第三話
――精霊の光を纏って踊る君を見て、僕は二度、恋に落ちた。
僕の名はアーロン・ギャラッグ。年は17になる。
良く晴れたある日のことだった。
第一竜騎兵団の修練場で稽古に励んでいたところに、緊急招集が掛かった。
物心ついた頃からこっち緊急招集など記憶になく、後に知ったことだが前回は20年以上も前のことだったそうだ。ともかく驚き、同僚と急いで多目的ホールに駆け込んだ。
その壇上には父上――竜騎兵団総長のダーナン・ギャラッグが巌のような顔付きで立っていた。
集まれる者が全員集まったところで、父上の傍にいたグルノウル副総長が口を開いた。
「全員、傾注!!」
一糸乱れぬ姿勢で、総長からの下知を待つ。
父上は鋭い眼光で兵たちを見詰め、口を開いた。
「先ほどマーダ砦から緊急伝達装置による一報が届いた。『南端開拓団より火急の知らせあり。間もなく魔物大襲撃の襲撃あり。開戦までの期限は半日』と」
兵たちがざわりと揺れる。
緊急伝達装置とは、対となる魔道具に文字を送信できる使い捨ての魔道具だ。
遠方に瞬時に文字を送れるこの魔道具は非常に便利だが、とても高価なので頻繁には使えない。
しかし今回の件は魔物大襲撃で、しかも常にある事前の予兆も一切ない、まさに不意打ちという状況だった。高価な緊急伝達装置が使われたのも無理はなかった。
「静まれ! 総長の下知は終わっとらんぞ!」
副総長の喝破にぴたりと静寂が広がる。
「更にこの知らせには続きがある。『開拓村に祝福の力、聖戦を授かりし使徒あり。それをもって村での徹底抗戦と決め、我ら砦にいる者は全員村に馳せ参じ戦いし候。至急援軍求む。以上』と」
全員が、息を飲んだ。
今現在、辺境伯領に存命の使徒はいない。いたのはもう30年以上前の筈だ。その久方ぶりの使徒が死地と化した開拓村にあって、孤軍奮闘するというのだ。
「ついて領主より、緊急討伐宣言がこれより発せられる。全竜騎兵団は急ぎ出陣の準備に取り掛かれ。準備が整い次第、第1竜騎兵団は私の指揮下のもと全身全霊の強行軍を行い戦地に駆け付ける。第2と第3竜騎兵団は副総長の指揮下のもと行軍し後詰めせよ。4日だ。4日で開拓村に辿り着くぞ。では解散!」
僕は体をぶるりと震わせた。
魔物の討伐は何度か経験はあるけれど、数千の魔物が襲い掛かる戦場に参戦する経験は、生まれて初めてのことだった。これはただの戦ではない、まさしく大戦だ。
しかも全身全霊の強行軍、これも当然初めてだった。
これは必要最低限の休みだけで後は突き進む、非常に体力と精神力を問われる、過酷な軍事行動であった。
辺境伯領のほぼ北側にある領都ラーグから、最南端にある開拓団の村までは、足の速さとタフさで知られる走竜であったならば、騎乗者が身軽な格好という条件付きなら2日で辿り着く距離だ。
だが今回は戦だ。
フル装備の騎士と必要最低限とはいえ道中分の旅具を乗せた状態なのだから、どんなに急いでも、父上の言う通り4日、下手をすると5日は掛かる。
我々の到着が遅れれば遅れるほど、現地で激闘を繰り広げる友軍は命を落とし、最悪、使徒の命が失われる――これだけ困難で責任重大な大戦に、騎士になったばかりの自分が立ち会うとは。
そう身震いしても致し方ないだろう。
そこに同僚から肩を叩かれて、はっとなった。
「おい、ぼさっとするな。行くぞ!」
周りの騎士たちは速足で準備に向かっている。
僕も速足で部屋に戻ると準備を整え、走竜の厩舎に駆け込んだ。
そこにいる僕の相棒――走竜のリュグスの元に向かった。
リュグスには僕の従者の手によって既に装具が付けられていた。
僕の体はまだ小刻みに震えていた。
でもこれは武者震いだ、と言い聞かせ、僕はリュグスの頬を撫でる。
「リュグス、戦だ。数千の魔物どもから友軍と領民、使徒を救う大戦だ。此度の働きはすべてお前の脚に掛っている。頼むぞ」
リュグスはキュルルルと喉を鳴らす。
それは『任せろ』と言っているのだと感じ取り、体の震えが少しだけ取れた。
傍にいた従者が興奮した口調で言った。
「このような大戦に、共に出来ないことが無念でなりません。さすれば武運長久をお祈ります」
今回の出陣はまさに全身全霊の強行軍。
