60話 おばけさわぎ
とある日の昼下がり。
その日の対策部のA班の社員寮は、静まり返っていた。
ディオとの昼食を終えたシウは、ひとりで後始末をしていた。
洗い物をするシウは、手を動かしながらも、排水溝へ流れていく泡をぼうっと見つめていた。
「ねえ。かれらをたすけたこと、そんなに後悔してるの?」
「……分かんない……」
「わかんない? たすかったんだから、もっとよろこべばいいじゃないか」
「でも、後先考えないで、ディオにも迷惑かけちゃったし……」
「それほど必死にほかのヒトをたすけたくなるってことだろ? きっと、それは『やさしさ』ってやつだ」
「そう、かな」
「そうだとも。あのときだって、自分があぶないのに仲間をたすけようとしてた」
少年とも少女とも似つかない不思議な声と会話しながら、シウは手を動かす。白い泡が、黒い穴へ、流されていく。
「ずっとみてたんだ。きみだけキラキラしてて、ほかのニンゲンとなにかちがうから」
何かが後ろから、彼女の頬に触れた。
それは人の指のようだったが、まるで血が通っているとは思えないような冷たさだった。
「ねえシウ。そのやさしさ、わすれないで。きっとむかえにくるから。それまで……ずっとぼくの理想でいてね」
シウが答えるのを待たずに、その感触はするりと抜けていく。どこかで覚えのある清涼な風が、彼女の髪の毛をほんの少し揺らした。
「…………ちょっとまって」
シウが振り向く。
振り向いた先には誰もおらず、そこにはご飯時を過ぎて空っぽになったダイニングがあるだけだ。
「あたし、今、誰と話してたの……?」
誰もいないのだから、当然その答えが返ってくる筈もない。
少しの間、出しっぱなしになった水道の音と、開け放された窓から入る風によってはためくカーテンの音だけが響いていた。
◇
ディオは自室のデスクで、書類を作成していた。
眉間に皺を寄せつつも、文頭に『始末書』と書かれた紙の上にペンを走らせる。
「まさかバレるとはな……くそ……」
文句を言いながらも、時折ルナガル(ファースト社専用スマホ)と睨み合い、ペンを進めていく。
――そんな時。激しくドアを開け放ち、シウが飛び込んできた。
「シウ? 一体どうし」
「おばけーーーー!!!」
「は?」
慌てて駆け上がって来たようで、彼女は肩で息をしている。
「おばけ!!! このおうち、おばけがいる!!! ゆーれい!!」
「落ち着け。一体、どうしたんだ?」
◇
「誰もいないのに声が聞こえた?」
「……うん」
なんとかシウをなだめて座らせると、彼女は自らにあった事を話し始める。
「聞いたことない声でね! なんかっ、いつの間にか話してたのは覚えてるんだけど、なんで普通に話してたのか思い出せなくて、でも、振り返ってもだれもいなくて!」
「……」
必死に話すシウを目の前に、ディオは酷く神妙な顔をする。そしてルナガルを手に取って何やら操作すると、シウに画面を見せた。
そこには、『当日受診可能な心療内科一覧』の文字が。
「好きな所を選べ」
「ちがうの!!!」
ガーッとシウが吠える。
「シウ、認めたくない気持ちは分かるが……こう言うものは早めに対処した方が」
「ちがうんだってば!! 幻聴じゃないもん!!! 本当に話してたんだってば! あと、冷たい指みたいのがあたしの顔を触ってきたの!」
「……?」
「本当だってば!! おばけだって! あれはぜーーったいおばけ! また来るって言ってたし、あたし呪われたのかも!?」
「そんな事は無いだろう。きっと、色々あって疲れが溜まっているんだ。明日は出掛けずに、きちんと休息を取っておけ」
「んもーー!!」
シウは立ち上がり、「ディオのばか!!!」と叫ぶと、やや乱暴に扉を閉めて部屋を出て行ってしまった。
「何だったんだ……?」
残されたディオはペンを取ると、再び始末書を書き始めた。
彼らの街には、もうすぐ夏が来る。
夏の暑さは“白い羽根”の活動を弱めさせるらしく、降り落ちる数が極端に少なくなる。
それはすなわち、彼らに休息の一時が訪れると言うことだった。




