2話 願いの叶う街
その街では、望むものが手に入るらしい。
その街では、皆笑顔で居られるらしい。
その街では、もう何も悲しまなくても良いらしい。
その街では、みんなの願いが叶うらしい。
「それは、あたしの願いも叶いますか」
「あたしは、普通になりたいんです。外を歩くみんなのような、普通の人間に」
「……普通になれたら、幸せになれるって思ったから。
それとも、この世界では、幸せであるのが普通なんですか?」
◇
風の強い日だった。
冷たい風に、少女の茶色い髪が吹き上げられる。
肩の辺りまで伸ばされたその髪は風と共に舞い上がり、風が通りすぎると、前髪が緋色の瞳の上へと覆い被さった。
瞳にかかった前髪を、少女は手でさっと整える。
その少女は歩道脇のフェンスにもたれかけ、道を行く人々を眺めていた。
雪を投げ合い、ふさけながら歩く男子学生の集団。
着飾った初老の女性。
手を繋いで歩く男女――。
目の前を通り過ぎる人々を見ながら、彼女はつまらなさそうな表情を見せる。
ふと、制服を着た女子高生らしき数人が目に入ると、少女は眉をしかめ、見るからに嫌そうな顔をした。
そして彼女たちに背を向け、逃げるように歩き出す。
「あれ? あのコ……シバサキ シウじゃない?」
背後から彼女たちの声が聞こえる。
その途端、少女は堰を切ったかのように走り出した。
「え? だれー?」
「何だっけ、一年の時になんだったかがあってー、ずっと学校来てなかったコ」
「あー! ソレ、確か母親に包丁で刺されたんじゃなかった?」
「え、なにそれ、こわ!」
「ヤバいよねー。ソレでずっと入院してたんじゃなかったかなぁ」
「今なにやってんだろーねー……」
喧噪から逃れ、町の外れまで来ると、再び少女--シウは、フェンスにもたれかかった。
周りに誰もいない事を確認してから、深いため息をつく。
「もう下校時間だったんだ……」
少女のその呟きをかき消すように、少し強い風が吹いた。
その風の冷たさに、思わずお気に入りのダッフルコートの首元を手繰り寄せる。
「…… ホント、あたし、何してんだろ……」
シウはいわゆる不登校だった。
学校に行けず、かと言って家に居ても気が滅入り、結局日々ふらふらと彷徨っていた。
先程の彼女達が、自分の事を馬鹿にしている訳では無いと分かってはいるのだ。
そう分かってはいても、自分の事を話題に出される事だけで辛く感じてしまう。
――普通に学校へ行き、ごく普通の生活が出来ている、彼女達には。
少女の心が、どろりとした自己嫌悪に飲み込まれていく。
自分が話題に出されるだけで、後ろ指を差されているような気がする。皆のように『普通』になれない自分を、みんなが馬鹿にし、笑い物にしているような……。
シウは涙で潤んだ目を強引に擦ると、ポケットに手を突っ込んだ。
そして、引き出したその手には、
「本当に、叶うのかな」
虹色の光を纏う、小さな白い羽根があった。
◇
『空から落ちてくる虹色の“白い羽根”を食べると、何でも願いが叶う』
彼女の住む街では、そこかしこでそんな噂が飛び交っていた。
シウの手の中にある白く小さな羽根は、仄かな七色の光を纏っていた。
“虹色”なのに“白い羽根”、なんて、矛盾していると思っていたが……実際に見てみると、確かにそうとしか形容出来ない。
その虹色の光は、まるでシャボン玉のように揺らめき、シウはその美しさにしばらく見とれていた。
「……?」
ふと、道ばたの雪を踏む音に気づき、慌てて羽根をポケットに突っ込む。
顔を上げると、道の向こう側から誰かが歩いて来るのが見えた。
向かってくるのは、背の高い男性だった。
警官のような黒い制服に身を包み、その上からジャケットを羽織るその男性は、周りと手元の白いスマートフォンとを交互に見ながら歩いて来る。
その男はこの地域では珍しい褐色の肌で、硬そうな質感の黒髪を無造作に伸ばしていた。
髪は全体的には耳が隠れるほどの長さだが、左のもみあげだけは長めに伸ばされ、そこには赤いリング状のアクセサリーが付けられていた。
男は何かを探しているようで、数歩歩いては立ち止まり、切れ長の青い瞳できょろきょろと辺りを見回す。
「(なんだろ?)」
珍しい風貌に思わずじっと見ていると、男性と目が合ってしまい、シウは慌てて目をそらした。
再びこっそりと男を見ると、特にこちらを気にしていない様子でまた辺りを見回している。
「(道に迷った? それとも、なんか捜しモノかな?)」
何やら行き詰まったのか、男は立ち止まり考え込むような仕草を見せた。
「(……声、かけてみようかな?)」
シウが男に近寄ろうとしたその時、大きな爆発音のような音が辺りに響く。
「なっ、なに!?」
「……ッ!」
途端に、男が険しい顔をし、音の聞こえた方向……町の中心へ通じる道を走り出した。
シウも、その彼の後を追って駆け出す。
やがて町の中心部に出ると、そこでは、
黒い木の根が絡み合ったような、歪な人の形をした何かが、手当たり次第に建物を破壊していた。
「な、なにアレ!?」
人々の悲鳴と戸惑いの声が町に響く。
バケモノは黒板を引っ掻いた時のような耳障りな声を上げながら、がむしゃらにその腕を振り回し、付近の物に次々と殴りかかっていく。
「遅かったのか、くそっ……!」
男が呟くと、羽織っていたジャケットを脱ぎ捨てる。
すると、腕全体を覆う銀色の物々しい防具のようなものが露わになった。
「ファースト社の者だ!! こいつは“呪化”だ! 一刻も早く、この場から離れろ!!」
男の声に、人々は駆け出した。
「……じゅか……?」
他の人達が駆け出して行く中、シウは立ち尽くし、その“呪化”と男性を見ていた。