第51章 嵐
四月九日、曇天の空の下、隆家の予想した通り、能古島から刀伊の軍船が続々と博多湾へ向かって押し寄せてきた。
「よーし、来たぞ!」
いちばん高い櫓の上に立った隆家は、海と浜辺を見下ろしながら嬉しそうな声を上げた。海岸には隆家が急拵えさせた防御用の柵が横へ長く伸びている。柵の後ろでは種材ら自軍の武士たちが身を潜めて突撃の合図を待っている。柵の後ろには弓射用の台が幾つも並び、敵より高い位置から矢を構えている。日本側の兵数は前日に致光が連れてきた分と忠光の家来を含めて約八百。まだ少ないが、そこそこ戦える数が揃ったと言えるだろう。そこへ向かって敵船は一直線に向かってくる。
海岸に近づくと刀伊の兵士たちは船から次々と飛び降り、奇声を上げながら突進してきた。敵船からそれを援護する矢がさかんに飛んでくる。対馬や壱岐では日本側の盾を貫通した強力な矢だったが、隆家の指示で盾を二重にしていたので今回は防ぐ事が出来た。盾で敵の矢を防ぎながら日本側も弓で激しく応戦する。その矢に当たって海岸を突進してきた刀伊の兵士がバタバタと倒れる。しかしながら刀伊の兵士は少しもひるむ事なく、味方の死体を踏み越えて突進してくる。そして再び日本側が放った矢でバタバタ倒れる。それでもまた突進してくる。その勇猛果敢な姿を見て、もはや一秒たりとも我慢できなくなった種材は柵を飛び越え、大鉈をブンブン振り回しながら敵兵へ突っ込んでいった。それに続いて致光も、忠光も、他の武士たちも、槍や剣を振りかざしながら一斉に駆けだした。白兵戦が始まった。種材が大鉈で敵の兵士を斬りまくっている。
「やるなぁ、あの爺さん。口先だけじゃなかったんだな」
櫓の上の隆家は目を細めて感心した。種材を始めとする日本武士の奮戦により、日本勢は数で勝る刀伊軍と互角に渡り合っていた。頃合いをみて隆家は鏑矢を空へ放った。初めて聞く種類の音なのか、ピューッと鳴り響く鏑矢の音に驚いた刀伊の兵士たちは、ビクッと身をすくませて空を見上げた。鏑矢の合図と同時に、松林から騎馬隊が現れた。騎馬隊の突撃により日本側は一気に優勢に転じ、どんどん敵兵を海へ押し返していった。隆家は櫓の上で叫んだ。
「よーし、その調子だ。押せ、押せ、押しまくれ!」
だが、このとき急に空がまっ暗となり、風がピューピュー吹き、雨が降り始めた。海上に浮かんでいる刀伊の軍船がグラグラと大きく揺れている。
「こりゃあ嵐になるな」
空を見上げて隆家がそう呟いた途端、物凄い強風で櫓が倒壊しそうになった。隆家が櫓から降りると、これ以上の戦闘は無理と判断したのか、敵の兵士たちが船へ駆け戻っている最中だった。兵士を収容した刀伊の軍船は大急ぎで能古島へ帰っていった。
警固所の隣にある鴻臚館が武士たちの宿舎となっている。鴻臚館の大広間へ引き上げてきた武士たちは皆ご機嫌だった。種材を中心にして「俺は何人ぶっ殺してやった」とか「あいつら口ほどにもなかったな」とか「次は皆殺しにしてやろうぜ」とか、全員が笑顔ではしゃぎ合い、からかい合い、自慢し合って、興奮状態のまま大いに盛り上がっていた。その輪の中へ隆家が入ってきて、
「皆、よくやってくれた」
と言うと、種材がニヤニヤしながら尋ねた。
「閣下、わしの戦いぶりを見てくださいましたか?」
「ああ、見たぞ。見事な戦いっぷりであった」
隆家が種材を褒めると、他の武士たちも口々に「俺はどうでした?」「私は?」「おいらの弓の腕前を見てくださいましたか?」と詰め寄ってきたので、閉口した隆家は
「わかった、わかった、みんな見ていた。みんな凄かったから勘弁してくれ」
と苦笑した。その上で真顔になり「次が決戦だ」と言った。
「この嵐が明日で上がるか、あさってまで続くか分からないが、嵐がやんだ時がいよいよ決戦だ。三日間にわたる前哨戦で追い詰められた敵が、ここへ総攻撃をかけてくる。次は今日みたいに楽にはいかないぞ。敵も必死で攻めてくるだろうからな。総力戦だ。勝つか負けるか、死ぬか生きるか、それしかない。だから覚悟しておいてくれよ。そして今のうちに体を休めて決戦に備えておいてくれ」