共は付けず、到着までの旅具を括りつけて駆け抜けるので竜騎兵以外の従軍はない。
僕はひらりとリュグスに跨ると、従者に向かって言った。
「ああ、必ず武勲を立てて帰ってくる。行ってくる!」
「いってらっしゃいませ!」
そうして僕たち竜騎兵たちは野外準備場に集合、最終準備を整え、出陣した。
◇ ◆ ◇
そして強行軍から4日目の早朝。
そこで僕たちは奇跡を目撃した。
丘の上から見えた開拓村は、夥しい魔物の群れに囲まれながらも強固な結界により無事で、村から少し出た一画では激しい戦闘が繰り広げられていた。
それを見た父上は、力の限り号令を下す。
「全軍、突撃っ!! 我らが友軍と領民を救うぞ!!!」
号令一下、全速力で突撃した。
そしてもう間もなく会敵、という段になって突然、静謐な空気が全身を駆け抜けた。
未だかつて経験のない強力な能力向上の享受。
今までの疲れがすべて吹き飛び、神経が冴えわたり、自身の身体能力が格段に上昇したことが体感できた。それは相棒のリュグスも、そして周りの竜騎兵たちも同様だった。
突然のことに驚いたが、それも一瞬のこと。むしろ感嘆した。これが村にいるという使徒が扱う祝福、聖戦の効果なのか――と。まさに百人力を得たようなものだった。
神の奇跡に感謝し、魔物の群れに突っ込んだ。
自身の槍が届くまで間合いを詰めれば、あとはもう作業のようなものだった。
魔物を木偶の坊のように切り裂き、走竜が蹴散らし、散々に蹂躙した。
そして半日もかからずに決着は付いた。
自然と上がる勝鬨の中――
『天秤の商神ダイダリュウスの下知である、皆の者、聞くがよい。我が使徒ミリアよ、汚らわしき魔物どもから信徒を十全に守りしはまことに大儀なり。我が授けし祝福、聖戦を極めたと認めよう。それを評し我が使徒ミリアには、戦姫の名乗りを許す。皆の者は我が使徒ミリアを褒めたたえ祝すがよい』
その神託に、皆が呆然とした。
久方ぶりに現れた使徒との共闘という誉れの上に、戦姫の号を賜る瞬間にも立ち会えるとは――
余りの感動に、暫し呆けたとしても、許してもらいたい。
そして父上の号令で、我に返った。
「全軍、武器を納め集合っ!」
特に怪我らしい怪我をした者はいないようで、すぐさま全員が父上の前に集合する。
「私と団長は村の代表者と話してくる。指揮権を一時、副団長に預ける。貴君らは副団長の指示の元に行動するように。以上」
そうして父上は村に行き、残りは副団長の指示の元、残党の確認の威力偵察隊と、野営地を設営する隊に分け、僕は一番若手ということもあって野営地設営に回された。
そうして殆どいない残党を狩りつつ、野営地で待機すること3時間ほど。
全員集合が掛かり、父上から指示が下された。
「魔物大襲撃の脅威は去った。翌早朝に撤収する。ただし一部の者は村で行われる戦勝会に参加する為、居残りとする。以上」
そう言い、その村の戦勝会参加メンバーに僕も選ばれていた。
だがそれは正直言って、場違いなメンバー選定だった。
何故なら僕以外のメンバーが、総長と第1竜騎兵団の団長、後に押っ取り刀で合流した副総長と第2~3竜騎兵団の団長、というトップ勢にまじっての人選だったのだ。僕は入団して2年目の新人騎士だ。どう考えても、この人選は親の七光り、露骨な依怙贔屓と言わざるを得ない。
だがそれも父上の、いやギャラッグ辺境伯家の思惑を思えば納得できた。
これは辺境伯家の一族での風習なのだが、騎士に相成った者はいつ死ぬかも分からない立場になったのだから半人前を卒業してから婚約者を決める、という習わしがあって、いくつかある半人前卒業の条件の一つが、戦で生き延びることだった。
新人騎士の僕に婚約者など勿論いなかったが、この度の大戦を無事に生き延びたので、半人前卒業と言えた。
このことからもミリア様は、年頃の娘なのだろう。
僕がこの宴に参加する意味は、上手くいけば滅多にない戦姫と縁を結ぶ千載一遇のチャンス、是が非でもミリア様をお前の婚約者とするよう動くから、お前は彼女に顔を覚えてもらってこい、ということだろう。
同僚からの羨望の眼差しが痛かったし、なんだかズルしているようで僕も思うところがないと言うと嘘になる。
