第49章 残忍な敵
対馬は険しい山地が海から隆起した地形の島である。平地が少なく、数か所ある港はどれも小さい。船団を目撃した島民たちは港を離れ、とりあえず内陸部へ避難して様子を見守ることにした。島の役所へもすぐ知らせが走った。高台から島民たちが息を殺して見守っていると、全長十五メートルほどの異国船が続々と各港へ到達した。一隻に約六十名の武装した兵士が乗船している。すなわち、おおよそ三千人の兵士からなる大部隊が対馬に上陸したのである。
毛皮の帽子に長衣という、見るからに異国のグロテスクな風体をした、凶暴そうな刀伊の兵士たちは、腰に剣を差し、手に弓を持ち、百人ごとの中隊に分かれて整列した。そして大隊長の号令が掛かるや、各隊は一斉に内陸部への侵攻を始め、手当たり次第に民家に押し入っては家畜と穀物を奪い、家を焼き始めた。
「何かと思ったら、あいつら海賊だったんだ。逃げろ!」
惨劇を目にした島民は島の奥へと逃げていった。しかし、それを刀伊の兵士たちが、まるで狩りをするかのようにどんどん追い詰めていった。刀伊の襲来を知らずに家にいた島民は、不意に侵入してきた兵士たちによって若い女は犯され、労働力になる壮年期の男女は奴隷として外国に売る為にさらわれていった。売り物にならない老人や子供はその場で惨殺された。抵抗した者も容赦なく殺された。平穏だった対馬は、突如、人々の阿鼻叫喚がこだまする地獄と化した。
対馬守・遠晴は数十人の手勢を率いて駆け付けたが、所詮は多勢に無勢で勝負にならなかった。しかも刀伊の兵士は普通の海賊と違い、敵が現れるとまず百人隊の中の三十名が先陣として斬り込み、それを後陣の七十名が弓で援護するという軍隊的統制の取れた戦い方をしたので尚更だった。また、彼らの放つ矢は短いが強力で、日本の兵士の持つ盾を貫く威力があった。兵の数も武器の性能も圧倒的に劣る日本勢はたちまち敗走し、遠晴は命からがら舟で対馬から脱出した。島民たちも次々と舟で逃げ出したが、大多数の者は逃げ遅れて殺され、犯され、拉致された。刀伊の兵士たちは馬や牛を殺して食べ、そればかりか犬まで食った。家は焼かれ、田畑は荒らされ、対馬銀山にも火がかけられ、まるでイナゴの大群が食い尽くしたあと地上に何も残らないように、すべてを破壊していった。
結局、対馬では刀伊によって四十名近くの人間が虐殺され、三百名以上の男女が拉致された。拉致された者の中には、対馬判官の長嶺諸近とその家族が含まれていた。諸近は途中でうまく脱走し、刀伊との戦いが終わったあと家族を救出する為に海を渡り、高麗の金海府まで行ったが、残念ながら家族の中で生き残っていたのは伯母ひとりのみという悲しい有様であった。
対馬を食い尽くした刀伊は、すぐさま次は壱岐へ向かった。壱岐には対馬から逃げてきた者によって陰惨な状況がすでに伝わっていたらしい。壱岐守・藤原理忠率いる軍勢は海岸沿いで待ち構え、刀伊の上陸を阻止すべく陸から敵船に向けて矢を放った。刀伊の兵士も船上から応戦した。先に述べたように刀伊の矢は日本側の盾を打ち破るほど強力なものである。次第に押されていった日本勢は内陸部へ退却し、それを追って続々と刀伊の兵士が上陸してきた。白兵戦が始まったが、日本側の軍勢は百五十名あまり。三千もの刀伊に敵うはずがなく、最後まで勇敢に戦ったものの藤原理忠以下全員が討ち死にした。武力抵抗が無くなるや、対馬と同じように刀伊の兵士は民家を襲い始めた。人々は島の中央にある嶋分寺に逃げ込んだ。ここで常覚という勇猛果敢な僧が皆を指揮し、迫り来る刀伊と交戦して三度も押し返した。しかし、圧倒的多数の刀伊の前には如何ともし難く、けっきょく最後に嶋分寺は炎に包まれ、常覚は壱岐を脱出して大宰府へ援軍を求めに行った。島に残された人々の運命は悲惨だった。対馬では抵抗らしい抵抗が無かったので無傷に近かったが、壱岐では頑強な抵抗を受けたお陰で刀伊は結構な数の仲間を失った。その恨みで若い女以外の島民は、全員なぶり殺しにされた。そのため、刀伊が去った後、壱岐には三十四名の生存者しか残っていなかったと伝えられている。
常覚が博多へ到着したのは四月六日の午後だった。常覚の他にも小舟で逃げ出した対馬や壱岐の島民が続々と博多湾へ流れ着いた。対馬守の遠晴も死にそうな顔で何とか辿り着いた。そのとき博多の警固所には、軍事訓練の為、大蔵種材が詰めていた。種材は逃げてきた人々の報告を聞くと「すわ、一大事!」とばかりに隆家に手紙を書き、早馬で大宰府へ送った。種材の手紙が大宰府に届いたのは深夜である。何も知らない隆家は、遊郭の一室で遊女と寝ていた。手紙を受け取った致光は遊郭へ急行し、
「若、一大事にございます」
と部屋の外から声をかけた。
「何事だ?」
隆家はパッと体を起こして尋ねた。
「海賊が対馬と壱岐を襲った模様です」
(来た!)
