第二話
――7月下旬。ファウホーン家の隆盛を体現する巨大な領主館に見合う、広大な敷地の一画にある庭園のガゼボにて――
わたくしはチェルシーの淹れた紅茶を楽しみながら、歴史書を読み耽っていました。
そこへ一人の男性――
7番目の子、17才となられたレインスお兄様が近づいてきました。
脇に控えていたチェルシーが頭を垂れます。
「お兄様。ごきげんよう」
「やあメリエナ。我らが麗しの姫は今日も美しいね」
そう言いながらにっこりと微笑みます。
レインスお兄様は家族思いで物腰柔らかな人柄ですが、敵対者には智謀でもって叩き潰すという苛烈な性格も持ち合わせております。
目が笑っていない微笑みに、察しました。
あ、これ何か企んでいるな、と。
腹芸は好きではないので、素直に尋ねます。
「……お兄様。何を企んでおりますの?」
「企むとは酷い。慈愛あふれるメリエナに一つお願いがあってきただけさ」
レインスお兄様のお願い。
我が家の男子は独立独歩、大抵は一人で解決を好む気性ですのに、珍しいこともあるものです。
「お願いですか……どのような?」
「うん、それはね。9月に、王宮交流会があるだろう?」
王宮交流会。
9月の下旬に開催予定のこの催しは、デビュタントを翌年に控えた王族と、同じく翌年デビュタントする予定の貴族子女との交流を目的とした会です。
貴族は男女ともに16才になると成人と認められ社交界に出る資格を得ます。
そしてデビュタントとは、初めて社交界にでる16~20才の上流階級の人たちのお披露目会を差します。
王国の慣例として目出度い王族のデビュタントに際しては、その年のデビュタントに該当する全貴族を招いて社交界デビューを祝う国内最大の催し、王宮披露会を開催します。
ですが全国の貴族が集結するこの一大イベントにぶっつけ本番で参加して、上位の貴人とトラブルとなっては大惨事、その為の交流会なのです。
決して粗相をしてはならない王族や高位貴族の子女の為人を知る――
この世界にもモノクロですが写真はあって人相は分かりますし、太い人脈か高い経済力があれば情報収集力も当然高いので、詳しい為人は合わずとも知れますから、人によっては交流会に参加しなくとも問題ありません。
ですがこれが人脈も経済力も低い貴族、いわゆる落ち目の没落貴族や弱小貴族となると、事情が変わります。如何せんともし難い力の差による情報格差があるのです。
この交流会は今まで交流のなかった貴族子女の人脈作りという一面もありますが、どちらかというと情報差のある貴族たちに必要な情報を与える、落ち目、弱小貴族を救済するという側面の方が強い催しです。
王族や高位貴族のことを噂程度でしか知らないのに伝統ある一大イベントにぶっつけ本番で参加して、まかり間違って雲上人の顰蹙を買ったなど、せっかくの目出度い催しに水を差しますし、何よりも冗談抜きでお家が潰れますので。
そういった弱者救済の面が強い催しではありますが、それはそれとして王家主催の伝統ある催しです。特段の理由がない限り、該当する貴族は皆この交流会に参加します。
我がファウホーン辺境伯家も条件に合う寄子の子女が3名ほど参加します。
わたくしも条件に該当しますし、何より寄親の娘であるわたくしが参加しない道理などありません。
その交流会でお願いとは、とわたくしは小首をかしげながら続きを促しました。
「ええ、ありますね。それが?」
「その会にね、ダブラダ大公家の寄子、バウアー伯爵家の長女ヒルデ嬢が参加するのだけど――そこでその子と仲良くなって欲しいんだ」
母の生家であるダブラダ大公家との仲は今も昔も良好です。その寄子の令嬢でしたら仲良くなっても何ら問題はありません。
「構いませんよ。ところで仲良くなって欲しい理由を聞いても?」
「いやぁ第二王子が彼女にちょっかい掛けててね。彼女はとても素晴らしい女性なのにアホのせいでとても辛い立場に置かれているんだ。僕も色々と手を回すけど、王宮交流会でも性懲りもなく付きまとうだろう。だけどそこに駆け付ける権利がまだ僕にはない。だからその会では僕の代わりにアホから守って欲しいんだよ」
「まあ」
いと高き王族に対する不敬なその物言いに、わたくしは思わず目を瞬かせました。
