第一話
わたくしの名はメリエナ・ファウホーン。年は15才。
ラクスアン王国の七大貴族が一つ、ファウホーン辺境伯家の8番目の末子です。
上は全員が男子で、8番目についに生まれた女の子、ということもあってそれはもう家族から溺愛されて育てられました。
何か粗相をしても誰からも叱られず、ひたすら甘やかされて過ごす日々。
今思うと、このまま育っていたら、空恐ろしい我が儘娘が誕生していたことは難くない……訳だったのですが。
人生は本当に、何が起こるか分からないもので。
わたくしが6才の時分、お供のチェルシーを引き連れ二人で庭を散歩している時、人生が変わる大きな転機が訪れました。
その当時、わたくしにとって憧れていた事柄がありました。
それは木登りです。
兄たちがひょいひょいと高いところに登るのを見て、とても羨ましく思っていたのです。ですが所詮は6才児。体も小さく、木の幹にしがみ付くのが関の山でした。
そんな時に発見したのが、木の側に置かれた3メートルほどの高さの脚立でした。
この脚立は屋敷に何本か植えていた国外産の珍しい果実の木、その実を取るために庭師が置いていたものでした。現に脚立の近くには果実が入った籠が何個かありました。
これだ、と思いました。これなら高いところに登れる、と。
都合の良いことに、脚立の側には庭師の姿がいませんでした。後に聞いた話では、新しい籠を取りに倉庫に行っていたそうで。
ともあれチャンスです。登りたい。
後の問題は、お供の侍女チェルシーをどう撒くかですが――そこでふと足元を見ると、可愛らしい生き物――小さなカエルがいました。わたくしはそれを素早く両手で掴み、
『チェルシー。これを見てちょうだい』
と両手を掲げ、それをチェルシーの顔に近づけます。
『あらあら、どうなされましたお嬢様』
チェルシーは何の警戒もなく近づき――手を広げた瞬間、絹を裂くような悲鳴を上げました。
彼女は大のカエル嫌いなのです。
お父様曰くファウホーンたる者、機を見るに敏たれ、とのことで。その娘であるわたくしがその隙を見逃す筈もありません。
脱兎の如く駆け出し、脚立を駆け上りました。
そして頂まで登り――感激しました。
これがお兄様たちの見ていた景色――!
自然と右手を振り上げ、
『うおー』
と声を張り上げます。勝鬨です。
ですがその蛮行を見たチェルシーは大慌てです。当然ですが。
『あーーーー!いけませんお嬢様いけませんお嬢様危険が危ないですお嬢様あーーーー!』
安心なさいチェルシー。わたくしはファウホーンの北の森より這い出る魔物どもから領地を、ひいては王国を守護する武門の娘でもあるのです! この程度の高さなど恐れるに足りな――
そこでバランスを崩し脚立を盛大に倒しながら、後頭部から落下しました。
それを見たチェルシーは悲鳴を上げました。
今度は、『ギャアーーーーーー!!!』という淑女とは思えない汚い悲鳴でした。
この時のチェルシーは16才。年若くしかも護衛魔術といった特殊技能を持つ訳でもない普通の侍女に、これを咄嗟に動いて受け止めろ、というのは如何にも酷な話です。
という訳で、私は為す術もなく地面に激突。
3メートルという高所を頭から落ちたのです、超人でもなければ普通に死ねます。
唯の子供であるわたくしなどさもありなん、首がぼきっ、とへし折れて即死しました。
後に使用人たちの間で脈々と語り継がれる大惨事、『山猿お嬢様脚立転落の乱』でした。
しかしわたくしは本当に幸運の持ち主でした。
相当ひどい状態でもない限り死人すら蘇る物凄い治療薬――1級ポーションを使える立場の物凄いお嬢様だったのです。
山猿を助けるべく、ファウホーン辺境伯家の秘蔵の1級ポーションをすぐさま使用し、これにより一命を取り留めました。
翌日には元気に起床し――そしてわたくしは変わりました。
死から蘇るという稀なる体験、それによって前世の記憶も蘇らせたのです。
そして目覚めて早々に、わたくしは猛省しました。
目が覚めてしばらく経ってもチェルシーの姿が見えなかったので、傍にいた侍女長に聞けば、職を免じられました、というのです。
前世の記憶は、割と苦労を重ね二十数年生きたOLの記憶でした。趣味は小説を読むこと。ジャンルは雑多に色々読みましたが、ファンタジー小説が特に好きでした。でまあ、その記憶から考えるに……
絶大な権力を持つ辺境伯家の領主が溺愛するお姫様を、理由の如何を問わず死なせた侍女。
どう考えても罷免される程度で許されないよね下手すれば寄子の彼女の実家もまとめて首を切られる(物理)でしょうどうすんのこれ!?
わたくしは慄きました。
わたくし専属の世話係であったチェルシーとは年の離れた姉妹のような関係性でした。それを自分の浅慮で、しかもその家族まで巻き込んで破滅に導くなど、前世の記憶によって染みついた高い倫理観を抜きにしても耐えられないものでした。
だからわたくしはお父様に泣きつきました。
チェルシーを許して、と。
そしてあっさりチェルシーは無罪放免で許されました。
いやお父様さすがに娘に甘すぎません?
