第31章 待望の男子
定子の出産日が近づいてきた。ケガレを嫌う朝廷内では出産が出来ないので、こういう場合、通常は実家へ里帰りするものだが、そうしようにも定子の実家はすでに無い。仕方なく隆家が屋敷を貸してくれる貴族を探したが、道長の顔色を気にして渋る者ばかりだった。ようやく見つけたのは中宮職の三等役人である平生昌の屋敷である。天皇の正室が、事もあろうにこのような下級役人の屋敷で出産しなければならないハメになろうとは・・・と天下の御意見番を気取る藤原実資が嘆いた程であった。もちろん、隆家も同じように怒りと屈辱を感じていた。
前にも書いたが、隆家と実資は共にスジの通らない事が大嫌いな硬骨漢である。そんな二人は定子が生昌の屋敷で出産する事に憤慨したが、さらに二人を立腹させる出来事が起きた。長保元(999)年八月九日に定子は生昌邸へ移ったのだが、中宮が行啓する際は主だった公卿が同行するのが習わしである。ところが、まさにその当日、道長は宇治にある自分の別荘へ出掛けてしまったのである。ちなみに、宇治にある道長の別荘というのが、鳳凰堂で有名な現在の平等院である。先の左大臣であり、隆家の正室・律子の父親でもある源重信から道長が譲り受けたのだが、後に道長の権力を象徴する建物になっていく事となる。
宇治行きは道長による露骨な嫌がらせである。道長は人間的に大きな人物ではあるが、反面こういうネチネチした底意地の悪さも併せ持っていた。お陰で公卿たちは権力者である道長に同伴して宇治へ行くか、中宮である定子のお供をして生昌邸へ行くかで大いに迷った。道長に睨まれるのは怖いけど、かと言って定子が皇子を産めば政界の地図が一変する。そこで公卿たちの大部分は、病気等を理由にして、どちらへも行かずに様子見を決め込む作戦に出た。実資だけはスジを通して早々に定子に同行する事に決めた。
「ふざけんなよ、てめえら」
隆家は公卿たちの狡猾な態度に腹を立てたが、どうしようもなかった。ここで動いたのが蔵人頭の藤原行成である。行成は道長派ではあったものの、べったりの関係ではなく、こういう時には正義を貫く男気とバランス感覚を持ち合わせていた。一条天皇の命を受けた行成は公卿たちを説得して回り、どうにか定子に同行させる事に成功した。空はあいにくの雨模様である。
すったもんだの末、ようやく辿り着いた生昌邸であったが、今度はそのみすぼらしさが清少納言を憤慨させた。一応、東門が中宮を迎え入れる為に格式の高い四足門に改造してあり、定子が乗った御輿はそこから邸内へ入ったけれど、清少納言たちお付きの女房は北門から入る。ところが、その北門が小さすぎて女房たちが乗る牛車が通れないのである。仕方なく清少納言たちは車を降りて、門前から建物まで急遽用意された莚の上を歩いて行かなければならなくなった。以前も書いたが、貴族社会に属する平安女性は、人前に姿を晒すのが大嫌いである。しかも車は建物に寄せて降りるものだと当然のように考えていたので、清少納言は一番のコンプレックスであるクセ髪を梳いていなかった。それなのに殿上人や役人がずらりと居並ぶ前を、雨がしとしと降る中、白日の下に身を晒しながら歩くハメになってしまったので、清少納言はプリプリ怒り、部屋に入った後も腹立たしさのあまり定子に向かって
「何ですか、この家は。車の通れない門なんて、マジ信じられないんですけど」
と怒りをぶちまけた。あまりの剣幕に困惑した定子は苦笑しながらこう慰めた。
「まぁまぁ、諾子さん、これからは常にみだしなみに気を遣って、いつ誰に見られても平気なようにしておくことね」
そこへ「失礼いたします」という特徴的なしわがれ声がしたと思ったら、主人の生昌が挨拶しに現れた。どこにでもいそうな平凡でくたびれた小太りの五十男である。生昌は初対面の挨拶を済ませると高価な硯を定子にプレゼントした。定子は御簾の奥から礼を言った。門から歩かされた件で、まだ怒りが収まらない清少納言は、生昌に向かって初めからケンカ腰で詰問した
「おい、コラァ、なぜ門をあんなに狭く作ったのよ?」
生昌は清少納言の方へ顔を向け、事を荒立てぬようへり下った態度でこう答えた。
「申し訳ありません。手前どもは身の程を弁えた生活をしておりますものですから」
「でも、世の中には門だけ高く作る人もいるのよ」
清少納言がそう言うと、生昌は驚いた顔をした。
「おや、まぁ、ビックリいたしました。それは『漢書』にある于定国の故事のお話ですよね? いやはや教養がおありになる。感服いたしました。私は若いころ漢学の道に進みましたので、たまたま知っておりましたけど、普通の人は何の事やらさっぱり分からないでしょう」
「あんたの進んだその道とやらはたいした事なさそうね。莚が敷いてあっても、でこぼこで歩くのに難儀したから」
「今日は雨でしたので、たまたま道がぬかるんでおりまして・・・」
「はぁ? たまたま?」
と、清少納言が声を荒げると、生昌は狼狽し
「あ、いえ、その・・・あの・・・ここらへんでわたくしは失礼させて頂きます。何か不都合な点がございましたら遠慮なくおっしゃってくださいね。それでは失礼いたします」
そう言って逃げるように退室していった。定子は清少納言を諭して言った。
「あんまりいじめちゃ可哀想よ。怖がって逃げちゃったじゃないの」
「へん、あんなポンコツ親父。少しくらい締め上げてやらないと魂が入りませんでしょうが」
その夜、清少納言が若い同僚の女房と同じ部屋で寝ていると、
「お邪魔してよろしいでしょうか? お邪魔してよろしいでしょうか?」
という聞き覚えのあるしわがれ声に起こされた。
「何だろう?」
そう思って清少納言が辺りを見回すと、障子が少し開いていて、その隙間から生昌がこちらへ呼びかけている。
(まさかこのジジイ、わたしに夜這いをかける気なの?)
