのりと赤く色づいていく。
「スワンさんっ! ありがとうございました!」
笑顔でお礼を言うシウを見て、全身が白い衣で包まれた人物が、唯一露わになっている口元でにこりと微笑む。
スワンと呼ばれたその人物は、一見すると異様な姿をしていた。
白く丸いベレー帽のようなものを被り、目元は白い布で覆われて隠されていて、身体にはこれまた白い修道士のような服を身に着けている。
声は中性的であり、その服装のせいで顔はもちろん、性別すらも判別出来ないが……話してみると物腰が柔らかであり、非常に接しやすい人物だった。
本部での総務長的な立場であるらしく、シウの新人研修も担当していた。
「シウさんには、本日より正式に“エクスナー”として勤務していただきます。頑張って下さいね」
「はい!」
シウが与えられた役職――エクスナー。
それは、無限に再生し続けるバケモノである“呪化”の、再生の核となる“赤い実”に、唯一干渉出来る存在だった。
そして、その彼女の後ろに立つ、どこか無愛想な長身で黒髪の男……ディオ。
彼はシウのパートナーであるファースト社の戦闘員で、“アテンダント”と呼ばれる存在の一人だった。
「あー、本当名残惜しいですねぇ。せっかくの新しいエクスナーさんなのに、あまり交流も出来ず」
「……何を言っている。普段の業務ほっぽりだしてシウに付きっきりだったろう」
刺々しいディオの言い方に、シウは「あははは……」と苦笑いする。
「しかし、本当にこの男で良いんですか? くすりとも笑いもしないこの無愛想な男で? ご希望であれば、もっと愛想の良い優秀なアテンダントと組む事も出来ますよ?」
ディオが眉間に皺を寄せスワンを睨む。
……どうも、この二人はあまり仲が良くないらしく、シウはここ数日で、二人がいがみ合うような場面を何度か目撃していた。
「うん。あたし、パートナーはディオが良いんです。ちゃんと決めました!」
「そうですか」
笑顔で言うシウに対して、スワンはうんうんと頷いた後、「ディオさんちょっと」と彼を呼び出すと、こっそりと耳打ちした。
「一体いくら握らせたんです?」
「ブッ殺すぞ」
「いやー、なんせ愛想がまぁったく無くてそこら辺の石コロよりも面白味の無い万年無表情の貴方が、こんな可憐でいたいけな少女にタダでここまで懐かれてるとは思えなくてですね。研修中に化けの皮でもなんでも剥がれて、ワンチャンそろそろ嫌われてくる頃かなーって期待していたのですが」
「良い加減言動が過ぎるぞ……このクソ鳥が」
スワンは唸るディオを放置してシウに向き直ると、ぱっと笑顔を見せた。
「……はい! では、こちらはシウさんに支給される装備一式となります」
そう言って、スワンは机の上に様々な物を並べていく。
「こちらはうち独自の技術で開発されたスマートフォン……“ルナガル”です。こちらは社員の方一人一人の情報が登録されていまして、社員証代わりにもなりますので、常に携帯しておいてください」
「わぁ……ありがとうございます!」
スワンから白いスマートフォンを手渡され、シウが目を輝かせる。
それは、以前にディオから借りたものと同じもののようだった。
背面を見ると、あの時と同じ白いカバーが付けられており、六本足の狼の刻印もなされている。
「そして……」
スワンが黒い小さな箱を開けて見せると、そこにはルナガルのカバーと同じ、六本足の狼を模した小さなバッジがあった。
「こちらは、貴方が正式なファースト社の社員である事を示す大切なバッジです。制服の首元に着けてくださいね」
そう言いながら、スワンは真新しいバッジをシウに手渡す。
彼女の手の中で、バッジは白銀色に煌めいた。
「こちらは制服と一緒に、ひとまとめにしてお渡ししますね。では、これでこちらの用事はおしまいになります。何かご質問はありますか?」
「えっと……スワンさん。聞いてもいいですか?」
「はい、どうぞ」
「あの、この狼って、なにか意味があるんですか? いろんなものについてますよね?」
