第八話
僕は未だかつてない程の、強い怒りを感じていた。
いつだって笑顔を絶やさずパワフルで泣き言を言わない、あのミリアが、父の受けた屈辱を前に嗚咽を漏らすほど泣いて悔しがっているのだ。
その元凶はラビュラント侯爵家。
少々魔術で名を売る程度の、侯爵風情が、戦姫足るミリアの両親を貶め、引いてはミリアを奪おうというのだ。
しかもその手段が家門を盾にとは、絶対に許すまじ。
ミリアとの里帰りは名残惜しいが早々に切り上げ帰宅、すぐに父上の執務室に駆け込んだ。
予定よりも随分と早い帰宅、そして火急の報告があると執務室にやって来たのだ。
父上は何事と驚いたが、里帰りの時の話をすると、僕とそっくりの顔を、バチクソにガチギレさせ机を叩いた。
樹齢300年の大木から切り出された立派な机が震えた。
「面白い。あいつらはそんなに我々と戦争がしたいらしい。親父に報告して大家族会議を開くぞ」
大家族会議とは、領主の3等身までの一族と最も信頼を置く陪臣5家の当主が集まって開く会だ。
これは辺境伯家の行く末を決める重大な時に開かれ、その議題は大抵が宣戦を布告するか否かである。
「日時は追って通達する。それまでお前はミリア嬢の側にいて安心させてやれ」
「分かった」
家族の一大事であっても殊更に取り乱さず気丈に振る舞うミリアが愛おしく、散々に甘やかし安心させながら過ごすこと、3日後。
今までの大家族会議とは一味違う、のっけから物々しい雰囲気の中、開催となった。
予め事情を聞いているので皆が怒り心頭なのだ。
現領主にして僕の祖父――ユーリンお祖父様が、大会議室にて屹立している参加者を睥睨し、口を開いた。
「皆、よく集まった。では着席」
参加メンバーは、お祖父様、大叔父2名、父上、僕、叔父2名、従兄弟3名、陪臣5名、合計15名である。
議題進行を務めるのは父上だった。
父上は静かに、だが確実に怒りを滲ませながら口を開いた。
「皆も忙しい中、急な招集に感謝する。事前に情報は知らせているので、概要は分かっておろう。故に今回の会議は結論がありきだ――ラビュラント侯爵家を潰す」
その物騒な話に、誰も異議を唱えなかった。
父上は話を続ける。
「さてその方法だが。まずはロクラント男爵殿の立場の強化だ。我ら辺境伯家の寄子になって頂く。そして連中は、男爵殿を侯爵家に誘い込みたいようだが、そんなものは罠と分かり切っている。ここは王都の高等仲裁所を交渉の場とする。無論、一人では行かさん。護衛騎士5人と竜騎兵2名、高等事務官2名を随行させる」
高等仲裁所とは、高位貴族間の深刻な金銭トラブルや領土問題などを和解あっせんする為の裁判外紛争解決機関だったな、と思い出していると、そこで一人の青年が手を上げた。
18才になる従兄のラッセル卿だった。
「ダーナン様、発言の許可を」
「良かろう」
「その護衛騎士の人選は済んでおりますか?」
「いや、この会議後に執り行う。戦姫様のご尊父を辺境伯家の威信に懸けてお守りする、絶対にミスが許されない重大なお務めだ。我が辺境伯領でも指折りの騎士を選抜する――ラッセル、励めよ」
「――はっ!」
「他には?」
「以上であります!」
「では、続きだ。こすっからい侯爵家らしく証文の偽造は完璧だ。そこに付け入る隙は無い。故に男爵殿には、今ある借金と不当に吹っ掛けられた追徴金の全額を、我が辺境伯家から貸し付ける。本来なら貸し付けなどでなく肩代わりすると提案したのだが……そこは誇り高き男爵殿よ。生涯を掛けて返済するので貸し付けてもらいたいと断られたわ。流石は戦姫様のご尊父だ。しかし私は、子殺しをせんとするどこぞの恥知らずとは違う。無利子無担保、返済期限なしでお貸しする」
大叔父のマウルド卿が、くっと喉を鳴らす。
「侯爵家が向こう10年は潤う金額だったか。それをぽんと出された知れ者の顔を見られんとは、まことに口惜しい。護衛騎士に選ばれる若さがないのが心底悔やまれるわ」
父上はにやりと口角を上げた。
「ですが侯爵家と戦となれば馳せ参じるのでしょう?」
「当たり前だ! 40年ぶりの貴族同士の戦じゃぞ! まして戦姫様のご家族を救う戦いとなれば、これに参戦せずして辺境伯家の騎士は名乗れぬ!」
「まことにその通り。ただし、それも侯爵がごねたら、です。男爵殿の金銭問題をすべて解決したのにも関わらずまだ文句があるようなら、初めて戦をする大義名分が出来ます」
そこでお祖父様が鼻を鳴らしながら口を開いた。
