第三話
僕の名はレインス・ファウホーン。年は17才になる。
誉れ高きファウホーン辺境伯家の7番目の子だ。
――それにしても父と母よ。頑張り過ぎだろう。
王立学院に通い世間というものを知り始めた時の僕の感想である。
そんな子沢山な我が家であるが、長子の兄上は才気あふれる27才で気立ての良い嫁も娶り、子供も二人生まれ、それが病気一つしない健康優良児と、部屋住みの次男が独立を許される程度に安泰している。
次男ですら家を出るのだ、それ以降の男どもも当然、自分一人で生きる力を身に付けねばならない。
ただ幸いなことに我が家はとても裕福で、両親も家族思いで教育熱心であった。
8人兄妹全員に一廉の家庭教師を雇い、一流の学び舎に行くことを許してもらっていたので、路頭に迷う心配はまったくなかった。
そんな順調な人生を歩んでいた時に出会ったのが、ヒルデであった。
切っ掛けは放課後、魔術研究会のラボにて。
うちの顧問教諭であるブラッド教諭がラボを訪れ、機嫌よく話し掛けてきたことだった。
「ああ、レインス君。ちょっといいかね」
あの仏頂面がトレードマークの教諭が珍しいことがあるものだと思いつつ応じた。
「こんにちは、ブラッド教諭。何でしょうか」
「うむ。今年度の新入生だがな。非常に優秀な生徒が入った。まずはこれを見たまえ」
と言い、一冊の分厚いレポートを渡してきた。
表紙には『一年度前期レポート』とある。
魔術科の学生は年に2回、夏季休暇1週間前までの前期レポートと、年末1週間前までの後期レポートの提出義務がある。
前期レポートではその年の研究目標を書いて提出、後期レポートでは目標がどれだけ進んだか書かなければならないが、時として適当なレポートを提出する輩もいるので、『魔術師を目指す者が適当なものを書くな』という圧を掛ける意味もあって、魔術科の生徒のすべての提出物は希望すれば担当外の教諭も全生徒も閲覧できる公開制を敷いている。
一年生でありながら卒業生並みの分厚いレポートを作成したことに、少なからず興味がわいてきた。
わくわくしながら、その内容に目を通す。
題は『庶民の生活向上を目的にした破棄される5等級以下の魔石(産業廃棄物指定魔石)のリサイクル方法の模索』。
魔石の再利用案と実験研究は昔からある。
しかしコストの問題で世界的に見ても実用化の目途はまったく立っていない上、魔石が豊富に取れるお国柄もあってその手の研究はマイナーもいいところ、国も大して予算を割かないので研究は遅々として進んでいない。
廃棄魔石はすべて打ち捨てられているのが現状だった。
だがこのレポートではその魔石がいつまでも潤沢に取れるかは保証もなく他国では魔石を掘りつくしたことで大きく衰退した国もあり、わが国もそうならない保証はないと始まり、そこから現在の廃棄魔石の総量、既存のリサイクル方法の改良案、新たな方法の理論、もしリサイクルが成功したときの経済効果の推定、どれだけ全国の庶民を豊かにできるかの具体例と、つらつらと綴られていた。
僕は内心でうなった。
一年生がこれだけスケールの大きい研究目標を分厚いレポートで提出してきたのだから、これは自他ともに厳しいブラッド教諭が喜ぶ訳だ。
「これは、凄いですね。リサイクル方法の理論がいくつも提案されていて、中には実現するのではと思わせる斬新なアイデアもある。もし研究目標が形になるようなら、余裕で宮廷魔術師になれる逸材じゃないですか?」
僕の特技は速読だ。さほど時間を掛けず読み込んでの感想がそれだった。
宮廷魔術師は王立学院の卒業生でも片手で数える程度しかなれない狭き門である。
「そうだろう。という訳で、このラボにその生徒を勧誘しなさい。絶対にラボの生徒たちの刺激になる。それにこのラボの研究テーマと沿うだろう?」
僕が立ち上げた研究会のテーマは『魔術全般による王国臣民の生活の質の向上』である。
その方法は魔術なら何でも。
新しい魔術式や魔道具の研究開発でも、既存の魔術式や魔道具の改良でも、魔術に関する法改正案でも、何でもいい。
