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さがな者隆家  作者: ふじまる
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第3章 寛和の変

 足が血だらけになっても蹴鞠を止めなかったり、素行の悪さを注意した父・村上天皇に自分のイチモツを描いた絵を送りつけたり、しょっちゅう興奮して大声で叫んだり・・・と数々の奇行で有名だった冷泉れいぜい天皇だったが、その血を受け継いだ息子の花山かざん天皇もまた常人から程遠い青年だった。

 永観二(984)年に十七歳で即位した際、即位式でまず「重いわ」そう文句を言って王冠を脱ぎ捨て、さらには帳を上げ下げする係の女官を神聖な高御座たかみくらの中へ無理やり引っぱり込み、即位式の最中に強姦してしまったのである。これには側近の藤原義懐ふじわらのよしちかも呆れ果てて言葉を失ったが、そうかと言ってどうするわけにもいかず、ただじっと知らぬふりを決め込むばかりだった。いびつな形に歪んで暴発する狂気のエネルギーを持て余していた花山天皇は数多くの女性に手をつけたが、やがて彼の尋常ならざる情愛は一人の女性に集中する事となる。それが大納言・藤原為光ふじわらのためみつの次女・忯子きこである。

 入内した忯子を溺愛した花山天皇は、片時も彼女を側から離そうとせず、昼夜を問わず愛し続けた。やがて忯子は妊娠した。妊娠した女性は血の穢れを嫌う宮中を出て実家へ帰って出産するのが習わしである。忯子も一端はそうしたが、すぐ花山天皇に呼び戻された。そして限界ギリギリまで自分の側に置いて愛し続けた。ようやく実家へ戻れた時、もう忯子には出産する体力は残っていなかった。流産の末、寛和元(985)年七月十八日、忯子は他界した。十七歳の若さだった。

 忯子が死んだと聞くや花山天皇は絶叫し、暴れ狂い、泣き続け、最後は精神の均衡を完全に喪失した。そして出家を望むようになった。花山天皇に出家されると自分の政治生命が失われるので、義懐よしちかは懸命に花山天皇を慰め、元気づけた。義懐の連日に渡る辛抱強い説得や、朝廷お抱えの陰陽師・安倍晴明あべのせいめいと共に熊野の那智大社に行幸した事で、花山天皇はいったん小康状態になったものの、いつまたおかしくなるか予断を許さない状況だった。義懐は花山天皇が再び変な気を起こさぬよう四六時中監視を怠らなかった。

 心身耗弱状態の花山天皇を見て「好機ついに来たる!」と喜んだのが藤原兼家ふじわらのかねいえである。花山天皇が在位している限り兼家に天下が回って来る事は無い。しかし、花山天皇が退位すれば、娘の詮子あきこが産んだ懐仁やすひと親王が天皇に即位するので、その外戚として最高権力を手に入れられる。何としても花山天皇に退位してもらわなければならない。

(俺はもう五十八歳だ。今この機会を逃したら、俺に次は無い)

 そう考えた兼家は蔵人である次男の道兼みちかねに命じ、花山天皇の心の病がぶり返すように仕組ませた。二十五歳の道兼は髭面で顔色の悪い人好きのしない男だったが、話術が巧みで他人をたぶらかすのに長けていた。兼家はそんな道兼の才能を見抜いていた。息子たちの能力を正確に把握した上で適材適所に配置し、己の野望を実現させるのが兼家の流儀である。道兼は、義懐に悟られぬよう充分に注意しながら、陰謀の一味でもある元慶寺がんけいじ厳久ごんく僧正の力を借りて、花山天皇をじわじわと洗脳していった。

