48話 ignore Part.2
雨が止み、雲の隙間から青空が見え始める。
開け放された車のバッグドアからの水滴が、必死に手当をするアルテの背に落ちた。
社用車の荷台に座ったシキは、アルテの手当を受けている。その間も、何となくあの二人を見ていた。
クイナの顔色は相変わらず良くないが、ラムダの様子もどこかおかしいままだ。
二人は何度か言葉を交わした後、どこかへ移動し始める。
向かう先は……人気の無さそうな林の奥だ。
「……?」
思わず身を乗り出して見ていると、ぐいっとアルテに引き戻される。
「シキ様! ちゃんと手当させてください! 化膿したらどうするんですか!?」
「しねぇよー」
「し・ま・す! そうなったら大変な事になるんですからね!」
「へぇへぇ」
大人しく手当をされるも、シキはどうしてもあの二人が気になり、二人が去っていった方向をちらちらと見ていた。
「ひとまず終わりましたが、足の方は応急処置しか出来ないですね……至急、応援を手配してもらいます」
「ういうい」
シキは着替え用に持って来た新しい上着を羽織ると、本部に連絡を取るアルテを置いて、こっそりと二人の後を追い始めた。
◇
「こっちだったよなぁ?」
ぬかるみに足を取られつつも草の生い茂った道を行くと、何やら言い争う声が聞こえ始め、ついにあの二人の姿が見えた。
シキは草陰に隠れ、そっと様子を伺う。
「……だから、もう、アタシは出来ない! 限界だよ、もう疲れたんだ!」
「クイナ」
「なぜ、少し強いからって、S班ばかりが危険な目に合わなきゃならない!?」
「それが私達の役目なんだよ。その分待遇も」
「今日だって!!!!」
ラムダの言葉をクイナは遮り、ぎゅっと拳を握り俯く。
「今日、だって、もう少しで……死ぬところだった! そればかりか、シキにあんな怪我もさせてしまって」
「クイナ」
「下手したら、もしかしたら、あれで、シキも……!!! アタシはまた、仲間を!」
「落ち着くんだ、クイナ。本部と話をして、少し休みを貰おう。だから」
「もう、無理……無理なんだよ……もう、できない……いっそ、あれで、アタシは死んでしまえば良かったんだ……みんな死なせてしまったのに、アタシだけ……」
「いけない!!! クイナ! 自分が生きる事を、否定しては……!」
クイナはへたり込むように地面に座り込む。
そしてその直後――、座り込んだクイナの体から、黒い煙が湧き出して来る。
「……やはり、もう駄目だったか」
ラムダはすべてを諦めたかのような、悲しげな笑みを浮かべた。
クイナが、酷く苦しみ始める。自分の体をきつく抱きしめ、泥だらけの地面へ頭を打ち付けつつもがき苦しんでいた。
「ぐっ、う……!」
「クイナ」
「たす、け、あ、ラム、ダ……!」
ラムダは跪いて、自身に向けて伸ばされた彼女の手を握る。
泥にまみれるのも構わず、その体を引き寄せて、クイナを強く強く抱きしめた。
「大丈夫だ、大丈夫だよ、クイナ」
「なにが、くる、し」
「クイナ、大丈夫。すぐに、私が助けてあげるから」
抱きしめたまま、左手で彼女の背中を優しく撫でる。
「クイナ」
彼の右手には、柄の白いナイフ。
「ごめんね」
それを、クイナの首に突き刺した。
――その瞬間、シキの視界が黒に染まる。
思わず体がこわばった。
しかし、暖かく柔らかな感触に気付き、どうやら誰かの手で目を塞がれたらしいと分かる。
「……シキ様……」
それは、微かなアルテの声だった。
体のこわばりが解け、自然にナイフに伸びていた手が静止する。
「……アルテか?」
「本当に、申し訳ありません……これは、アルテの過失です……」
ぽそぽそとした、今にも泣き出しそうなアルテの声が背後から聞こえる。
「どうか、どうかコレを、見なかった事にしてください。 今、引き返せば、まだ、間に合います」
かすれた声でアルテは懇願した。