隆家はそう告げて全員の顔を見回した。皆、緊張した面持ちで黙りこくっている。と、ここで隆家が急におどけた表情になり、
「ま、とは言っても、先の事をクヨクヨ考えてもしょうがねえわな」
そう言って致光に目配せした。すると女たちが酒や食べ物を持って大勢入ってきた。隆家が大宰府の遊郭から呼び寄せた馴染みの遊女たちである。博多付近の遊女たちも全員呼んでいた。場がいっぺんに華やいだ。
「明日の事は分かんねえが、とりあえず今夜はパーッと騒いで楽しもうぜ、みんな!」
そう言って豪快に笑う隆家に、種材が微笑みかけた。
「まったくわしらの大将ときたら話がお分かりになる。この大将になら命を預けられますわい」
というわけで、外は大嵐のさなか、鴻臚館内では隆家お得意の男女入り乱れた大宴会が始まった。酔っぱらって奇声を上げる者、女と一緒に踊りだす者、同郷同士で肩を組んで歌う者・・・明日は命が無いかもしれない悲しい男たちによる飲めや歌えのどんちゃん騒ぎが派手に繰り広げられた。隆家は下っ端の武士にまで声をかけ、酒をついで回った。宴会は夜半過ぎまで続いた。
翌十日と翌々日の十一日、両日とも嵐は収まらず、戦闘は無かった。約二百五十年後に起きた元寇の際、九州地方を襲った暴風雨によって日本は難を免れたが、この時も嵐が日本側に有利に働いた。戦闘休止中の二日間に、嵐をかいくぐって約千人の援軍が到着したからである。日本側の士気はいっぺんに上がった。
また、源知が陸路、雨でびしょびしょになりながらやってきて「船の用意ができました」と隆家に告げた。
「何隻用意できた?」
「三十八隻。博多湾の外側に停泊させております」
「よし」
隆家は大きく頷いた。
「明日には嵐がやんで空も晴れるだろう。空が晴れた時、敵が総攻撃を仕掛けてくる。決着をつける時だ」
「はい」
「こちらで決戦が始まったら、すぐさま船を博多湾に入れ、能古島を攻めよ。島に残っていた敵兵を皆殺しにし、対馬や壱岐で拉致された日本人がいれば救出せよ」
「わかりました」
「それが済んだら背後から敵船を襲え。陸と海の両側から敵を挟み撃ちにするのだ」
「なるほど」
「敵船内にも拉致された日本人が監禁されているかもしれない。余裕があれば一応それも確かめ、日本人がいれば救出してくれ。無理ならしなくても良いが」
「大丈夫です。俺たちならやれますよ」
と、源知は得意気に微笑んだ。
「明日、おれたちは勝つ。何としても勝つ。勝って敵を博多湾から追い出してやる。敵は大陸へ逃げてゆくであろう」
「はい」
「軍隊といっても根は海賊だ。そして得物を漁るのが海賊の本性というものだ」
「は? それはどういう意味でしょうか?」
「大陸方面への海路付近には、ちょうどおまえが支配する松浦があるだろう?」
「ええ」
「そこへちょいと寄って、最後っ屁みたいに悪さを働いてゆく可能性が高いと言っておるのだ」
「あ、それは気づきませんでした」
「強欲でしつこいのさ、海賊という連中は」
「ふてえ奴らですね、まったく」
「だから、こちらでの戦闘が終わったら、すぐに船で自分の領地へ戻り、海賊の襲来に備えてくれ」
「了解です」
「俺たちとの決戦でボロボロになった手負いの連中だから、簡単に撃退できるはずだ」
「来たら皆殺しにしてやりますよ」
「だが、くれぐれも深追いはするなよ。高麗の領海に入ったらまずいからな」
「日本の領海内ならいくらぶっ殺して構わないんでしょう?」
「ああ、それは構わない。あいつらが対馬や壱岐でやった事を考えれば十回殺しても足りないくらいだ。出来れば殲滅して同胞の仇をとってもらいたいと本音では思っている」
「任せといてくれ、アニキ」
源知がそう答えると、隆家が苦笑しながら
「いつから俺がおまえのアニキになったんだよ?」
と訊いた。源知はニヤニヤしている。
「致光さんにとっては若、俺にとってはアニキでいいでしょう?」
「勝手にしろ。とにかく手筈通りに頼むぞ。おまえが頼りだ」
「合点だ、アニキ」
元気よくそう言って源知は出発した。
隆家は空を見上げた。雨の勢いは弱くなってきている。予想通り明日は嵐が止みそうだ・・・いよいよ最終決戦の時が来た・・・俺の戦いっぷりをよく見ていてくれよ、房子・・・




