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60話 おばけさわぎ



 とある日の昼下がり。

 その日の対策部のA班の社員寮は、静まり返っていた。


 ディオとの昼食を終えたシウは、ひとりで後始末をしていた。

 洗い物をするシウは、手を動かしながらも、排水溝へ流れていく泡をぼうっと見つめていた。


「ねえ。かれらをたすけたこと、そんなに後悔してるの?」

「……分かんない……」

「わかんない? たすかったんだから、もっとよろこべばいいじゃないか」

「でも、後先考えないで、ディオにも迷惑かけちゃったし……」

「それほど必死にほかのヒトをたすけたくなるってことだろ? きっと、それは『やさしさ』ってやつだ」

「そう、かな」

「そうだとも。あのときだって、自分があぶないのに仲間をたすけようとしてた」

 

 少年とも少女とも似つかない不思議な声と会話しながら、シウは手を動かす。白い泡が、黒い穴へ、流されていく。


「ずっとみてたんだ。きみだけキラキラしてて、ほかのニンゲンとなにかちがうから」


 何かが後ろから、彼女の頬に触れた。

 それは人の指のようだったが、まるで血が通っているとは思えないような冷たさだった。


「ねえシウ。そのやさしさ、わすれないで。きっとむかえにくるから。それまで……ずっとぼくの理想でいてね」


 シウが答えるのを待たずに、その感触はするりと抜けていく。どこかで覚えのある清涼な風が、彼女の髪の毛をほんの少し揺らした。

 


「…………ちょっとまって」



 シウが振り向く。

 振り向いた先には誰もおらず、そこにはご飯時を過ぎて空っぽになったダイニングがあるだけだ。


「あたし、今、誰と話してたの……?」


 誰もいないのだから、当然その答えが返ってくる筈もない。


 少しの間、出しっぱなしになった水道の音と、開け放された窓から入る風によってはためくカーテンの音だけが響いていた。





 ディオは自室のデスクで、書類を作成していた。

 眉間に皺を寄せつつも、文頭に『始末書』と書かれた紙の上にペンを走らせる。


「まさかバレるとはな……くそ……」


 文句を言いながらも、時折ルナガル(ファースト社専用スマホ)と睨み合い、ペンを進めていく。 

 ――そんな時。激しくドアを開け放ち、シウが飛び込んできた。


「シウ? 一体どうし」

「おばけーーーー!!!」

「は?」


 慌てて駆け上がって来たようで、彼女は肩で息をしている。


「おばけ!!! このおうち、おばけがいる!!! ゆーれい!!」

「落ち着け。一体、どうしたんだ?」





「誰もいないのに声が聞こえた?」

「……うん」


 なんとかシウをなだめて座らせると、彼女は自らにあった事を話し始める。

 

「聞いたことない声でね! なんかっ、いつの間にか話してたのは覚えてるんだけど、なんで普通に話してたのか思い出せなくて、でも、振り返ってもだれもいなくて!」

「……」


 必死に話すシウを目の前に、ディオは酷く神妙な顔をする。そしてルナガルを手に取って何やら操作すると、シウに画面を見せた。

 

 そこには、『当日受診可能な心療内科一覧』の文字が。


「好きな所を選べ」

「ちがうの!!!」


 ガーッとシウが吠える。


「シウ、認めたくない気持ちは分かるが……こう言うものは早めに対処した方が」

「ちがうんだってば!! 幻聴じゃないもん!!! 本当に話してたんだってば! あと、冷たい指みたいのがあたしの顔を触ってきたの!」

「……?」

「本当だってば!! おばけだって! あれはぜーーったいおばけ! また来るって言ってたし、あたし呪われたのかも!?」

「そんな事は無いだろう。きっと、色々あって疲れが溜まっているんだ。明日は出掛けずに、きちんと休息を取っておけ」

「んもーー!!」


 シウは立ち上がり、「ディオのばか!!!」と叫ぶと、やや乱暴に扉を閉めて部屋を出て行ってしまった。


「何だったんだ……?」


 残されたディオはペンを取ると、再び始末書を書き始めた。

 

 彼らの街には、もうすぐ夏が来る。

 夏の暑さは“白い羽根”の活動を弱めさせるらしく、降り落ちる数が極端に少なくなる。

 

 それはすなわち、彼らに休息の一時が訪れると言うことだった。


 

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