シウが手のひらに乗せたバッジを掲げながら言うと、スワンは「ああ」と笑みを見せながら答える。
「そちらはファースト社のシンボルですよ。うちで崇めている守護神様がモチーフになってます」
スワンが指す方向……会議室の前方の壁にも、同じ六本足の狼のエンブレムが掲げられていた。
「しゅごしん?」
「ええ。我らを護り、力を分け与えてくれる偉大な神様です。きっと、シウさんの事も見守ってくれますよ」
「ほえー……」
感心するシウの後ろで、ディオはまるで詐欺師でも見るかのような怪訝な表情でスワンを見ていた。
「では、後はA班の方へ向かっていただいて、そこのリーダーさんの指示に従ってください」
「はい! ありがとうございます!」
「A班には連絡済みか?」
「ええ。必要な物も手配済みです」
「そうか。また寸前に連絡したりしてはないよな?」
スワンは何も言わず、にこにこと微笑んだ。
「……まあ、良い。行くぞ、シウ」
「あっ! そうでした。最後にディオさんだけ、ちょーっと、良いですか?」
スワンがちょいちょいと手招きした。
そして、シウから見えないようにスッと彼女を指差した後、そのままその指を立てたまま自身の唇に当てる。
どうやら、今度はちゃんとした用事らしい。
「シウ、すまないが先に行っていてくれ。すぐに俺も向かう」
「あ、うん。わかったー」
シウは受け取ったばかりの紙袋を手に、部屋の外へと向かっていった。
彼女が部屋から出て少し経った後……ディオが口を開く。
「何だ?」
「ご報告です。頼まれていたシウさんのお兄さんへの連絡、無事に済みました。学校等の手続きもしてくれるとおっしゃってましたよ」
「よく連絡取れたな……他に、何か言っていたか?」
「随分なお喋りさんでしたね。色々おっしゃってましたが、要約すると『これでもう俺には関係無いから連絡を取ってくるな』との事です」
スワンが笑顔を崩さないままで言う。
しかし、元々あのシウの留守電にも反応が一切無かったような人物だ。
きっとしつこくコンタクトを取ったであろうスワンが、他に何を言われたか、易々と想像がついた。
「……嫌な思いをさせて、すまない」
「いえいえ、そんな事ありませんよ。それはそうとして」
スワンは一瞬の沈黙の後、口元を引き締めた。
「分かっているとは思いますが、改めてご留意ください。人間はとても脆いものです。何度でも再生し、永遠に生き続けられる貴方とは違うのですよ。
我らが守護神こと……神獣ディオ様」
スワンを、ディオの深い青の瞳が見つめる。
何か言いたげに、しかし、同時に言う事を諦めたような……そんな複雑な揺らぎを湛えた眼差しだった。
「勘違いしないでください。別に貴方の事を人間では無いと真っ向から否定したい訳ではありません。……ですが、今の人間の心身は、壊れてしまえば二度と元には戻らない。失ってからでは遅いのです。本格的に彼らと行動する事となった今、重々お忘れにならないように」
「……分かっている」
ディオの返事を聞くと、スワンはにこりといつもの笑みを浮かべた。
「しかしながら、この経験はきっと貴方にとって良い経験になるでしょう。ほら、若い女の子と暮らしたいと言っていたじゃないですか。良かったですねー」
「俺が言ったのは『今の人間の生活に興味がある』だ。色々と語弊がある気がするが?」
「そうでしたっけ? あぁ、それと貴方自身の仕事が無くなる訳ではありませんので、今後も定期的に本部に来ていただく事になると思います」
「分かった」
「このファースト社は、貴方の力無しでは成り立ちませんので。この駄犬……いや、神獣様頼りなのはなんだか悔しいですが」
「……何で一言多いんだ?」
「仲良しの証ですよ」
「ふふ」と笑うスワンに対し、ディオは心底嫌そうな表情を見せる。
「それでは、こちらの用事は済みました。そろそろ向かってあげてください」
「……ああ。またな」
スワンに促され、ディオは部屋を出て行く。
去っていくその後ろ姿を、スワンは軽く手を振りながら見届けた。