確かにこれだけスケールの大きい研究目標を立てた新入生が入ってきたら、ラボの良い刺激になるだろう。もし共同研究を提案するようなら賛同する者もいそうだ。
かくいう僕も共同研究の提案があればそれに乗っかりたい、それだけ魅力的な研究テーマだった。
僕は無から有を生み出す天才ではない。
だから今まで既存の魔道具や魔術式の改良の研究を続けてきたが、こんな面白そうな研究なら参加したい。それに魔術関連の技術の改良には一家言があると自負している。リサイクルに使う魔道具の改良など手助けになる筈だ。
「分かりました。明日にでも早速、勧誘に行きます。つきましてはその一年生の為人を教えて下さい」
そこでブラッド教諭は人の悪い顔つきになった。
嫌な予感がする。
「うむ。その者の名はヒルデ・バウアー。魔術の大家バウアー伯爵家の長女だ。そして――ラクスアン第二王子殿下の真実の愛の相手だそうだ」
僕は思わず天を仰いだ。
デリケートな問題が故に情報通でないと知らない真実。
ファウホーン家にとって頭痛の種、武勇優れているのにも関わらず、いつまで経っても王族の自覚を持たない、アホ殿下の名が出たからだ。
父上からも関わるなと言われていたので、関わらないようにしていたのだが……とそこで、天を仰ぎながら重大な疑問に思い当たった。
あの男が、メリエナ以外の相手に真実の愛に目覚める?
あり得ない。
僕は真顔になってブラッド教諭に尋ねる。
「それは本当ですか?」
「こんなつまらん嘘はつかんよ。私は見ていなかったが、同僚が目撃している。ヒルデ君が入学したその日に声を掛けたそうだよ? そして3日に一度は声を掛けて茶に同席させているのだとか」
「――……」
「しかもその方法が、ヒルデ君の粗相を側近に諌めさせ委縮したところを殿下が助け舟を出すのだそうだ。まったくやり口が下民の暴力夫と変わらんな。その上そんな強引な、ヒルデ君も喜んでもいない茶の席であるにも関わらず『二人は相思相愛だ』と噂が立っているのだそうだ。現場を目撃すればそんなことはないと一目瞭然なのにな」
「……女性に対する下種な行い、しかも流言飛語まで飛ばすとは。これを王立学院は許しているのですか?」
「よもや。私も同僚も魔術科の者は学院長に抗議したし、本人にも話したさ。だが止められなかった。何故だか分かるか?」
「――! 学院長は第二王妃派閥の人間でしたね」
「ご明察。学院長に太い釘を刺されたよ。この程度のこと若気の至り、目くじらを立てるな、もしこれ以上騒ぎ立てるなら首も覚悟しろ、と。今の王立学院に第二王妃に対抗できるだけの爵位もコネも持った教諭はいない。心底不甲斐ない……だが、ここまで言えば分かるだろうレインス君。魔術科で派閥争いができるだけの力を持つ者は教諭ではなく、魔術科全生徒の中で唯一の七大貴族かつ王太子派のファウホーン家の君だけだ」
僕はため息をつくのを抑えられなかった。
派閥争いなど面倒この上ない。まして自分は七男、大した力など持っていない。
だが、それでも。
「……分かりました。これだけの人材です。火中の栗を拾う価値がある」
そう覚悟し、久々に殿下と相対した訳だが。
ヒルデとの出会いはそんな憂鬱など簡単に吹き飛ばす衝撃的なものだった。
栗色の髪を髪留めでまとめ、化粧っ気のない顔。
ヒルデは小柄な体格も相まって、地味な見た目の少女であった。
だが瞳の輝きが違った。
持論を語るその瞳は、冬の夜空の大星雲のような輝きを放っていた。
その瞳を見て、情熱的な語りを聞いて、忘れかけていた感情を思い出した。
魔術の才能があると判明して、勉学の末に初めて魔術の発動――小さな火を指先に生み出した時の感動を。そうだ、僕もかつては彼女のように瞳を輝かせ一生懸命、魔術に取り組んでいた。いつからだろう、魔術に対する取り組みが小さく纏まり始めたのは。
己の中の熱を再燃させる美しい瞳に、目を離せなくなる。
そして研究会の勧誘に、彼女が満面の笑みで了承した姿を見た時。
僕は自覚せざるを得なかった。
――ああ、僕はこの人が、好きだ。




