40話 すてたもの
木の軋むような音と、黒板を引っかいたような音の混ざる不快な声が迫り来る。
「シウ!! 右だ! 右に避けて!」
茶髪の青年が叫んだ。
彼の声に従って、少女――シウが右に飛び退くと、寸前まで彼女が居た地面に黒い拳がめり込んだ。
えぐれた地面を見たシウは息を飲むも、手の中にある白い柄のナイフを握り直し、キッと呪化を睨み付ける。
「シウ!」
黒髪と青の瞳を持つ、褐色肌の男が叫ぶ。
「そろそろ無力化するぞ! 行けるか!?」
「うん!」
褐色肌の男――ディオの腕につけられた白銀のガントレットが、かちり、と鳴る。
彼は“ヒトガタ”の呪化の前へ駆け出すと、雄叫びを上げながらその腕を振り上げた。
彼が右の拳を呪化の左肩に鋭く打ち付けると、木が折られるような乾いた音が響き、呪化の腕が地面に落ちる。
続いて、間髪入れずに放たれた左の拳が、その頭部を砕いた。
「行け!!」
彼の合図で、シウの白い柄のナイフが呪化の体に突き立てられる。
刃がその体を斜めに引き裂いていき、飛び散る小さな火花で、ナイフの刀身が煌めいた。
切り開いた腹部にシウは思い切り腕を突っ込むと、素早い動作であっという間に“赤い実”を引き抜いた。
呪化が悲鳴を上げながら天を仰ぎ、その体がぼろぼろと崩れ始める。繊維の1つ1つが地面に散らばっていき、やがて完全に消え去っていった。
「二人とも、お疲れ様!」
駆け寄ってくる茶髪の青年――セイヤに、シウは笑顔で応えた。
◇
A班の担当地区に“ケモノガタ”が出現し始めてから、2週間が経とうとしていた。
あの後もケモノガタが現れたが、シキとアルテの二人が対処し事なきを得ている。
しかし、彼らは意外にもヒトガタの呪化を苦手としており、それらが出た場合にはA班の面々で対処をしていた。
『オレらは攻撃力が有り過ぎんだ。ヒトガタだと吹き飛ばしちまって、下手すりゃあ“赤い実”ごと破壊しちまうんだよ』
いつだったか、シキが煙草をふかしながらそんな事を言っていた。
「ねえ、セイヤ」
「んー?」
「もしも、“赤い実”が砕けたりしたらどうなるの?」
シウが“赤い実”をいつもの瓶に収めながら言った。
「実は俺もちゃんと知らないんだよね。その破片からまた呪化が出てくるとか聞いた事があるんだけどさ」
「ええ! 復活しちゃうってコト?」
「大方、その通りだな」
ルナガル(ファースト社専用スマートフォン)で連絡を取り終えたディオが言う。
「出て来る可能性は低い。が、どちらにしろ色々面倒な事になる」
「面倒なコト?」
「ああ。大きな破片は拾われて処理されはするが……目に見えないような小さな破片からも出る可能性がある。それ故、万が一砕けてしまった場合は、その地区の対策部が丸1日監視する事になるんだ。その現場に付きっ切りでな」
「現場ってコトは外だよね? 外でずっと見てなきゃならないってコト?」
「そうだな」
「それは確かに面倒だね~」
やがて彼らの元へ、後始末を請け負う先行部が現れる。
彼らと話すディオを見ながら、何かを思い出したかのように「あ!」とセイヤが声を上げた。
「そうだった! シウ。そろそろ、ディオと二人だけで討伐に出てみない?」
「えっ!? まだ、早くないかな?」
「いいや。最近は俺が補助しなくても、ほとんど二人だけで討伐出来てるよ!」
「そうなの!? なんか必死で、ぜんぜん分からなかった……」
「シウ、“赤い実”を」
「あ、ごめん!」
ディオがシウから受け取った瓶を、先行部に手渡した。
「シウの動きも良くなってきてるし、俺としては大丈夫だと思うんだけど……どうかな?」
セイヤに対し、シウは「う、ん……」と、どこか煮え切らない返事をした。
「正直言うと、まだ不安かも。でも……」
シウは傷のついたプロテクターを見つめると、ぐっと手を握り込んだ。
「頑張ってみる!」
「うん。二人なら、きっと大丈夫だよ!」
そう言って笑顔を見せるセイヤに対し、シウも笑みをこぼす。
「なんかね、最近すごく調子が良くて。体も軽く感じるんだ~」
「へぇ~! それは良い事だね」
「うん! 定期的に運動してるおかげかな?」
セイヤに対し、ぴょんぴょんと跳ねて見せるシウ。
そんな二人を、ディオはどこか複雑そうな表情で見ていた。
◇
数日前の事。
『シウの詳細な検査結果が出た』と、スワンに呼び出され、ディオはファースト社の本部に来ていた。
「まず、結果の方ですが、現状特に異常はありませんでした」
スワンがバインダーに挟まれた書類を確認しながら言う。
「……そうか」
「ただし、あくまで『数値上は』の話です。貴方のその不思議体質も、数値上では観測出来ませんでしたよね」
「……」
「でも、話を聞く限り悪影響は無さそうですし、ひとまずは安心しても良いのではないでしょうか」
スワンが書類をしまいながら言う。その口元にはいつもの笑みを湛えていた。
「すまないな」
「いいえ。まぁ、もしかしたら良い影響で現れるかも知れないですしね。貴方と同じ不老不死なんかになってたりして。あはは」
そう言って笑うスワンを、ディオは冷ややかな眼で見下ろした。
◇
「……まさかな……いや、有り得るのか? しかし……」
「どしたのディオ」
「いや何も無い」
「A班の皆様、ありがとうございました。後はこちらに任せて下さい」
「うん、お願いします」
先行部が会釈をし、現場の確認作業へと戻っていく。
「よっし、じゃ俺達も戻ろっか!」
「おっけ~」
セイヤとディオの二人が帰り道へと向かっていく。
その二人に続き、シウが現場から去る時。後から現れた警察官が遺留品を拾い集めているのが目に入った。
所々が破れてしまった皮の財布と、傷だらけのスマートフォン。まるでコンビニへ買い物に行くような、そんな日常的な物だけを持ち、この人は“白い羽根”を食べて人間としての命を無くしたのだ。
そして、そのトドメを刺したのは――。
シウはそれらを見ないように目を反らし、先を行く二人の後を追った。