 前にこの時代は天台宗の根本経典である法華経がブームになっていたと書いたが、そもそもなぜ天台宗が法華経を根本経典にしたかと言うと、そこにこの世に生を受けたものはすべて仏になれるという《一切皆成いっさいかいじょう》の思想が存したからである。この慈愛と平等の精神に満ち溢れた素晴らしい思想こそが究極の釈迦の教えであるに違いない、と天台宗の開祖である天台大師こと智顗ちぎは考えたのである。ところで、法華経には「仏になれる」とは書いてあるものの、成仏するための具体的な方法は書かれていない。それが書いてあるのは浄土三部経であり、そこには「念仏すれば死んだあと極楽浄土へ生まれ変わらせる」と記されている。ちなみに念仏というと今では「南無阿弥陀仏」と声を出して阿弥陀如来の名前を称える称名念仏が常識であるが、平安時代は頭の中で仏の姿や極楽浄土の様子をイメージする観想念仏が一般的だった。それゆえ、イメージしやすくする為に平等院鳳凰堂のような極楽浄土を模した庭園が造られ、来迎図が描かれたのである。

 話を元に戻すが、そういったいきさつから平安時代には法華経と共に浄土教もたいへん人気があり、広く信仰されていた。当時、その浄土教では、妊娠中に死亡した女性は成仏できないと考えられていた。法華経の《一切皆成》の思想とは矛盾するが、ともかくそう考えられていた。道兼はこの点を大袈裟な手振りでねちっこく突いた。

「ああ、お亡くなりになられた女御さまは成仏できずに苦しんでいらっしゃいます。女御さまをお救いして差し上げる為には、畏れながら陛下自らが出家なされ、ご自身の手で供養なさるしか他に方法はございません。そこまでしなければ女御さまは救われません」

 果たして花山天皇は激しく動揺し、出家する気持ちに大きく傾いたが、最後のためらいがまだ残っていた。そこですかさず道兼はこうたたみかけた。

「ご心配なさらずとも陛下お一人を仏門に入れようなどとは思っておりません。どうしてそんな薄情な真似が出来ましょうか。陛下お一人に世を捨てる辛い思いはさせません。わたくしもお供して出家いたします。ですから安心してご出家なさってください」

 道兼がそこまで言ってくれるのなら・・・花山天皇はようやく出家を決断した。

「ただし権中納言さまに知れますと必ずや反対され、その結果また元の木阿弥に戻って今と同じ苦悩の日々が続く事になりますから、出家の話はくれぐれも秘密にしておいてくださいね」

 道兼は、藤原義懐に悟られぬよう、決行の日までいつもと変わらない自然な様子でいるよう念入りに要請した。花山天皇はムスッとした表情で、ただ一言「わかったよ」と答えた。

 寛和二(986)年六月二十二日の深夜、遂に兼家の陰謀が決行された。

 このところ義懐は花山天皇が心配で宮中に宿泊し、異変が生じないか警戒する日々が続いていたが、疲労が溜まったのでその晩は久しぶりに自分の屋敷へ戻り休息していた。その隙をついた兼家は、まず道隆みちたか道綱みちつなに命じて三種の神器を素早く懐仁親王のいる東宮御所へ運ばせた。

 道綱は『蜻蛉日記』を書いた女性に産ませた息子である。兼家にとっては次男に当たるが、正室である時姫ときひめの子ではないし、聡明な母親から生まれたとは思えないほど愚鈍で成人した後も自分の名前以外の漢字が書けないほどだったので、その扱いは軽かった。ただし愚鈍な分、生まれつき善良な性格で、兼家の命令には何でも素直に従う息子だった。

 三種の神器が無事に運び出されたのを確認すると、次に兼家は道兼に命じ、警備の者に見つからぬよう予め用意してあった秘密の戸口から花山天皇を内裏の外へ連れ出させた。

 夜空には有明の月がまぶしく輝いていた。月光に顔を照らし出された花山天皇は、

「こんなに明るくては丸見えだなぁ。今夜は見つかる危険性があるから中止した方が良いんじゃないか」

 そう言ってぐずり始めた。

(今更なにを言ってやがるんだ、こいつ)

