第6章 定子入内
正暦元(990)年一月五日、一条天皇が十歳で元服した。兼家が加冠役を務めたが、糖尿病が進んで体は痩せ細り、足元がふらついていた。誰の目にも命がもう長くないのは明らかだった。
同年一月二十五日、定子が入内して一条天皇の女御となった。定子の入内を見届けた後、自分の役目は終わったと思って緊張の糸が切れたのか、兼家は寝たきりの状態になった。都の内外から多くの人間(もちろん息子の道隆や道長も)が時の権力者である兼家の屋敷へ見舞に押し掛けたが、父親を深く恨んでいる道兼だけは頑として行こうとせず、
「さっさとくたばりやがれ、このクソ親父! 」
屋敷内で宴会を開いては、そう毒づいていた。
入内後、定子が初めて目にした一条天皇は、いつも母親の詮子の陰に隠れている、青白く、物静かな、内向的な少年だった。しかし、これまでさんざん弟の隆家や隆円の世話をしてきた定子にとって、こういった年下の少年の扱いはお手のものであり、すぐ仲良しになった。一条天皇にとっては、美人で、明るくて、優しくて、聡明な姉が出来たようなものだった。その上、定子は一条天皇がこれまで目にしてきた女性(母親の詮子やその侍女たち)とまるで違っていた。ざっくばらんで、自由奔放で、気安くて、形式張らない定子は、一条天皇にとってたいへん新鮮で、かつ魅力溢れる存在だった。また、たびたびご機嫌伺いにやって来る伊周が、まるで実の兄のように一緒に遊んでくれたり、勉強を教えてくれたりした。一条天皇は詮子のもとを離れ、定子そして伊周と一緒に過ごす時間が次第に増え始めた。
同年五月五日、兼家は念願の関白に就任したが、もはや立ち上がる体力さえ残っていない状態だったので、僅か就任三日目で関白職を長男の道隆へ譲った。その後、兼家は七月二日に亡くなった。
道隆の時代の始まりである。父親が亡くなった以上、道隆、道兼、道長の三兄弟は最低でも四十九日間は喪に服し、宮中から姿を消すのが通例である。しかし、道隆にはそんな悠長な事を言っていられる余裕はなかった。ぼやぼやしていたら政敵に権力を奪われる恐れがあった。そこで道隆は狡猾にも一条天皇に「道隆、道兼、道長の喪を解く」という命令を出させた。これによって、何と兼家が死んだその日のうちに喪が明けたのである。あまりの事に公卿たちは大いに非難し、当事者の一人である道長さえも反撥したが、道隆は意に介さなかった。
同年十月五日、定子が一条天皇の正室である中宮となった。天皇の正室はふつう皇后である。しかし、この時、退位した円融天皇の正室である遵子が依然として皇后のままだった。なぜなら遵子をその上の皇太后にしようと思っても、皇太后には一条天皇の母である詮子がいるし、さらにその上の昌子太皇太后もまだ存命中で、空いているポストが無かったからである。皇太子の住まいを東宮と呼ぶように、中宮とはほんらい皇后の住まいの呼び名である。定子を皇后に出来ない道隆は、無理やり中宮を皇后とは別個の正室の地位であるとした。これにも批判が多かったが、道隆は無視した。
道隆の長男の伊周は蔵人頭から翌正暦二(991)年には権中納言、そのまた翌年の正暦三(992)年には正三位大納言と、異例のスピード出世を遂げていった。
次男の隆家は元服したばかりだったので伊周のような目覚ましい昇進は無かったが、当人はそんな事を少しも気にせず、専ら剣術、乗馬、弓道の鍛錬に熱中していた。隆家の守り役兼武術指南役は、後に大宰府で隆家と共に刀伊と戦う事になる平致光である。致光は隆家より五歳ほど年上で、道隆の家来の中では飛び抜けて武芸に秀でた若者だった。隆家は致光と一緒に武術の訓練に打ち込んだ。運動や武術には生まれつき抜群の素質を示す隆家であったから、どれも短期間で上達し、たちまち致光を追い越してしまった。同時に肉体も逞しく成長していった。
初めて一条天皇へ挨拶しに行った際、隆家は終始憮然としていて、同行した道隆と伊周を狼狽させた。精神的にまだ子供だった隆家は、いくら天皇とはいえ自分から姉を奪い取ったこの同年代の少年が許せない気分だったのである。一条天皇も隆家のただならぬ形相に恐れの感情を抱いたが、横にいた定子が
「隆家、何ですか、その仏頂面は。陛下に対して失礼でしょうが」
そう一喝するや、たちまち隆家の表情がしゅんと萎んだので、ホッと安心した。そして一条天皇は
(この子も僕と同じように定子が好きなんだな)
と思い、隆家に対しライバル意識と共に一種の親近感を抱いた。
その一条天皇の父親で、詮子の夫である円融法皇が、正暦二(991)年二月十二日に崩御した。三十三歳の若さだった。夫を亡くした詮子は同年九月十六日に出家し、東三条院と号した。通常、法皇にしか使われない「院」という号を特別に詮子に与えたのは、一条天皇を産みながら皇后になれなかった詮子への兄・道隆からのせめてもの心遣いであり、味方に引き入れる為の懐柔策だった。
