第52章 死闘
四月十二日、未明に嵐が過ぎ去ると、隆家率いる日本武士団は、冷たく澄んだ空気が漂う早朝から博多湾に整列し、敵が来るのを待ち受けた。
ギリギリ間に合って到着した者を含めて総勢約二千名。その全員が湾内に浮かぶ能古島を見つめている。武士たちの列の後ろには騎乗した総大将の隆家がでんと構え、やはり能古島を睨みつけている。その両横には騎乗した致光と忠光が控えている。
しばらくすると能古島から刀伊の軍船が続々と漕ぎ出してきた。敵船団は、水面に落とした墨汁が広がるように、横へ膨らみながら比較的ゆっくりしたスピードで隆家たちのいる方向へ押し寄せてくる。一定の間隔をあけて湾内に広がった敵船団は、浅瀬の手前まで来るといったん停船し、草陰で得物を狙う猛獣のようにしばし沈黙した。
「今日はどんなふうに攻めてくるのでしょうね?」
忠光がそう尋ねると、隆家は即答した。
「決まってるさ、数を頼りにした正攻法、真っ向勝負だろうぜ」
隆家の予想通り、敵船から次々と敵が海へ飛び降りて来たが、前回のような無謀な突撃はせず、陸に近づくや大きな盾を構えた兵を最前列にして横に長い隊列を組み、じわじわと近づいてくる。刀伊の軍隊は日本へ来てから数度の戦闘で兵を失ったが、それでも損失はせいぜい二百名弱で、まるまる二千八百名は残っている。日本側より八百名も多い。そのほぼ全員が津波のように陸地へ迫ってくる。
「ほら見ろ、思った通り真っ向勝負だ」
と、隆家は忠光の方を向いて嬉しそうな声を上げた後、自陣の武士たちを眺め回して吠えた。
「よーし、てめえら、決戦開始だ。最後の一人になるまで戦うぞ。俺たちの手で我が神国から汚らわしい夷狄どもを追い払い、海の藻屑に変えてやるのだ! よいな!」
隆家の言葉を受けて武士たちは一斉に「おー!」と声を上げた。それが済むと隆家は左右の二人に「では、頼むぞ」と言った。致光と忠光は、自陣の左翼と右翼に配置した騎馬隊を指揮すべく、隆家の両横からすーっと離れていった。すかさず隆家は命じた。
「敵の中段めがけて弓を放て!」
先頭の兵士を狙っても盾で防御されるから、矢を高く射って上から隊列の中段を狙えと命じたのである。日本側が放った大量の矢が上空から降り注ぎ何人か倒れると、最前列以外の敵兵は盾を頭上にかざし、降ってくる矢を防ぎながらそのままの形でずんずん行進してくる。
(あくまでも力押しか。望むところだ。受けてたつぞ)
そう思ってニヤリとした隆家が
「長槍隊、前へ!」
と号令をかけると、長い槍を持った武士たちが、自軍の隊列の最前線に立って槍を構えた。
「突撃!」
隆家の号令と共に長槍隊が怒涛の如く敵の隊列に突っ込んでいき、その後ろから種材ら残りの武士が声を上げて突撃していった。
前線では刀伊の兵士と日本の武士がもみくちゃになりながら交戦している。頃合いをみて隆家が合図の鏑矢を放つと、左右から致光と忠光に率いられた騎馬隊が敵集団の中腹へ突入した。騎馬隊は敵の隊列中盤を蹂躙し、かき回し、崩してゆく。隆家も残りの兵を率いて騎馬で正面から斬り込んでいった。
海岸全域で両軍入り混じった血みどろの白兵戦が始まった。刀伊軍は人数が多い上に個々の兵がとても強く、日本の武士は次々と倒されていった。はっきり言って劣勢だった。しかし、そんな状況下にあっても、種材は返り血を浴びて真っ赤になりながら大鉈を振り回して奮戦していたし、隆家は馬上から敵兵を斬り捨てながら大声で味方を叱咤していた。
「ひるむな! 殺せ! 最低二人は殺せ! 二人殺すまでは死ぬな!」
一人が二人の敵兵を倒せば計算上余裕で勝利できるからである。