呆れた清少納言は、隣で寝ていた若い女房を静かに揺り起こした。
「ちょっと、あれ見てよ」
目を醒ました女房は生昌を見てクスクス笑った。
「自分の家に中宮さまをお迎えしたので、気持ちが大きくなり、急に色気づいたんですかね?」
「知らないわよ、そんな事。それにしても、いい年こいてわたしのところへ夜這いにやってくるなんて・・・ったく、もう・・・」
清少納言は舌打ちすると、生昌に声を掛けた。
「門を大きくしろというお話はいたしましたけど、障子を開けろというお話はしておりませんよ」
「その件に関しまして、わたくしは家の主として相談しに参ったのです。お邪魔してよろしいでしょうか?」
「ダメに決まってるだろうが、このボケ!」
清少納言に一喝された生昌は「失礼いたしました」と言って逃げていった。
「ふん。何がお邪魔してよろしいでしょうか、だ。そう尋ねれば、わたしが、ハイ、良いですよ、お待ちしておりました、どうぞこちらへ、とでも答えると思ったのかしらね?」
清少納言はそう言った後、生昌の間抜けぶりを思い出して、若い女房と一緒にゲラゲラ笑い合った。
翌朝、清少納言がこの件を報告すると、
「諾子さんの教養と美貌にひと目惚れしちゃったのね、あのおじさん、年甲斐もなく」
定子はそう言って大笑いし、続けてこう言った。
「でも、少しは優しくしてやらなくちゃダメよ。何はともあれ諾子さんに好意を抱いてくれている人なのだから」
「そんなぁ、こちらはいい迷惑ですよ。あんな老いぼれに惚れられても」
「諾子さんは、ちょっと渋めの色男が好みですものね」
その後、生昌は天敵となった清少納言に叱られやしないかとビクビクしながらも真面目に奉仕した。お陰で定子は心やすらかに臨月を迎える事が出来た。清少納言は生昌を
「あの男、根は善人なのね」
とほんの少しだけ生昌を見直した。
一方、彰子が入内する日も近づいていた。入内直前の長保元(999)年十月二十八日、道長は貴族たちに対して彰子の嫁入り道具である屏風に書き記す和歌を募集した。集まった和歌の中から優秀な作品を数点、飛鳥部常則という当代最高の画家が描いた屏風絵の上に、能書家である行成が清書するという趣向である。道長に媚びを売る貴族たちはこぞって応募したが、その露骨で情けないお追従ぶりにうんざりした実資は、和歌の献上を拒否した上で、
「屏風歌なんか官位の低い職業歌人のやる事じゃないか。それなのに公卿たる者が喜々として・・・きさまらは末代までの恥さらしだ」
と彼らを厳しく批判した。
長保元(999)年十一月一日、彰子が五十名もの女房や侍女、十数名の公卿を引き連れて華々しく入内した。その仰々しい有様を目撃した実資は、ここでも
「こんなデタラメな時代の貴族なんて、そこいらにいる一般人と同じだ。おまえたちに貴族を名乗る資格は無え!」
と、道長に気に入られようとしてそればかりに必死な公卿たちを再び批判した。
同年十一月七日、彰子は一条天皇の女御となった。その夜は道長が公卿たちを招いて盛大な祝宴を催す事になっていた。ところが、まさにその日、驚くべき知らせが飛び込んできた。生昌邸で定子が男子を出産したのである。