「お願いです。シキ様、戻りましょう……クイナさんとラムダさんは、残念ながら、呪化に……呪化に、殺されてしまったんです……」
「アルテ」
シキがアルテの手をつかみ、引き剥がした。
解放された視界の奥で、泥と血だまりの中に倒れるクイナと、側に立ち尽くすラムダが見えた。
シキは、二人を背に振り向いた。
「わりぃが、オレぁそんなんじゃ納得しねぇ」
アルテをまっすぐに見据える目。
強い光をたたえたその灰色の瞳に、アルテは今にも泣き出しそうな顔でたじろいだ。
「話せ。あれぁなんなんだ?」
あれ、と、向こうの光景を手で示す。
「何故クイナは殺された? しかもずっと共に戦った仲間によ……何故、ラムダは殺した!? そもそも、お前達は、最初からオレらを」
「違います!」
「殺そうとしていたのか」と言うシキの言葉を、アルテが遮った。
「アルテ達アテンダントは、誰だって自分のパートナーを失いたくありません! ずっとずっと一緒に居たいんです!!」
「じゃあ、なぜ」
「シキ、アルテ」
背後から声をかけられ、アルテは「あっ」と声を漏らし、シキの心臓が跳ねた。
聞き慣れた滑らかなあの声だ。
だが、その声は酷く冷たく、まるで針のように鋭く突き刺さる。
「もしかして、見ていたのか?」
シキがゆっくり振り向くと、予想通り――そこにはラムダが立っていた。
何の感情も無い、無機質な視線をこちらに向けながら。
「ラムダ、さん」
アルテがその名を呼ぶ。
シキは思わず彼から一歩引き下がり、息を飲み込んだ。
「アルテ。何故シキを止めておかなかったんだ? 伝えただろう。クイナが、もう限界が近いって」
ラムダはクイナの血に汚れた首を傾げ、まるで赤子に接するかのように優しくアルテへ語りかけつつこちらに歩み寄ってくる。
雨上がりの湿った匂いが、彼が纏う鉄の臭いに上書きされていく。
「す、みませ」
「仕方無いな、もう」
ラムダは少し俯くと、その口元を大きく吊り上げる。
「……こうなったら、お前も処分だな!!!」
ラムダは血に塗れたナイフをシキに突き出して、大声で笑った。
「あ? おめぇ、何言ってんだ!」
「……! シキ様、逃げて!! もう、ラムダさんは、おかしくなってしまっているんです!」
「酷い言い方だな、アルテ。私はいつも通りだよ」
「仲間にナイフ向けるヤツの、どこが正常だって言うんだよ!?」
「仕方無いだろう。これも、我らアテンダントの仕事なんだから」
先程とは打って変わり、ラムダは冷たい声色で淡々と言いながら、一歩、歩を進める。
シキは後ずさり、自身も武器を抜いた。
「他の人間共の為に君達エクスナーは殺さなきゃならないんだ。そしてその役目はいつも共にある私達アテンダントがやらなければならない。どんなに頑張ってくれているのか知っていてもいくら共に居たくてもどんなに好きでもいくら思っていても、最期は常に共に有り見張れる私たちがやらなきゃならない……私達自らの手で終わらせなければならない」
早口で言い切った後に、ラムダは吹き出すと、そこで声を上げて笑った。
それは、まるで泣いているかのようにも聞こえた。
「あっはは……いくら願ってもさあ! どんなに抗おうとしてもさあ! 私達アテンダントの願いは、思いは! すべて無視されてしまうんだ!!! 私達は、共に、普通に、普通に生きていたいだけなのにさ……全ては、我々アテンダントが生まれる時に背負った罪の為に……平和の為と言う名目の前に!」
狂ったように笑い声をあげたかと思うと、ため息をつく。
「抗えない。抗えないんだ……だからさ、シキ。君も死ぬべきだよ。秘密は守らねばならないのだから。エクスナーは、他の人間の為に絶望を一手に引き受けて散っていくのが役目なんだ。そう、他の人間共の平和の為の奴隷さ。ねえ、エクスナー?」
ラムダが微笑みながら歩み寄ってくる。
その手には、白いナイフを握って。
「分かってくれるね?」
シキがギリ、と歯を噛みしめる。
その頬を、水滴が1つ伝い落ちた。




