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さがな者隆家  作者: ふじまる
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第5章 祝宴

 永延二(988)年十一月七日、二条殿にじょうどのにおいて兼家かねいえの六十歳を祝う宴が盛大に催された。

 伊周これちか隆家たかいえ隆円たかまろは、三兄弟で息の合った舞いを披露し、兼家を大いに喜ばせた。また、定子さだこも華麗な琵琶の演奏で兼家に絶賛された。

 その後、道兼みちかねの長男である六歳の福足ふくたりが舞いを披露する番になった。

「ささ、お爺さまに練習の成果を見てもらうんだぞ。しっかりな」

 道兼はそう言って福足を送り出した。

 この日の為に道兼は何か月も前から嫌がる福足に自ら厳しい稽古をつけていた、道隆の息子たちに負けたくないという一心で。と言うのも、道兼には父や兄に対する不満があったからである。

 親父が摂政になれたのは誰のお陰だ? 俺じゃねえか。俺が陰謀をめぐらせて花山かざん天皇を退位させたからなれたんだ。第一功労者は俺だろう? それなのに親父の奴、兄弟を順繰りに昇進させやがって。本来なら俺がいちばん先に出世すべきだ。それだけの働きをしたんだから。兄貴が何をしたって言うんだ。あの酒を飲むしか能の無いボケカスが。あいつは薄らバカの道綱みちつなと一緒に三種の神器を東宮へ運んだだけじゃねえか。ぜんぶ俺が仕組んだんだ。図面を描いたのは、この俺だ。俺の手柄だ。そうだろう? 違うと言うのか? 親父は俺を正当に評価していない。兄貴を依怙贔屓していやがる。それなら、俺と兄貴の、どちらが優秀だか見せてやろうじゃねえか、この場で・・・

 道兼は福足を見事に舞わせる事で、自分を評価していない父・兼家と、内心では能無しとバカにしている兄・道隆みちたかの鼻を明かすつもりでいたのである。

 ところが、舞台の中央へ進んだ福足はムスッとした表情で周りの大人たちをぐるりと見回すや、突然

「踊るのは嫌だ!」

 そう大声を張り上げ、着ていた衣装をビリビリと引きちぎり、きれいに結い上げた髪をぐちゃぐちゃに解いて、その場にどかりと座り込んでしまった。和やかな雰囲気だった会場は一瞬でシーンと静まり返った。兼家は不快そうに顔をそむけ、道兼は呆然自失の様子で真っ青になった顔を伏せたまま体を小刻みに震わせていた。誰がこの場を、この醜態を取り繕うのか? 早く誰か何とかしてくれ。この白けた空気をどうにかしてくれ。元の楽しい雰囲気に戻してくれ・・・会場にいた誰もがそう願っていたところ、道隆がスッと立ち上がり、舞台中央へ進むや福足を脇の下に抱きかかえ、そのまま一緒に踊り始めた。穏やかに微笑みながら優雅に舞う道隆と、何が起きたのか分からず、きょとんとした表情でされるがままになっている福足。そんな二人のちぐはぐな様子が何とも滑稽で、すぐさま会場内は爆笑の渦に包まれた。道隆の機転で道兼親子の失態は帳消しにされたが、同時に道隆と道兼に対する評価にも決定的な差がついた。やはり後継者には道隆が相応しい。世間の人々も、そして兼家もそう思った。

 このように生誕六十年を盛大に祝ってもらった兼家だったが、この頃から健康状態が日に日に悪くなってきた。この家系には糖尿病の血が流れているらしい。後に息子の道隆も道長も糖尿病が原因で亡くなるのだが、兼家にもその症状が表れてきた。自分の命が長くない事を悟った兼家は自家繁栄の為の体制作りを急ぎ始め、まずは永祚元(989)年二月二十三日に道隆を無理やり内大臣に任命した。政敵である他の大臣の権力を相対的に下げる目的である。その上で道隆に定子入内の準備を進めるよう命じた。

 いよいよ来年は一条天皇が元服し、定子が入内する!

 二条殿は連日その準備で大忙しになった。そのため自然と定子以外の子供は構われなくなった。道隆も貴子たかこも定子入内の準備に忙殺され、それどころの話でなくなったからである。そんな状況下にあっても優等生の伊周と隆円は屋敷内でおとなしく勉強していたが、隆家はこれ幸いとばかりに屋敷を抜け出し、外へ遊びに行くようになった。十歳の隆家はたいへんなやんちゃ坊主に成長していた。三度の飯よりケンカが大好きで、通りにたむろしている悪そうな少年(その多くは今で言うところのストリートチルドレンだったが)を見つけては彼らとしょっちゅうケンカをしていた。ケンカに負けた少年は隆家の子分になった。やがて大勢の子分を従えるようになった隆家は、他の少年グループと団体戦のケンカをするようになり、そこでも勝って勢力を拡大していった。いつも半裸姿で、顔も体も真っ黒に日焼けしていて(だから歯の白さばかりが目立った)、都の悪ガキ集団を後ろに従えて大通りをのし歩く隆家は、とても内大臣の御曹司とは思えず、鬼の子が都に現れたみたいだった。実際、彼らは山猿並みに凶暴かつ悪辣で、商店の品物をかっぱらって逃げたり、農家の畑を荒らして野菜や果物を盗んだり、そんな悪さばかりしていた。悪い事をして逃げるのが、そのスリルが、楽しくて仕方ない様子だった。人々はそんな隆家を《さがな者》と呼んだ。乱暴者という意味である。

