第七話
アーロン様の婚約者となって早半年が過ぎました。
その間に花嫁修業は恙なく進み、その際にとても物覚えの良いわたしに上機嫌となった義両親から新たな授業や習い事も追加され、とても充実した日々でした。
余りの多忙ぶりに、アーロン様から、
『大丈夫? 無理していない?』
と、とても心配されましたが、笑顔で、
『いえ、確かに忙しいですけどすごく充実して楽しいです。それに早く花嫁修業を終えてアーロン様と結婚したいので、例え大変であっても苦はありません』
と答えると、あの巌の様なお顔を破顔させ、ぎゅっと抱きしめてくれました。
喜んでもらえた上に、あの大きな体にすっぽり包まれるのは、得も言えない程に安心感があって思わずぎゅっと抱き返しました。嬉し恥かし心ぽかぽか、とても大満足です。
そしてある日。
お義母様から、久しぶりにご両親に会いに里帰りしてはどう? と配慮を頂き、有り難く快諾しました。
その際には、アーロン様も誘いました。
だってせっかくの里帰りですよ。
わたしの自慢の未来の旦那様を見てもらって両親にはもっと安心してもらいたいです。
そうアーロン様に言うと、とても嬉しそうにぎゅっと抱きしめてもらいました。
うへへへ、幸せ~。
とまあ、人生順風満帆だったのですが。
村人の歓迎を受けながら里帰りして、両親を見て、思わず内心で眉を顰めました。
何故なら両親があの時の――領地を売らざるを得なくなった日と同じ雰囲気を纏っていたからです。
顔付きはいつもの笑顔でしたが……絶対にこれは何かあると確信しました。
両親にアーロン様に村を見て頂きますね~と言いつつ、離れたところでアーロン様に相談します。
「アーロン様。やばいです」
それを聞いたアーロン様は目を見開きます。
「どうした?」
「父も母も、目がやばいです。どれくらいやばいかというと、領地を売り払った時くらいやばい雰囲気をしています」
「え」
「何か大きな問題が起こっているのは間違いないでしょうけど……でも父も母も筋金入りの頑固者です。恐らくわたしに要らぬ負担を掛けまいと考えて、尋ねても何も教えてくれない可能性が高いです」
それを聞いたアーロン様は暫く沈黙し、口を開きました。
「……僕に案がある」
そう言ってアーロン様は妙案を出しました。
それを聞いたわたしは頷きました。
確かにそれなら、頑固な両親も話さざるを得ないな、と。
そうして村をぶらりと一周し、両親が待つ家に帰ると、ちょうどお茶の時間でした。
辺境伯家から頂いたお茶菓子を摘まみながら、花嫁修業の話など辺境伯家での生活を楽しげに報告します。
それを聞いてお父様もお母様も上機嫌です。
ミリアが幸せそうで良かった、アーロン様を陰に日向に支えるんだよ、と語るお父様の目は、優しくも何かを決意した人の目をしていました。
わたしがアーロン様にちらりと見やると、それに気付いたアーロン様が小さく頷いて口を開きました。
「ところでディオード殿。実は折り入って話がありまして」
「……? どういたしました?」
「ええ、この度ですが、母が懐妊しました」
これにはお父様もお母様もびっくり。
これは本当の話で、わたしもびっくりしたのは記憶に新しいです。
両親は目を見開きながら寿ぎます。
「何と素晴らしい。おめでとうございます」
「おめでとうございます」
「ありがとうございます。いやあ、ミリアのような可愛い娘が欲しい、と励んだようで。これで我が辺境伯家もより安泰です」
「そうでございましょう。いや、本当に目出度い」
「ええ。ですから、一つ提案があるのです」
「提案ですか」
「はい。それはですね――此度の婚姻、ミリアが辺境伯へと嫁ぐのではなく、僕がロクラント男爵家に婿に入ろうと思っているのです」
「は!?」
余りにも素っ頓狂な提案に、お父様は声を裏返して驚嘆しました。
お母様も絶句して開いた口がふさがらない様子です。
「いったい、何を言っておられるのか」