隆家はガバッと跳ね起き、すぐに着替えた。
「隆さま、どうなさったの?」
横で寝ていた遊女が寝ぼけ顔でそう尋ねると、
「いいからおまえは寝ていろ。俺はこれからちょいと鬼退治をしてくる」
隆家はニコッと微笑んでそう答えるや、サッと部屋を飛び出していき、致光が後に続いた。隆家はそのまま夜道を博多へ向かって馬を走らせた。馬上、隆家は妙に高揚した気分だった。
(遂に来た。俺の出番がやって来た。房子、おまえの期待に背かないよう大暴れしてやるぜ。見ていろよ、房子)
警固所に隆家が到着したのは七日の夜明け前である。対馬と壱岐から逃げてきた人々が一室で待っていた。
「俺が太宰権帥の藤原隆家だ」
険しい表情でそう言いながら慌ただしく部屋に入ってきた隆家は、みんなの前にドカッと腰を下ろすなり、さっそく対馬守・遠晴に
「襲ってきたのは高麗の海賊か?」
と尋ねた。遠晴は首を横に振った。
「閣下、襲ってきたのは海賊ではありません。どこかの国の軍隊が侵略してきたのです」
「なに、軍隊?」
軍隊と聞いてさすがの隆家も面喰い、証言の信憑性を疑ったが、そばにした常覚も遠晴の意見に同調してこう主張した。
「あれは単なる無法者の集まりではありません。統率の取れた武装集団、すなわち軍隊でした」
想定外の異常事態だった。単なる海賊だと思っていたら、実は正体不明の国による軍事侵攻・・・隆家の心は一気に緊迫した。
「ふん・・・で、敵の数はどれくらいだ?」
隆家がそう尋ねると、遠晴が即答した。
「完全武装の兵士が約三千名。五十隻の軍船に分乗して我らを追って来ます。今日か明日にはこちらへ姿を現すことでしょう」
「三千・・・」
隆家は横に控える種材の方を向いて困惑の表情を浮かべた。種材も同じ表情で
「いっぺんに攻めて来られたら、どうしようもありませんなぁ・・・」
と呟いた。隆家も同意見だった。もし三千もの敵兵が全員で総攻撃を仕掛けてきたら、現在の兵数ではひとたまりもなく、隆家たちは大宰府まで撤退しなければならなくなる。そうなるのを避けるには、こちらの兵数が揃うまでの間、何とか敵に総攻撃をさせないようにしなければならない。そこで隆家は種材に、さしあたり博多湾全体で盛大に篝火を燃やすよう命じた。博多に大軍団が駐屯していると敵に思わせる為である。
「承知しました。さっそく取り掛かります」
種材が部下を率いて篝火を燃やしに出掛けると、次に隆家は致光に九州の地侍に招集をかけるよう命じた。
「ただし文室忠光には博多湾の西側、自分の領地である志摩郡の沿岸を防備しろと伝えよ。それから源知には船をたくさん集めておくように伝えよ」
致光は直ちに警固所を飛び出していった。
種材と致光にてきぱきと指示を出した後、隆家は事情聴取を続けながらさらさらと援軍を求める手紙を書き、早馬で都へ送った。とは言え、現実的に考えれば、都から援軍が来たとしても、それは数カ月先の話である。正体不明の軍団は今すぐにも博多湾に攻めて来ようとしている。ここは何としても自分たちだけで撃退しなければならない。対馬と壱岐の惨状を聴くにつれ、隆家の中ではふつふつと闘志が沸き上がってきた。
(どこの国の奴らか知らねえが、ふざけやがって、畜生ども。これが人間のする事か。許さんぞ。今に見ていろ、一匹も生きては帰さんからな)
夜が明けた。四月七日である。隆家は早朝から博多湾近くの住民を総動員して、海岸沿いに敵の侵攻を防ぐ為の柵や、高い位置から弓を射るための弓射台、監視用の櫓を急拵えで作らせた。また、こちらの兵の数を多く見せる為、湾の周囲にありったけの旗や幟を賑々しく立てさせた。昼間はこれで、夜は篝火で、敵の目を欺き時間を稼ごうという作戦である。敵の矢は日本側の盾を貫く威力があるという報告を受けたので、隆家は兵士たちに盾を二枚重ねて使うようにとも指示した。
(今のうちに出来るだけの準備をしておかなければ・・・勝つも負けるも、すべて俺の采配にかかっているのだ・・・考えろ。策を練るんだ。今度こそ負けない・・・負けるわけにはいかない・・・横から口をだす邪魔な兄貴は、もういないしな・・・完全に俺ひとりだ・・・俺だけが頼りだ・・・我が家を没落させたようなヘマは二度としないぞ・・・)
とつぜん襲ってきた未曽有の国難に打ち勝つべく、隆家の頭はフル回転していた。




