山での昼食
ブノの野営場所は渓流沿いにある、少し高い場所に簡素に作られていた。
枯れ落ちた倒木や流木を斜めに立てかけるように組み、そこに大きな葉をかぶせ屋根を作ってある。
そのすぐ近くには石で風よけを作った焚火が煙を上げていた。
「すごいな。マッチもライターも無しで火起こししたんだろうに…」
火種も道具も無いところからの焚火というのは、恐ろしく重労働である。
枯れた竹に木の棒を、腕が伸ばせなくなるくらいに何度もこすりつけ、一瞬で消え入ってしまう僅かな火種をどうにか大きくしたときには、それだけでその日は何もしたくなくなる程であった。
「むかし爺ちゃんに教えてもらってやった時は、もう二度とやるかって思ったなぁ…」
俺は手ごろな木の枝を三本ほど見繕い、焚火の周りに刺し立てていく。二股に分かれた枝二本に、渡しかけるように枝を置く。これで鍋を吊るすことができる。
「さて、次は水か」
すぐ近くに湧き水場があるので、そこまで歩いていく。
川の水でも十分に綺麗ではあるが、動物の死骸などから悪さをするものが流れ込んでいる可能性があるので、湧き水の方が良い。川魚の生食が避けられるのはそういった理由があったりする。
折り畳めるポリ容器に水を汲み入れて、山道を戻っていく。
オオルリの小気味いい笛のような鳴き声が木陰に響いている。
夏の山は本当にきれいだ。そんな思いが自然と沸き上がった。
汲んできた水を吊るした鉄鍋へそそぐと、持ってきたナスやトマトをザクザクとナイフで切り落としながら放りこんでいく。
トマトは少し熟れすぎて柔らかくなったものだが、これをやる時はこっちの方が美味い。
ニンニクを一欠けをきざみ入れれば下準備は完了だ。
ほどなくするとふつふつと湯が沸き、トマトの酸味のある匂いとニンニクの良い香りが漂ってきた。
俺は小袋に入れた香辛料をそれに振りかけると一気に食欲を刺激する香り、メシの匂いになる。
「外で飯作るのもやっぱり楽しいな…」
都会にいた時も、たまに逃げ出すように近くの山に行っては野営をしたりしていた。俺にはどうしようもなくそういう時間が必要なときがたびたびあった。
そんなことを思い返しながら枯れ枝で火の調整をしていると、ブノが美しい銀髪から水を滴らせながらすぐ横に立っていた。
君本当に気配消すの上手いな! 本気でびっくりするからやめてほしい。
彼女の手には、ぴちぴちと跳ねるヤマメが三匹、枝に口を貫かれて握られている。
恰好はやっぱり布一枚で、先ほどまで話していた幼さを感じる彼女とは、印象が乖離するほどの豊満な肉体が俺の目に突き刺さる。
俺は眉間を揉むようにおさえ、目に焼き付いた煽情的な映像をいったん頭から叩き出した。
「す…凄いな! こんな短い時間で三匹も捕まえてくるなんて」
「ふふ…っ」
ブノは照れるように目を細めると、膝を抱えるようにしゃがんで焚火にあたる。
「これ、すごく匂い 美味しそう」
「これからもっと美味そうな匂いになるぞ」
俺はニヤリと笑いながら懐から小さな缶を取り出す。
ブノは食い入るようにその缶に顔を近寄らせ、鼻をすんすんと動かした。うーん近い。
「変わった 匂い。ヴァイニーヤ似てる…」
「へぇ。それは君の国の食べ物?」
「ヴァイニーヤ、種。料理 入れる」
成程なブノの世界で使われる香辛料の一種なんだろう。
野生動物の肉というのは育った環境や種類にもよるが、基本的には独特の臭みがある。うーん平たく言うと、動物園に漂うアレ。
それらを食欲のそそられる匂いに仕立て上げるのが酒やスパイス、香味野菜だ。
狩猟民族であるブノの一族がそれらの扱いに長けていてもなんら不思議はないだろう。