「いえね、ミリアは決して言いませんでしたが……我々もロクラント男爵家の内情は、それなりに知っているのです。そして男爵の自分の代でロクラントは潰えてもいいと言わんばかりの生き様を見るに、常々、忸怩たる思いがあったのです」
「いや、それは、当家の問題です。それにアーロン殿はいずれ辺境伯家の領主に収まる貴い血筋です。それが男爵家に婿入りなど絶対あってはなりません。ましてそのような暴挙をダーナン様が許す筈が――」
お父様の言葉を遮って、アーロン様は言い切りました。
「許さぬと言われようが、許しを得ます。それに私から言わせれば、辺境伯家などミリアを受け入れる器でしかない。ミリアがこのまま当家に収まることで悲しい思いをするくらいなら、私が然るべき器に収まればいいだけの話です。それに、辺境伯家の後釜は、もう一人増えます。何だったら母上にはもう少し頑張ってもらうのもいいでしょう。そういう訳で家門が途絶えることでもなし、何ら問題ありません」
そうまで言われては、お父様も二の句が継げなくなりました。
暫しの沈黙の後。
お母様が机に置かれていたお父様の手をそっと取り、決意の籠った目で見やりました。
それを見て、お父様も覚悟を決めたようです。重々しく口を開きました。
「……――アーロン殿は、どこまでご存じで?」
「いえ、私はミリアからご両親が何か重大な問題を抱えているようだ、と相談を受けただけで、詳しくは分かりません……そして話して頂けないなら、本当に私が婿入りして真の意味で一蓮托生となる所存。どうか話してもらえませんか?」
「……分かりました。話しましょう」
そういうと一旦席を外して書斎に行き、すぐに戻ってきました。
その手には一通の封筒を持っていて、それをわたしたちに差し出しました。
アーロン様がそれを受け取り尋ねます。
「見ても?」
「どうぞ」
「では」
封筒から取り出したのは2通の用紙。
それを読み終えたアーロン様は眉を顰めました。
そしてわたしに渡してきました。
それを見て、思わずわたしは「は?」と驚愕します。
まず一通目。そこに書かれていたのは、ラビュラント侯爵家からの貸付金の不当滞納の訴えを認め滞納分とその追徴金の一括支払いを命令する、という督促状で発行元は財務局とありました。そしてその金額足るや、今のロクラント男爵家の台所事情では天地がひっくり返っても支払えない金額でした。
もう一通に書かれていたのが、督促状に対して異議申し立てがあるなら話し合いに応じるのでこの書状を持ってラビュラント侯爵家の領主館まで来られたし、とあってラビュラント侯爵家の家門とサインが記されていました。
「こんな馬鹿な話はありません! 誠実なお父様が借金を滞らせるなど! 異議申し立ても何も、完全な言い掛かりではありませんか!」
お父様はため息交じりに頷きました。
「まあ、誠実が故にあの男の罠に嵌った訳だが……それはともかく。侯爵家と取り交わした証文通り、借金は返済し続けている。滞納など意地でもしていない。だから財務局に出向いて問い合わせたが……にべもなく、侯爵家からの提出物は公式証書でサインも両家とも正当なものだったので受理した、それでも不当とするならまずは当事者間で話し合ってくれ、それがなされない場合は規定通りに資産の強制徴収を執り行う、と追い返された。そうなれば容赦なく身包み剥がされ、今度こそ爵位すら失うだろう」
爵位は売買可能で、お金になります。
わたしは思わず立ち上がり声を荒げました。
「そんなことはあってはなりません! お父様が、あれだけ屈辱に耐え苦労して守り抜いてきた男爵の家門を、このような汚らしい手で奪おうなど……!!」
これはまだ気が早いだろうとアーロン様には相談していませんでしたが内心では、わたしの2人目か3人目の子は、ロクラント男爵家を継がそうと考えていました。