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――6月下旬。グリューグエン王立学院自慢の本館図書館にて――
わたしは図書館から3冊ほど魔術書を借り受け、自分の寮に戻ろうとしている矢先に、二人の男性を侍らせた、金髪碧眼の物凄いイケメに声を掛けられた。
「やあ、ヒルデ。今日も美しいね」
そのイケメンの歯の浮いた挨拶に、わたしは思わずびくりと肩を震わせた。
震わせた理由は一つ。
今一番、関わり合いたくない人物からの挨拶だったからだ。
「……ごきげんよう。ラクスアン第二王子殿下」
「前も言っただろう。グリアスと名を呼んでいいと」
「いえ、滅相もございません」
眉間に皺がよりそうなのを必死で我慢して愛想笑いを浮かべる。
わたしの目の前にいるイケメンは、わたしと同じ一年生、政治科に所属するグリアス・ラクスアン殿下で、本来なら話すことなど烏滸がましいとても偉い人だ。
そんな雲上人は、
「君はいつも奥ゆかしいね」
と苦笑しながら、そうほざいていた。
この方は第二王妃マチュア様の二人目のお子様で、立場は第二王子、王位継承権は2位。王族が通う名門中の名門グリューグエン王立学院に首席合格してその後の試験も首位から一度も落ちたことがない神童。その上、顔も良ければ性格も穏やかと完璧を絵にかいたような王子様、なんだけど。
何を考えているのか、事あるごとに下心ありありで近寄ってくるのだ。
これがわたしの自意識過剰ならどれだけ良かったか……でも事実、何度もお茶に誘われるし、殿下が所属する生徒会に勧誘されるし、あまつさえ今度行われる王宮交流会に着ていくドレスを贈るとのたまうし。
いや、あり得ないからね??
貴方、高貴で美しい婚約者様がこの王立学院にいるでしょ? おめー調子乗んなよ、ってその婚約者様の取り巻きの方が親切に教えてくれましたよ?
なんで婚約者のいる男の誘いを受けねばならんのだ。しかもそれでいて付き合おうとか言わないし。それなのに婚約者でもない男からドレスを贈られるとかキモイを超えて普通に怖い……これはあれか? 暗に将来は愛人になれって言ってんのか? しかもそれを示唆しているのが王族男子とかもうね、二重で有り得ない。
本当に、迷惑な話だ。
わたしに婚約者はいないけど、でもこの王立学院に入ったのは、婚活する為じゃない。
魔術の勉強をする為に入ったのだ。
この王立学院は列強に数えられる王国きっての名門とあって、国外からも幾人も留学生が学びに来るトップレベルの魔術を学べる魔術科がある。
元々この王立学院に入る気はかけらもなかったけど……でも貴族様が通うような学校でのキラキラした学生生活には憧れる。
養子になって早々に父から『何かしたいことはあるか』と聞かれたので、とにかく学校に通いたい、と答えたところ、
『ではグリューグエン王立学院の魔術科へ行け。我ら一族は男も女も皆そこを卒業してきた。養子とは言えお前も魔術の大家であるバウアー家の者なのだ。例外はない』
という無慈悲な返答だった。
いや父よ、ほんのこの前まで――8才まで孤児院で育ったんだよ?
神官長様の計らいで王都にある庶民向けの寺子屋に通わせてもらっていたから、庶民でもそこそこレベルの学力はあるけど、そんなお貴族様が通うような学び舎に入れるハイレベルな学力ないよ?
と訴えたのだけど。
『王立学院の入学は、男女ともに15からだ。お前にはあと7年もある。十分だろう?』
という、やっぱり血も涙もない返答だった。
そして7年間、父厳選の家庭教師たちによるスパルタ教育を受け、『おかしい、わたしは普通の学校に行って友達作ってキャッキャウフフしたかっただけなのに』と首をかしげながらも魔術自体はとても興味深く覚えるのに全く苦にならなったので、ひたすら勉学に打ち込み、途中から礼儀作法とダンスもしれっと詰め込まれ、しかも母の趣味であるバイオリンまで追加され、年々忙しくなる過密スケジュールに母に泣きついても笑顔でフルートの練習を応援され、気付けば15才になってグリューグエン王立学院に合格していた。
光陰矢の如し、人生って本当に何が起こるか分からないものだわ……でも苦労の甲斐あって無事入学できたからヨシっ!