「あの強欲な侯爵家だ。必ずごねる。そして護衛騎士を殺してでも男爵殿の身柄を確保するじゃろう」
その発言に、僕も含め全員が驚いた。
父上が尋ねる。
「それは、また。狙うとするならば王都までの道中でしょうが……ともあれ、そうなれば理由などもう関係ない。我らも引けません。双方、どちらかが滅ぶまでやることになりますぞ。いくら戦姫様を欲しているとはいえ、そこまでしますか?」
「彼奴等なら、やるだろう」
「その根拠は」
「まず一つ目、侯爵家は昔から強欲だったが、近年は特に顕著だ。見境がない。そして二つ目、この裏には王家が絡んでおると見ておる」
「――! まことですか」
「残念なことに証拠などはない。勘だ……しかしわしの嫌な予感は外したことがなくての。侯爵がミリア嬢を貶めた一連の動きを見ておると、どうにも手並みと規模が大きすぎる。何かの陰がちらついておる。侯爵を手玉に取り、誰もその影を踏ませぬとなると……陛下が動いておると推測するのが妥当だ」
「……なんと。しかし陛下はご生母を連想させる髪色のミリア嬢を嫌っているという噂はありますが、実際には何も素振りも発言もないと記憶していますが」
「そうだな。だが陛下があの毒婦のせいで随分と辛酸を舐めたのも事実。忌々しく映るミリア嬢をどうにかしようと思っても不思議ではない。ただ不可解なこともある」
「不可解とは?」
「何物でもなかった頃ならいざ知らず、今のミリア嬢は戦姫様だ。本来であれば、王家が奉ずる神から号を賜った使徒を巡って貴族間でいざこざなど、我らが動く前に陛下が真っ先に出張って仲裁せねばならん。だが状況を見るに、それを知ってなお裏で暗躍しておるのだ。辛酸舐め尽くして国を立て直した程の為政者が、母の髪色と同じという理由だけで国を割るのか。どれだけ陛下のお気持ちを慮ろうとも、こればかりは理解できぬ」
「確かに……そのお気持ちは陛下に直接聞くしかありませんな」
「その通り。たがそれは土台からして無理な話よ。どこの世界に暗躍する理由を当事者に説明する者がおるか。となれば我らのやることは、辺境伯家へと嫁ぐと決められた戦姫様とその家族を家門に懸けて守る、これだけだ。こすっからい侯爵の企みも、裏で蠢く陛下も、手酷い手を使ってくると信用して動けば、最悪の状況は防げる」
皆がほぅと感嘆した。
お祖父様は南端開拓団がひと段落つけば人生最後のお役目も終わりとし隠居すると公言されているが、なかなかどうしてその慧眼は衰え知らず、まだまだ現役で頑張れそうだ。
「その言葉、肝に銘じます。では男爵殿の護衛騎士は20名、竜騎兵10名に増員することとしよう。万が一もないだろうが……高等仲裁所にてトラブルなく円満解決するなら、一旦はそれでよし。報復は武力ではなく経済戦で決着をつけよう。だがもし侯爵がごねるようなら……そして最悪の事態が起こったとしたら、男爵殿を傷一つなく我が領に帰還させる――そして戦だ。各々方、覚悟は宜しいか?」
父上の最後の言葉に、お祖父様や大叔父を除く全員が、声を張り上げた。
「「「おう!!!!」」」
「宜しい。細かい算段はすぐに知らせる。では各々方は準備に入れ。以上、解散!」
そうして大家族会議は終わり、皆が準備の為に部屋を後にした。
自室に戻りながら、僕は言い知れない不安が心をよぎった。
お祖父様の勘は本当に当たると有名だ。
それが嫌な予感がする、とまで言ったのだ。
これは一筋縄ではいかないだろうな、と胸中で呟いた。
◇ ◆ ◇
「くそ、どういうことだ!」
私は怒りのあまり、机を叩いた。
そこにあったのは一通の書状。
内容は、
『ロクラント男爵家の借金及び追徴金の支払いに関する金銭問題について――ロクラント男爵家はギャラッグ辺境伯家への帰属を願いこれを受託した。ついては寄子たるロクラント男爵家の金銭問題に寄親としギャラッグ辺境伯家が介入する。また金銭問題の解決にあたり、高等仲裁所にて仲裁依頼を申請しこれが受理された。当家の方針として高等仲裁所にて今回の件の解決にあたる所存。また道中の護衛要員として騎士20名、竜騎兵10名。交渉人に高等事務官2名を派遣させる。これを不服とする場合、交渉の余地なしと判断し最高裁判所に訴え判断を委ねる』
とあった。
辺境伯家が本気で介入した結果、王都の高等仲裁所と場所が指定されてしまい、当初の男爵だけを釣り出して人質にする計画は完全に破綻した。
そして辺境伯家の提案を突っぱねた場合、最高裁判所に訴えるときた。