 道隆は子供の教育に関してもともと放任主義だったし、貴子は定子の世話で手一杯だったので、こんな隆家に説教する者がいるとすれば、兄の伊周しかいなかった。十五歳の伊周は隆家に向かってくどくどと年寄りじみたお決まりの説教を垂れた。

「自分の立場をもっと弁えろよ。おまえは名家の生まれなのだぞ。これから天皇の義弟になる身なのだぞ。それなのに薄汚い浮浪者の少年たちと遊び回るなんて家の恥だ。藤原家の面汚しだ。少しは体面というものを考えろ。おまえは将来この国の中枢を担う人間なのだぞ。それが分かっているのか?」

 伊周の説教を床に寝転びながら聞いていた隆家は、一言「けっ」と呟いて背中を向けた。お説教なんてうんざりだった。大人には大人の世界があるように、子供にも子供の世界がある。いま俺は子供の世界で戦っている最中なんだ。子供の世界で王者になろうとしていて、それに夢中なんだ。それが楽しくて仕方ないんだ。兄貴にはそれが分からないのか? 分からないから大人の世界の論理に俺を当てはめようとするのだろうな。元服したとはいえ、兄貴だってついこの間まで子供だったくせに。もっとも兄貴は、早く大人の仲間入りしたい、そればかりを願っている子供らしくない子供だったけどな・・・

 自分の親切な忠告に少しも耳を貸そうとしない隆家に伊周は腹を立てたが、そんな伊周も隆家に頭が上がらなくなる場面があった。貴子による個人授業が休講状態になった為、伊周は貴族の子弟が通う塾で学問を学び始めた。その帰路、伊周は同じ塾へ通う三人の不良学生にからまれ、路地に連れ込まれた。三人とも兼家の家ばかりが繁栄している現状に不満を抱いている貴族の子供で、前々から伊周を一度こらしめてやろうと思っていた連中である。

「よお、伊周、少し金をめぐんでくれよ。おまえの家は金持ちなんだろう?」

 思いっきり野卑な態度で金をせびる相手に対し、伊周は

「ぼ、僕は、お金なんか持っていないよ」

 ときっぱり拒否したものの、咥内はカラカラに乾き、足はガタガタ震え、目には涙が滲んでいた。学問は得意ながら腕っぷしの方はからっきし駄目な伊周だった。

「なにぃ? 俺たちの頼みがきけねえと言うのかよ?」

「きけないも何も、お金を持っていないと言ってるんです」

「てめえ、痛い目に遭いたいのかよ?」

「やめてください。僕が何をしたって言うんですか?」

「前々からてめえの上品ぶった澄まし顔が気に食わなかったんだよ、俺たちは」

「そ、そんな・・・」

 と、ここで三人の不良は、見知らぬ真っ黒い少年がいつの間にか伊周の横に立っているのに気がついた。

「何だ、この汚ねえチビは?」

 その言葉にハッとした伊周が慌てて左右に目を向けると、自分の左側に隆家が立ち、三人の不良学生を恐い顔で睨みつけているのを発見した。伊周たちが中学三年生だとしたら、隆家は小学四年生、それくらいの体格差がある。

(あ、隆家・・・)

 友達にいじめられて泣いている情けない姿を弟にだけには見られたくないと思うのが、年上の男子たる兄の正直な心情である。伊周は隆家にどこかへ行って欲しくて無言のまま手で追い払おうとしたが、隆家はピクリとも動かなかった。隆家が伊周の弟だと知らない三人は、てっきり物乞いの子供が寄って来たのだろうと思い、

「コラ、邪魔だ。乞食の子は向こうへ行ってろ。しっ、しっ」

 そう言って足で蹴っ飛ばそうとした瞬間、隆家は手に握りしめていた石ころを三人へ投げつけた。石はぜんぶ命中し、一人が呻いてうずくまった。見ると額から血を流している。

「このクソガキ!」

 激昂した残りの二人が飛びかかろうとするや、隆家は素早く腰に差していた棒っきれを抜き、それで二人の脛を思いっきりぶっ叩いた。二人が足を押さえてしゃがみ込むと、続けざまに今度は頭を狙って叩き始めた。三人は悲鳴を上げながら四つん這いになって逃げ去った。敵がいなくなると隆家はつまらなそうに「ふん」と一言呟いて、どこかへ行ってしまった。伊周の兄としての面目は丸潰れだった。

 伊周がこんな調子ではもはや誰にも制御不能かと思えた隆家だったが、相変わらず定子にだけは飼い犬のように従順で、よくなつき、いつも甘えていた。ある日、その定子が

「元気一杯なのは良いけど、少しはおとなしくしていなくちゃダメよ、隆家。もうすぐわたしはこの家からいなくなるんだから。そうしたら、いつものように隆家を庇ってあげられなくなるんだからね」

 そう言って隆家を諫めたところ、急に隆家が顔をくちゃくちゃにして泣き出したものだから、さすがの定子も予想外の展開に戸惑った。

「どうしたの、隆家?」

「嫁になんか行くな、姉ちゃん」

 隆家はそう叫んで定子に抱きついた。

「ずっと僕のそばにいてよ。僕を一人にしないでよ。お願いだよ、姉ちゃん」

「まぁ、隆家・・・」

 定子はさも愛おしげに隆家を抱き寄せ、優しく頭や背中を撫でてやった。

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