と前向きに思ってたのに、入学してすぐに王族に目を付けられるとかいう最上級の対人トラブルですよ。
あれからもうすぐ3か月が経つのだけど王立学院での立場は悪くなるばかり、もうすぐ夏季休暇に入るし帰省したら父に助けを請うしかないのか……
いやでも家宝の魔石を使ってまで魅了の封印をしていただいた上に、一流の学校にまで通わせてくれた父の手を煩わせるのも……
と懊悩しつつ眼前のイケメンの要件を訪ねる。
「それで殿下におかれましては何のご用向きでしょう」
「そんな畏まらなくてもいいだろう? 何度も親睦を深めてきた僕と君の仲なんだから」
ダメだ、怒っちゃいけないと分かっていても、怒りが止められない。誰もそんなこと望んでいないんですけど。愛想笑いが崩れるのが止められない。
「……で、御用は?」
案の定、そのつっけんどんな物言いに傍に控えていた男性たちが食って掛かってきた。
「おい、殿下に対して何だその態度は!」
「何と不遜な。王立学院の女子にあるまじき無礼です。魔術科は魔術だけを学ぶ所と勘違いしていませんか?」
殿下の側近その一。年は18才。
第三騎士団団長ダヴィル・ガランドール伯爵の三男の準騎士ウォング様。王立学院内における殿下の護衛を務める方で、騎士を目指すくらいだから体がデカくて近寄られると圧がすごい。声もデカい。むさ苦しい。
殿下の側近その二。年は15才。
宰相クローク・レブナンス侯爵の次男のニック様。魔術科の生徒で生徒会にも所属している。成績も常に3位以内をキープする秀才なんだけど性格は神経質で、何かにつけチクチク重箱の隅を突てくる。イヤミ眼鏡。
そんな二人の忠言という名の、舅の如きイビリにじっと耐える。
そんなわたしたちを見て、殿下は『やれやれ困った奴らだ』みたいな困り顔で静観しているのがまた腹が立つ。
これが近頃のわたしの日常だ。
だいたい3日に一度の頻度で殿下が絡んでくる、わたしの愛想が尽きる、側近がキレる、男の人に詰められて委縮する、頃合いを見て殿下が仲裁する、わたしが謝る、殿下が仲直りにお茶でもと誘いに怖くて断れない。
今日も好きでもない男と、お茶をシバかねばならないのか。
しかも殿下って政治専攻とだけあって、政治や歴史の分野はよく話すけどそればっかり、でもわたしは魔術バカ、とまったく話の趣味が合わないのだ。必然、わたしがあまり詳しくない政治や歴史の話を振るという接待をしなければならない訳で……ただただ気を遣うだけの飲み会に内心鬱々としていると。
「いと高き殿下、本日はお日柄もよく」
そう声を掛けてくる男の人がいた。
そこには、殿下に負けないイケメンがいた。
「……お前が何の用だ」
それを見た殿下が、あからさまに不機嫌な口調でそう言い放ったのに驚いた。
わたしが見た範囲では、いつも穏やかな人柄だったのに、まるで豹変したかのようだ。
「つれないですねえ。いえね、うちの魔術研究会の者が資料をいつまで経っても持ってこないので様子を見に来たのですよ。そうすれば何やら女相手に男二人が詰るという紳士の風上にも置けない暴挙を目撃しましてね。しかもそれがうちの者ではありませんか。何事かと声を掛けた次第」
そう言われてわたしは、お前呼ばわりされた男の人の胸元を見た。制服の胸元には各学科を示すバッジが付けられているのだけど、バッジの形はオニユリを模したものだった。これはわたしと同じ魔術科の生徒である証明だ。
そして魔術研究会とは、興味のある魔術の分野を一緒に研究しましょう、という大小様々な規模の同好の志の集まりのことなんだけど……
はて、殿下との不貞を疑われている今のわたしはほぼ孤立状態、友達も当然いないし、まして研究会になんて誘われた覚えもない――
その時、頭頂部に小さくピリッと電流のような衝撃が走った。
それは念話と呼ばれる魔術の行使の前兆で――
『僕の名はレインス・ファウホーン。話を合わせて』
「で? どうしてうちの後輩を詰っていたのですか? 説明しなさい」
ファウホーンって、北を牛耳る辺境伯家じゃない! 七大貴族のお出ましに、思わず声を上げそうになったけど何とか耐えた。
『畏まりました。よしなに』
『うん、いい子だ。任せなさい』
隆盛を誇るファウホーン家の問い掛けもあってか、殿下の側近もタジタジだ。
「いえそれは」「これはその」「詰るつもりなど」
と碌な反論ができてない。
で、その親玉の殿下はというと。
ものすごっっっい不機嫌顔で佇んでいた。
ええーー……どんだけファウホーン家のことが嫌いなのよ……あ、そういえば家庭教師がファウホーン家と王家の仲は悪くないが、第二王子殿下とは仲が悪いって言ってたっけ……でも仲が悪いのにも度が過ぎない? 今にも胸倉掴んで喧嘩しそうなんですけど……
そんな殿下は不愉快もあらわに、
「もういい。戻るぞお前たち」
と足早に去っていった。
わたしは目をぱちくりと瞬かせて、思わず小さく「ヨシっ」と呟き拳を握ってしまった。
初勝利だ!