父帝の崩御により表向きは喪に服していたが、現実の一条天皇の生活にはさほど変わりが無く、相変わらず定子とおまま事のような結婚生活を続けていた。最近は定子や伊周とばかり一緒にいて、母親の詮子のところへはすっかり寄りつかなくなっていた。若い一条天皇にしてみれば、窮屈な思いをして、地味で、陰気で、古臭い、かびの生えたような婆さんのそばでかしこまっているより、同世代で、最新の学問を身につけていて、何でも気楽に話せる定子および伊周と様々な事を語り合い、新たな知識を吸収する方が刺激的で楽しいに決まっているので、どうしてもそうなるのは致し方ない話なのだが、詮子はこれが気に食わなかった。
昔から仲が良く、内裏を出たあと三条通りにある屋敷に移った詮子を自分の屋敷である土御門殿に招き、一緒に住んでいる《忠義者》の弟・道長に向かって、詮子は鬱憤をぶちまけた。
「それはしょうがありませんよ、姉上。陛下はまだお若いのですから。今は若い者同士で遊びたい時期なのですよ」
道長が苦笑しながらそう窘めても、詮子は不満気な表情を崩さなかった。
「おまえは中宮大夫になったから定子の肩を持つ気かい?」
二十四歳の道長は、道隆により中宮に関わる事務を扱う役所の長官である中宮大夫に任命されていた。
「とんでもありません。それとこれは別ですよ」
慌てて道長は否定した。
「ふん。どうだか。進歩的だか何だか知らないけど、定子のやつ、女だてらにすぐ学のあるところを見せびらかすだろう? したり顔でさ。ああいうところがいけ好かないんだよ、わたしは。あいつの母親もそういう類いの女だった」
「中宮の母上さまをご存知なのですか?」
「昔からよく知っているわよ、先帝の時代に《高内侍》とか呼ばれて宮中で偉そうな態度をしていたからね。大嫌いだよ、ああいう高慢ちきな女は。兄上もよくあんな女を妻に選んだものさ。女はもっとつつましやかでなくちゃいけないよ」
「そう悪い人には思えませんけどね・・・中宮さまは」
「定子よりも、もっと気に食わないのが兄の伊周さ。あいつは懐仁をわたしから奪って、自分の意のままに操ろうと企んでいるんじゃないのかい?」
「それは考えすぎですよ。伊周どのは陛下のためを思って熱心に学問を教えてくださっているだけですよ。ただそれだけですよ」
「それなら、なぜわたしのところへ挨拶に来ないのさ? なぜわたしをないがしろにするのさ? つまり、わたしが邪魔なんだよ、あいつは。懐仁をたぶらかそうという魂胆がミエミエだからね」
「伊周どのにそのような下心は無いと信じますけど、それでも姉上、いや国母さまを少しでもないがしろにするような態度を取っておられるとしたら、それは伊周どのが良くありませんね。一度わたくしから注意しておきましょう。わたくしなんぞは、万事につき、まずは国母さまにご相談し、国母さまのご意見を拝聴し、国母さまの意に従って物事を取り計らっております。何事も国母さま第一なのは終生かわりませぬ」
見え透いた道長のお世辞だったが、それでも詮子はその日初めてニヤリと笑った。
「可愛い奴よのう、道長・・・娘はいくつになった?」
「はい。彰子は二歳になりました。今年で三歳になります」
道長は永延元(987)年に左大臣・源雅信の娘で、二歳年上の倫子と結婚し、永延二(988)年に長女の彰子が生まれていた。
「三歳か・・・まだ懐仁の妻には出来んなぁ・・・」
詮子にそう言われた道長は苦笑した。
「うちの彰子はまだ赤ちゃんですから」
「早く大人にする方法はないものかな? わたしはね、道長、おまえの娘に懐仁の世継ぎを産ませて、おまえを関白にしたいんだよ」
詮子の言葉に一瞬ドキリとした道長だったが、すぐにため息をつきながらこう言った
「私みたいな末弟には一生出番がありませんよ」
「普通はね」
と詮子も頷いた。
「しかし、運を味方につければ、それが変わるかもしれない」
「運なんて見えないし、触れないし、匂いも無いし、そんな実体の無いものを、どうやって味方につければ良いのでしょうか?」
「そこは専門家に任せるのさ」
「専門家と言われましても・・・」
道長が途方に暮れた顔をしていると、すかさず詮子が言った。
「安倍晴明だよ」
「え? 安倍晴明? あの変わり者の爺さんですか?」
晴明はこのとき七十歳で、当時としてはかなりの高齢だった。
「そうそう、朝廷お抱えの陰陽師、安倍晴明さ」
「あてになるんですか、あの爺さん?」
「それはわたしにも分からない。あてにならないかもしれない。でも、あてにならなくても運が悪くなる事はないだろうし、もし晴明の持つ力でほんの少しでも運気が上がるのなら、それで御の字じゃないのよ。大切なのは、運気を上げる為なら、仏教でも陰陽道でも、役に立ちそうなものは何でも利用してやろうという気概よ。ど根性よ。それが最後の最後に奇跡を呼び込むのよ」
「はぁ・・・」
「ま、そんな顔していないで、今後はせいぜい晴明を贔屓にしてあげなさいよ。決して損はないから」
「・・・あ、はい・・・何事も姉上のご指示に従います・・・」
道長は半信半疑のまま詮子に礼を述べた。