だがそれでも一生に一度あるかないかという戦姫を賜る女性との出会いのチャンスなのだ。
この栄誉に、素直に神に感謝した。
そうしてはやる気持ちを抑えながら宴を待ち、無事何事もなく戦姫ミリア様が目覚めたと報があり。急ピッチで用意される宴に手伝おうとして客人だからとやんわり断られ。そうしてついに、宴に現れた彼女を見て。
お家の思惑だとか戦姫の娘だとか、そんなものは関係なく。
僕は一目で恋に落ちた。
彼女は輝く緑眼とピンクブロンドの髪に美しい顔の愛らしい女性だった。
辺境の地で生きてきたことを証明するように、着込んだ白いワンピースから覗く肌は少し日焼けしていた。
そんな彼女が、飲めや歌えやの宴を眺め終始にこにこと微笑み、自分の顔よりも大きい骨付き肉を鷲掴みにして、心底美味しそうに頬張っていた。
そのすべてに惹かれ目が奪われる。
僕も高位貴族の端くれ、ギャラッグ辺境伯家次期領主ダーナンの長子だ。12才から15才までの3年間、王都で一番の学び舎である貴族学習院の3年制コースで色々と学んできた。その学生生活の中で見てきた貴族女性の多くが、彼女と負けないくらい見目麗しかった。
だが見た目の美しさだけでは到底及ばない、内から溢れる戦姫としての器量を目の当たりにして、心ここにあらずであった。あと満面の笑顔で口いっぱい肉を頬張る姿が滅茶苦茶可愛い。
彼女が宴に登場してからずっと、ぼーっと見詰めていると、
「アーロン、現を抜かして戦勝会の食事に手を付けないのは無礼の極みだぞ」
と苦笑いをした父上に苦言を呈されてしまった。
「あっ! こ、これは、総長、申し訳ありません」
「ふ、宴の席だ。無礼講よ、総長など言わんでいい。ほれ、食え」
「は、はい……父上」
そう言いながら僕は初めて彼女から目を外し、眼前にあった料理に手を付けた。
辺境でしか手に入らない珍しい素材を使った料理が多く、どれも美味しかった。
気付くと彼女のように、口いっぱいに料理を頬張っていた。
そして宴もたけなわな頃合いに、一人の村人が声を上げた。
「ミリア様! ここはひとつ踊ってくれやしないか! 神に捧げる勝利の舞いを!」
その声に快く応えた彼女は肉の油で艶めかしく潤っていた唇をペロリと舐め、三つ編みにしていたピンクブロンドを手早く巻き上げ、広場の中央に躍り出る。それと同時に、この国では聞き馴染みのない旋律――西の大国グランデールの弦楽器の音楽が奏でられ、それに合わせて彼女は激しくも軽やかに踊り出した。
それを見た村人たちは歓声を上げ手拍子を刻む。
その余りに堂に入った見事な舞いに、只々見入っていると。
彼女の周りに、光の粒子が舞いだした。
その幻想的な光景に、いつしか音楽も歓声も手拍子も止む。
静寂の中、くるくると舞い続ける彼女の姿に、誰もが目を奪われていた。
「……これは、驚きました。ミリア様は年若くして戦姫と成られるだけでなく、精霊神楽の使い手でもあるとは」
父上の隣にいた、鉄扉面で知られたグルノウル副総長が驚きもあらわにそう言った。
精霊神楽の何たるかを知らない僕は彼女を見詰めながら口を開いた。
「精霊神楽とは、何でしょう?」
「ふむ……不勉強ですね。まあ、いいでしょう。まず精霊とは、普段目視することは適わない神々の力の残滓にして森羅万象を司る、この世に偏在する大いなる力のことです。そして神楽とは神々に捧げる舞いのことです。これを奉納して舞踏の女神ナラクラーダが評すれば、精霊の光を踊り子に纏わせ称えるのです。それを成せる踊り子を、精霊神楽の使い手、精霊神楽の踊り手、などと言います。これは芸事の国グランデールでも滅多にお目に掛れない光景で、私も見るのは二度目です」
なるほど、と小さく口にしながら僕は彼女の踊りに目が離せなかった。
トランス状態になっているのだろう、静寂の中でも気にする様子もなく、彼女は神に舞いを捧げ、精霊の粒子は一層美しく輝いていく。
そして唐突に幻想的な舞いは終わった。
彼女が軽やかにターンを決め、右手を優雅に掲げる。
篝火に照らされ、月光降り注ぐ中、生ける女神がそこにいた。
僕は生涯、この光景を忘れないだろう。
何故なら二度、恋に落ちた瞬間なのだから。