「ふふ、噂を聞いて見に来てみれば、中々愉快なお嬢さんじゃないか。噂なんて当てにならないね」
はっ! 嬉しさのあまりつい!
わたしは顔が赤くなるのを自覚しつつ、家庭教師に叩き込まれたカーテシーを決めた。
縁もゆかりもないのに助けていただいたのだ、礼を失してはバウアー家の名折れ。
「感謝いたします、ファウホーン様」
ファウホーン様はにっこりと微笑んだ。
わお、素敵な笑み。素敵すぎて目が合わせられない。
「気にしないで。さすがにあれは見過ごせない状況だったしね。それにああは言ったけど、実際に僕の立ち上げた研究会に勧誘するつもりで君を探していたからね」
わたしはまたもや目を瞬かせてしまう。
「ファウホーン様の研究会にですか?」
「そう。君の前期提出のレポートを見させてもらったよ。『庶民の生活向上を目的にした破棄される5等級以下の魔石(産業廃棄物指定魔石)のリサイクル方法の模索』、庶民の生活を豊かにする為に、今まで破棄されてきた膨大な量の産廃魔石をリサイクルして4等級魔石に再生し、安価な価格で国中の供給を目指す。その着眼点にうちの顧問教諭が絶賛していたよ」
わたしは絶賛と聞いて思わずテンションが上がった。
そうなんです! 我が国は世界的に見ても大量の魔石が出土します。ですがそれ故に魔力値の低い5等級以下の魔石は産業廃棄物として捨てられています。でもわたしから言わせれば、もったいないの一言です。王国には産廃された魔石の丘が山ほどあるんですよ? これのリサイクル方法を確立できれば、今まで捨てられていた魔石が市場に出回ることになりその経済効果は計り知れません! 宝の山なんです! 何よりもこれによって4等級魔石の供給が安価かつ安定的に実現すれば、全国の庶民の生活の質が劇的に向上します。具体的には竈の火起こしが楽になる、川や井戸から水を汲まなくても水を確保できる、お風呂にも頻繁に入れて衛生環境が向上する、ひいては疫病予防にもつながる、冬も気軽に暖房が使えて凍死する人も激減――
――はっ!
気付けば早口で熱弁していて、ファウホーン卿の目を丸くさせてしまった。
しまった嬉しさのあまり口が滑りまくった!
「す、すみません。熱くなりました。お恥ずかしい限りです」
「いやいや、とても立派な持論に感服したよ。魔術とは人の世を豊かにする為の力。今年度の新入生でそれだけしっかりとした社会貢献のビジョンを持ち合わせているのは君くらい――いや大人も舌を巻く素晴らしい意見だ」
すごい母くらい褒めてくる! ヤバい顔のによによが止まらない。
「そ、そんな滅相もありません」
「謙遜しないで。君の話は研究に値するよ。うちの研究会はそれほど大きくはないが、優秀な人物が多いのが自慢でね。入ってくれたら、君の夢の実現に必ずプラスになると保証する。どうだろう、この話の続きは僕のラボで」
「はいっ! 喜んでっ!」
わたしは嬉しさのあまり食い気味で了承したのだった。