最高裁判所とは、高位貴族間での諸問題を、王家・教会・法衣貴族の各1名ずつから選ばれた3名の裁判官により判決が下される王国最高の公法機関だ。
証文は完璧だと自負しているので訴えられたところで負けはしないが、それより問題なのは、ここまで事が大袈裟になって世間に広く知られることだ。
勝ったところで、世間からは辺境伯家を完璧に敵に回したと判断されてもその通りで、勝訴したメリットよりデメリットの方が大きすぎる。侯爵家の立場は非常に危うくなるだろう。
あの真面目だけが取り柄の愚鈍な男爵が、己の家の借金問題を――しかも高位貴族であっても唸る大金の肩代わりを辺境伯家にすべて委ねるとは。
どう考えてもこれ以上はロクラント男爵家に付け入る隙はない。
当初の計画通り息子が戦姫様を手中に収められるというなら、息子から提案された伯爵家令嬢との婚約破棄の案も飲んでいたが……こうなってはもうそれもご破算だ。
不当に請求した大金はまんまと手に入るのだから、息子にはすっぱり諦めさせるしかあるまい……
そう思案した時だった。
「ハーベント閣下」
自分以外は誰も居ない筈の執務室から、男の声がした。
執務室の後ろの窓辺。
そこに全身黒尽くめの、顔も半分隠した男が立っていた。
「……――如何に陛下の影とはいえ、背後から声を掛けるのは止めろ。心臓に悪すぎる」
男は、くっと喉を鳴らした。
「ふ、それは失礼。それはそうと、随分と窮地に立たされているようですね」
「ふん。まだ窮地ではないわ。ただこうなってはもう戦姫様は諦めるしかあるまい」
「おや。ご子息は納得なされるので?」
「せんだろうが、するしか方策はない。それとも何か? これ以上、辺境伯家と揉め、戦争を吹っ掛けられる窮地に立てと?」
私は確信していた。
若かりし頃は狂犬騎士と名を馳せ、他国から侵略に来た蛮族どもをなで斬りにしたギャラッグ辺境伯家の領主が、家門を掛けて打って出たのだ。揉めたが最後、嬉々として戦争に乗り出すだろう。
だが男が放った台詞を聞いた瞬間、目を見開いた。
「いいえ? 辺境伯家に対しては、陛下が戦争を吹っ掛けます。この書状通り動いてもらって結構ですよ?」
「――は?」
「ははは、そうですよね。驚きますよね。ですが陛下は本気のようですよ」
そう言い、男は一枚の封筒を差し出した。
陛下が戦争を――? 本気か――?
私は少し震えながら、それを受け取り――
「ちなみに、それを見たら最後、後戻りは出来ません。受け取りますか?」
封筒を掴む直前で止まった。
そして考えを巡らせる。
この一連の策謀を。
元々は男爵の鉱山が手に入ればそれでよかった。そう思って傾国悪女の噂を流し、領内にそれなりに広まりだした頃――ある日突然、眼前の男が現れて、王家の紋章が付いた懐刀を示し、そして王家の印が押された封蝋の封筒を差し出された。
そこまでされれば、陛下直属の影なのだろうと思い知る。
そして封筒を受け取り、中にあった1通の書面に目を通し、眉を顰めた。
『傾国悪女の噂を広めることを許す。必要ならば影も貸そう。ただし男爵家を追い詰めすぎて殺すな。しかし生かさず殺さず地獄を見せよ。この書面を見た後は我が影に返却せよ』
そう書かれており、ご丁寧に国璽まで印があった。
私はひたすらに困惑した。
何故陛下が、縁もゆかりもない男爵家にそこまで憎悪を――?
そこで黒尽くめの男が言った。
『どうやら陛下は、ピンクブロンドの存在自体が許し難いようです。ですが表立って手を下すのは、ねえ。そこに侯爵の謀が目に付いたということでして。我々も協力致しますので、陛下の望み通りピンクブロン嬢を地獄に落としましょう』
その顔は半分が隠れていて判然としなかったが、声色から心底楽しそうだと理解して、主従共に変態が、と吐き捨てた。
だが陛下とその影が共謀者となるのだ。
これ以上にない後ろ盾がついたということだ。
私は自分の為に、陛下の望みの為に、男爵家を地獄に落とした。
そして今。
久方ぶりに黒尽くめの男が現れ、封筒を差し出したのだ。
これは陛下からの、途中で船を降りることは許さない、という示唆に他ならない。
受け取れば後戻りできないなど、よくも抜け抜けと……辺境伯家と戦姫様を相手にまだ手を引かない、怖気の走る妄執を見せる陛下から逃げ出せば、どのような報復が待っているか知れたものではない――
そう悪態を付きながら、封筒を受け取り、中身を確認した。
そこには、陛下の謀が記されていた――




