6話 捨てないで
次の日。
シウの家にディオが訪れた。
約束の時間きっちりに現れた彼は、昨日の制服姿とは違い、黒のタートルネックにデニム、それにシンプルなコートを羽織っていた。
そして、手には複数の書類が入った分厚いファイルケースを携えている。
「えと、ようこそ……?」
「失礼する」
ぎこちないやり取りの後、シウはディオをリビングに案内すると「テキトーに座っててください!」と言って、台所へと向かう。
残されたディオは、静かに周囲を見回した。
いつのものだろうか……色あせた家族写真が一枚飾られていた。
その写真立てに入ったヒビを、セロハンテープが無理矢理押さえている。
ちらりと見えてしまったゴミ箱には、コンビニの袋とカップ麺の容器、菓子パンの袋が詰まっていた。
部屋の家具は掃除が行き届いていないようで、白く埃をかぶっていた。
「おまたせしました。麦茶しか、なかったけど……」
背後から聞こえた声に、ディオが振り返る。
「この家は、他に誰もいないのか?」
「いません。ずっといないです」
シウは小さく笑って答え、手にした麦茶をトレイに乗せて運んできた。
「一人で暮らしているのか?」
「はい。……あっ、お金は、兄がいつの間にか置いてってくれてるので、それでご飯とか買って、ます」
シウが、コップをディオの前に置く。
その手は、少し震えていた。
「(一体、どう言う事だ……?)」
違和感を覚え、ディオの眉間に皺が寄る。
ディオは麦茶にお礼を言いつつも、強く握った拳を膝の上に隠した。
◇
テーブルを挟んで向かい合わせに座ると、ディオはファイルケースから資料を取り出し、説明を始めた。
――シウは対策部と言う所に所属し、“エクスナー”という役職が与えられること。
そして、“アテンダント”と呼ばれる戦闘員の中から専属のパートナーが付き、安全と利便性の為に、必ず社員寮に入らなければならないこと……。
ディオは時折資料と睨み合いながらも、丁寧に説明をしていく。
「それで、正式に加入した後の話だが、まずは本部で研修を受け、その後に社員寮へ入寮となる。そこで、時期についてだが……」
「ソレ、もう今日から行けます」
「……え?」
ディオが、一瞬だけ呆ける。
シウは小首を傾げ、当然のように言った。
「今日は、その手続きに来たんじゃないんですか?」
「いや、今日は説明と意思確認のためだ。そもそも、まだ学生だろう?」
「……学校は、行ってないので、大丈夫です」
バツが悪そうに俯くシウに、ディオが軽くため息を吐いた。
「まず、この事を親……いや、兄には知らせているのか?」
「知らないです。連絡の取りようがないですし」
「スマホが止められていると言っていたか。別に、昨日貸したものを使っても構わないが」
「……電話しても、きっとあたしだって分かったら切られます」
「どういう事だ? 家族だろう?」
思わず出たディオの言葉に、シウは膝の上で手をきゅっと握った。
「……家族は、みんな、あたしのことが嫌いなんです」
絞りだしたような声だった。
「もっと、頑張ればよかったんです。嫌われないように、迷惑かけないように。……でも、できなくって」
唇を震わせ、シウは押し黙った。
ディオは荒れた部屋の様子を思い出す。
そして、そこに感じた違和感も。
違和感じゃない、これは、
異常だ。
「……なあ。こういう事を言うのは、失礼だとは分かっている。が、会ったばかりの俺から見ても、お前の置かれているこの状況はおかしい。一体、何があったんだ?」
ディオは静かに言った。
その声に、シウが小さく身をすくめた。
だが、やがて小さく息を吐く。
「元々は、あたしたち家族は、四人で暮らしてたんです。でも、父が出て行って、母がおかしくなっちゃったら、兄も、帰ってこなくなって……」
シウは声を震わせながら、ぽつぽつと話していく。
「兄は仕事してたから、他に部屋を借りたんだと思います。でも、あたしは、どこにも行けなくて、家に残って……でも、だんだん、母は壊れていって」
そこで、彼女は言葉を詰まらせた。
肩を抱くように、自分をぎゅっと抱きしめる仕草をした。
「ある日、学校から帰ったら、『全部お前のせいだ!』って……いきなり、包丁で……背中を、刺されて……」
「……!!」
ディオの胸に、冷たいものが流れ込んだ。
彼は無意識に、拳を強く握る。
「母は逮捕されて、あたしはずっと入院してました。高校は事情が事情だからって在籍させてくれてたけど、みんなに知られてるから、なんだか行きづらくて」
膝の上の手が、指が白くなる程にきつく握られる。
「きっとあたしは、母が言うように、邪魔な人間なんです。学校に行ってもみんなに気を使わせちゃうし、家にいたら、あたしのせいで誰も帰ってこれない。でも、どこにもいけなくて、どこに行けば良いか分からなくて……」
「もしかして、あの時“白い羽根”を持っていたのは……」
ディオがそっと問うと、シウは頷いた。
「本当は、どうしても叶えたい願いがあったんです。あたし、普通の人間になりたくて。……嘘ついて、ごめんなさい。」
「……普通の、人間……?」
ディオは驚きを隠せない様子で、彼女の言葉を繰り返す。
「お前は、どう見ても普通の人間だろう? 一体、何を言って」
「違います。学校に行けて、家族を不快にさせなくて、嫌われなくて、いらないって思われない。……そんな、普通の。でも、あたしは違うんです。だから、普通になれたら、みんなおうちに帰ってくるって思って、でも……」
シウは震える手で顔を覆った。
「――“白い羽根”は、そんな願いを叶えてくれるものじゃなかった……!」
悲痛な叫びとともに涙が零れ、スカートに小さなシミを作っていく。
「本当はいなくなりたかったんです!あたしが消えたら、両親も、兄も、幸せになれるって!
でも、あたしもみんなといたくて、家族でいたくて……!」
嗚咽交じりに、声を絞り出す。
「でもっ、どうすればいいかわからなくて、だから、どんな願いでもかなえてくれるって聞いて、羽根を……」
ごめんなさい、ごめんなさい、と、泣きながら何度も謝るシウ。
――その肩に、そっと温もりが触れた。
「シウ」
シウが顔を上げると、そこにはディオがいた。
無表情なはずの彼の目が、どこか痛むように細められている。
「……辛かったな」
優しく、しかし力強い声だった。
ディオは彼女と同じ高さに跪き、まっすぐにその目を覗き込む。
「よく話してくれた。もう、大丈夫だ」
シウの瞳が、涙でにじんだまま揺れる。
「家族は大切だ。だが……壊れた場所に留まる必要はない」
ディオはそう言うと、静かに彼女に手を差し伸べた。
「ファースト社に来い。きっと、お前自身を必要としてくれる仲間が出来る筈だ」
「でも、でも、あたしなんか……」
「そんな事は無い」
確信に満ちた低い声で言いながらも、ディオはシウから目を逸らさずに、ゆっくり首を振った。
「こんなにも他人を想い、心を痛められるような人間が嫌われる訳無いだろう。
……もう、大丈夫だ。これまで、よく頑張ったな」
シウの目が、大きく見開かれる。
涙が一粒、ぽつんと落ちた。
――そして次の瞬間、堰を切ったように、嗚咽が溢れた。
彼女はディオにしがみつき、声をあげて泣き始めた。
ディオは驚きながらも、すぐにそっと手を回し、震える背中を撫で続けた。