5話 斜陽
気が付けば、忙しなく駆け回っていたはずの人々の動きは大分落ち着いていた。
いつの間にか、ファースト社の面々の中に警察官も加わっており、人的被害はゼロだとか、建物もすぐに修復できそうだとか……そう報告しあう声が聞こえる。
そんな彼らを、シウはベンチに座ったままぼーっと眺めていた。
ディオはと言うと、先ほどから少し離れた所で白いスマートフォンで誰かと通話をしている。
「……なるほど……では、詳細を説明して……日程も確定させる……ああ、頼む」
話が終わったらしく、スマホをしまいながらこちらに戻ってくるのが見えた。
シウは立ち上がってディオに向き直る。
「待たせた。詳しい説明をさせて貰いたいのだが……都合の良い日を教えてくれないか」
「あ、明日でも、ぜんぜん大丈夫です」
「明日だな、分かった。ひとまず、今日の所は家に送ろう。住所と連絡先を教えて貰えないか?」
「連絡先……」
「電話番号か、ああ、別に他の連絡手段でも構わない。メッセージアプリでも何かあれば」
「あたしのスマホ……今止められてて……」
気まずそうに言うシウを見て、ディオは口元に手を当て何かを考え込む。
その時、二人の近くを一人の青年が通った。
「リカルド!」
「おっと、はいはい」
それは、先程ディオが“赤い実”を手渡した金髪の男性だった。
ディオが呼び止めると、彼はすぐにこちらに向かって来る。
「呼びました? おや、そちらの方は?」
「新しいエクスナー候補者だ。偶然場に居合わせて、今回の討伐を手伝ってくれたんだ」
「なんと」
「なるほど、それで」と、リカルドが頷く。
「あの“赤い実”、貴女のお陰だったんですね。本当にありがとうございます」
「あ、いえ、あの、どういたしまして」
「しかし、エクスナー候補者とは……あれ、もしかして、ディオさんが既にスカウトを?」
少し苦い顔をしながらディオが頷くと、その様子にリカルドが少し驚いた顔を見せる。
「へえ! ディオさんが自ら動くとは意外でしたね。口下手そうですし、こういうのは苦手だーとか言って僕達にぶん投げて来そうなんですが」
「……お前、俺をそんな風に思っていたのか」
そこでリカルドは「おっと」と口を塞いだ。
「まぁ、良い。リカルド、お前予備のルナガルを持ってないか? 連絡手段として、彼女に渡しておきたい」
「あ、はいはい。えーと」
リカルドは懐やウエストポーチをごそごそと漁ると、やがて1つの白いスマートフォンを取り出し、ディオに手渡した。
「じゃあコレ、お貸し致します。僕個人のじゃなくて支給品なんで、本部に直接返して貰えれば大丈夫ですんで」
「助かる」
ディオはそのスマホを少し操作した後、シウに手渡した。
「これはファースト社専用の連絡端末だ。“ルナガル”と呼ばれている。連絡用に持っていてくれ」
シウは受け取った“ルナガル”をしげしげと見つめる。
それはスマートフォンとほぼ同等の品のようで、画面を軽くタップすると待ち受け画面が立ち上がった。
背面には白いカバーがついており、そのカバーにはファースト社のロゴと狼の絵が刻印されている。
――よく見ると、その狼は後ろ足は二本だが、前足が四本ある、六本足の狼だった。
「ここを押して、こうすると、俺とメッセージのやりとりが出来るようにしてある」
「じゃあ、僕は報告があるのでこれで」
「ああ、ありがとう」
去っていくリカルドに、シウがぎこちなくお辞儀をすると、彼も会釈を返した。
「ひとまず、今日は自宅まで送ろう」
「ありがとう、ございます」
騒ぎが収まりつつある現場を抜け、二人はディオが乗ってきたらしい車の元へ移動する。
ディオは助手席の扉を開けてシウを先に乗せ、その後に運転席へ乗り込んだ。
シウが後部座席をのぞくと、そこには見たことのない道具や機材が積まれている。
「……少し散らかっていて、すまないな」
物珍しそうにシウが見ていると、少し恥ずかしそうにディオが言った。
エンジンがかかると、やがて車は走り出し、しゃりしゃりとした道ばたの雪を踏みながら、市街地の喧騒を抜けていく。
彼が運転する車の中で、流れて行く景色をシウは静かに見つめていた。
◇
「じゃあ、詳しい話はまた明日に」
「分かり、ました」
ディオが車に乗り込むのを見届けた後、シウは自宅の扉を開けて中へと入る。
彼のエンジン音が遠ざかるのを扉越しに聞きながら、シウはただいまも言わずに靴を脱ぎ捨てた。
今日だけで色んな事があった。
ディオとの出会い、“呪化”との遭遇、そこで判明した、自分が呪化に対抗出来る数少ない人間であると言う事。
そして……ファースト社への誘い。
『じゃあ、明日詳しい話をしに行かせて貰う。お前は未成年だよな……事前に、家族に軽く説明をしておいて欲しい』
車内でディオに言われた事が、シウの頭をよぎる。
「……」
明かりも点いていないリビングの中、シウはサイドボードにある写真立てを見つめた。
表面のガラスにはヒビが入っており、中には笑顔を交わす家族の写真が入っている。その写真には、二人の大人と、小学生くらいの男の子、そしてその男の子に抱きかかえられた小さな女の子が写っていた。
シウは、割れた家族写真にそっと触れた。
「……一緒にいないなら、家族じゃないよね……」
静かで暗い部屋に、傾きかけた日が差し込む。
写真に触れる少女の右手首。
そこに巻かれた包帯だけが、やけに白く浮かんで見えた。