お父様は自分の代で終わってもいいと常々言っていましたが、とても恵まれたご縁で結婚が叶うのです。そんなものはわたしが絶対に認めません。ロクラント男爵の家門は、お父様とお母様とわたしで、身を粉にして働き、爪に火を点すような生活を続け、守ってきたわたしたち家族の絆なのです。
それを、このような謂れなき手段で奪おうとは。
余りの怒りと屈辱に、気付けばわたしは涙を流していました。
アーロン様は静かに抱きしめてくれます。
わたしはその厚い胸板に顔を押し付け、はしたなくも、ひんひんと泣いてしまいました。
アーロン様はわたしの頭を撫で慰めながら口を開きました。
「……ディオード殿。私はミリアだけではなく、本気で、ロクラント男爵家に婿入りしてもいいと思うほど、貴方たち家族が大事です。だからこれは、僕にとって絶対に看過できない、大問題だ」
お父様は苦虫を嚙み潰したような顔付きで言います。
「ですが、言い逃れが出来ない証文を出されている。督促状の期限はあと半年。どうやっても返せる目途はありません。斯くなる上は、侯爵と直接話し合って落としどころをつけるしかない」
「だがそれこそが、狙いでしょう。ミリアとの婚約に際し、ミリアの戦姫の称号を欲して邪魔するであろう知れ者を調べていた時期があります。すると出てきた特大の知れ者が、ラビュラント侯爵家の長子、ジャクソルとかいうもやしだ」
アーロン様の剣呑な声色で出された侮蔑に、思わず涙が引っ込みました。
「これはどう考えても、ディオード殿……あわよくばシャーロット殿も諸共に領地に引き込み、人質にする気が満々だ。その理由は言わずもがな、ミリアの身柄です。両親の命を盾に、皆に黙って侯爵領に来いと脅せば、ミリアの性格だと逆らえない。しかも相手は腐っても侯爵だ。足の確保も容易でしょう。領地は貴族にとって治外法権。目に余る犯罪でもなければ、例え王族であっても早々に口出しは出来ません。ミリアさえ確保できれば、あとは既成事実をもって略奪する腹積もりなのでしょう」
確かに、その通りなのでしょう。
あの男は、情欲にまみれた目で、いくら断っても愛妾であることを強要してきましたから。正直、身が汚されなかったのは奇跡のようなものでした。ですがもし一度でもラビュラント侯爵領内に入ってしまえば、もう身の安全は皆無です。
「――我が領内でかどわかしを企てるとは大それた謀だ……ですが連中は運に見捨てられた。ミリアの絶妙なタイミングでの里帰りと、僕を共に連れていたことと、両親の不穏の芽をいち早く見抜く家族の絆の深さに……これはまさに神の采配でしょう」
そしてアーロン様の次からの言葉は、底冷えした声色でした。
「これは戦争だ」
「えっ」
余りの声色に、胸板から顔を上げ、見上げます。
そこにはバチクソにマジ切れした鬼の形相のアーロン様がいました。
やだ、格好いい。
「他家の話であっても唾棄すべき、この悪行。その矛先を、我が婚約者とその両親に行うとは。ギャラッグ辺境伯家も随分と舐められたものです。我々が魔物にしか槍を振るえない腑抜けとでも思っているのか、辺境伯家の家門にクソを塗りたくられた気分です。まったくもって、不愉快の極み。これは、暴力の何たるかを忘れてしまった、阿呆どもに、戦争の作法を、教育する必要がある」
後半、噛み締めるように吐き出された言葉に、本気の度合いが窺い知れました。
「ディオード殿、ご理解ください。僕がこれを知った以上、これはもう辺境伯家のメンツの問題です」
お父様は深く頷き、立ち上がると深々と頭を垂れた。
お母様もそれに習います。
「まことアーロン殿の言う通り。ミリアにこれ以上、醜聞を聞かせ負担を掛けまいと、いらぬ意地を張っておりました」
「いえ、男子であれば張らなければならない意地があります。ですが事ここに至れば、どうぞ我らを頼って下さい」
「有り難い。この度は辺境伯家のご助力に感謝します。頼るしかない我が身です。どうぞ如何様にも采配して下さい」
「請け負いました。即日、父と相談の上で対処します」
そういうことになった。
いや~男の人ってこうと決めたら話が早いわ~。