 道兼は思わずブチ切れそうになったが、いらだちをじっと我慢していると月が雲に隠れ、辺りが暗くなった。それを見た花山天皇が

「やはり今夜わたしは出家しなければならない運命なのだなぁ・・・」

 と呟いたので道兼は機嫌を取り戻し、作り笑顔で花山天皇に

「ささ、お急ぎを」

 と出立を促した。ところが、再び花山天皇が

「大切にしている忯子の手紙を置き忘れてきたので、いったん戻って取ってくるよ」

 と言い出したものだから、道兼のいらだちは最高潮に達した。

(いい加減にしやがれ、この薄バカ野郎!)

 強度のいらだちにより感情が昂りすぎた結果、道兼の目から涙がポロポロ溢れてきた。道兼は詐欺師であり役者だった。せっかく溢れ出た涙を有効に利用して泣き真似をし始めた。

「情けなや。陛下はこれから出家なさるのですぞ。それなのに亡き女御さまの手紙などに執着なさって。出家とは現世の縁をすっぱり断ち切る事ではないのですか? そんな情けない態度で断ち切れますか? 中途半端な気持ちでいらっしゃると、たとえ形の上で出家しようとも、仏の慈悲は望めませんぞ。そうなったら女御さまをお救い出来ませんぞ。女御さまは苦しみ続ける事になるのですぞ。それでもよろしいのですか?」

 涙ながらに必死の形相でそう訴える道兼の迫力に圧倒された花山天皇は叱られた子供のようにしゅんとなり、道兼に続いて土御門の外へ出て大路を歩き始めた。当時、夜の都は夜盗が徘徊する危険極まりない空間だったが、兼家が予め出家の場所である元慶寺がんけいじまでの道々を配下の武士たちに警備させていたので、道兼の一行は安全に通過できた。

 途中、安倍晴明の屋敷の前を通った時、屋敷内から

「おや、占いに天皇御退位の相が現れたぞ。あるいはすでに退位なされたのかもしれぬ。いずれにせよ一大事だ。すぐ内裏へ向かう。車の用意をせよ」

 という声が聞こえたので道兼は花山天皇を急がせた。

 元慶寺に到着するや、準備して待ち構えていた厳久僧正により、すぐさま得度式が執り行われ、花山天皇は剃髪した。出家が完了した後、次は道兼の番だなと思って花山天皇が振り向くと、道兼が急にそわそわと落ち着かない様子をし始め、

「私はいったん失礼して出家前の姿を父に見せてまいります」

 そう言って慌ててその場から立ち去ろうとした。さすがの花山天皇も謀られた事に気づき、

「おのれ、道兼、わたしを騙したな!」

 と叫んで泣き崩れた。

「騙したなんてとんでもございません。すぐに戻ってまいりますから、しばしお待ちのほどを。すぐにですからね。すぐにですよ」

 調子の良い言い訳を繰り返しながら、泣き続ける花山天皇を残して、道兼はあたふたと寺を後にした。

 一方、内裏では警備の者を除く大部分が何も知らずにすやすやと就寝していたが、そこへ御年六十五歳になる陰陽師の晴明が、真夜中にもかかわらず老体に鞭打って駆けつけ、

「異変発生の兆しあり!」

 そう大声で叫び回ったものだから大騒ぎになった。無事を確認しに行った侍従により花山天皇の失踪が発覚したので宮中はさらなる大混乱に陥った。知らせを受け大急ぎで駆けつけた義懐は家来を総動員して都じゅうを探させたが、花山天皇の行方は杳として知れなかった。明け方近くになり、ようやく元慶寺で発見した時、花山天皇はすでに出家した後だった。

「陛下・・・」

 僧形の花山天皇を見て絶句した義懐は自分の政治生命が終わった事を悟った。義懐は潔くその場で出家し、花山天皇の後に続いた。

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