49話 ignore Part.3
止んでいた筈の雨が、再び降り始める。
呆然と立ち尽くすシキの眼前に、ナイフを持つラムダが迫る。
――そのラムダへ、アルテが掴みかかった。
「シキ様!! 逃げて!」
「邪魔だなぁ」
ラムダはアルテを軽く振り払い、首根っこを持って地面に叩きつける。
その行動には、一切の容赦が無かった。
「ッあ!」
「アルテ!! おい!! 何をするんだラムダ!?」
「邪魔をするなよアルテ。キミの代わりに私がやるだけ。私の代わりに、キミは助かるんだよ」
ラムダはシキの言葉など耳に届かない様子で、ナイフを片手に、シキの方を向いた。
「さあ、シキ。キミもいい大人だ。分かるだろ?」
シキがたじろぐのも気にせず、ラムダはシキの方へ一歩、また一歩と距離を詰めていく。
しかし、そのラムダに再びアルテがしがみついた。
「……させませ、ん! 今の内に、早く、逃げて! シキさまぁ!!」
「バカ! アルテ!!」
「邪魔をするなと言っただろ?」
ラムダは忌々しそうにアルテを見下ろすと、彼女を乱暴に振り払い、その腹を蹴り上げた。アルテは声にならない声を上げ、地面に倒れ込む。
「アルテェ!!!」
「何故分からないんだ? 失敗ばかりで、いつまでも新人気分か? ……そんなに邪魔をするなら、お前からだな」
アルテは苦しそうに呻きながら腹部を抑え、動かない。
ラムダはナイフを手にしたまま、彼女の方に向き直った。
「やめろ! ラムダ!!」
「……あ、アル、テの、ことはい、いい、です……早く、に、にげて……シキ、さま……」
ラムダが口元に笑みを浮かべ、ナイフを持つ手を振り上げる。
「にげて、しきさま」
その時、堰を切ったようにシキが駆けだした。
ラムダの背に思い切り体当たりをし、彼をよろめかせる。
その衝撃で、ラムダの手からナイフが落ちた。
「何!?」
振り向いた彼の頭を、シキは自分のナイフの柄で数発殴りつける。
鈍い音が響き、ラムダは地面に倒れ込んだ。
その彼に、すかさずシキは馬乗りになる。
「くっ、やめろ! 退け!!!!」
ラムダの怒号が響く。
シキはナイフを両手で持つと、刃先を下にして、
大きく頭上に振り上げた。
◇
「シキってさ、自分の感情に振り回されないよね」
「んあ? 何の話だぁ?」
「戦い方の話だよ。君の振るう刃先には迷いが無い。いつも冷静に、その場では何をすべきかを考えられて……しっかりと目の前を見据えている」
そこでラムダは、水色の瞳を細めながら「ふふ」と笑った。
「だから強いんだよなぁ、シキは」
「んだよ……褒めてもなんもでねーぞぉ」
「はは。別にいいさ」
「これからもよろしくね。シキ」
◇
突然、雨足が強くなる。
視界を奪うほどの雨の先、アルテが見たものは、
ラムダの喉元へナイフの刃を突き立てた、シキの姿だった。
「シキ、さま」
ラムダの水色の瞳が、シキを見つめる。
シキはナイフを握り直し、力を入れ直すと、突き刺した刃を、真横へと引いた。
シキを振り払おうとしていたラムダの腕が、力無く地面へ落ちた。
雨水に混ざった濃い赤色が、地面へじわりと広がっていく。
「……っは、はあっ……くそっ……」
シキは、手の中のナイフを放り投げた。
「シキ様!!」
「アルテ……」
シキは立ち上がると、事切れたラムダを見下ろす。
いつもの余裕のある彼からは想像出来ない、絶望したような、泣き出しそうな……そんな痛々しい表情で。
「一体、なんで……なんでなんだ……ラムダ……」
シキが、ラムダを見下ろしたまま呟いた。
その時。
雨の音に紛れてかすかに聞こえる人の声を、アルテの耳が捉える。
「……! シキ様、逃げましょう! ファースト社の人に見つかったら、助かりません!」
「どういう事だ……一体どうなってんだぁ……?」
「すべて後で説明します! ひとまず、今は逃げましょう!」
シキの手を強引に引くと、アルテは自分の腹部を押さえながらも走り出した。
雨が、すべてに降り注ぐ。
ぬかるみに残った二人の足跡も、端々に残る血の跡も、すべてが激しい雨にかき消されていった。