陸上で戦闘が始まったのを知るや、すぐさま源知は三十八隻から成る船団を博多湾へ侵入させ、能古島を襲った。島に残っていた見張り役の敵兵は、源知の手勢によってたちまち討ち取られた。
能古島を奪還した源知は、囚われていた日本人数十名を救出すると、息つく暇なく次は博多湾に浮かぶ敵船団へ向けて舳先を回した。
「いけ、いけ、進め! 敵の船を海の底へ沈めてやれ!」
船上で源知が味方の船に向かってそう檄を飛ばしていた。
敵船の乗組員は背後から日本の船団が襲ってきたのに驚き、矢を放って応戦した。双方の船上で弓の撃ち合いが始まった。源知が引き連れてきた軍船は刀伊のものより小さいが、そのぶん速さがあり、小回りが利いた。飛んでくる矢をかわしながら、うまく回り込んだ日本の軍船は、敵船に横付けすると、源知の子分たちがまるで猿のように身軽に、素早く、ひょいひょいと乗り込んでいった。敵船に残っていたのは操舵士など純粋な船乗りばかりだったので、全員あっけなく討ち取られた。敵船を制圧すると日本人の捕虜がいないか探し、見つかれば救出した。見つからなければ、そのまま火をつけて船を後にした。
陸上で戦っていた刀伊の兵士たちは、背後で自軍の船が燃えているのを見て動揺した。船を焼かれたら逃げ帰る手段が無くなるからである。
これで戦況が一変した。
浮足立った敵兵が大慌てで船に戻り始め、そのため優勢だった刀伊軍は総崩れとなった。この機を逃さず隆家は生き残っていた武士全員に声を枯らしながら追撃を命じた。
「今だ、追え! 追い落とせ! 生きて帰すな! 皆殺しにしろ!」
日本の武士たちは疲労の極致にあったが、最後の力を振り絞って追撃した。敗走する敵を倒すほど容易い事はない。刀伊軍の兵士は、追撃してきた武士によっていとも簡単に、まるで稲穂を刈り取られるかのように、バッサバッサと倒されていった。隆家も馬を降り、徒歩で逃げる刀伊の兵士を斬りまくった。青い海が血で真っ赤に染まった。結局、十五隻ほどの敵船が、命からがら博多湾から逃げ去っていった。
抜けるような青空の下、博多湾に残ったのは、海鳥の鳴き声と潮風、海上で炎をあげる刀伊の軍船、そして浜辺から浅瀬までを埋めつくす何千もの死体だった。
戦いに勝利したものの、日本側も半数以上の味方を失った。死闘から生き残った武士たちは、みな疲労困憊の態で浜辺にへたり込んでいた。隆家も全身返り血を浴びた姿で海に腰まで浸かってしゃがみ込み、肩で息をしながら去ってゆく敵船をじっと眺めていた。
(見ていたか、房子? 勝ったぞ。敵を追い払ったぞ)
そこへ忠光が、海水をじゃぶじゃぶ掻き分けて、ゆっくり近づいて来た。鎧に敵の矢が突き刺ささり、体の数か所から出血している。
「死に損ねましたね、閣下」
そう言って笑う忠光を見上げて、隆家は
「貴様もな」
と微笑んだ。
「でも、思う存分暴れられたので満足でしょう?」
「まあな」
「とことんやり尽くせましたか?」
「・・・」
この時、隆家の心には、正直、一抹の寂しさがあった。しかし、それを口にするのはあまりにも不謹慎すぎて憚られた。なにしろ多くの仲間が死んだのである。隆家は沈黙したまま感情を整理していた。そこへ致光が、種材が、生き残った者たちが、続々と集まってきた。立ち上がった隆家は、自分の周りを囲んだ仲間全員の顔をぐるりと見回し、心からの感謝の気持ちを込めて、ねぎらいの言葉をかけた。
「みんな、よくやってくれた。ありがとう」
それから海の方を振り向き、今度は打って変わった大声で、拳を天に向かって高く突き上げながらこう叫んだ。
「野郎ども、勝どきを上げよ!」
「おー!」
博多湾に日本武士の雄叫びが響き渡った。