ペコリと缶の蓋を外し、中に入った粉末を鍋へとふりかけると、平ためのオタマに近い木べらでゆっくりとかき混ぜていく。
たちまちスパイスの効いた、なじみ深い香りが辺りを包んでいく。
「んんっ…んんん!」
ブノが身を乗り出し、鍋から立ちのぼる香りに夢中になっている。
「どう? 好きな匂い?」
「うん!」
「よし、じゃあそっちのヤマメもさばいて塩焼きにしようか」
「わかった」
♢
パチパチと薪が弾ける。持ってきた木皿に白米をのせて、その上にたっぷりとルーをかけていく。
木の匙をさしこんでブノへと渡す。
「これ、名前 なに?」
わくわくと瞳を輝かせながら皿に盛られたそれをブノは見つめている。
「カレーライス。っていうんだ」
「カリャーライス!」
「はははっ。食べてみな…飛ぶぞ?」
冗談めかしてそう言うと、ブノは喜び勇んでそれを口に運んでいく。昨日あげたおにぎりは随分とこの世界の食べ物の信用を獲得してくれたらしい。
「あふ…っ ふっ…。んっ…んん!」
ブノは何度も俺の顔を見つめては、もぐもぐとカレーを飲み下していく。
「凄い! おいしい! けんじぃ! カリャー凄い!」
「よかった。作ったかいがあったよ」
俺もカレーを口に運ぶ。
すっきりとした酸味とスパイスの効いたうま味が、米に溶け込みするすると胃におさまっていく。
「あー美味い。カレーってなんでこんなに美味いんだろうなぁ」
ガツガツとかき込んでも、このカレーはくどさもなく飲みこめてしまう。気づけば一瞬で皿の中身は半分程になっていた。
「け…けんじぃ」
ためらいがちなその声に顔をあげると、ブノの皿は綺麗に空になっていた。チラチラと鍋をながめる姿はまるで給食でおかわりを待つ小学生のようだ。
「どうぞ。いっぱい食べな。ご飯もまだあるから」
ブノは嬉しさを顔いっぱいに広げると、カレーをまたよそい始めた。
「ヤマメも良い感じだね。食べていいかい?」
カレーに夢中になっていたブノがこちらを見つめ顔をぶんぶんと縦に振る。俺は遠火でじっくりと焼き、塩が白く焼き付いたそれにかぶりついた。
パリッとした皮目から、ほっくりと身が溢れてくる。塩がしっかりと効いたそれは口の中を幸せにしてくれる。
「うんまぁ~」
カレーとは違う、何か体に染み入るうまさだ。興奮する旨さじゃなくて、すとんと背中の力が抜ける。そんな美味しさ。
そんな俺の姿をブノが嬉しそうに眺めている。
「捕ってきてくれて、ありがとうブノ。凄くおいしいよ」
「…ふふふっ」
ブノは身体をくすぐったそうに震わせると、満足そうにしてカレーへと視線を戻した。
アオルリの美しい鳴き声がまた木々にこだまする。
夏の匂いと共に、ヤマメの身を体におさめていく。
いい昼食になったな…。じんわりとした喜びが胸を包み込んでいくのが分かった。
♢
その後は、あれこれとブノの話を聞きながら飯を食い、二人で片付けをしてから山を下りた。
こっちに来てから変化したことはないか、体調はどうかなど何か聞いてはみたが、身体がすこぶる元気だということ以外に良い話は聞けなかった。
しかしブノはタフだ。もともと狩りを行う上で野営をするのには慣れているそうだが、見知らぬ環境の山でもすっかりと順応してしまっている。
彼女の、女性で一番の狩人という言葉は、そういった意味でも伊達ではないということだろう。
「狩り…。狩りかぁ…」
何も返せないと俯くブノの姿が思い浮かぶ。慣れない土地で、自分のもっとも得意としている事に制限をかけられるというのは、歯がゆいだろうと容易に想像がつく。
俺はうんうんと唸りながら、ブノから引き取った弁当箱をバシャバシャと洗って食器置きに並べた。