とは思いつつ、そこは甘いだけでないお父様。
ただでは許さず条件を付けられました。
それはこれに猛省しお母様のような淑女になりなさい、ということでした。
わたくしの母――リリアナお母様は七大貴族が一つ、ダブラダ大公家の次女という高貴な出自で、王国の誰もが認める淑女中の淑女と広く知られておりました。
その誰もが認めるお母様のような淑女になる――それは並大抵のことではなく、その為にとても優秀な家庭教師が付けられることになりました。
エミール・マグガエル夫人。
それが家庭教師になられる方のお名前でした。
御年61才のこのお方、長年に渡って数々の貴族令嬢を立派な淑女に育て上げてきたことで高名な一流教育者なのですが――もう一つ有名を馳せていました。
問題児絶対矯正夫人。
如何なる問題児も鬼の眼光で黙らせ教養とマナーをぶち込む鉄の女傑なのです。
物凄く厳しいお方なのですが――前世では家庭の事情で高校に行けず勉強の大切さは骨身に染みて知っておりました。
知識と学歴の差は人生の差、芸は身を助ける、という真実を。
ですから全力で教えを請いました。
生まれが良いというだけで一流の教育を受けられる――これは本当に、どこの世であってもこれ以上にない幸運なのですから。
そんなやる気溢れるわたくしに、エミール先生も望外に喜ばれました。
どうやら事前に手の負えない山猿だと言われていたようで、それが蓋を開ければ非常に素直でやる気のある生徒だったのですから。
それとこれは、わたくしにとっても望外の喜びの発見でもありました。
何とこのメリエナの地頭と物覚えの良さは、世間に胸を張れるレベルだったのです。
思った以上に根性のあるわたくしに喜んだ先生が大量に出した課題をすらすらと解きどんどん知識を得るのです。また運動神経も悪くなくダンスもそつなく熟せました。
そうか世の才女と呼ばれる人間とはこういう人物を言うのか……と前世の出来の悪さもあって思わず感動しました。
そして現在、15才。
わたくしは見事、エミール先生に自慢の生徒だと太鼓判を押される、立派な淑女と相成ったのです。
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わたしの名はヒルデ。年は8才になる。
世界中に信徒を持つ豊穣の女神ユミリア教、その教会が運営する、ラクスアン王国の王都にある孤児院の前に捨てられていたわたしは、そこで今の今まで慎ましく生きてきたのだけど……
『異界の魂を持つ子ヒルデ。邪神デュミラスの祝福、魅了の力を授かった哀れな子。まもなく顕現するその力は、己の力のみでは制御の出来ない邪悪な力です。神官長にも魅了の力の件のみ神託を下しました。彼の者に懺悔しなさい。そなたに豊かなる実りがあらんことを』
拝礼所の床をせっせと磨いていた時、脳内に『降りて』きた圧倒的言霊。
ビビった。まーーじでビビった。
そしてそれと同時に、すっと蘇ったの。
前世の記憶が。
小学3年生の頃から病院がわたしの家だった。
癌は容赦なく体を蝕んで。
行きたかったなぁ高校――
そして思い出したのが、この世界はわたしがハマりにハマった恋愛ファンタジー小説、『ラクスアン王国物語~光と闇の姫~』の世界であるということ。
ざっくり小説を説明すると、主人公は二人。
闇の力、魅了に目覚めた神託の魔女ヒルデ。
光の力、破邪に目覚めた神託の戦乙女メリエナ。
生まれのこともあって色々と鬱屈した性格のヒルデはこの後、女神様の期待を見事に裏切り、魅了の力で次々と権力者を篭絡。なんやかんやあって貴族令嬢が通う王立学院でメリエナと出会い、その恵まれた出自と家庭環境と美しい容姿に素敵な婚約者とそのすべてに大嫉妬、魅了の力を駆使して婚約者を略奪、自らは手を下さず孤立させ虐めて虐めて虐め抜いて彼女のすべてを叩き壊し奪うが最後は、強すぎる力がゆえに両親の手によって密かに封印されていた光の力たる破邪を、なんやかんやあって解きそれをもって魅了されていた人々を解呪、こうしてめでたくヒルデは断罪される、といったお話だ。
心底震えたよね――恐怖でね!
断罪されるじゃん! ギロチンで首が飛ぶじゃん!
だいたい魅了とか、どう考えても最後は逆転負けするゴミスキルじゃん! そんなんハナからいらないし!
しかも虐めの内容がヤバい、手下を使って二階の窓から植木鉢を投げさせるし階段から突き落とすしゴロツキ雇って襲わせるし、それもう殺そうとしてるよね!?
小説のヒルデやべーよ根性腐りすぎでしょ!
わたしは心底思った。
いらねぇ~。前世の記憶はまあ別にいいけど、でも魅了はマジでいらねぇ~。
だが、残念なことに神官長様にまで神託は下されてしまっている訳で。
自分の胸の内だけに留める、とはいかない状況……しかも魅了は自分だけでは制御は無理って女神様から断言されてるし。
ただ唯一の救いは、女神様の『魅了の力の件のみ』という言い回しから、ある意味で魅了より厄介な臭いぷんぷんの前世の記憶に関しては知らせてないっぽいところだろうか。
まあ、どちらにせよ、逃げることは叶わない天涯孤独の身。
素直に神官長様のところに行こ……
神官長様は本当に慈愛に満ちたお方だし、やべー魅了持ちでも、穏便に修道院行きにでも采配してくれるでしょ……
そうして神官長様に懺悔した結果。
どこの馬の骨とも知れない孤児だったわたしが、七大貴族が一つダブラダ大公家の寄子、バウアー伯爵家の養子に迎えられるという人生の大転機が待っていた。
いや、どうしてそうなったし。




